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閑話

ヒューゴとフェルナンドの物語 前編

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 ――――夏の暑い日。
 フェルナンドが庭の雑草取りをしていると後ろから声をかけられた。

「フェル、水分補給しないと倒れるぞ」

 振り返れば、トレーを持ったヒューゴが背後に立っていた。

「ヒュー」

 フェルナンドは立ち上がり、首にかけていたタオルで流れる顔の汗を拭う。そしてヒューゴの手元にあるトレーに視線を向けた。そこにはレモンが入った水差しとグラス、塩漬けのきゅうりが小皿に乗っている。

「ありがとう、ヒュー。休憩にするよ」

 そうして二人は木陰に移動し、さわさわと揺れる木の根元に腰を下ろした。

「ほら」

 ヒューゴは甲斐甲斐しくグラスに水を入れ、フェルナンドに手渡す。

「ありがとう」

 フェルナンドは受け取ってすぐレモン水を飲んだ。暑い体に冷えた水が心地いい。水にレモンのさっぱりとした風味がついているのも好きだ。

「もう一杯飲むか?」

 空になったグラスを見てヒューゴは水差しを掲げた。

「ああ」

 フェルナンドが頼むと、ヒューゴはすぐに差し出されたグラスにレモン水を注いだ。その後、すかさず小皿も勧める。

「ちゃんと塩分も取っておけ」
「ん」

 フェルナンドは頷いてフォークで塩漬けのキュウリを刺し、パクっと食べる。パリッとした歯ごたえと程よい塩加減がこれまた美味い。

「おいしい。疲れが取れるよ」

 フェルナンドが手放しで褒めると、ヒューゴは照れくさそうな顔をして「そうか」と頭を掻いた。
 その癖は昔からのもので、もうこれまでその癖を何度となく見てきたのに、それでもフェルナンドはヒューゴを愛しく思ってしまう。

 ……俺もそうだけど、ヒューゴも随分と年を取ったな。

 フェルナンドはヒューゴの目尻に刻まれた皺を眺めてしみじみと思う。

 ……出会った頃はまだほんの小さな頃だったのに。こうしてまだ肩を並べて一緒に居られるだなんて、未来って言うのはわからないものだな。

 そう思いながらフェルナンドは晴れ渡った青空を見上げ、過去に想いを馳せた――――。


 ◇◇◇◇


「こっちにくるなよ!」
「あっちであそんで!」

 これはまだフェルナンドが四歳の頃。
 家の近くの保育園にフェルナンドは預けられていたのだが、他の子達にのけ者扱いされていた。
 それは他国出身の両親を持つフェルナンドがバルト帝国では珍しい顔立ちをしていたからだ。その為に入園して、すぐよそ者扱いをされていた。
 でも言い返す言葉も見つからず、フェルナンドはただ子供達の心無い言葉にぐっと手を丸めて俯くしかできなかった。

 ……ぼ、ぼくもあそびたいのに。

 心の中で呟いてもそれが声にならない。悲しさに涙がじわじわと溢れそうになる。でもそんな中、フェルナンドを庇うように誰かが前に立った。

「こら! みんなでなかよくしなくちゃだろ!」

 ハッキリと言い返した男の子。揺れるふわふわの金髪がまるでひな鳥のようで、俯いていた筈のフェルナンドはその男の子の後姿を見上げた。

 ……ふわふわのひよこ頭。

 そんなことを思っていたら男の子が急に振り返り、フェルナンドに声をかけた。

「だいじょうぶか?」
「っ!」

 突然の事にフェルナンドは声が出てこない。でも男の子は優しく声をかけてくれた。

「オレと一緒にあそぼ?」

 そう金髪をふわりと揺らして。そしてそれはまだ幼い日のヒューゴだった。

 
 ーーーーそして、その日を境に二人は仲良くなり、少し大人しいフェルナンドをヒューゴが引っ張る形でいつも一緒にいるようになった。その関係は成長するにつれ、仲のいい友達から幼馴染へ変わり、いつしか互いが一番の親友になるほど。

 その仲の良さは学園に入学した後も変わらずで。けれど学園での楽しい生活もあっという間に過ぎ、卒業間近となった頃。フェルナンドはヒューゴに呼び出されていた。


◇◇◇◇
 

 ――――冬の終わり、人がいない放課後。

 二人の青年が学園の広い庭で向き合っていた。それはヒューゴとフェルナンドの二人で、ヒューゴは決意を固めた顔で口を開いた。

「フェル、好きだ。俺と付き合って欲しい」

 ヒューゴはフェルナンドにハッキリと告げた。でも、その何度目かの告白をフェルナンドはまた断った。

「ごめん……ヒュー」
「……そうか。あはは、今度こそいいと思ったんだけどな。引き留めて悪いな、フェル」

 ヒューゴは気まずそうにしながらも笑って言った。でも、その表情は悲しげだ。その顔を見てフェルナンドの胸は痛む。
 けれどフェルナンドは何も言えないまま、ヒューゴはその場を立ち去ってしまった。その後姿を目で追いながらフェルナンドは幼い頃と同じように俯いてぐっと手を握った。

 ……ごめん、ヒュー。でも、俺じゃダメなんだ。

 そう心の中でフェルナンドは呟く。
 フェルナンドはヒューゴの特別な好意に気がついていた。そしてフェルナンドもまたヒューゴに特別な想いを寄せていた。だが、バルト帝国育ちとは言え他国出身の自分がヒューゴの恋人になることは憚れた。
 バルト帝国でも珍しい顔立ちで特に秀でたところもない普通の自分が、何でもできて豪商生まれのヒューゴには不相応だと思っていたから。でも大好きなヒューゴから自ら離れることもできず、フェルナンドはずるずると友達以上恋人未満の関係を続けていた。

 ……こんなことじゃダメだよな。俺から離れなきゃ、でもヒューゴも俺と同じ騎士志望だし。いっそのこと、ヒューゴが他の誰かと付き合ったら……。

 そう思うが、想像するだけで胸がチクリと痛む。自分以外の誰かがヒューゴの隣に立つと考えるだけで嫌な気分だ。

「俺はどうしたらいいんだろう」

 フェルナンドは小さく呟くしかなかった。


 しかし――――。


 フェルナンドとヒューゴの関係はその後も特に変わることなく、警備隊の騎士として一緒に働くようになり。数年後、二人はポブラット家当主の声掛けで公爵家直属の騎士となっていた。

 そして、しばらくしたある日。
 二人は直々にポブラット家当主に呼ばれ、ある依頼をされた。

『二人には私の息子、キトリーの護衛に当たって欲しい』

 それは思ってもみない話で、二人は顔を合わせて驚いたものだった。


 ◇◇◇◇


「……なあ、フェル。旦那様はどうして急に坊ちゃんの世話を俺達に頼んだんだろう?」
「少し前に頭を打たれて寝込まれた事があっただろう。それで心配になったからじゃないか?」

 二人は公爵家の本邸の廊下を歩きながら、そんな会話をする。

「しかし三歳の子の護衛って一体……」

 ほとんど子守じゃないか。というヒューゴの言葉は言わなくてもフェルナンドにはわかった。フェルナンドも同じように感じていたからだ。

 ……俺達みたいな騎士じゃなくて、ちゃんとした乳母を雇った方がいいんじゃないだろうか?

 そうフェルナンドは思った。
 しかし数分後、その考えは一変する。

「あ、おい。あれって坊ちゃんじゃないか?!」

 ヒューゴに言われて視線を向ければ、そこには高い木の枝にしがみついている小さな男の子がいた。ポブラット家次男のキトリーだ。
 二人は慌てて建物の外に出て、キトリーの元へと駆け走った。

「「坊ちゃん!」」

 二人は下から同時に声をかけた。するとキトリーが下を向く。まるでその姿は登ったはいいが、高すぎて下りられなくなった子猫のようだった。

 ……一体どうやって登ったんだ!?

 フェルナンドはそう思いながらもキトリーに手を伸ばした。

「坊ちゃん、俺達が受け止めますからそこから飛んでください」

 そう言えばキトリーはちらっと二人を見て、ぐっと口元に力を入れた。そして覚悟を決めた顔をすると、パッと枝から飛んで(というか落ちて)二人は同時にキトリーに手を伸ばした。

 絶対に落とさない!

 そう意気込んだフェルナンドとヒューゴは同時に小さなキトリーの体を受け止め、挟む様にキトリーを抱きかかえた。おかげで無事キトリーを保護し、二人はほっと息を吐いた。

「はぁ、良かった」

 ヒューゴは心底安心したように言い、フェルナンドも同じように心の中で呟いた。だがキトリーと言えば。

「あぴゅぅっ……。バンヂージャンプちたきぶん。タマタマがひゅんってちた」

 小さな声が聞こえてきてフェルナンドとヒューゴは顔を見合わせた。そして、そっと抱えていたキトリーを地面に下ろした。

「大丈夫ですか? 坊ちゃん」

 フェルナンドはその場にしゃがんで尋ねた。そしてフェルナンドはこの時初めてキトリーを真正面から見た。
 ぷりぷりの水も弾きそうな白い頬、キラキラした緑の大きな瞳。自分と同じ真っ黒な髪。ぽてっとした体格の可愛らしい男の子がそこにいた。

「たしゅけてくれて、ありがとうごじゃーましたっ!」

 キトリーはぺこっと頭を下げて二人にお礼を言った。

 ……あんな高さから飛び降りたのに泣かずにお礼を言うなんて。しっかりした子だ。

 フェルナンドはキトリーを見て思ったが、後ろからヒューゴが尋ねた。

「坊ちゃん、どうして木登りなんてしたんですか? 危ないですよ! メッです!」

 ちょっと叱るように言えば、キトリーは少ししゅんっとして答えた。

「しょの、しょれはぁ……」

 そう言った時、木の上でピーチチチッと鳥の鳴く声と共に羽根音が聞こえた。その音に誘われるようフェルナンドとヒューゴが見上げれば、キトリーがさっきまでいた場所の近くには鳥の巣があって、雛鳥がピーピーッと嬉しそうに親鳥に鳴いている。まるで再会を喜ぶように。

「まさか、雛鳥を助ける為に?」

 フェルナンドが尋ねるとキトリーはこくりと頷いた。

「そのぅ、ほぅっておけなきゅて」

 キトリーはポリポリッと頬を掻きながら言った。

 ……この子は優しい子なんだな。

 フェルナンドはふっと笑って、ぽんっとキトリーの頭を撫でた。

「理由はわかりました。でも今度からはそう言う事は大人に頼んでください。坊ちゃんが木から落ちて怪我をしたら旦那さまや奥様が悲しみます。勿論私達も」
「はぁい、ごめんなしゃい」
「わかってくださったらいいんですよ」
「うん……。ちょころで二人はどこかに行くとこだったのでわ?」

 くりっとした瞳に見つめられて、二人は顔を合わせた。そしてフェルナンドは立ち上がり、ヒューゴと並んで挨拶をした。

「いいえ。実は旦那様からのご命令で、今日から私達がキトリー様の護衛につくことになりました。なので、どうぞお見知りおきを。俺はフェルナンドと申します。そして」
「ヒューゴと言います。よろしくお願いしますよ、坊ちゃん」

 ヒューゴはにこっと笑って言った。しかしキトリーはまさか自分に護衛が付くとは思っていなかったのか驚いた顔をみせた。

「ごっえいッ!? ……とーしゃま、心配ししゅぎだよぉ」

 キトリーは眉間に皺を寄せ、腰に手を当ててふぅっと息を吐いた。その姿はなんだか小さなオジサンのようだ。

 ……なんだか妙な子だな。

 フェルナンドがそう思っている間に、キトリーはぶつぶつと何か呟いていた。

「でも、とーしゃま、ナイスじんしぇん。ムフッ」
「坊ちゃん?」

 フェルナンドが呼びかけると、キトリーはハッとして居住まいを正した。

「……えっちょ、フェルニャンドしゃんとひゅーごしゃん。こんなこども相手にごえいなんてもうしわけないでしゅが、どうじょよろちくお願いしましゅ!」

 キトリーはぺこりっと頭を下げて、まだ三歳とは思えない挨拶に二人は驚いた。
 だがそれ以上に、子供と言えども相手は公爵家の令息であるキトリーに頭を下げられ、フェルナンドとヒューゴは慌てた。

「坊ちゃん、自分達に頭を下げなくていいのですよ」

 フェルナンドが慌てて言うとキトリーは大きな頭を上げて、首を傾げた。

「どして? あいしゃちゅは大事でしゅ! それにフェルナンドしゃんもヒューゴしゃんも挨拶してくれたでしょ?」
「そ、それはそうですが」
「ならいいじゃないでしゅか。ね?」

 言い返されてフェルナンドはぐうの音も出ない。

 ……言ってることは間違いじゃない。でも俺達の間には身分差があって……けれど、まだこんな小さな子にそのことを教えるのは酷か。
 そう思っていると、隣に立っているヒューゴがフェルナンドの肩に手を置いた。

「ヒュー」
「いいじゃないか、坊ちゃんが良しとしてるんだから。それに坊ちゃんの言う通り、挨拶は人として大事な事だ。そうだろ?」

 ヒューゴはそう言うと、しゃがんでキトリーの頭をわしゃわしゃっと撫でた。

「坊ちゃん、挨拶が出来て偉いですよ」
「あぴゅぅぅぅっ」

 わしゃわしゃと撫でられてキトリーは小さく呻いたが嫌そうな顔はしなかった。そしてヒューゴはキトリーの髪をぼさぼさにするまで撫でると、そっと手を離してキトリーに話しかけた。

「でも、坊ちゃん。俺達の事はどうぞ、ヒューゴとフェルナンドとお呼びください。俺達は坊ちゃんの護衛なんですから」

 ヒューゴが言うと、キトリーは少しクラクラしつつ答えた。

「うん、わかっちゃぁ。ヒューゴ、フェルニャ、ナンド!」

 キトリーは噛んでしまった名前を言い直して、フェルナンドを呼んだ。その可愛らしい間違いにフェルナンドは微笑んだ。

「言いにくければ短く、フェル、とお呼びくださって構いませんよ」

 フェルナンドが言うとキトリーは満面の笑みを浮かべて「うん!」と返事をした。
 そして、この日から二人はキトリーの専属の護衛となったのだった。


 ――――だが、この時まだレノはおらず。
 レノがお目付け役として働くようになるまで、二人はキトリーの破天荒ぶりにとことん振り回されることになるのだった……。


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