残虐王

神谷レイン

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花の名を君に

2 ミゼ峠

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 でも雲行きが怪しくなったのは、それから半年後の事だった。

 僕が生まれた森の近隣には、いくつかの村や集落があった。そしてロベルトはその幾つかの村を束ねる首領の息子で、ゆくゆくは首領の座を引き継ぐらしいって事だった。

 僕はただ単純にそうなのか、と思った。

 だって、首領が何なのかわからなかったし、僕にとってロベルトはロベルト以外の何者でもなかったから。

 僕が「ふーん」と答えると、ロベルトはくすりと笑って僕の頭を撫でた。そしてそれ以上、ロベルトがその話をすることはなかった。だから僕も聞かなかった。

 けれどロベルトが首領の座を引き継ぐ前に、隣国が領土拡大の為、その村や集落を侵略しようとしてきた。
 それを阻止する為に、ロベルトの父は何人かの部下を連れて話を付けに行ったが、彼らは無残にもロベルトの父親を殺害してしまった。

 動物も縄張り争いの為に同族を殺すことはある。同じようなものだろう、と僕は思った。

 僕にとって動物も人間も同じくくりの生き物としか映らなかった。人間は違うと思っているみたいだけど、姿形が違うだけで僕には似たようなものだ。だから他愛無いことだと僕は思っていた。

 けれどロベルトにとっては違った。自分の父親を殺されたのだ。

 僕には親がいないから、よくわからなかった。でもロベルトが酷く落ち込んで悲しんでいる事は鳥達が教えてくれて。僕はロベルトに会いたかった。ロベルトは僕の特別だったから、慰めたかった。

 でも僕はロベルトに会えなかったんだ。

 ロベルトは急遽、首領の座を引き継ぎ、そして他の村々と結託して、隣国と戦おうとしていた。当然、僕のところに呑気に来る暇はない。

 僕のところに来たのは、戦いに赴く直前だった。















「レスカチア、もう……俺はここに来れないだろう。すまない」

 ロベルトは僕にそれだけを言った。深い事情を僕には話さなかった。

「戦うの?」

 僕はロベルトに尋ねた。ロベルトは辛そうな顔をして「ああ」と答えた。

「どうして戦うの? 同族をロベルトも殺すの? 縄張り争いの為?」

 僕の問いにロベルトは困った顔を見せた。

「本当にな。……俺も戦いたくも、殺したくもない。けれど守らなければならないものがある」

 ロベルトはそう言うと、そっと手を伸ばして僕の頬を優しく撫でた。そして黒い瞳が僕を見つめる。

「戦わなければ、村人は奴隷として扱われるだろう。女達は弄ばれ、男達は労働力として。この森だって切り崩される。だから、守る為に戦うんだ」

 ロベルトは真剣な目で僕に言った。

 でも僕はその言葉の意味の半分も本当は理解していなかった。僕はこの森から出たことがなくて、人間もロベルトしか見たことがなくて、人の愚かさも醜さもわかってはいなかった。

 人は欲の為ならばどこまでも残酷になれて、他者を虐げるのも厭わない事を。

「どうしても、なの?」

 僕はロベルトの手が離れてしまわないように、頬を撫でる手を掴んで尋ねた。

「……ああ」

 その声は今まで聞いたことがないほど、硬いものだった。だから僕はわかった。死を見据えているんだと。

「死ぬ……つもりなの?」

 僕は声が震えながら尋ねた。なんでか、ロベルトがいなくなるかもしれないって考えたら急に怖くなった。胸の奥がすくんで、足元が揺らぐような気がした。

 どうしても、いなくなって欲しくなかった。いつまでも、こうして湖の側で話したかった。
 だけどロベルトは誤魔化すことも、隠すこともなく、正直に僕に告げた。

「ああ。……相手の軍勢は俺達より多い。俺は、死ぬ……だろう」

 ハッキリとした言葉に僕は眉間に皺を寄せ、叫んだ。

「嫌だッ!」
「レスカチア……そう言うな」
「嫌なものは嫌だ!」
「……レスカ、すまない」

 真っ黒の瞳が僕を見つめて言った。
 その瞳を見て、僕はロベルトの心が見えた気がした。

 誰よりもロベルトが嫌だと思っていることを。

 誰が死ぬだけの戦いに行きたいだろう。守るなんて建前だ。そうせざる得ないだけで、本当は死地に向かいたくない。

 なぜ、こんな世の中なのだろうか……。

 悲しみに溢れた瞳が、そう僕に語り掛けたような気がした。
 いつも活力に満ちて、意気揚々と輝く瞳が、今はひどく凪いでいる。

 それは自分の死をわかっているからだ。

 なぜ、そんな瞳をするの? 悲しまないで。一人で苦しまないで。ロベルト。

 僕は胸が痛くなって、ロベルトの悲しみも苦しみも全て救い出したいと思った。でも、僕は何をすればいいのかわらなかった。どんな言葉をかければいいのかも。
 折角ロベルトが言葉を教えてくれたと言うのに、僕は何も言えずに口を緩く開けて息を吐きだすだけしかできなかった。

 だけど僕は知らず知らずのうちに気持ちを形にしていた。

「……レスカチア」

 ロベルトは驚いた顔をして僕を見た。

「え?」

 僕も驚いて自分の頬を指先で拭った。僕の瞳から水が溢れていた。それは雫になって、落下し、不思議な事に水晶になって地面にコロンっと落ちた。

 ぽたぽたと水は僕の瞳から零れ落ち、小さな水晶が足元に溜まっていく。でも、ロベルトはそんな僕に驚きながらも、しばらくして困ったように笑った。

「俺の為に泣いてくれるのか?」
「……泣く? ……これが?」

 僕は今まで泣いたことがなくて戸惑った。でも戸惑う僕の頬をロベルトは両手で拭い、顔を暖かな手で包むと、こつんっと額を合わせた。

「レスカチア、ありがとう。ごめんな」

 ロベルトは微笑んで言い、僕は胸がもっと痛くなって、なんだかとても堪らない気持ちになった。

『いなくならないで、ロベルト』

 僕の胸に渦巻くのは、ただその一言だけ。

「泣くな、レスカチア」

 ロベルトはそう言うと、僕をそっと抱き締め、僕の頭を優しく撫でてくれた。
 でもロベルトは最後まで『戦わない』とは言わなかった。
 結局、ロベルトは「すまない」と言いつつ、泣きつかれた僕を置いて、ジーナと共に去って行った。
 僕は一人になっても泣いた。でも泣いても何にも変わらない。

 だから、僕は僕で勝手に動くことにした。












 ミゼ峠、そう人間が呼んでいる場所。

 そこは春になると雪水が通る緩やかな傾斜で、長い時の中で水に押し流された土は道になり、水は壁をも削って大きなくぼ地の道になっていた。
 そこは春以外は人々の行き交う道。でも今はその道で戦いが行われていた。

 多くの人間が鎧を着て、剣を振りかざしている。血が流れ、穢れが溜まっていく。死の匂いがした。
 僕は崖の上から下を眺めて、うっと口を押える。血の匂いが僕にまで匂ってきたからだ。

 僕は綺麗なものが好きだ。花のいい匂いも、果実の甘い匂いもロベルトの匂いも僕の好きなもの。

 だけど血の匂いや生き物たちの争う姿は嫌いだった。
 だから本当ならこんなところにはいたくない。一刻も立ち去りたい。でもそこにはロベルトの姿があった。

 ……ロベルト!

 僕は彼を見て、胸が痛くなった。ロベルトは誰よりも先頭を切るように、相手と戦っていたから。

 僕は知っている、生き物と言うのはか弱いのだと。ちょっとしたことで、ころっと死んでしまうのだ。なのに、鋭い剣がロベルトに向かう。僕は見ていられなくなって、思わず力を使った。

 辺り一面に地鳴りが響き、突然土壁が崩れた。相手とロベルト達は崩れ落ちてきた土砂に分断されるように別れ、僕は戸惑うロベルトにすぐさま叫んだ。

「ロベルト! 上にあがって!」

 僕の声は戸惑うロベルトに届いたらしい。ロベルトは僕を見つけると、驚いた顔で僕を見た。でも、僕は構わず叫んだ。

「早くッ!」

 僕が言うと、ロベルトは味方に上にあがるように叫んだ。
 ロベルトの言葉に、誰もが困惑しているようだったけれど、それでもロベルトの言葉を聞きいて土壁を登った。勿論、ロベルトも。
 それを確認してから僕は力を使って近くの地下水を地上に湧かせ、雪水が通るこの道に流し込んだ。それは崩れた土砂を流し、相手も押し流す。

 突然の鉄砲水に相手は悲鳴を上げて、その場から綺麗さっぱりいなくなった。
 血で穢された道も綺麗さっぱりだ。転がっていた死体も、水と共に流され、言葉通り何もなくなった。

 けれど突然の出来事に、今まで戦っていたロベルトは勿論、その味方も驚いた顔でぽかんとしていた。
 僕はそんなロベルトに遠くから手を振った。でも僕は力を使って疲れてしまい、そのまま姿を消した。







 僕は使い慣れない力に疲れて、この世とは別の空間にある大木のねぐらでぐっすりと眠った。起きたのは、力を使って一週間後の昼のことだった。

 寝すぎた、と思って湖で水浴びをしようと行けば、そこにはロベルトが僕を待っていた。いつもは僕が待つばかりなので、ロベルトがいる事に僕は少し驚いた。

「ロベルト!」

 声をかけるとロベルトははっとした顔で僕を見た。そして駆け寄ってきた。

「レスカチアッ……もう現れないかと」

 ロベルトは不安そうな顔で僕を見つめた。

「どうして?」
「あの日からお前を待って、ここに来ていた。でも、お前が一向に現れないから……」
「ごめん、疲れて寝ていたんだ。心配した?」

 僕が尋ねるとロベルトは僕の手を取って「ああ、とても心配した」と答えた。その言葉が僕は嬉しかった。僕を心配してくれる誰かがいる、その事が。

 でも心配したのは僕もだ。

「ロベルト、もう死なないよね。怪我、大丈夫?」

 僕が尋ねると、ロベルトは曖昧に笑った。

「怪我はかすり傷だ。……だが、争いは続くだろう」

 僕は思ってもみない言葉に驚いた。だって、もうロベルトが戦う理由なんてないと思ったから。

「どうして! 相手は僕が追い払ったでしょ!?」
「……あれは軍の一部だ。追い払っても、また来るだろう」

 ロベルトは悲し気に言った。でも、僕に嘘はつかなかった。

「そんな……! じゃあ、また僕が追い払う!」

 僕はそう言ったけれど、ロベルトは首を横に振った。

「レスカチア、ありがとう。でも、その気持ちだけで充分だ」
「なんで、どうして?! 僕の力を使えば!」
「これは人間同士の争いだ。お前はきっと関わらない方がいい」

 それは動物達からも言われていた事だった。だけど!

「でも、僕はロベルトが死んじゃうなんてヤダ!」

 僕が告げると、ロベルトは嬉しそうに困ったように笑った。

「レスカチア、俺はお前に誰かを傷つけさせたくない。その力はきっとそんな為にあるわけではない」
「だけど、僕は……もうロベルトが戦う姿なんて見たくない」

 戦う姿を思い出して、僕の胸はきゅうっと痛む。死んでいてもおかしくなかった。いや、僕が手助けしなかったら、きっと死んでいた。だって相手はいっぱいいたもの。

「ロベルト。ロベルトが何をいっても、僕はまた力を使う。僕は君を守りたい」

 僕が言うと、ロベルトは息を飲み、僕を見つめた。

「レスカチア……ッ」

 ロベルトは僕の名前を呼ぶと、僕をぎゅっと抱き締めた。そしてしばらく黙ったまま僕を抱き締め続けた。でも、あんまり長いものだから僕の方から声をかけた。

「ロベルト?」

 僕が名前を呼ぶと、ロベルトははぁーと大きく息を吐き、そして体を離した。けれど、その目は僕をじっと見つめた。

「レスカチア、お前に人は傷つけさせない。だが、力を貸してくれるか?」

 それはロベルトが初めて僕にした頼み事だった。
 僕は深く考えず「うん」とすぐに答えた。そんな僕にロベルトは苦笑した。


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