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殿下、俺じゃダメですか?
11 助けに来たヒーローは
しおりを挟むドサドサッ! と雪と同時に看板が地面に落ちた。
「きゃああっ!」
突然の事に辺りには悲鳴が響き、ざわざわと人がお店から出てきた。
そして俺は驚いて声も出ない。
……俺が今まで立ってたところ。下敷きになっていたらどうなっていたか。
俺はさあぁっと顔を青ざめさせた。しかしそんな俺に後ろから声が掛けられた。
「おい、大丈夫か? あんた」
酒臭い息と共に尋ねてきたのは近くを通りかかった男だった。俺はハッと我に返り、すぐに振り向いてお礼を言った。
「ありがとうございました! 俺、全然気が付いてなくて、腕を引っ張られなかったらどうなっていたか」
「いや、たまたま気が付いたからいいけどよ」
男は赤ら顔で俺にそう答えた。きっと近所の酒場で飲んで歩いていたところ、雪と看板が落ちてくるのが見えたのだろう。
「本当にありがとうございました」
俺がぺこりと頭を下げて言うと、男は照れくさそうな顔をした。
「礼を言われるほどの事はしてねーさ。……それより、あんた。どっかで見た顔だな?」
男はまじまじと俺を見て言い、俺は初対面の男に「え?」と首を傾げた。だが、男は思い出したみたいで「ああ!」と声をあげた。
「そうだ! あんた、第三王子に捨てられた伴侶様だ! そうだろ?!」
男は俺を見て、ハッキリとそう告げた。俺はちくりと胸が痛む。
……そんな言い方しなくても。
そう思うが何も言わない俺に男は不躾な視線を向けてきた。
「前に新聞であんたの絵姿を見たことがあったんだ。ここいらに住んでいるとは聞いていたけど、本当に会えるとはね。いや~、こりゃ実物の方が可愛いな」
男は着込んでいる俺を上から下まで舐めるように見た。その視線になんだか嫌悪感を覚える。冬だから沢山着込んでいると言うのに、下着まで見透かされているみたいな気分だ。
……嫌な予感がする。
「あの、助けていただいてありがとうございました。俺はこれで!」
俺は早口で言い、その場から早々に逃げ出そうとした。けれど、そんな俺の腕を男は乱暴にがっしりと掴むと、俺を引っ張った。
「まあ、そんな急ぐなよ。ちょっと付き合えよ」
「え!? あ、あの! ちょっと離してください!」
俺は手を離して貰おうとしたが、男は言う事を聞かずに俺を裏路地に引っ張っていった。力強い手に俺は解けない。そして裏路地の先には簡易宿がある。つまり、アレするところだ。
俺は顔を青ざめさせた。
「ちょっと! 困りますっ!!」
俺は声を荒げて言った。そんな俺を男は鋭い目つきで睨む。
「ああ? 命を助けてやったって言うのに、とんだ言い草だなッ」
「そ、それとこれとは別です!」
少し怯みながら俺が言うと男は鼻で笑った。
「ハッ! お高くとまってんな! 何度も男を咥え込んでるんだろ? 俺一人増えたっていいじゃねーか」
失礼極まりない言葉に俺は怒りが湧きあがる。
「なっ!!」
「それにお前さんみたいなのが王子様の伴侶になったって言うからには、よっぽど床上手だったんだろ? そのお手並み拝見、って話じゃねえか」
……なななっ! 俺はレオナルド殿下と結婚するまで、誰とも付き合った事なんかないのにッ!!
破廉恥な言葉に俺は顔を赤くしてしまう。だが、男は俺が何も言わないことをいい事に話を続けた。
「王子に捨てられて、誰も相手してないんだろう? いいじゃねぇか、俺が相手してやるよ」
男はげらげら笑って言った。だが俺はそんな男を睨んだ。
少なくともこんな下品な男に相手なんかして欲しくない。どんなことがあってもお断りだっ!
「結構です! 腕を離せッ!」
俺は自分の腕から男の手を離すように振り払った。だが、男はがっちり掴んで離さない。
「いいから、大人しくしてろッ!」
「離せ! この酔っぱらい、俺はあんたみたいな奴の相手なんて死んでも御免だ!」
俺が言い放つと、男の琴線に触れたのか、怒った顔をして拳を振り上げた。
「なんだと! この男娼がッ!!」
男は握った拳をそのまま俺に振り落とそうとした。
レオナルド殿下みたいに強くない俺には受け止められそうにもないし避けられそうにない。だから衝撃に備えて、ぎゅっと目を瞑った。
でも、そんな時。
「そこまでじゃ」
聞きなれた声が聞こえてきて、目を開けると俺のすぐ傍に大家のおじいちゃんが立っていた。
「おじいちゃんッ!!」
「セス君、こんな酔っぱらいについて行っちゃいかんじゃろぉ」
おじいちゃんはほのぼのとした様子で俺を叱り、よく見れば男は地面に膝をついていた。
……え? 一体何が起こったんだ??
「ジジイ! 何をしやがった!」
「ほっほっ、ちょいと足の神経が通っとるツボを押したまでじゃよ。しばらくは動けんが、酒も抜けた頃には動けるようになるじゃろう。よう、頭を冷やすんじゃの」
「このクソジジイッ!!」
男は憎々し気におじいちゃんを睨んで言ったが、おじいちゃんはさらりと受け流していた。
「全く血気盛んじゃの。それぐらいで済んだこと、わしに感謝して欲しいぐらいじゃのに」
「なんだと?」
「お前さん、まだ命があってよかったのぉ。……じゃが、またこの子に何か悪さをしたら、このわしでも次は許さんぞ?」
おじいちゃんが言うと、男はヒッと息を飲んだ。俺はおじいちゃんの背中しか見えないから、おじいちゃんがどんな顔をしているのかわらない。そんなに息を飲む程、怖い顔をしているのだろうか?
「おじいちゃん?」
俺が恐る恐る声をかけると、おじいちゃんはいつもの朗らかな笑顔で俺に振り返った。
「ん? どうしたんじゃ?」
「え? あ、ううん。あの、助けてくれて、ありがとう」
「いいんじゃよ。それより、この阿呆は放って、一緒に帰ろうかの」
「うん」
俺は返事をして、ちらりと男を見る。男は顔を強張らせたまま、何も言わない。
……おじいちゃんの言葉がよっぽど効いたのかな?
そう思ったが、俺は何も言わずにおじいちゃんと一緒に裏路地を出た。
「セス君、一応聞くが怪我はしとらんね?」
「あ、うん、大丈夫。おじいちゃん、助けてくれてありがとう」
「なぁに、ちょっとばかし突いてやっただけじゃよ。そしたら簡単に倒れおったんじゃ」
おじいちゃんはほっほっほっと笑って言った。俺を助けてくれたのに、それを自慢気に言わないなんてさっきの男とは雲泥の差だ。
……さすがおじいちゃん、カッコイイ。若い頃は絶対モテたはずだ。
俺は尊敬の眼差しでおじいちゃんを見る。けれど、そんな俺におじいちゃんは尋ねた。
「それはそうと、最近はどうじゃね?」
その声は俺を気遣うものだった。
「あ、うん……大丈夫、だよ。その、心配かけてごめんね。風邪の時も色々してくれてありがとう」
俺がお礼を言うとおじいちゃんは笑った。
「そんな事、気にせんでええんじゃ。人は助け合って生きていくもんなんじゃから」
おじいちゃんの温かい言葉に俺の心も温かくなっていく。だが、おじいちゃんの言葉はその先があった。
「じゃが、すれ違ってしまうのも人というものじゃのぅ」
その言葉はまるで俺とレオナルド殿下を言っているかのようだった。
「おじいちゃん……俺、レオナルド殿下の事」
「信じられないかの?」
「……」
俺は何も答えられない。
俺の辿り着いた答えが真実であって欲しい、レオナルド殿下を信じたいと心は願う。だけど、もしも違った時、俺はどうなってしまうだろう。
今はひび割れている心が、今度こそバラバラに崩れてしまう気がする。
「人は裏切られた時、もう一度信じるには二倍の力が必要じゃな。いや、それ以上かもしれんな。だが、レオナルド殿下は信じるに値しない男かな?」
「それは……」
俺は言葉に詰まってしまう。レオナルド殿下を信じたいけど、臆病な俺は『うん』と言えない。だから、俺は尋ねていた。
「おじいちゃんは……誰かに裏切られた事、ある?」
「わしかの? ……そうじゃなぁ。こうも長く生きておったらの、そういうこともしばしばじゃな、はっはっはっ」
おじいちゃんは笑って俺に言った。どうしてそんなに強く生きられるんだろう。
「その時、どうしたの? どうやって、また人を信じられたの?」
「ん? そうじゃなぁ。わしは、ものすっごく怒ったのぉ」
「怒った? それだけ?」
思わぬ言葉に俺は肩透かしを食らう。だが、おじいちゃんはうんうんっと頷いた。
「ああ、そうじゃ。怒って怒って、怒りまくったの。でも、怒りと言うのはそう長くは続かん。そして人を疑いながら生きていくなんて大変じゃ。……だから、なった時はなった時じゃ、とあまり考えなくなったの。それに信じ、信じられる関係は気持ちいい。今のわしとセス君みたいにのぉ」
おじいちゃんはあっけらかんと言った。その強さが眩しい。
俺はレオナルド殿下に裏切られて、こんなにも一人落ち込んで、周りに心配をかけていると言うのに。
……俺はどうやったらおじいちゃんみたいになれるんだろう?
そう思った時、おじいちゃんは話を続けてくれた。
「なあに、あまり焦らんでいいのだよ。……だがの、セス君。人とは面白いもので、相手を想って裏切る事もある。例えば、無用な争いに巻き込ませない為だったり、相手に事情を話せずに仕方なく裏切る形になってしまったりの」
「事情を話せずに……」
俺は呟き、すぐにレオナルド殿下の顔が浮かんだ。
「ああ。……さて、家にも着いた事だし、今日はゆっくり休みなさい」
おじいちゃんはそう俺に言った。話をしている内に、いつの間にか俺達は家の前に着いていた。
「うん、色々とありがとう。じいちゃん」
「なぁに、この老いぼれの話を聞いてくれて、ありがとなぁ。それと……」
おじいちゃんはそう言うと懐から一通の手紙を取り出し、それを俺に差し出した。
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