19 / 49
3、予言
四
しおりを挟む
ひたひたと猫のような、仔犬のような足音が響く。
もはや顔を上げる気力すらない。
いっそ、処刑を告げにくる侍であればいいのに。そんなことすら思う。
「初音」
甲高い子どものような声。久々に名前を呼ばれてゆるゆると顔を上げると、格子の向こうに子猫のような生き物がいる。
「……あなた、明晴さまの……」
確か、紅葉と呼ばれていた獣だ。真の姿はまた別のようだが。
紅葉は格子の隙間に頭を突っ込んだ。ふぐぐ……と小さく唸りながら狭い檻の間に顔を突っ込み、中に入ってくる。
紅葉は、初音の脇に置かれていた折敷を見ると、尻尾で地面を叩いた。
「なんだなんだ、飯はちゃんと貰えてるんじゃないか。心配して損したぜ」
「…………」
「全然食ってないようだけど。握り飯、カピカピじゃねーかよ。漬物も干からびかけてるし」
「……食べたところで、殺されるんだもの。意味はないわ」
火付けを行なった者は、同じく火で処罰される。だから、初音もいずれ火刑に処される。
なのに、一日一度、初音の牢獄には握り飯が差し入れられる。死ぬ人間が食べたところで無駄なのに。
「……おい、初音」
紅葉の声が低くなった。
「お前──いつからそれを飼ってる?」
「え……?」
「ざっと数えて、10……いや、20はいるようだが」
紅葉の鋭い目が突き刺さる。だが、紅葉が見ているのは初音ではない。初音の──肩越しだ。
「あなた、これが見えるの?」
「当たり前だ、たわけ者。俺は十二天将・白虎さまだぞ! こんな雑魚、変化解くまでもないわ!」
紅葉の毛が逆立った。前足の先端に鋭い爪が伸び、初音に取り憑いていた影を切り裂く。
その瞬間──今までの肩の重みが嘘のように軽くなった。霧が晴れたような清々しい感覚だった。
「今のは、一体……それに、声も聞こえない……」
「言っとくけど、あくまでもその場しのぎだからな」
紅葉は前足を舐めながら言った。
「お前、霊力がかなり強いみたいだ。生まれつきか?」
「え、ええ」
亡くなった母は、他国を渡り歩いていた巫女だった――と聞いたことがある。たまたま木曽川に立ち寄った際に父に見初められ、そのまま側女になったのだ、と。
「なるほど、巫女か」
それならば納得がいく。
「お前の母は、恐らく口寄せができたのかもしれん」
「口寄せ……?」
「生者または死者の霊や、神霊なんかを体に移すことだ。東国なんかだといたこ、とも言うそうだが」
十二天将を見ることができるのも、術を見破ることができるのも。
何より、異常に彼女に引き寄せられる霊も、血筋がなせる技ならば。
「詳しいことは分からないわ」
初音の母は、生前「帰る場所を失った」と言っていたらしい。父もそれを語ることはしなかった。
(まあ、口寄せの巫女ったって、神職の人間には違いないしなぁ……)
神道といっても、派閥はある。諍いも絶えないだろう。
大方、政権争いに敗北し国を追われた巫女だった――というのが、初音の母の出生といったところだった。
とはいえ、問題は初音に後ろ盾がないことが明らかになったことではない。
初音のような娘に、巫女としての素養がない、ということだ。
いくら母から受け継いだ霊力が強くとも、本人がそれを操れない。学ぶ環境がなければ、霊や妖からすればただの馳走にしか見えないだろう。霊力の強い人間を食らえば、食った側はその霊力を奪うことができるのだから、雑魚妖怪が次々に寄ってくる。
「おい、初音。手を出せ」
「こ、こう?」
差し出された掌は細く、白魚のようだった。紅葉は初音の掌に手紙と数珠を置いた。
数珠は、勾玉と水晶を繋ぎ合わせてある。青い数珠に、翠玉色の勾玉の組み合わせだった。
「明晴からだ」
「明晴さまが……?」
初音は、明晴からの手紙を広げた。
【俺が必ず、あなたを助けます】
初音には、素養がない。だから、自分の身ひとつ守ることができない。
本人が守れないなら、――代わりに素養がある者が守ればいい。
「この数珠……明晴さまが作ってくださったの……?」
「おう。昨夜、寝ないで作ってたんだぜ、明晴の奴」
明晴からの「お願い」は、初音にお守りを渡すから、それを持って行ってほしい、ということだった。
明晴は青い水晶を手に入れると、初音のために心を込めて数珠を作り、半日かけて術をほどこした。
「災いを避けられるように、まじないを込めてあるらしい。少なくとも、この牢獄を出るまで、お前にちょっかいかけられる妖はいねえぜ。ちゃんと身につけておけよ」
「……ええ」
初音は言われた通りに数珠を首にかけた。
父は、恐らく自分を見捨てるだろうと思っていた。そして父の意思に、兄達も異を唱えることはないだろう、とも。
それでよかった。諦めていた。生きることを。こんな時代だから、致し方ないとずっと自分に言い聞かせていた。
だが――明晴は、「必ず助ける」と言ってくれる。初音の身を案じて、数珠を作ってくれる。
それはまるで、初音に「生きてよいのだ」と言ってくれているようだった。
「ところで紅葉。……助けてもらっておいて、何なんだけど」
「ん?」
「明晴さまって……文字を書くのが苦手なのね……?」
「初音、いいんだぞ。字が汚いって言っても」
もはや顔を上げる気力すらない。
いっそ、処刑を告げにくる侍であればいいのに。そんなことすら思う。
「初音」
甲高い子どものような声。久々に名前を呼ばれてゆるゆると顔を上げると、格子の向こうに子猫のような生き物がいる。
「……あなた、明晴さまの……」
確か、紅葉と呼ばれていた獣だ。真の姿はまた別のようだが。
紅葉は格子の隙間に頭を突っ込んだ。ふぐぐ……と小さく唸りながら狭い檻の間に顔を突っ込み、中に入ってくる。
紅葉は、初音の脇に置かれていた折敷を見ると、尻尾で地面を叩いた。
「なんだなんだ、飯はちゃんと貰えてるんじゃないか。心配して損したぜ」
「…………」
「全然食ってないようだけど。握り飯、カピカピじゃねーかよ。漬物も干からびかけてるし」
「……食べたところで、殺されるんだもの。意味はないわ」
火付けを行なった者は、同じく火で処罰される。だから、初音もいずれ火刑に処される。
なのに、一日一度、初音の牢獄には握り飯が差し入れられる。死ぬ人間が食べたところで無駄なのに。
「……おい、初音」
紅葉の声が低くなった。
「お前──いつからそれを飼ってる?」
「え……?」
「ざっと数えて、10……いや、20はいるようだが」
紅葉の鋭い目が突き刺さる。だが、紅葉が見ているのは初音ではない。初音の──肩越しだ。
「あなた、これが見えるの?」
「当たり前だ、たわけ者。俺は十二天将・白虎さまだぞ! こんな雑魚、変化解くまでもないわ!」
紅葉の毛が逆立った。前足の先端に鋭い爪が伸び、初音に取り憑いていた影を切り裂く。
その瞬間──今までの肩の重みが嘘のように軽くなった。霧が晴れたような清々しい感覚だった。
「今のは、一体……それに、声も聞こえない……」
「言っとくけど、あくまでもその場しのぎだからな」
紅葉は前足を舐めながら言った。
「お前、霊力がかなり強いみたいだ。生まれつきか?」
「え、ええ」
亡くなった母は、他国を渡り歩いていた巫女だった――と聞いたことがある。たまたま木曽川に立ち寄った際に父に見初められ、そのまま側女になったのだ、と。
「なるほど、巫女か」
それならば納得がいく。
「お前の母は、恐らく口寄せができたのかもしれん」
「口寄せ……?」
「生者または死者の霊や、神霊なんかを体に移すことだ。東国なんかだといたこ、とも言うそうだが」
十二天将を見ることができるのも、術を見破ることができるのも。
何より、異常に彼女に引き寄せられる霊も、血筋がなせる技ならば。
「詳しいことは分からないわ」
初音の母は、生前「帰る場所を失った」と言っていたらしい。父もそれを語ることはしなかった。
(まあ、口寄せの巫女ったって、神職の人間には違いないしなぁ……)
神道といっても、派閥はある。諍いも絶えないだろう。
大方、政権争いに敗北し国を追われた巫女だった――というのが、初音の母の出生といったところだった。
とはいえ、問題は初音に後ろ盾がないことが明らかになったことではない。
初音のような娘に、巫女としての素養がない、ということだ。
いくら母から受け継いだ霊力が強くとも、本人がそれを操れない。学ぶ環境がなければ、霊や妖からすればただの馳走にしか見えないだろう。霊力の強い人間を食らえば、食った側はその霊力を奪うことができるのだから、雑魚妖怪が次々に寄ってくる。
「おい、初音。手を出せ」
「こ、こう?」
差し出された掌は細く、白魚のようだった。紅葉は初音の掌に手紙と数珠を置いた。
数珠は、勾玉と水晶を繋ぎ合わせてある。青い数珠に、翠玉色の勾玉の組み合わせだった。
「明晴からだ」
「明晴さまが……?」
初音は、明晴からの手紙を広げた。
【俺が必ず、あなたを助けます】
初音には、素養がない。だから、自分の身ひとつ守ることができない。
本人が守れないなら、――代わりに素養がある者が守ればいい。
「この数珠……明晴さまが作ってくださったの……?」
「おう。昨夜、寝ないで作ってたんだぜ、明晴の奴」
明晴からの「お願い」は、初音にお守りを渡すから、それを持って行ってほしい、ということだった。
明晴は青い水晶を手に入れると、初音のために心を込めて数珠を作り、半日かけて術をほどこした。
「災いを避けられるように、まじないを込めてあるらしい。少なくとも、この牢獄を出るまで、お前にちょっかいかけられる妖はいねえぜ。ちゃんと身につけておけよ」
「……ええ」
初音は言われた通りに数珠を首にかけた。
父は、恐らく自分を見捨てるだろうと思っていた。そして父の意思に、兄達も異を唱えることはないだろう、とも。
それでよかった。諦めていた。生きることを。こんな時代だから、致し方ないとずっと自分に言い聞かせていた。
だが――明晴は、「必ず助ける」と言ってくれる。初音の身を案じて、数珠を作ってくれる。
それはまるで、初音に「生きてよいのだ」と言ってくれているようだった。
「ところで紅葉。……助けてもらっておいて、何なんだけど」
「ん?」
「明晴さまって……文字を書くのが苦手なのね……?」
「初音、いいんだぞ。字が汚いって言っても」
1
お気に入りに追加
8
あなたにおすすめの小説
戦国姫 (せんごくき)
メマリー
キャラ文芸
戦国最強の武将と謳われた上杉謙信は女の子だった⁈
不思議な力をもって生まれた虎千代(のちの上杉謙信)は鬼の子として忌み嫌われて育った。
虎千代の師である天室光育の勧めにより、虎千代の中に巣食う悪鬼を払わんと妖刀「鬼斬り丸」の力を借りようする。
鬼斬り丸を手に入れるために困難な旅が始まる。
虎千代の旅のお供に選ばれたのが天才忍者と名高い加当段蔵だった。
旅を通して虎千代に魅かれていく段蔵。
天界を揺るがす戦話(いくさばなし)が今ここに降臨せしめん!!
南洋王国冒険綺譚・ジャスミンの島の物語
猫村まぬる
ファンタジー
海外出張からの帰りに事故に遭い、気づいた時にはどことも知れない南の島で幽閉されていた南洋海(ミナミ ヒロミ)は、年上の少年たち相手にも決してひるまない、誇り高き少女剣士と出会う。現代文明の及ばないこの島は、いったい何なのか。たった一人の肉親である妹・茉莉のいる日本へ帰るため、道筋の見えない冒険の旅が始まる。
(全32章です)
チート薬学で成り上がり! 伯爵家から放逐されたけど優しい子爵家の養子になりました!
芽狐
ファンタジー
⭐️チート薬学3巻発売中⭐️
ブラック企業勤めの37歳の高橋 渉(わたる)は、過労で倒れ会社をクビになる。
嫌なことを忘れようと、異世界のアニメを見ていて、ふと「異世界に行きたい」と口に出したことが、始まりで女神によって死にかけている体に転生させられる!
転生先は、スキルないも魔法も使えないアレクを家族は他人のように扱い、使用人すらも見下した態度で接する伯爵家だった。
新しく生まれ変わったアレク(渉)は、この最悪な現状をどう打破して幸せになっていくのか??
更新予定:なるべく毎日19時にアップします! アップされなければ、多忙とお考え下さい!
【完結】百日限りの旦那様~将校は溺愛花嫁を艶夜に囲う~
愛染乃唯
恋愛
幼なじみの軍人と婚約したみゆきは、彼の戦死電報を受け取り沈みこんでいた。
最愛の人が死んだとは信じられない。信じたくない。
自分だけは彼を信じて待ち続けよう。
そう心に決めたみゆきのところへ、ある夜、戦死したはずの婚約者、貴明が帰ってくる。
「譲るなんて、二度と言わない。考えるだけで、俺も、おかしくなる……」
夫となった貴明の溺愛に陶然とするみゆきだが、彼は以前とはどこか違う。
やがて、二人の周囲に奇妙な人物の影がちらつくと、貴明の執愛は度を超し始め――。
甘い新婚生活のために残されたのはたったの100日。
幻想明治の逆牡丹灯籠・執愛譚。
しっとりほの暗い話ですが、ハッピーエンド。
本編完結済みです。エンディング後の番外編をいずれ追加したい……。
恋愛小説大賞参加中ですので、応援よろしくお願いします!
R15シーン♡
R18シーン♥
恋物語
藤谷 郁
恋愛
様々な恋模様を描く、短編集です
【ミックスジュース】男友達/同級生
【二年参り】お見合い/新婚/年の差
【フルーツケーキ】営業マン/年上女性
【花と夢と久保田くん】上京/同期
【早く!】ヘタレ男子/束縛系彼女
【青い傘】高校生/幼なじみ
【Lock on!】同僚/三角関係?
【ホットミルク】上司と部下/年の差
【スーパーガール】怪力女子大生/バイト先の文系上司
記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。
せいめ
恋愛
メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。
頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。
ご都合主義です。誤字脱字お許しください。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる