上 下
18 / 20
3、蓮見家の人々

六、

しおりを挟む
 同じ体勢を取り続けていたせいで、体が痛い。今夜だけで何度目か分からない寝返りを打つと、顔の前で紅葉こうようが鼾を掻いている姿が目の前に入った。
 主である明晴あきはるが眠れていないのに、紅葉は絵に描いた猫のように、くうくうと寝息を立てている。明晴は腹ばいになると、紅葉の耳を指先で突っついた。丸い耳は、ぴるぴる、と動いて止まる。もう一度突っつくと、同じように、ぴるぴるっ、と動いた。
「……遊んでんじゃねーぞ」
「あ、起きたの」
「あんだけ触られてれば起きるわ」
 紅葉は起き上がると、明晴の手を振り払った。
「そんなに怒らないでよ。なんだか、寝つけなくてさ」
「また初音はつねと喧嘩したのかよ」
 紅葉は後ろ足で耳を掻いた。
「喧嘩なんか、してない」
「嘘吐け。あんなに気まずそうな顔しておいて。さっさと謝っちまえ。女なんか、櫛のひとつも買ってやれば機嫌も直る」
「そんな金ないし。……ていうか、本当に喧嘩なんかしてないよ」
 そもそも喧嘩をするような関係ではないのだから。
 明晴が胡坐を掻いていると、紅葉は明晴の膝に乗り上げてきた。何も言われないのをいいことに背中を撫でる。以前より柔らかい毛並みなのは、初音がよく梳いてくれているからだ。蓮見に来る前も、桶に放り込まれて洗われていた。いい匂いになったと初音が喜ぶかどで、紅葉はぷりぷり怒りながら、せっせと毛繕いしていた。
 あの日常が戻ってくることはない。明晴は紅葉を抱き上げて白黒の縞模様に顔を埋めた。


 ――ズズッ、と地を這うような音が響く。


 明晴ははっと顔を上げた。紅葉も同時に明晴から離れ、床に降り立つ。
「今の音って――」
 紅葉が「臭う!」と叫びながら部屋を飛び出した。明晴も寝間着のまま廊下に飛び出す。

 暗闇にまぎれて、何かが屋敷の中を這いずり回っている。妖気を辿っていると、「きゃぁ!」とか細い悲鳴が聞こえた。菫姫すみれひめの声だった。
「姫!」
 姫の腹心である秋月海道あきづきかいどうが部屋の戸を守っている。だが、海道には妖の姿が見えていない。
(秋月さまでは、姫を守れない……!)
 明晴は九字を切った。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前! ――姫を守れ!」

 明晴の切った九字が視覚化され、海道の目の前に現れる。そしてその結界が何かを弾いた。

「オノレ……オノレ……!」

 地を這うような低い声による恨み言が響いた。
 続けて、別の印を組む。指を組む度に、全身の血がざわめくとともに、妖気が一層濃くなった。
化生けしょうの者か、魔性ましょうのものか、正体を現せ」
 “狐の窓”の隙間から、妖気の渦を覗き込む。その瞬間、明晴は「うげっ」と顔を顰めた。
「何あれ、気持ち悪い!」
「いちいち騒ぐな。ただの百足だ」
「いや、俺の知っている百足はあんな大きさじゃないですけどぉ!?」
 “狐の窓”に映ったのは、確かに百足である――が、蓮見はすみ屋敷を三巻分はできるほど大きい。
「とにかく、さっさと退治するぞ!」
 明晴は懐に突っ込んでいた札を取り出した。
「おー、えらい。寝ぼけた頭でもちゃんと札だけは持って来ていたか」
「やかましいわ! ――急急如律令・呪符退魔!」
 投げつけた札を青白い炎がまとう。炎は空中で光の縄となった。青い縄は大百足を捕らえると、その肢体をきつく締め上げる。
「く……ッ!」
 思っていたよりも、硬い。
 紅葉が余計な口出しをしてこないということは、それほど強い妖ではないのかもしれない――が、妖は妖。ただの百足と違い、体が硬い殻で覆われている。
(ってことは、もう少し――術が必要か)
 明晴は右手で印を組みながら、懐を探った。しかし、札は出て来ない。
「……あれ?」
「……おい、明晴くーん?」
 紅葉の目がすわった。
「どうしたのかな?」
「……紅葉、俺の部屋から、札を何枚か取って来てくれたりしないかなー? なんて……」
「お前、札忘れたの!?」
「忘れたんじゃなくて、一枚しか持って来なかったの!」
「同じようなもんだろ! 俺、今、大百足捕まえるのに必死だから! 護符を取りに戻ったりとかしている場合じゃないから! かといって、他の天将呼んだり術を酷使したりする余裕もないよー!」
 その間にも、大百足は縄を解こうともがいている。その力に圧し負けまいと、明晴は意識を研ぎ澄ませた。
(俺でもできる術……確か、百足退治は……火を使うんだっけ!?)
 明晴は空いた手――人差し指と中指の腹を噛んだ。
(痛いよ~~~~~~)
 涙目になりながら、空中に指を構える。

「我が血こそ贄なり! 火の神よ、我に力を与えたまえ!」

 空中に描かれた文字は――炎の刃の印である。十二天将、癒しの炎を司る火将・朱雀すざくの加護を受けた術だ。
 明晴の目の前に浄化の炎の陣が浮かび上がる。明晴はその陣に血だらけの指を突き刺した。
 陣の中心部から、炎の矢が姿を現す。明晴はその矢に向けて命じた。

「飛べ!」

 炎の矢は、まっすぐに大百足の体に突き刺さった。

「炎ッ!」

 突き刺さった矢から、炎の柱がせり上がる。

「グギャアアアアア」

 大百足から、悲鳴が上がる。明晴はその音を聞きながら、その場にしゃがみこんだ。
 いつの間にか、人だかりができている。菫姫も部屋から出てきており、海道に何があったか聞いているようだった。
「陰陽師どの、これは一体何事か」
 寝巻姿の四郎しろうと、長瀬ながせかたも現れる。初音も仙千代せんちよとともに、遠巻きに出ているようだった。
「もう、大丈夫です」
 明晴は四郎の前に行くと言った。
「姫を狙う悪しき妖は、俺が今、倒しました」
「一体、な」
 鼻高々に自慢する明晴の隣で、紅葉が素っ気なく言った。
「……ん? 一体?」
「百足はなぁ、明晴。母と子で一緒に行動しているんだ。お前が倒したのは、子どもの方だろうな。小さかったし」
「あれで小さいの!?」
「大人の大百足は、金華山とかなら七巻半くらいできるだろうよ」
「き、金華山を……」
 明晴は眩暈を覚えた。
 母と子――つまり、この後に控えている大百足は、母。今倒した大百足よりも更に強いに違いない。
「お、陰陽師どの、如何したのだ」
 怪訝そうな四郎に、明晴は「引き続き一の姫の警護、頑張ります……」とがっくりとうなだれながら呟いたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

孕ませねばならん ~イケメン執事の監禁セックス~

あさとよる
恋愛
傷モノになれば、この婚約は無くなるはずだ。 最愛のお嬢様が嫁ぐのを阻止? 過保護イケメン執事の執着H♡

最後の恋って、なに?~Happy wedding?~

氷萌
恋愛
彼との未来を本気で考えていた――― ブライダルプランナーとして日々仕事に追われていた“棗 瑠歌”は、2年という年月を共に過ごしてきた相手“鷹松 凪”から、ある日突然フラれてしまう。 それは同棲の話が出ていた矢先だった。 凪が傍にいて当たり前の生活になっていた結果、結婚の機を完全に逃してしまい更に彼は、同じ職場の年下と付き合った事を知りショックと動揺が大きくなった。 ヤケ酒に1人酔い潰れていたところ、偶然居合わせた上司で支配人“桐葉李月”に介抱されるのだが。 実は彼、厄介な事に大の女嫌いで―― 元彼を忘れたいアラサー女と、女嫌いを克服したい35歳の拗らせ男が織りなす、恋か戦いの物語―――――――

秋津皇国興亡記

三笠 陣
ファンタジー
 東洋の端に浮かぶ島国「秋津皇国」。  戦国時代の末期から海洋進出を進めてきたこの国はその後の約二〇〇年間で、北は大陸の凍土から、南は泰平洋の島々を植民地とする広大な領土を持つに至っていた。  だが、国内では産業革命が進み近代化を成し遂げる一方、その支配体制は六大将家「六家」を中心とする諸侯が領国を支配する封建体制が敷かれ続けているという歪な形のままであった。  一方、国外では西洋列強による東洋進出が進み、皇国を取り巻く国際環境は徐々に緊張感を孕むものとなっていく。  六家の一つ、結城家の十七歳となる嫡男・景紀は、父である当主・景忠が病に倒れたため、国論が攘夷と経済振興に割れる中、結城家の政務全般を引き継ぐこととなった。  そして、彼に付き従うシキガミの少女・冬花と彼へと嫁いだ少女・宵姫。  やがて彼らは激動の時代へと呑み込まれていくこととなる。 ※表紙画像・キャラクターデザインはイラストレーターのSioN先生にお願いいたしました。 イラストの著作権はSioN先生に、独占的ライセンス権は筆者にありますので無断での転載・利用はご遠慮下さい。 (本作は、「小説家になろう」様にて連載中の作品を転載したものです。)

夕陽を映すあなたの瞳

葉月 まい
恋愛
恋愛に興味のないサバサバ女の 心 バリバリの商社マンで優等生タイプの 昴 そんな二人が、 高校の同窓会の幹事をすることに… 意思疎通は上手くいくのか? ちゃんと幹事は出来るのか? まさか、恋に発展なんて… しないですよね?…あれ? 思わぬ二人の恋の行方は?? *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻* *✻:::✻*✻:::✻ 高校の同窓会の幹事をすることになった 心と昴。 8年ぶりに再会し、準備を進めるうちに いつしか二人は距離を縮めていく…。 高校時代は 決して交わることのなかった二人。 ぎこちなく、でも少しずつ お互いを想い始め… ☆*:.。. 登場人物 .。.:*☆ 久住 心 (26歳)… 水族館の飼育員 Kuzumi Kokoro 伊吹 昴 (26歳)… 海外を飛び回る商社マン Ibuki Subaru

偽典尼子軍記

卦位
歴史・時代
何故に滅んだ。また滅ぶのか。やるしかない、機会を与えられたのだから。 戦国時代、出雲の国を本拠に山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任し、当時の中国地方随一の大大名となった尼子家。しかしその栄華は長続きせず尼子義久の代で毛利家に滅ぼされる。その義久に生まれ変わったある男の物語

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

処理中です...