思い出乞ひわずらい

水城真以

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七、

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 はじめて会った時から、まるで他人のように思えなかった。

 実の兄弟達すら、奇妙丸を他人のように、そして厳かに扱う中で、その子どもは違った。
 だから、奇妙丸にとっても――その子どもはかけがえのない、生涯守りたいと思う存在になったのだ。


       ◇◆◇


「兄上えええええええ」


 いつもなら鈴が転がるような声が、今日は陶器が割れたような鋭い悲鳴を上げた。奇妙丸きみょうまる勝九郎しょうくろうが揃って顔を上げる。すると、於泉おせんはぎゃんぎゃん泣きながら、勝九郎に飛びついていた。
「ど、どうしたんだ、於泉?」
 勝九郎が理由を問いかけても、於泉は泣くばかりで返事をしない。勝九郎の肩が涙を吸い込んで重たく色を変えた。
「於泉、如何したのじゃ?」
 奇妙丸が優しく、聞き直す。すると於泉はしゃくり上げながら、ゆっくりと顔を上げた。蘇芳の瞳が赤身を増し、鼻の色まで赤くなっていた。奇妙丸は於泉の頭を撫でながら、もう一度「どうした?」と、問いかける。少し前まで、於泉は勝蔵と珍しく和やかに話していたようだったのだが。
「しょ、勝蔵殿がっ」
 於泉は肩を震わせながら、たどたどしいながらも訴えようとしている。奇妙丸は辛抱強く、於泉が泣いている理由を話すのを待った。
「勝蔵殿が、おぞましきものを食わせて来たの……ッ」
 おぞましきもの――というのが一瞬分からなかった。しかし、於泉が必死で伝えた情報を繋ぎ合わせると、そのとやらの特徴は、

 ・味は、苦くて生臭い
 ・4つの脚がある
 ・真っ黒に焦げているが、形は蛇のようでもある
 ・そして焦げているのに、目がどこにあるかも分かる

 というものであった。
(あれか……)
 奇妙丸は沈痛な面持ちを浮かべかけたが、今は勝蔵を叱りつけるよりも、於泉をなだめるのが優先である。
「於泉、それはな、おぞましきものではない。イモリの黒焼きという」
「イモリ!? って、あの!?」
 於泉が目を真ん丸くした。
「前に父上が籠に入れたのを見せてくれたことがあっただろ?」
 勝九郎の言葉で、於泉の顔色がますます青白くなった。
「イモリの黒焼きは、滋養にいいし、食べると健やかになる。そなたは昔、体が弱かったというから、勝蔵なりに気遣ったのであろう」
 勝蔵なりに於泉と親しくなろうという涙ぐましい努力があったのは想像に難くない。
 ただ、ひとつだけはっきり言えるのは、

「勝蔵に悪気はないのじゃ。許しておやり」

 ということだった。
 奇妙丸にしてみれば、もうこれでこの話はしまいになるはずだった。もう一度、と伸ばした掌から、於泉が離れた。逃げられるとはまさか思っていなかったが、於泉の顔を見ると、奇妙丸はなにも言い返せなかった。
「……もうやだ」
 於泉がはらはらと涙を零しながら、勝九郎の背に隠れた。

「もう、家に帰る~~~~~~」

 勝九郎の衣は、屋敷に帰るまでの間に元の色が分からないほど濡れてしまった。奇妙丸がなだめようとしても、於泉は兄の傍を離れようとしない。赤ん坊のようにギャンギャン泣くばかりである。

 そして――その日を境に、於泉は「病で寝込むようになってしまった」。

 奇妙丸の屋敷から遠ざかるようになってしまったのである。


   ***


 小牧山こまきやま城下、池田いけだ屋敷――。

 ごんっ、と額を打ちつける音が響く。
「い……っ!」
 ずきずきと痛む箇所を摩りたいが、その患部である額が床にめり込んでいてはそれもかなわない。
 ぐぬぬ、と唸りながら、勝蔵は心の中で「親父のばーか!」と父を罵倒した。その気持ちは可成にも伝わってしまったのだろう、後頭部を押さえつける可成の掌にますます力が籠った。

「すまん、勝三。うちのバカが、一の姫に――」

 イモリの黒焼きを食べさせて以来、於泉は奇妙丸の屋敷に来ることはなくなった。
 イモリの黒焼きは滋養強壮にいい。もともと病弱だったという於泉にはいいだろうと思ったのだが、於泉は吐き出した上に暴言を吐いて逃げてしまった。
 ちなみに於泉はというと――あれから本当に寝込んでしまったらしい。
 てっきり勝蔵を避けるための方便かと思いきや、今も熱を出して布団から起き上がれないのだという。
 恒興は「いやいや」と困ったように笑みを浮かべながら、首を横に振った。
「あれでいて、姫は世間知らずで臆病なところがありますからな。――あと3日もすれば、また元気に走り回ることでしょう。勝蔵も、あまり気に病む必要はない」
 恒興がそう言うと、ようやく可成の拘束が緩み、勝蔵は顔を上げることができた。
「だが、姫はいまだに若のもとをお訪ねになられていないのだろう」
 可成の眉間に皺が寄り、恒興も同じような顰め面をした。
 普段の気さくな父達からは程遠い、まるで槍の稽古をしている時のような気配に、勝蔵は小さく身震いする。恒興の傍に座していた勝九朗も、わずかに顔面を蒼白させていた。
「勝九朗」
 子ども達の気配を察した恒興が勝九朗を振り返った。
「勝蔵を於泉の部屋にお連れしなさい」
「お、於泉の部屋にですか?」
 勝九朗は困惑したように首を傾げる。
「於泉が、勝蔵と会うでしょうか? あれは頑ななところがありますし」
「会う会わないは、我々が決めることではないだろう」
「会いたければ会うだろうし、会いたくなければ会わない。そういう者だ、於泉は。いいからものは試し。連れて行ってみろ」
「……なんだか」
「池田殿――まるで、俺達を追い出したいみたいな言い方するんですね」
 勝蔵にとっては、息をするような何の気なしな一言であった。しかし次の瞬間襟首を持ち上げられると、勢いよく濡れ縁の向こうに放り投げられたのである。
 勝九郎が慌てて追い駆け、介抱してくれた。勝蔵は転んだ表紙に頭のうしろを地面に思い切り打ち付けていた。きっと夕方には、こぶが誕生していることだろう。


「いいから、土下座でもなんでもして許しを乞うてこい、馬鹿息子!」


 可成はそう言い捨てると、ぴしゃりと戸を閉めた。
「ちくしょう……」
 勝蔵は、ぎりりと歯を噛み合わせた。
「……とりあえず、於泉の部屋に行ってみるか? 会えるかは分からないけど」
 勝九郎が恐る恐る問いかけて来たので、勝蔵は頷いて見せた。そして、少し離れたところで、「くそ親父め」と、吐き捨ててみるのだった。
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