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4、火起請

二、

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 一日の政務が終わり、信長は溜息を吐いた。外を見ると、空には見事な夕焼けが広がっている。庭にいる下男や侍女達も見惚れるほどである。だが、信長には血のような赤い空が、どうにも不吉の前兆のように思えてならなかった。
 人払いをして部屋に戻ると、部屋の隅に――誰かがいる。
「信長さま……来ちゃった♡」
 安倍明晴である。信長は廊下に向かって声をかけた。
「誰ぞある。怪しき者がおるゆえ、つまみ出せ」
「わーっ、待って待って待って!」
 明晴は慌てて信長に齧りついた。
 信長は溜息を吐きながら座に吐いた。
「なにゆえ蓮見にいるはずのそなたがここにおるのか。仙千代はいないようだが。蓮見の一の姫の呪いは解けたのか」
「それは……まだ……」
「では、何をしに来た」
「信長さまに、聞きたいことがあって戻って来たんです。……火起請について」
 火起請――信長は自身の掌を見つめながら、懐かしい思い出を脳裏に描いた。

◇◆◇

「ヒギショーって何?」
 明晴の問いかけに、紅葉はひっくり返った。
 初音は「分からないで了承したの?」と青ざめている。
「やっぱり、父に言って取り消してもらってくるわ。明晴に、火起請なんてさせられない」
「え、そんなにやばいの、ヒギショーって」
 明晴が目を真ん丸くしていると、仙千代が割って入って来た。
「昔から伝わる裁きのひとつだ。神前で行う、神聖なものでもある」
「どんな奴なの?」
「簡単だ。真っ赤になるほど鉄の棒を熱し、それを掴みとって決められた場所まで運ぶ。火傷が少なかった者が勝者となる、というものだ」
「火傷が少なかったって……それって、体質の問題も関わってこない?」
「そうなるな」
 厄介なことになったぞ、と仙千代は腕を組んだ。
「ちなみに火起請は、ほとんど成功しない。見るからに危険だからやる前に大抵のものが罪を告白する。仮にやったとしても、まあ、掌が動かなくなる可能性が高いだろうな」
「何で偉い人って、そんな危険なことしたがるの!? 俺、もうご飯食べられなくなっちゃうじゃん! どうするんだよ!」
「いや、大事なのは飯か……。どうする? 今からでも、中止にしてもらうよう、御屋形さまに働きかけてもらおうか」
「それは……いやかも。絶対バカにされる……それか、『勝てもしない喧嘩買うな』って怒られる」
「お父さんかよ」
 紅葉は小さな前足で、明晴のことを叩いた。
「しかし……あの侍女は何なんだ。あの侍女の子も」
「乙木と海道のこと? 菫さまの乳母と、その息子よ」
 初音は「だからあの2人は、わたしのことを快く思っていないの」と言った。
「なぜ? 初音どのは、れっきとした蓮見の姫だろう」
「でも……妾腹だから……」
「あのね、初音どの」
 仙千代は初音の顔を覗き込んだ。
「確かに初音どのは妾腹だ。しかし、妾の子だからといって、卑屈になる必要はない。確かに一の姫に比べれば、初音どのの母君の身分は低いかもしれない。だが、あなたを軽んじていい理由にはならないんだよ」
「そうだよ」
 明晴もうなずいた。
「初音は、努力家だし、頭もいいし、字も綺麗だし……いっぱい、いいところあるんだから!」
「まあ、初音どのが才女なのは認めるが……字は、お前が汚いだけだと思う」
「なんでいちいち仙千代は喧嘩売って来るの?」
 明晴が不貞腐れると、仙千代は「火起請は、受けて立つしかない」と言った。
「蓮見に、あのような者達がいるのは、今後いい影響はないだろう。一の姫にとっても。……そして、御屋形さまにとっても。明晴、ここまで来たら腹を括れ。御屋形さまに叱られたくなかったらな」
「……うん」
 少なくとも、海道達の言葉に腹が立ったのは間違いないのだ。
「俺がめちゃくちゃ我慢すれば……なんとか……手当は頼む……!」
「安心しろ、人間の皮膚はひん剥けば意外と戻る」
「紅葉、おっかないこと言わないで」
「陰陽師の術とかで、火の神の加護をつけられたりはしないのか?」
「それは……難しいかな」
 仙千代の言うとおり、それはできないか考えた。しかし、明晴は術を使い、天将達を呼び出すことはできる。だが、それだけだ。天将達をその身に下ろすことはできない。そして、今のところ明晴にそういった結界を張る霊力はない。
「何なんだよ、火起請って」
 明晴はじたばたとその場に暴れ回った。
「普通やらないよ、こんなの。誰も成功させられないよ――」

「いるぞ」
「いるわよ」

 仙千代と初音の声が重なった。
「え?」
 明晴が体を起こすと、仙千代は「いらっしゃるぞ」と繰り返した。
「いらっしゃるって……何が?」
「だから、火起請を成功させた方」
「何その超人!? え、実は神様とか!? 神社の神主さんとかにそういう知り合いいるの!?」
「神主ではない……が、熱田神宮には時々詣でられている」
「その人に話聞きたい! 場所、教えてくれる?」
「というか、お前もよーく知っている方だぞ」
 仙千代は地図を広げた。彼が指を差したのは――金華山であった。

◇◆◇

「懐かしいのう」
 信長の掌には、確かに火傷の痕が残っている。火起請をした、というのは間違いないようだ。
「ちなみに、なんで信長さまってば火起請することに? うつけだから?」
「そなた、拳骨されたいの? ……昔々のことじゃ」
 まだ信長が尾張にいた頃の話である。

 ある日、庄屋に盗人が入ったという報告が上がった。庄屋は左介という男が盗人だとして訴えた。庄屋の妻が盗人を捕らえていたからである。しかし、左介はそれを否定。何かの間違いだとごね続けた。あまりにも左介がごねたので、手を焼いた役人は、火起請にて決着をつけることとなった。
 結果として――左介は、鉄の棒を取り損じた。本来ならば有罪で直ちに成敗されるのだが、左介はごねた。

『儂は、池田恒興さまの配下の者であるぞ!』

 池田恒興とは、信長の乳兄弟である。左介は恒興の権威を笠に着て罪から逃れようとしたのである。
 そこへ、鷹狩から偶然返って来た信長が、物々しい状況を問い質した。信長は代わりに火起請を行い、成功させたら左介を成敗すると宣言。焼いた手斧を掌に乗せ、三歩先の棚に乗せると、左介を成敗した。

「ちなみに恒興の母上というのが、これはもうおっかない女子でのう。帰蝶より更に恐ろしい女子でな」
「あ、うん。そこはいいです。池田どののお母さんは。……でも火起請って痛いですよね」
「当たり前じゃろ」
 信長はきっぱりと言った。
「火じゃぞ。儂、それ二十年は前のことなのに、いまだに火傷の痕残っておるよ。……まあ、火起請なんぞ、結局は神が行うわけではなく、人が行い、人が判断をくだすもの。神明裁判なぞと言うても、不正はざらに行われておる」
 信長が行わなかったら、左介は無罪放免にされていただろう。
「ちなみに、火起請を耐えるコツって何かありますか?」
「気合。――以上」
 いかにも信長らしい発言に、明晴はその場にうずくまった。
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