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2、藤の姫

四、

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 明晴の額の手ぬぐいを取り替えながら、初音は薬湯のにおいを嗅いだ。宿所の者に頼んで用意してもらったが、まだ飲むのは難しいだろう。
 仙千代は反対側に座りながら、「移動は難しいかもしれないな」と言った。
「父は、なんと?」
「明日、朝一番で出立すれば、蓮見の領地にたどり着く。だが、明晴を無理に動かしては、元も子もない。特に此度は視察ではなく、蓮見の一の姫の様子伺いだから、明晴なしで進めない」
「そうね……」
「だけど、ここで出立を遅らせたら、明晴は拗ねるだろうな」
 仙千代が苦笑すると、紅葉も「確かになぁ」と同意した。
 仙千代には、変化した紅葉の姿は見えない。だが、意外と会話は成立することもある。初音や明晴には、おかしくて仕方なかった。

 藤の姫を見た時、明晴の様子はにわかにおかしくなった。
 やたらと攻撃的な発言が目立ち、八つ当たりのように棘のあることばかり言っていた気がする。
「私は、蓮見さまのところに行ってくる。初音どのはどうする?」
「わたしは、明晴の看病をしています。何か動きが決まりましたら、お教えくださいませ」
「……初音どのも頑なだな」
 仙千代は苦笑しながら、部屋を出て行った。
「……ねえ、紅葉」
「なんだ」
「明晴は昔、何かあったの?」
「それを聞いて、どうするつもりだ」
 紅葉の声が低くなった。
「……わたしには、言えないのね」
 ならばいい、と初音は話題を切った。
 紅葉は、明晴の眷属だ。だが、無条件に明晴だけを味方することはない。神として、人間に対して公平に接する。もちろん、感情はあるだろうから、明晴に肩入れすることはあるだろうが。
「紅葉が言えないと言うのなら――きっとそれが正しいのよ。わたしが余計なことを言ったわ」
「……お前を信じていないわけではない」
「明晴にとって、知られたくないことなのでしょう」
 一緒に暮らし始めて、もう半年以上経つ。だというのに、初音は明晴のことを知らない。

 流しの芸人。陰陽師。自称・安倍晴明の子孫。

 明晴がどのように生きて、どこから来たのか。本当のことを何も知らない。
(こうして寝顔だけ見ていれば……どこにでもいる、元服前の子どもだというのに)
 首筋に浮かんだ汗を拭ってやりながら、初音は「起きて」と、小声で囁いた。

◇◆◇

 父がいなくなった。食べ物を探しに山の中に分け入ってから、帰ってこなくなった。
「父ちゃん……父ちゃん……」
 泣きながら、童は父の帰りを待っていた。
 父がいなくなってから、五日――どこかで、もう父に会えないことは分かっていた気がする。それでも、頼れないことが怖かった。ひとりぼっちになってしまったことを、認めたくなかった。
 地面に、棒で絵を描いていると、辺りが暗くなった。顔を上げると、見覚えのない男の人が立っていた。
「坊主……一人か?」
 問いかけにうなずく。
「お父ちゃんやお母ちゃんは?」
 首を、横に振る。
「そうか、一人か。うん、そうかぁ……」
 男の人が笑う。
「坊主、お前……可愛い顔してるなぁ……」
 その笑顔が何だか怖かった。童は、肩を震わせながらも、逃げることすらできず、ただ固まっていた。

◇◆◇

 うつらうつらしていた時だった。
「う……っ」
 初音は目を覚まし、明晴の顔を覗き込んだ。
「明晴」
 だが、起きたわけではなさそうだった。
 明晴は眉間に皺を刻み、苦しげに喘いでいる。
「い……やだ……っ来るな……っ」
 妖相手には一切動じない明晴が、魘されている。怯えたように。
 初音は明晴の手を握った。氷のように冷たい手に、自分の体温が少しでも伝わるよう、力を込める。
「明晴……大丈夫よ……わたしがここにいるわ」
 明晴から返事はない。
 一体、この子はこれまで、どのような経験をしてきたのだろう。
 まだ14歳。人によってはようやく元服するかどうかという子どもなのに。この子には誰も守ってくれる人がいなかったのだ。
 初音は日付が変わっても、ずっと明晴の手を取って温め続けていた。
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