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十二、
しおりを挟む『簀巻きにしてでも連れて来ます』
と、勝九朗が言ってから3日が経った。
奇妙丸はそわそわしながら、部屋の中を歩き回っていた。
(もし、於泉が厭と言うていたらどうしよう……)
勝蔵が嫌いだから於泉は会いに来てくれないのだろうとばかり思っていた。しかし、3日も経つと、勝蔵の存在は言い訳で、本当は奇妙丸に会いたくないだけなのではないか――と、そんな懸念が生まれている。
「奇妙殿」
縁側に出てうろうろしていると、名を呼ばれた。奇妙丸は、ぱぁ、と表情を輝かせた。
帰蝶である。
帰蝶は、艶やかな深紅の打掛を身にまとい、同じ色の紅を差した唇に笑みを湛えている。慣れた養母の穏やかな表情に奇妙丸は駆け寄った。
「これ、奇妙殿。そのように走り回るものではありませんよ。落ち着いて過ごしなされ」
頬を包み込む柔らかな掌の感触と甘い匂い。こそばゆい思いを感じつつ、母の胸に飛び込む。帰蝶は呆れたように、けれど優しく抱き留めてくれた。
ここしばらく、帰蝶はいつも気難しい顔をしていた。
理由は、奇妙丸の上洛に関してだろう。
上洛は、ひと月後に迫っていた。未だに帰蝶だけは、断固として反対派の姿勢を崩さずにいることに奇妙丸は気づいていた。
帰蝶は、やや過保護なところがあるらしい。
「母上」
奇妙丸は意を決したように、帰蝶を見上げた。
「どうか、それがしのことはご心配なく。この奇妙丸、織田家の名に恥じぬよう、精いっぱいお役目を果たして参りまするゆえ」
帰蝶は睫毛を伏せると、悲しそうな顔をした。
(そんな顔をさせたいわけではないのに――)
奇妙丸は、もどかしくて仕方がなかった。帰蝶を悲しませるつもりなどないのに、どうしても喜ばせることができない。
「……かような、患者の真似事をさせるために、わらわはそなたを、吉乃殿からお預かりしたわけではないのに」
奇妙丸は、帰蝶の腹から生まれた子ではない。
帰蝶が輿入れしてくる以前から信長の馴染みであった、生駒家の娘が産んだ子である。吉法師が寵愛した女子という意味で「吉乃」と呼ばれるほど、寵愛が深い、らしい。今は、小牧山城の麓に館を与えられ、そこに住まうことを許されるほどだった。
帰蝶は輿入れしてから、長らく吉乃の存在を知らされていなかったという。お手付きの女子がいること自体は知っていても、まさか子を産ませていたとは思うまい。
里を失い、夫から突然見知らぬ子と引き合わせられた時、帰蝶の矜持がどれほど傷つけられたのか、想像に難くない。
実母に会いたいかと問われれば、奇妙丸の答えは決まっている。
小牧山に呼ばれた時も、正式に側室と迎えられた時も嬉しかった。最近は体調を崩しがちと聞いていたので、心配もしている。
しかし、だからと言って不用意に吉乃の館を尋ねようとは思わない。
(儂にとっての母は――吉乃殿だけではないから)
生んでくれた母だけではない。時に厳しく叱り、熱を出した時には一晩寝ないで世話をしてくれて、駆けつければ迷わず抱き締めてくれる。その人を差し置きたいとは思わない。
「母上。奇妙は、帰蝶さまの、子にございます」
奇妙丸は、帰蝶の目をまっすぐ見つめた。
「ゆえに、織田家のため、この身を賭して働いてみせます」
視界が深紅に染まる。帰蝶が着ている打掛の色だった。
「そなたを殿に預けられた時、そなたのためとあらば何でもしようと決めていた。しかし、わらわの言う『なんでもしよう』の、なんと軽いことであろうか」
奇妙丸は頬に添えられた掌を包み返した。温かくて柔らかい、優しい掌であった。
奇妙丸にとっては、この掌が愛しい母の温もりなのだった。
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