35 / 42
花の名を君に
25 もう離さない
しおりを挟む気配を感じ、建国碑の近くに姿を現すとそこにローアンが立っていた。
太陽は昇ったばかりで、朝日がノイクの建てた建国碑を照らし、その傍にローアンはいた。
……ローアン!
僕が駆けよろうとした。だが、ぼんやりとしていたローアンは建国碑の傍に咲いている花を見て、呟いた。
「……レスカ……チア?」
それは花の名前ではなく、何かを思い出して呟いている姿だった。
まさか!
そう思った時にはローアンはハッキリと叫んでいた。
「レスカチアッ!」
僕を呼ぶ声。ローアンがやっと僕を呼んでくれた。
僕は嬉しくて、思わず声をローアンに掛けた。
「……やっと、僕を呼んでくれた」
僕の声にローアンは振り返り、僕を見た。久しぶりに姿を現した僕に驚いていた。
「……レスカチアッ」
その声は少し震えていて、でもしっかりとローアンは僕の名をもう一度呼んだ。何度だって君には呼ばれたい。
「僕の事を思い出してくれたんだね」
僕はローアンに近づいて、少し見上げて頬を撫でた。
記憶を奪った僕が言う事ではないけれど、僕を思い出してくれて嬉しかった。
ローアンの瞳は驚きに満ち、僕を見つめる。きっと僕が人でない事に気が付いたのだろう。だって僕はあの頃から姿が変わっていない。変わったとすれば、髪が短くなったぐらい。
「レスカチア……お前は、何者だ?」
「僕は僕だよ」
「お前は……人ではないのか?」
答えに辿り着いたローアンに僕は微笑んだ。
「そうだね。僕は人ならざる者だ。……怖い?」
自分で聞いておきながら怖いと言われたらどうしようと思い、僕は頬を撫でていた手を引っ込めた。
そしてローアンは僕を見つめるばかりで何も言わない。やっぱり嫌なのかも。
「やっぱり、僕のような者は嫌かな?」
尋ねた僕の手を取るとローアンはハッキリと「嫌なものか!」と答えてくれた。
嬉しくて僕はほっとした。
「そう。よかった」
でも、そんな僕に今度はローアンが尋ねる番だった。
「レスカチア……なぜ、私の元から去った?」
「それは……今回? それとも前の事?」
僕は二回もローアンの前から去った。どちらの事だろうと、聞き返せば「両方だ」と言われた。僕は正直に答えなければならないだろう。
「……そうだね。君が十三歳の時、姿を消したのは君は人の世で生きるべきだと思ったからだよ。僕は君に近づきすぎた。そのせいで周りは君を迫害し続けて……離れた方がいいと思ったんだ」
ローアンは思い当たる節があるのか、その瞳は過去を思い出していた。
「だから、私に軍へ入るよう助言したのか」
「うん、でも君は嫌がった」
僕が告げると、ローアンは少し目を伏せた。僕の言葉を、十三歳の時に拒否したことを思い出したからだろう。
「お前と離れるのは嫌だった。だが……だから私の記憶を?」
尋ねるローアンに僕は答えた。
「そう、僕が消したんだ。……それでよかったと思っていた。人は人の世に生きるべきだからね。僕は君が愛しくて、傍に居過ぎた。そう思ったんだ」
僕はそこまで言って、少し呼吸を整えてから、もう一度口を開いた。
「でも、軍から戻ってきた君は王になり、いつも苦しそうだった。いつも一人で戦っていた。……人の悪意や敵意、憎悪と」
ローアンの顔を見ると、その黒い瞳が揺らいでいた。涙は出てないのに、泣きそうな顔。僕まで泣いちゃいそうになる。でもぐっと堪えて、ローアンに伝えた。
「僕はね。ずっと君を見ていたよ。……だから、耐えられなくなった。君を人の世に戻した事、後悔した。君の孤独はあまりに深くて辛くて、僕は悲しかった」
「だから私の元に戻ってきてくれたのか」
ローアンの問いかけに僕はこくりと頷いた。
「そうだよ。もう君を一人にしない」
「……なぜ、私に何も言わなかった。なぜ……侍従として入ってきたんだ」
「僕が記憶を消したから、君は何も覚えていなかった。僕が正直に言っても、君は僕を信じなかっただろう。だからだよ。……それに僕は思い出さなくてもよかった。僕はただ君の傍にいたいだけだったから」
君の気持ちが変わるのを。
でも僕が告げると、ローアンの顔に段々と罪悪感の色が浮かぶ。きっと僕を抱いた事、酷いことをしたと思っているんだろう。
「レスカチア、私は……」
「そんな顔しないで。僕は君の笑顔が大好きなんだ」
僕は笑ってローアンの言葉を遮った。それに謝らなければならないのは僕の方なのだ。
僕はいつだって身勝手で中途半端。ローアンをこの数日、一人にした。
「でも、ごめんね。突然いなくなって。……僕は人じゃないから、あまり人の世に長くはいられられないんだ。だから一度、異界に戻ったの。何も言わずに消えて、ごめん」
「いや。……あのチェインという男は?」
僕を監禁していたローアンは気まずさを誤魔化すように僕に尋ねた。僕は怒っていないのに。
「もうわかっているんだろう?」
君の子犬だって事は、という言葉は発せられなくてもローアンはわかっていた。
「しかし、茶髪の男の姿に」
「僕が力を貸して少しの間、人の姿になれるようにしてあげたんだ。でも僕があまりに人の世にいるから心配して迎えに来てしまったの」
「……そうか」
ローアンは納得するように呟いた。
そんなローアンの手を僕はそっと握った。もうすっかり大きくなってしまった手。でも目の前にいるローアンはまるで十三歳の頃に戻ったようだ。
「他に聞きたいことはある?」
僕が尋ねると、ローアンは目を少し柔らかく細めた。
「いや、何もない。お前に会えた、それだけで十分だ」
その言葉は、もうこの世に未練はない。と言っているように聞こえた。
いや、実際そうなのだろう。ローアンは死のうとしている。
「それで……一人、最期を迎えるの?」
僕は堪らず聞いていた。聞かずにはいられなかった。
「君は誰かに殺されるのを待ってる。……そうだろう?」
「なぜ……それを」
驚くローアンの手を僕はぎゅっと力強く握った。もう離さないように。
「僕は君の事ならなんでも知ってるんだよ! 君がどうして残虐王と呼ばれるまでの行いをしたのか。なぜ重税を課すのか。兄姉達を殺し、王位を継いだのか。僕は……痛いほど知ってる」
「レスカチア……」
「君は十分すぎる事をした。もう、いいだろう。だから僕と共に行こう」
僕の誘いにローアンは予想通りの答えを返した。
「それはできない」
「なぜ!」
「……私には果たさなければならない義務がある」
ローアンは全てを言わなかった。けれど、僕が代わりに叫んだ。
「殺される事が義務だというのかッ!?」
僕が告げると、ローアンは苦笑して僕を見つめた。優しい微笑みだった。
「なぜ、君がそうまでして!」
問いかける僕にローアンは真っすぐな目で僕を見た。
「私が王族であり、今世の王だからだ。これは他の誰もできない」
「ダメだ!」
僕は拒否したけれどローアンは首を横に振った。
「私でなければ、ならないのだ」
そうローアンは僕に告げた。
でも本心は違う事をもう僕は知っている。君を無理やりにでも森に連れて行く。
僕はそう言いかけたけれど、背後に近寄ってくる人の気配があった。
ローアンと僕がそちらに視線を向けると、そこにはローアンが信頼を置いている友人がいた。
「陛下……こちらにおられましたか」
彼は僕が見えないからローアンだけに視線を向けていた。そしてローアンもまた王の顔で返事をした。
「ああ、何か用か」
ローアンが答えるのと同時に僕は彼の手に剣があるのが見えた。
まさか、ローアンを!?
咄嗟に僕はローアンの前に立った。しかし、ローアンは冷静だった。
「時が来たのか」
「はい」
静かに会話する二人に僕は声を上げた。
「ダメ! 絶対、殺させやしない!」
僕はそう言ったのに、ローアンはまるで僕を無視した。
「そうか……長い道のりだった」
ローアンが言うと彼は「はい」と答えた。そして両手で剣を持った。
僕はローアンを連れ去ってしまおうかと思ったが、彼は剣を抜くどころか捧げ持った。
「陛下……明日には民が動きます。ですから、どうかこちらを持ってお逃げ下さい」
彼はそう言った。
彼はローアンを殺すつもりなどなかった。むしろローアンに生きて欲しいと願い、逃がそうとしていた。彼は切々とローアンに謝辞を述べ、頭を下げた。
ローアンは時々狼狽していたけれど、彼はハッキリと告げた。
「もう自由になってください」と。
それはとても力強いものだった。
それを見て、ローアンは戸惑いながらも、ふっと肩の力を抜いた。それは重責から解き放たれた瞬間だった。
「セトディア」
「はい」
「お前には感謝する」
「では!」
「お前の用意してくれた逃げ道は使わない。しかし私には行くところがある」
「……行くところ?」
「ここより遥か遠い場所だ」
「遠い場所……」
彼は不思議そうにした。だがそれが僕へのローアンの答えだった。
「あとは任せる」
ローアンはそう伝えた後、ゆっくりと視線を僕に向けてみた。もう迷いない瞳だった。
「僕と共に行ってくれるんだね。……怖くないかい?」
僕が問いかけると、ローアンは目をやわらかく細めた。
「お前が傍にいてくれるなら、どこにでも行こう。もう私を縛るものは何もない」
それは僕にとって最高の言葉だった。
僕はローアンの手を握り、ローアンも僕の手を握ってくれた。お互い、手をぎゅっと握りしめた。
「共に行こう、ローアン」
僕が言うとローアンは頷いた。そして、最後に「さらばだ、セトディア」と彼に告げた。
それはとても晴れやかな声だった。
そうしてローアンは残虐王を止め、僕はローアンを森に連れ込んだ。
森にはチェインが待っていて、嬉しそうにキャンキャンッと鳴いてとても大喜びした。
0
お気に入りに追加
157
あなたにおすすめの小説
Take On Me 2
マン太
BL
大和と岳。二人の新たな生活が始まった三月末。新たな出会いもあり、色々ありながらも、賑やかな日々が過ぎていく。
そんな岳の元に、一本の電話が。それは、昔世話になったヤクザの古山からの呼び出しの電話だった。
岳は仕方なく会うことにするが…。
※絡みの表現は控え目です。
※「エブリスタ」、「小説家になろう」にも投稿しています。
完結・虐げられオメガ側妃なので敵国に売られたら激甘ボイスのイケメン溺愛王が甘やかしてくれました
美咲アリス
BL
虐げられオメガ側妃のシャルルは敵国への貢ぎ物にされた。敵国のアルベルト王は『人間を食べる』という恐ろしい噂があるアルファだ。けれども実際に会ったアルベルト王はものすごいイケメン。しかも「今日からそなたは国宝だ」とシャルルに激甘ボイスで囁いてくる。「もしかして僕は国宝級の『食材』ということ?」シャルルは恐怖に怯えるが、もちろんそれは大きな勘違いで⋯⋯? 虐げられオメガと敵国のイケメン王、ふたりのキュン&ハッピーな異世界恋愛オメガバースです!
十七歳の心模様
須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない…
ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん
柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、
葵は初めての恋に溺れていた。
付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。
告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、
その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。
※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。
【完結】囚われの親指王子が瀕死の騎士を助けたら、王子さまでした。
竜鳴躍
BL
サンベリルは、オレンジ色のふわふわした髪に菫色の瞳が可愛らしいバスティン王国の双子の王子の弟。
溺愛する父王と理知的で美しい母(男)の間に生まれた。兄のプリンシパルが強く逞しいのに比べ、サンベリルは母以上に小柄な上に童顔で、いつまでも年齢より下の扱いを受けるのが不満だった。
みんなに溺愛される王子は、周辺諸国から妃にと望まれるが、遠くから王子を狙っていた背むしの男にある日攫われてしまい――――。
囚われた先で出会った騎士を介抱して、ともに脱出するサンベリル。
サンベリルは優しい家族の下に帰れるのか。
真実に愛する人と結ばれることが出来るのか。
☆ちょっと短くなりそうだったので短編に変更しました。→長編に再修正
⭐残酷表現あります。
消えない思い
樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。
高校3年生 矢野浩二 α
高校3年生 佐々木裕也 α
高校1年生 赤城要 Ω
赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。
自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。
そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。
でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。
彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。
そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。
人気アイドルグループのリーダーは、気苦労が絶えない
タタミ
BL
大人気5人組アイドルグループ・JETのリーダーである矢代頼は、気苦労が絶えない。
対メンバー、対事務所、対仕事の全てにおいて潤滑剤役を果たす日々を送る最中、矢代は人気2トップの御厨と立花が『仲が良い』では片付けられない距離感になっていることが気にかかり──
幼馴染は僕を選ばない。
佳乃
BL
ずっと続くと思っていた〈腐れ縁〉は〈腐った縁〉だった。
僕は好きだったのに、ずっと一緒にいられると思っていたのに。
僕がいた場所は僕じゃ無い誰かの場所となり、繋がっていると思っていた縁は腐り果てて切れてしまった。
好きだった。
好きだった。
好きだった。
離れることで断ち切った縁。
気付いた時に断ち切られていた縁。
辛いのは、苦しいのは彼なのか、僕なのか…。
悩める文官のひとりごと
きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。
そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。
エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。
ムーンライト様にも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる