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殿下、俺じゃダメですか?
8 アレク殿下と子供達
しおりを挟む翌日、結局何もわからないまま俺は仕事場に向かった。
そしていつものようにただ仕事に明け暮れる。仕事をしていた方がずっと気が紛れるから。でもそんな俺の肩をウィギー薬長がぽんっと叩いた。
「セス、今日はもういいから帰りなさい」
窓の外はすっかり夕暮れて夜が訪れている。
「薬長……でも」
俺はもっと仕事がしたかった。仕事をして、この胸の痛みを忘れていたかった。だけど。
「ご両親とも帰ってきているんだから、な? セスの事、待ってるかもしれないぞ? それにもうみんな帰ってる」
薬長に言われて周りを見れば残っているのは俺だけで、窓の外、空には一番星がもう輝いている。どうやら仕事に没頭しすぎたみたいだ。
……薬長の言う通り、父さんと母さんがもしかしたら部屋の前で待ってるかもしれない。早く帰らないと。
俺は「はい」と返事をして、慌てて鞄に荷物を詰めていく。だが、その時にカランッと床に羽根ペンが落ちてしまった。
「あ!」
俺は慌てて拾って、羽根の部分を手で優しく払う。どうやら汚れはついていないようだ。
……良かった。
俺はほっと息を吐いた。手には赤い羽根ペン。
レオナルド殿下が俺に贈ってくれたフェニの羽根ペンだ。
「……フェニ」
フェニがいた頃は何にもなくて幸せだったのに。本当の家族みたいで。
……それが今ではみんなバラバラなんだもんな。
俺は一人ハハッと空笑いする。
だが後ろから声をかけられて俺はハッとした。
「セス、帰る準備はできたか?」
「あ、はい!」
俺は返事をしてフェニの羽根ペンを鞄に入れた後、鞄を肩に担いで慌てて薬長の元に駆け寄った。薬長はすっかり身支度を終えている。
待たせて申し訳ないと思い、薬長が鍵を警備室に返しに行くというので自分が代わりに持っていくと行ったのだが「早く帰りなさい」と言われてしまった。
「今日も疲れただろう。早く帰って休みなさい」
薬長はいつも優しいが、今は特に優しくて、なんだか居た堪れない。でも俺にはそれを断る理由もなかった。
「すみません……じゃあ、お疲れ様でした」
「ああ、お疲れ」
結局薬科室前で俺は薬長と別れ、星が煌めく夜空の下をとぼとぼと一人歩いて帰る。だけど、薬長と別れてすぐ、とたたたたっと走ってくる小さな二つの足音が廊下に響いた。
「せす!」
「せすぅ!」
え? と思った時には、何かが足にぶつかった。そして、むぎゅっと俺の足を掴んで離さない何かがいた。
「じゅ、ジュリアナ様にアンジェリカ様!」
視線を向けるとそこには二人の女の子が俺の足にしがみついていた。小さな王女様方だ。そして、そこへもう一人遅れてやってきた。
「こら、ジュリ、アン。廊下を走ってはいけないだろう?」
ゆったりとした足取りで歩いてきたのはアレク殿下だった。
「アレク殿下!」
俺は慌てて頭を下げる。
「久しぶり、セス」
「はい」
俺は返事をしてアレク殿下と最後に会ったのはいつだろう? と思い返す。あの頃はまだレオナルド殿下が俺の傍にいてくれた。
「お互い城の中で勤めているというのに、なかなか合わないものだな」
「そう……ですね」
俺はなんとなく歯切れ悪く答える。でもそんな俺にアレク殿下はそれ以上何も言わなかった。だが代わりに小さな王女達が俺の服をくいくいっと引っ張った。
「せすぅ、レオおじさまとけんかしちゃったの?」
「のー?」
二人は俺を見上げて尋ね、俺はその場でしゃがんで二人の王女様に笑った。
「そういう訳ではないんですよ」
「じゃあ、どうして?」
「どうちて?」
二人の大きな瞳が無邪気に俺に尋ねてくる。子供だから、質問に誤魔化しなどない。でもむしろ、この城に勤めている人たちのように遠巻きに見られるよりはずっと良かった。
「その……レオナルド殿下に愛想つかされちゃったんです」
「あいそ?」
「俺に興味がなくなったっていったらいいのかな?」
俺は正直に二人に伝えた。俺の言葉の意味がわかるだろうか? と思ったが、意外に二人は理解したようだった。
「レオおじさまが?」
「せすを?」
二人は息ぴったりに尋ね、俺が「ええ、そうなんです」と答えると二人はハッキリと俺に言った。
「うそ!」
「うしょ!」
ビシィッと指を指されて言われ、俺は「え?」と戸惑う。
「レオおじさまがせすに興味なくなるわけないもん!」
「にゃい!」
二人の言葉に今度は俺が目を丸くしてしまう。どうしてこの子達はこんなにハッキリと言えるんだろうか?
「ど、どうしてですか?」
俺が尋ねると二人は顔を見合わせて俺に告げた。
「だって、レオおじさま、せすの事、すっごく好きだもん。好きってお顔に書いてあったもん! パパがママにするお顔、レオおじさまもせすにしてたもん!」
「してたぁ!」
二人は間違いないという確信を持った様子で俺に言った。そして、その二人の後ろからアレク殿下も俺に告げた。
「私もそう思うよ、セス」
「……アレク殿下」
俺が見上げるとアレク殿下は俺に微笑んだ。
「私にはレオナルドが何を考えているのかわからない。だが私もランスも不思議に思っている。いや、私だけではない、君とレオナルドを見てきた者達は皆そう思っているだろう」
「けれど……レオナルド殿下は」
言い淀む俺にアレク殿下は優しい声で諭すように言った。
「夫婦にしかわからない事もある。だから私達は何も言わない。だが……これだけは覚えていて欲しい。レオナルドは感情を隠すのが上手い、時には嘘を吐くこともね」
「レオナルド殿下が……?」
俺は答えを求めるようにアレク殿下を見つめた。アレク殿下なら何か知っているかもしれないと思って。だけど、アレク殿下は微笑むだけで、それ以上何も言わなかった。
「さあ、二人共部屋に帰ろう」
アレク殿下は二人の王女を両手に抱きかかえた。
「セスも帰る所だったのだろう? 引き留めて悪かったね。この子達はセスが好きだから」
アレク殿下が言うと二人の王女様は「うん、せす好き! またご本読んで!」「わたしもぉ!」と声を上げた。その可愛らしい声に俺は少し癒される。
「ええ、俺でよければ」
俺が答えると二人の王女様は嬉しそうに微笑んだ。そしてアレク殿下も。
「時間があれば私ともお茶をして欲しい。レオナルドがいない今なら怒られる事もなさそうだ」
アレク殿下が言い、そういえばレオナルド殿下がいつも俺を迎えに来て兄上達に怒っていたな。と思い出し、俺はくすっと笑った。
「ええ、そうですね」
俺が言うとアレク殿下も微笑んだ。
「やはりセスはそうやって笑っている方がいい」
そう言われて、俺はハッと気が付く。目の前にいるアレク殿下も王女様方も俺を見てほっと安堵している事に。
……そうか。俺は心配をかけていたんだな。
「すみません」
「いや、謝る事はない。謝るとしたらそれは私達の方だよ」
それは暗にレオナルド殿下の事を言っていた。でもアレク殿下に謝られる事なんて何一つない。
「いえ……」
それ以上の言葉が出てこない。そんな俺にアレク殿下はまた微笑んだが、腕の中にいる二人のお姫様に声をかけた。
「ほら、ジュリ、アン、セスにバイバイして。これ以上引き留めては、セスも帰れない」
「またね、せす」
「ばいばい、せすぅ」
二人は小さな手を俺に振り、俺も別れを告げる。
「はい、ではまた今度」
「気を付けて帰るのだよ。セス」
アレク殿下は俺を気遣って言ってくれた。俺はその言葉に頷き「では失礼します」と頭を下げて、その場を離れた。
「ね、パパ」
ジュリアナがくいくいっとアレクサンダーの服を引っ張って声をかけた。
「ん?」
「せす、だいじょうぶかなぁ。フェニちゃんみたいに急にいなくなったりしない?」
ジュリアナは心配するように父親のアレクサンダーに尋ねた。子供でもセスに元気がない事はすぐに分かったのだろう。そして遊び相手であったフェニが急に巣立ち、二人はセスもそうなるんじゃないかと不安を抱えていた。
「ね、パパ。大丈夫、だよね?」
不安がる娘にアレクサンダーは優しく微笑んだ。
「ジュリは心配か?」
「パパは……心配じゃないの?」
尋ねる娘にアレクサンダーは目を細めた。
「心配せずとも、あの二人ならきっと大丈夫だよ」
確信にも近いような言い方にジュリアナとアンジェリカは不思議そうに視線を向けた。
「どうしてそう言えるの?」
ジュリアナが問いかけるとアレクサンダーは短く答えた。
「勘だ」
「かん?」
勘の意味が分からずジュリアナもアンジェリカも首を傾げた。そんな二人にアレクサンダーは父親らしく言った。
「大きくなったらわかるさ。今は、ディアナの元に戻ろう。お前達を待っているだろうから」
アレクサンダーはそう言って、二人を両手に抱えたまま廊下を歩いていった。
まだ王女達は幼すぎて知らなかった。自分の父親の勘が高確率で当たる事を……。
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皆さま、明日からお話が進展しますよ!
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