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2、藤の姫

五、

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 翌日になっても、明晴は目を覚まさなかった。明け方の頃から熱を出したためだ。
 どうにか紅葉が薬湯だけは飲ませたものの、一向に良くなる気配はない。供の者達は、「陰陽師すらも倒す呪いか」と噂したが、そうではない、と初音は踏んでいた。
「祈祷とかまじないとか……読経をしてもらえば変わるかしら」
「変わらないさ」
 初音の肩に飛び乗りながら、紅葉は言った。
「昔から人間は、病を妖のせいって思っているみたいだけど、違うからな。人間の抵抗力とか、免疫の低下とか、そういうのが原因だから」
「ていこうりょく? めんえき?」
 紅葉の言葉は、時々よく分からない。
 だが、結局のところ栄養を取って薬を飲んでゆっくり休む、ということしかないらしい。
「そうは言っても、今の明晴では、水菓子も喉を通らないと思うわ」
 薬湯だって、紅葉がどうにか口をこじ開けて飲ませたほどであった。
「何か珍しいもん売ってたりしないかなぁ」
「金山の名産品にそんなものはあったかしら。なかったと思うけど……」
 名産品で思い浮かぶものは、ない。だが、別の案は浮かんだ。
 初音は立ち上がった。
「紅葉、明晴の傍にいてくれる?」
「どこに行くんだ」
「城下に行ってくる」
 よく、美濃では「金山に行けば何でも揃う」などと言われる。娘の嫁入り道具を仕立てるために、わざわざ金山に行く者もいるから、よく信長が拗ねていた。
 きっと明晴の体を治す品が売っているはずだった。
 初音は、胸に下げた数珠をそっと撫でた。明晴からもらった、守りの数珠。
 年下の子どもなのに、明晴はいつも初音を守ってくれる。初音には、明晴のような力はない。だが、彼を支えたい――という思いは、一緒に暮らすと決めた時から変わっていなかった。

***

「陰陽師・安倍明晴の容態が安定するまでは、逗留してよい、と金山城主からのお達しがありました。三日ほどお時間を頂戴すること、お許しいただきたく」
 仙千代の申し出に、蓮見四郎は顔を顰めた。

 今この瞬間も、菫姫のもとには怪文書が届いていることだろう。父親の心境としては、すぐにでも明晴を連れて行き、姫の警護に当たらせたい、という気持ちあるに違いない。

 しかし、霊力は、その者の生命力と密接に関わりがある。
 起き上がることもできない明晴を無理に連れていくことは、まかりならないことだった。

「蓮見さま。恐れながら、安倍明晴あべあきはるは、御屋形さまの陰陽師にございます。その扱いには相応の配慮を欠かすべきではないかと」
「……分かっておる」
 四郎は溜息を吐いた。
 反対の廊下を軽やかな足音が響く。近習達は足音の方角を見て、何やらざわついていた。四郎と仙千代が釣られて見ると、衣を被いた初音が出かけて行くところだった。
(初音どの……一体どこに。供も連れないで)
 明晴が倒れている以上、明晴の眷属が初音のお供についているとも思えない。
 四郎は言った。
「万見どの――御屋形さまのお小姓にこのような願い、無礼は承知であるが――初音のことを追い駆けてはもらえぬであろうか」
「……よろしいのですか?」
 初音は、仮にも蓮見の姫である。蓮見家から護衛をつけるのが筋というものだ。
 四郎は溜息を吐いた。
「娘と言っても、何年も文のやり取りすらしておらぬ。今さら父を名乗るつもりは毛頭ない」
「…………」
「……それに、織田家で出会った方々の方が、あれも気を許しているようだ。特に、あの陰陽師どのは、あれにとっては特別らしい」
(うーん……まあ、特別っていえば、特別なのかなぁ)
 明晴の側は分かりやすい。一方、初音が明晴をどう思っているかは分からない。
 信長としては、いずれ明晴と初音を娶せることも考えているのだろう。明晴も満更ではなさそうだ。しかし、初音の方は明晴を弟としか思っていないようである。
(まあ、明晴は背も低いし……。俺と初音どのより二つも年下だからな……)
 だが、四郎が言っているのは――初音は自分といるよりも、明晴といるときの方が自然に振舞っているということだ。そこは、間違いない。

 杉谷善住坊の一件で、初音の無実を信じ、守ろうとしたのは明晴だけだった。

 誰もが初音の無実を知ってはいた。しかし、誰もが初音の無実を証明する術を持っておらず、切り捨てようとした。
 明晴だけは、初音を守り切った。信長に何度も直談判をし、真犯人を捕まえた。

 四郎がしたことを特段冷酷だと言う気はない。
 お家のため、人質に出した子を切り捨てることは至極当然のことだ。初音とてそれを分かっているから、他者を責めることはしない。きっとこれからも責めることはないだろう。

 しかし――感情と建前は異なるし、責められないことのほうが、つらい時もある。

「……蓮見の二の姫のことは、私がお守り致しますゆえ。ご安心召されよ」

 仙千代の言葉に、四郎はほっとしたようにうなずいた。
 どこまでも、不器用なのは親子ともに通じ合っているようだ――と、仙千代は感じ入るのだった。
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