上 下
62 / 86
第八章 ダンジョンに種付けおじさん ~特別の損害~

神殿図書館

しおりを挟む
 レッジョ中央広場の一角に鎮座する
 ウェルス神殿。
 この聖域はレッジョにおける
 司法の中枢でもあり、
 公証人ギルドの本部もここにある。
 その神殿内でひと際大きなスペースが
 神殿の離れにある。
 それがウェルス神殿内のこの図書館。
 レッジョ神殿内の裁判所が下した
 判決や判例、
 裁判記録からあらゆる法律関係の
 書物が揃う一大書庫である。
 重々しい雰囲気であるが、
 その厳かさと大量の重厚な紙の香りが
 ルロイは気に入っていた。

「ここに来るのも久しぶりだな」

 都市法の条文を引いて分かることなら
 事務所にある法典で間に合うが、
 より複雑なケースを調べる場合。
 判例やら判決といった裁判記録。
 はたまた法解釈の学説を
 調べることもある。
 今回のアシュリーと種付けおじさんの
 売買契約において、特別の事情の存在を
 証明できるかどうかもあやふやな状態で
 まずはそこを法的に
 はっきり認識する事から始める。
 ルロイは今、裁判記録の判例がひしめく
 書架の前で悪戦苦闘している
 最中であった。

「此度は、調べものじゃな」

 せわし気に判例集のページをめくる
 ルロイの背中に、厳粛な声が響いた。
 書架の列の入り口には厚手の白い法衣を
 来た白髪の老人の姿があった。

「これは、フィオーレ猊下」

「よい、頭をあげい」

 資料探しに没頭していたルロイは
 思わず恐縮して頭を下げる。
 エンツォ・ディ・フィオーレ。
 このウェルス神殿の神殿長であり、
 レッジョの市参事会で
 司法長官をも務める
 司法界のトップであり、
 ルロイを魔法公証人に任じた
 公証人ギルドの長でもある。

「ははっ」

 ルロイは頭を上げフィオーレの言葉に
 緊張を少しばかり解いたが、
 それでも穏やかにとはいかない。
 なんと言っても、
 ルロイにとっては最高権力者である。
 肩まで垂らした白髪に
 豊かに蓄えた白いあごひげ。
 かなりの老齢にも関わらず
 背筋はぴっしりとしており誰もが、
 目の前の老人を誉れ高い
 賢者の中の賢者として認める存在。

「お主がここにくるなど久しいの。
 今回は随分と厄介な案件とみた」

「はい、猊下。仕事の案件で、
 この図書館で判例を調べていまして。
 でも、ようやく見つけましたよ」

「ふむ。どれ……」

 フィオーレが興味深げに歩み寄り、
 ルロイが手にした判例集の
 ページに目をやる。

 債務者が債務の目的物を
 不法に処分したために
 債務履行不能となった場合、
 損害賠償額の算定基準時は
 履行不能時だが、
 履行不能後も目的物の価格の高騰が
 続いている特別の事情があり、
 債務者がこれを知っていたか
 知りえた場合、
 債権者は目的物の高騰した
 現在の価格を基準に算定した
 損害額の賠償を債務者に請求できる。

「ほう、なるほど」

 感心したようにフィオーレが頷く。
 アシュリーの話を聞く限り、
 種付けおじさんが種を
 アシュリーではなく、
 「深淵の鉱床」のダンジョン主に
 売り渡したことで、

『債務者である種付けおじさんが
 目的物である種を不法に処分した時
 をもって債務履行不能になった』

 ことになる。もちろん、この場合、
 損害賠償額の算定基準時はその時であり、
 種付けおじさんはアシュリーに対し
 違約金を支払ったことで一応、
 損害賠償は済んだことにはなる。
 また、履行不能後の今現在において
 深淵の鉱床における種から成長した
 ミツダケと種付けおじさんの種
 そのものが高騰している事実が、

『目的物の価格の高騰が
 続いている特別の事情』

 に該当する。
 現状を認識するにはここまではいい。
 問題は――――

「債務者が特別の事情を知りえたか。
 それが問題じゃ」

 フィオーレは鋭くルロイが
 直面している課題を言い当てる。

「仰る通りです」

 ルロイは苦笑いする。
 まさに、種付けおじさんが
 この種の高騰を予見していたことを
 具体的に立証しなければならない。
 そのためには単にプロバティオ発同時に
 高騰を予見していたか否かを問うのでは
 ウェルス証書を作成するには
 弱いのである。

「その高騰の正体を突き止めねば、
 真実にはたどり着けぬ」

「ええ、その通りです」

 どうやら、フィオーレはルロイが
 今抱えている案件を初めから
 知っているようであった。
 単なる、売買取引の詐欺や文書の
 偽造であればその偽りそのもの
 についてプロバティオで
 相手を問い詰めればいい。
 しかし今回は違う。
 ミツダケの大繁殖と種の高騰の理由、
 及びに種付けおじさんがその高騰を
 確かに知りえた理由と事実を
 ルロイが理解しなければ、
 種付けおじさんに
 プロバティオは通用しない。

「ふむ、なかなかの難問だな」

「ええ、それに加えて……」

 改めて事の厄介さを認識し、
 頭痛のするルロイはフィオーレに
 事のあらましを話した。

「うむ、やはりな。
 やはり奴の名前は知れぬか……
 かの得体のしれない種売りの噂と
 深淵の鉱床の金満ぶりは
 わしも知っておる。ここだけの話だが、
 十五年前ほどまえからかの種売りは
 すでにレッジョでダンジョンへの
 不法侵入を数件侵しているのだ」

「え!」

「それだけでなく、
 ダンジョンの所有者に無断で
 種を植え付けているらしい」

「そんな、被害届は
 出ていないんですか?」

「ふむ、勝手にどこの馬とも知れん輩に
 侵入された挙句、種まで植えられる
 ということだからな。
 レッジョのダンジョン主には
 都市貴族や名士など気位の高い者もいる。
 そんなことで被害を訴えるなど
 恥と考えているか、あるいは……」

「あるいは?」

「その種付け行為が、
 結果的にダンジョン主にとって
 受益行為として成り立っている
 という可能性もありうるかの」

 確かにあり得ない話ではない。
 種付けおじさんの種付け行為によって
 なにがしかの作物が生ればその作物は
 当然ダンジョン主のものとなる。
 その作物が有益であれば、
 ダンジョンへの不法侵入はともかく
 種付けおじさんの行為は結果として、
 ダンジョン主に利益を与えることなる。
 そして、自分に利益をもたらした人間を
 訴え出ようとする人間はいない、
 という訳である。

「ここ数年はまったく
 目撃情報がなかったが、
 今になってレッジョに戻ってきたのが
 気掛かりではある。いずれにせよ、
 その種売りが危険人物であることには
 変わりないと私は見ているがね。
 私から治安維持局にも警備の強化を
 申し出たが未だ奴の足取りはわからん」

「そうですか……」

「今回の事件。
 一筋縄ではいかんだろうが、
 私としては嬉しくもある」

「嬉しい?」

「あの時の、廃人も同然だった
 洟垂れ小僧がのう……
 ようやくここまで来たかと思えば、
 魔法公証人に任じたわしも
 感慨深くもなる」

 厳粛そうな顔立ちを少しばかり崩し、
 フィオーレは老練な賢者らしかぬ
 意地悪い笑みを見せる。
 この街に来たばかりの時は、
 ルロイはまさか自分がこの仕事に
 就くとは夢にも思ってもみなかった。
 これまでの過去に思いを巡らせると、
 ルロイ自身色々な思いと業とに
 押し潰されそうになる。

「何、力になれそうなことが
 あればわしを頼るがよい。
 今は、お主は一人ではない
 ということを忘れず
 前に進めばよいのだ」

 フィオーレは温かく笑い
 ルロイの肩を叩くと、

「では、邪魔をしたな」

 と言い残し図書館を後にした。

「一人ではない。……か」

 あまり、過去の思い出に浸って
 感傷的になっている場合ではない。
 それでも、ここに至るまで
 多くの仲間の助けがあった。
 自分一人ではこれまでの依頼や
 事件とて太刀打ちできなかった。
 そして、おそらくは今回も
 誰かの助けが必要になるのだろう。
 それを恥と思う必要はない。
 しかし、助けられた分自分も彼らに
 恩義を返さねばならない。
 頼られるということはそういうことだ。
 今回の件は、
 決して勝ち目がない戦いではない
 ということ。そして、勝つための条件が
 なんであるか分かっただけでも一歩前進。
 ルロイは、次なる手掛かりを得るために
 図書館を出たのだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

プロミネンス~~獣人だらけの世界にいるけどやっぱり炎が最強です~~

笹原うずら
ファンタジー
獣人ばかりの世界の主人公は、炎を使う人間の姿をした少年だった。 鳥人族の国、スカイルの孤児の施設で育てられた主人公、サン。彼は陽天流という剣術の師範であるハヤブサの獣人ファルに預けられ、剣術の修行に明け暮れていた。しかしある日、ライバルであるツバメの獣人スアロと手合わせをした際、獣の力を持たないサンは、敗北してしまう。 自信の才能のなさに落ち込みながらも、様々な人の励ましを経て、立ち直るサン。しかしそんなサンが施設に戻ったとき、獣人の獣の部位を売買するパーツ商人に、サンは施設の仲間を奪われてしまう。さらに、サンの事を待ち構えていたパーツ商人の一人、ハイエナのイエナに死にかけの重傷を負わされる。 傷だらけの身体を抱えながらも、みんなを守るために立ち上がり、母の形見のペンダントを握り締めるサン。するとその時、死んだはずの母がサンの前に現れ、彼の炎の力を呼び覚ますのだった。 炎の力で獣人だらけの世界を切り開く、痛快大長編異世界ファンタジーが、今ここに開幕する!!!

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

「聖女に丸投げ、いい加減やめません?」というと、それが発動条件でした。※シファルルート

ハル*
ファンタジー
コミュ障気味で、中学校では友達なんか出来なくて。 胸が苦しくなるようなこともあったけれど、今度こそ友達を作りたい! って思ってた。 いよいよ明日は高校の入学式だ! と校則がゆるめの高校ということで、思いきって金髪にカラコンデビューを果たしたばかりだったのに。 ――――気づけば異世界?  金髪&淡いピンクの瞳が、聖女の色だなんて知らないよ……。 自前じゃない髪の色に、カラコンゆえの瞳の色。 本当は聖女の色じゃないってバレたら、どうなるの? 勝手に聖女だからって持ち上げておいて、聖女のあたしを護ってくれる誰かはいないの? どこにも誰にも甘えられない環境で、くじけてしまいそうだよ。 まだ、たった15才なんだから。 ここに来てから支えてくれようとしているのか、困らせようとしているのかわかりにくい男の子もいるけれど、ひとまず聖女としてやれることやりつつ、髪色とカラコンについては後で……(ごにょごにょ)。 ――なんて思っていたら、頭頂部の髪が黒くなってきたのは、脱色後の髪が伸びたから…が理由じゃなくて、問題は別にあったなんて。 浄化の瞬間は、そう遠くはない。その時あたしは、どんな表情でどんな気持ちで浄化が出来るだろう。 召喚から浄化までの約3か月のこと。 見た目はニセモノな聖女と5人の(彼女に王子だと伝えられない)王子や王子じゃない彼らのお話です。 ※残酷と思われるシーンには、タイトルに※をつけてあります。 29話以降が、シファルルートの分岐になります。 29話までは、本編・ジークムントと同じ内容になりますことをご了承ください。 本編・ジークムントルートも連載中です。

異世界召喚に条件を付けたのに、女神様に呼ばれた

りゅう
ファンタジー
 異世界召喚。サラリーマンだって、そんな空想をする。  いや、さすがに大人なので空想する内容も大人だ。少年の心が残っていても、現実社会でもまれた人間はまた別の空想をするのだ。  その日の神岡龍二も、日々の生活から離れ異世界を想像して遊んでいるだけのハズだった。そこには何の問題もないハズだった。だが、そんなお気楽な日々は、この日が最後となってしまった。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

ダンジョン美食倶楽部

双葉 鳴|◉〻◉)
ファンタジー
長年レストランの下働きとして働いてきた本宝治洋一(30)は突如として現れた新オーナーの物言いにより、職を失った。 身寄りのない洋一は、飲み仲間の藤本要から「一緒にダンチューバーとして組まないか?」と誘われ、配信チャンネル【ダンジョン美食倶楽部】の料理担当兼荷物持ちを任される。 配信で明るみになる、洋一の隠された技能。 素材こそ低級モンスター、調味料も安物なのにその卓越した技術は見る者を虜にし、出来上がった料理はなんとも空腹感を促した。偶然居合わせた探索者に振る舞ったりしていくうちに【ダンジョン美食倶楽部】の名前は徐々に売れていく。 一方で洋一を追放したレストランは、SSSSランク探索者の轟美玲から「味が落ちた」と一蹴され、徐々に落ちぶれていった。 ※カクヨム様で先行公開中! ※2024年3月21で第一部完!

魔力無し転生者の最強異世界物語 ~なぜ、こうなる!!~

月見酒
ファンタジー
 俺の名前は鬼瓦仁(おにがわらじん)。どこにでもある普通の家庭で育ち、漫画、アニメ、ゲームが大好きな会社員。今年で32歳の俺は交通事故で死んだ。  そして気がつくと白い空間に居た。そこで創造の女神と名乗る女を怒らせてしまうが、どうにか幾つかのスキルを貰う事に成功した。  しかし転生した場所は高原でも野原でも森の中でもなく、なにも無い荒野のど真ん中に異世界転生していた。 「ここはどこだよ!」  夢であった異世界転生。無双してハーレム作って大富豪になって一生遊んで暮らせる!って思っていたのに荒野にとばされる始末。  あげくにステータスを見ると魔力は皆無。  仕方なくアイテムボックスを探ると入っていたのは何故か石ころだけ。 「え、なに、俺の所持品石ころだけなの? てか、なんで石ころ?」  それどころか、創造の女神ののせいで武器すら持てない始末。もうこれ詰んでね?最初からゲームオーバーじゃね?  それから五年後。  どうにか化物たちが群雄割拠する無人島から脱出することに成功した俺だったが、空腹で倒れてしまったところを一人の少女に助けてもらう。  魔力無し、チート能力無し、武器も使えない、だけど最強!!!  見た目は青年、中身はおっさんの自由気ままな物語が今、始まる! 「いや、俺はあの最低女神に直で文句を言いたいだけなんだが……」 ================================  月見酒です。  正直、タイトルがこれだ!ってのが思い付きません。なにか良いのがあれば感想に下さい。

魔王召喚 〜 召喚されし歴代最強 〜

四乃森 コオ
ファンタジー
勇者によって魔王が討伐されてから千年の時が経ち、人族と魔族による大規模な争いが無くなっていた。 それでも人々は魔族を恐れ、いつ自分たちの生活を壊しに侵攻してくるのかを心配し恐怖していた ───── 。 サーバイン戦闘専門学校にて日々魔法の研鑽を積んでいたスズネは、本日無事に卒業の日を迎えていた。 卒業式で行われる『召喚の儀』にて魔獣を召喚する予定だっのに、何がどうなったのか魔族を統べる魔王クロノを召喚してしまう。 訳も分からず契約してしまったスズネであったが、幼馴染みのミリア、性格に難ありの天才魔法師、身体の頑丈さだけが取り柄のドワーフ、見習い聖騎士などなどたくさんの仲間たちと共に冒険の日々を駆け抜けていく。 そして・・・スズネと魔王クロノ。 この二人の出逢いによって、世界を巻き込む運命の歯車がゆっくりと動き出す。 ■毎週月曜と金曜に更新予定です。

処理中です...