20 / 26
二十、
しおりを挟む
*
包帯で巻かれた肌は、爛れたような、引き攣れたような痕がある。
(絶対に許さない――)
殺意にも似た憎悪は、見えない傷として残った。それは、今も、この先も、命果てるまで一生残り続けるのだろう。
一方で、今の自分を嫌悪した。あれほど人を傷つけておいて平然としている相手と、同じような真似をした。手あたり次第に威嚇している分だけ、あの男よりひどいかもしれない。
そんな自分に幻滅したのは、自分だけではなかった。周りも、父も、友人と思っていた家臣達でさえ、蔑んだような眼差しを向けている気がする。変わらず接してくれるのは、極々一部の者達だけ。その一部の者達さえ、試すような真似をしなければ安心できなかった。
「お前は、俺を裏切らぬか?」
蘇芳の瞳の少女を見上げる。この少女にまで幻滅されたら――本当にどうしたらよいのか、分からなくなる。
「裏切るわけ、ない……」
少女の目が潤んだ。紅玉にも似た美しい瞳からは、涙がひっきりなしに零れ落ちた。
「絶対、若と一緒にいるから。信じて……」
祈るような切ない声だった。思わず、縋りつくように体から力が抜け、少女の体に倒れ込んだ。
*
『若の傍にいる』
その約束の通り、於泉は暇さえあれば、奇妙丸の部屋に通い続けていた。
ほかの誰もいない、2人きりの部屋。
奇妙丸は於泉に本を読んでやったり、かるたや貝合わせをしたり、絵を描いたり、付きっ切りで遊んでやった。
(いや、違う……)
於泉に高価な玩具を差し出すことで興味を持たせただけだった。傍を、離れてほしくなくて。
これ以上、ひとりぼっちになりたくなかった。
能面を張り付けたような笑みを浮かべながら優しく接することを心がけ、於泉がかるたで勝ったらとにかく褒め続けた。
まるで、於泉に枷をつけて傍から放さないように。
ふと、於泉がぼんやりと遠くを見つめていた。筆を動かす手は、止まっている。
「於泉? 如何した」
はっとしたように、於泉が小さく頭を振った。
「ごめんなさい、なんでもないの」
「これは、なんの花じゃ? 秋だから……桔梗か? それとも、萩でも描こうとしていたのか?」
まだ、花びらをつけていないので、なにを描こうとしているのか、想像ができなかった。
すると、於泉はどちらでもない、と言った。
「これは花じゃなくて、芒」
於泉はそう言うと、ほわほわとした胞子の部分を付け足した。奇妙丸はお世辞抜きに、「うまいな」と呟いた。
『来年の秋は――』
京に行く前の約束を――於泉はまだ、覚えているのだろうか。
◇◆◇
京に行く前に会った時――奇妙丸は、於泉の掌に金平糖を乗せながら、呟いた。
「金平糖……」
零れ落ちた星のかけらのような、美しい異国の菓子に、於泉は頬を染めていた。勝蔵も、はじめてカステーラを食わせてやった時、同じように目を輝かせていたものだと笑みがこぼれる。
「次の秋には――十五夜には、一緒に月見をしようか」
「月見!? 大人みたい!」
「酒は出せぬだろうが……金平糖やカステーラ、団子……。色んな菓子を用意しておく。それを食べながら、月を愛でてはいかがであろう?」
「素敵……」
於泉は頬を緩めた。
「約束よ、若。みんなで、お月見しましょう」
差し出された小指に、自身の小指を絡める。触れ合った指先は柔らかくて、凧ができた自身の指とは、比べ物にならないほど温かかった。
◇◆◇
あの約束を、於泉は覚えているのだろうか。問いかける勇気は、奇妙丸にはない。「なかったこと」にしようと、目を反らすことしかできないでいる。
約束は守らなければいけない――そう於泉に教えたのは、ほかでもない、奇妙丸自身だというのに。
その時、床が踏み抜かれんばかりの足音が響いた。奇妙丸がい竦み、於泉も奇妙丸の腕にしがみついた。
包帯で巻かれた肌は、爛れたような、引き攣れたような痕がある。
(絶対に許さない――)
殺意にも似た憎悪は、見えない傷として残った。それは、今も、この先も、命果てるまで一生残り続けるのだろう。
一方で、今の自分を嫌悪した。あれほど人を傷つけておいて平然としている相手と、同じような真似をした。手あたり次第に威嚇している分だけ、あの男よりひどいかもしれない。
そんな自分に幻滅したのは、自分だけではなかった。周りも、父も、友人と思っていた家臣達でさえ、蔑んだような眼差しを向けている気がする。変わらず接してくれるのは、極々一部の者達だけ。その一部の者達さえ、試すような真似をしなければ安心できなかった。
「お前は、俺を裏切らぬか?」
蘇芳の瞳の少女を見上げる。この少女にまで幻滅されたら――本当にどうしたらよいのか、分からなくなる。
「裏切るわけ、ない……」
少女の目が潤んだ。紅玉にも似た美しい瞳からは、涙がひっきりなしに零れ落ちた。
「絶対、若と一緒にいるから。信じて……」
祈るような切ない声だった。思わず、縋りつくように体から力が抜け、少女の体に倒れ込んだ。
*
『若の傍にいる』
その約束の通り、於泉は暇さえあれば、奇妙丸の部屋に通い続けていた。
ほかの誰もいない、2人きりの部屋。
奇妙丸は於泉に本を読んでやったり、かるたや貝合わせをしたり、絵を描いたり、付きっ切りで遊んでやった。
(いや、違う……)
於泉に高価な玩具を差し出すことで興味を持たせただけだった。傍を、離れてほしくなくて。
これ以上、ひとりぼっちになりたくなかった。
能面を張り付けたような笑みを浮かべながら優しく接することを心がけ、於泉がかるたで勝ったらとにかく褒め続けた。
まるで、於泉に枷をつけて傍から放さないように。
ふと、於泉がぼんやりと遠くを見つめていた。筆を動かす手は、止まっている。
「於泉? 如何した」
はっとしたように、於泉が小さく頭を振った。
「ごめんなさい、なんでもないの」
「これは、なんの花じゃ? 秋だから……桔梗か? それとも、萩でも描こうとしていたのか?」
まだ、花びらをつけていないので、なにを描こうとしているのか、想像ができなかった。
すると、於泉はどちらでもない、と言った。
「これは花じゃなくて、芒」
於泉はそう言うと、ほわほわとした胞子の部分を付け足した。奇妙丸はお世辞抜きに、「うまいな」と呟いた。
『来年の秋は――』
京に行く前の約束を――於泉はまだ、覚えているのだろうか。
◇◆◇
京に行く前に会った時――奇妙丸は、於泉の掌に金平糖を乗せながら、呟いた。
「金平糖……」
零れ落ちた星のかけらのような、美しい異国の菓子に、於泉は頬を染めていた。勝蔵も、はじめてカステーラを食わせてやった時、同じように目を輝かせていたものだと笑みがこぼれる。
「次の秋には――十五夜には、一緒に月見をしようか」
「月見!? 大人みたい!」
「酒は出せぬだろうが……金平糖やカステーラ、団子……。色んな菓子を用意しておく。それを食べながら、月を愛でてはいかがであろう?」
「素敵……」
於泉は頬を緩めた。
「約束よ、若。みんなで、お月見しましょう」
差し出された小指に、自身の小指を絡める。触れ合った指先は柔らかくて、凧ができた自身の指とは、比べ物にならないほど温かかった。
◇◆◇
あの約束を、於泉は覚えているのだろうか。問いかける勇気は、奇妙丸にはない。「なかったこと」にしようと、目を反らすことしかできないでいる。
約束は守らなければいけない――そう於泉に教えたのは、ほかでもない、奇妙丸自身だというのに。
その時、床が踏み抜かれんばかりの足音が響いた。奇妙丸がい竦み、於泉も奇妙丸の腕にしがみついた。
0
お気に入りに追加
5
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
藤散華
水城真以
歴史・時代
――藤と梅の下に埋められた、禁忌と、恋と、呪い。
時は平安――左大臣の一の姫・彰子は、父・道長の命令で今上帝の女御となる。顔も知らない夫となった人に焦がれる彰子だが、既に帝には、定子という最愛の妃がいた。
やがて年月は過ぎ、定子の夭折により、帝と彰子の距離は必然的に近づいたように見えたが、彰子は新たな中宮となって数年が経っても懐妊の兆しはなかった。焦燥に駆られた左大臣に、妖しの影が忍び寄る。
非凡な運命に絡め取られた少女の命運は。
令嬢の名門女学校で、パンツを初めて履くことになりました
フルーツパフェ
大衆娯楽
とある事件を受けて、財閥のご令嬢が数多く通う女学校で校則が改訂された。
曰く、全校生徒はパンツを履くこと。
生徒の安全を確保するための善意で制定されたこの校則だが、学校側の意図に反して事態は思わぬ方向に?
史実上の事件を元に描かれた近代歴史小説。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
偽典尼子軍記
卦位
歴史・時代
何故に滅んだ。また滅ぶのか。やるしかない、機会を与えられたのだから。
戦国時代、出雲の国を本拠に山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し、当時の中国地方随一の大大名となった尼子家。しかしその栄華は長続きせず尼子義久の代で毛利家に滅ぼされる。その義久に生まれ変わったある男の物語
北海帝国の秘密
尾瀬 有得
歴史・時代
十一世紀初頭。
幼い頃の記憶を失っているデンマークの農場の女ヴァナは、突如としてやってきた身体が動かないほどに年老いた戦士、トルケルの側仕えとなった。
ある日の朝、ヴァナは暇つぶしにと彼の考えたという話を聞かされることになる。
それは現イングランド・デンマークの王クヌートは偽物で、本当は彼の息子であるという話だった。
本物のクヌートはどうしたのか?
なぜトルケルの子が身代わりとなったのか?
そして、引退したトルケルはなぜ農場へやってきたのか?
トルケルが与太話と嘯きつつ語る自分の半生と、クヌートの秘密。
それは決して他言のできない歴史の裏側。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる