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17 ステーキ飽きた

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 鍵の開く音と共に薄暗い部屋に明かりがともり、世奈は夢うつつから現実に戻ってくる。動かなかった手足に力が入り、そっとソファーから起き上がると、ドアの前に、見慣れた人影を見つけて、自然と微笑んだ。
 それは、扉が無事開いたことによる安堵によるものか、愛しさを覚えてきた、彼の姿を見たからなのか。

「マティアス様、おかえりなさい」
 マティアスの前に移動して、笑いかけると、何時ものように彼は狼狽えて、視線を彷徨わせたのち、ぶっきらぼうに、答えてくれる。言葉は少なくても、彼の大きな体の後ろに見え隠れする尻尾が、不機嫌ではない事を教えてくれた。


「今日は何をつくるんだ?」
 相変わらず、監視するかのように、(監視しているんだろうけれど)世奈の後ろに張り付いて肩の上あたりから見下ろすマティアスは、山のように持ってきた食材と、世奈の手元を覗き込む。
 食事の準備を世奈がするようになって、すでに七日程が過ぎているが、食事の準備は彼が帰ってきてからになるので、時間のかかる煮込み料理などは作れない。
 焼くか、蒸すか、揚げるか。

 豚肉、牛肉や鶏肉は日本でも塊で売っていたので、こっちの世界でも似たような肉があることは解った。何の肉か聞いたけれど、馴染みのない名前だったので、牛肉もどきと言う事にしておく。
 連日焼いていた肉は、やはり牛肉に近いものだったのだけれども、今日準備してくれた肉はどうやら鶏肉に近いもののようだ。

「鶏肉かぁ・・・うーん、オーソドックスなら唐揚げだけど・・・」
 唐揚げは美味しいが、マティアスが食べる量を揚げるとなると膨大な時間がかかりそうだ。それに、野菜の付け合わせが、生のサラダだと、彼の食指がわかなそう。
 それよりも、世奈はステーキのようなこってりした味付けに飽きていた。いくら、ステーキの付け合わせを酢を効かせたさっぱりしたものにしていたとしても、連日連夜の厚切りステーキには飽きていた。
 だから、昨日の食事の時に世奈はマティアスにお願いしておいたのだ。
『明日はこの肉以外の種類のものをお願いします』と。
 ゆえに、鶏肉もどきはありがたかった。
 今日はステーキじゃないのだ。なんて贅沢な悩みだ。

 悩んだ末、世奈は使い慣れたトマトと、玉ねぎを使うことにして、マティアスに必要な野菜を持ってくるようにお願いして、自分は部屋に荷物を取りに行くことにした。

 クローゼットの中にあったものは、何も、衣類だけではなかった。
 アティーネが、荷物を運んでおくと言った通り、電化製品とまぁ普通に使用しないだろうなと、思うもの以外の物がそこにあった。
 それは、風呂場で使うグッズや、化粧品だけではなく、キッチンに置かれていた、食材も含まれる。味噌や醤油などの調味料。不思議なことに、足の速いナマモノは含まれていないのだから、これも不思議だ。その中には、米も入っていて、世奈はひそかに喜んだ。

 そんな食材をキッチンに運び、腕まくりをする。
 まずは米を研ぎ、鍋に水を張る。
 次に、大量の肉を一口大に切って、下味をつける。
 トマトと、玉ねぎを洗っているところで、マティアスがお願いしていた野菜を持って戻ってきた。

「言われていた野菜だ・・・・。これも食べるのか・・・?」
 嫌そうに差し出しながら、世奈が玉ねぎを切っていることに気が付いて、後ろに逃げる。
 どの野菜も、マティアスにとっては苦手なものだった。マティアスにとってはどの野菜も苦手でしかないのだけれど。

「離れていたら、監視できませんよ?ほら、もしかしたら、ナイフを振り回すかも・・・・」
 世奈が最後の言葉を小さく呟くと、マティアスは慌てて世奈の背後に立った。
「!!うわぁ!!目がっ!!」
 玉ねぎが目に染みて、思わず叫んだマティアスを、同じように目が染みて痛い世奈は涙を貯めながら笑って、振り返った。
 犬だから、玉ねぎは大丈夫なのかと、思ったけれど、彼ら獣人は玉ねぎもチョコレートも大丈夫らしい。ただ、玉ねぎを切った時に目が痛くなるのは人間も獣人も同じだと言う事に気が付いた。鼻が良い分、彼らの方がダメージは大きそうだけれど。



 ソワソワと、心配そうに、マティアスが世奈の後ろからフライパンの中身を覗き込む。
「いつもの、トマト煮とは違うんだな」
 鶏肉と、トマト、ナス、玉ねぎ、ズッキーニを炒めたものだ。トマトベースの酸味の強い味付けではなく、トマトは控えめに、和風で甘じょっぱくなるように醤油と砂糖で味を調えた。
 ふわふわのスクランブルエッグをトッピングして、皿に盛りつける。

「これはなんだ?」
 平皿にもりつけられた米に、マティアスは指をさす。
「お米と言う、私の国の主食だったものです」

「米?あの、麦のようなあれか?」
 どうやらこちらの世界にも米や麦があるらしい。
 パンが麦から作られていない事実を知っていたので、穀物類はないのかと思っていた。

 パンはパンノキという木があって、そこになるらしい。流石異世界だ、あのパンが木になるんだって。主に、バターロール、白パン、ベーグルが出来るのだそうだ。

「米や麦があるのに、パンは麦から作られていないんですね」
 素朴に疑問だ。確かに獣人たちは、いまだに、獣だったころの習慣が色濃く残っていると書かれていた。だから、衣食住のどれもが未熟なのは納得が出来る。衣や住はどうにかなっても、食の文化は、その地方に根付いたものが色濃く出るし、なかなか発展しないものでもある。
「あぁ・・・。麦は害蟲の被害にあいやすくて、生産量が安定しないから、あまり流通しないんだ」
 そこでなるほど納得した。けれど、麦も米もあるのならば、うどんも作れるのでは??と思ったが、世奈は料理好きだったわけでもないし、研究家でもないので、麺から手作りしたことなどない。もっぱら冷凍うどんにお世話になっていた。その気になれば、アティーネがくれた、紙版g●●gleで調べれば作り方ぐらいわかりそうだけれど。

「害虫ですか?」
「あぁ。害蟲だ」
「マティアス様の仕事の、国を護ったり、害虫駆除のあの、害虫?」
「あぁ」
 世奈の問いに言葉少ないが、マティアスが答えてくれる。

 狼族は建国当時から、武芸に長け、国を守ってきた。大陸が二つに分かれてからは、人間がジェントに侵攻してくることはないので、もっぱら他種族同士の小競り合いだとか、蟲人の害蟲化したものの駆除が仕事なのだと聞いた。
 聞いたところで、蟲人など見たことが無いので、想像もできないけれど。そもそも会話をしても無口なマティアスは、言葉が少ないので、半分も理解できないが、彼の仕事が、国の治安を守る為であるというのは、なんとなく理解した。

「蟲人かぁ・・・会いたくはないなぁ・・・」
 蝶ならいいけれど、蜘蛛や蜂、ましてやゴキ○○なんかは、見たくない。
 あの黒いやつなら、見た瞬間泣き叫ぶと思う。

 そこまで考えて、なんとなく、人間の獣人に対する気持ちが解った気がした。

 黒いあいつが、人間と同じ大きさで、人語を話していたら、そりゃぁ、泣き叫ぶと思う。
 だってあいつは、向こうの世界で、あの小さいサイズでも、出たら泣いたし叫んだし、飛んできたらもう、大パニックで大騒ぎだったもん。スリッパで抹殺した日には、そのスリッパはゴミ箱行きだったし、なんの悪いこともしてなくても、見かけただけで、殺虫剤振りまくりだっし、見かけただけで退治できなかったら、恐ろしくて夜もうかうか眠れないほどだった。

 なるほど、こちらの世界の人間にとって、獣人はゴキ○○と同系列だったというわけだ(違)。アレが人と同じ大きさで現れたら泣き叫ぶわ。
 それに、アレに食事出されも嫌だし、世話されるなんて死にたくなるかも。

 あ―――。でも、その獣人のマティアスは蟲人のゴキ○○を駆除してくれる人なんだから、良い人だ!(間違いない)
「害虫が出た時は、是非とも駆除をお願いします」
 人間と同じ大きさのゴキ○○なんて、退治できる気がしないので、マティアスが頼りだ。

 超絶期待の籠った目で、彼を見つめる。
「あぁ、当然だ」
 彼の言葉に、世奈は満面の笑みで喜んだ。その顔を見たマティアスは硬直して俯くけれど、それに反して、尻尾はゆらゆらと揺れているのは見逃さなかった。



 今日の料理を恐る恐る口に運んだマティアスだったが、ピンと耳を立てたかと思うと、次の肉をフォークに突き刺した。
 野菜も、気に入ってくれたようで、彼の皿に山のように盛られた肉と野菜は見る見る間に消えていった。
 米もはじめの一口では首をひねっていたけれど、肉に合うと分かると、鍋に炊いた米はあっという間になくなった。




 食事の後は、使ったものを片付けて、入浴するだけれど、食事が終わるころには、またもや、マティアスがソワソワしだす。


 どれだけ一人でも大丈夫だと、説得しても、「わかっている」と返事をするくせに、頑なに一人で入浴を許可してくれない。
 かといって、見張られるのも、恥ずかしくて耐えきれる自信はない。

 ―――だから。
 一緒にお風呂に入るのも三日も過ぎれば、慣れたものだ。けれど、私たちはお互い清い仲だ。
 そういう意味で触れたことは無い。
 勿論世奈がマティアスに触れるのも、邪な理由はない。ただ、そのふわふわの耳と尻尾を堪能したいがためだ。いうなれば、ペットを風呂に入れて丹念に洗ってやっているのだ。
 ―――そう思わないと、やってられない。

 だって、マティアスは良い身体なのだ。筋肉の程よく乗った所謂細マッチョと言うやつで、その上、金髪に氷のような目の眉目秀麗だ。
 自分がミーハーであるつもりはないけれど、男前を見れば、ドキドキするくらいの乙女心はあった。今まではそんなものに構っていられなかったけれど、今は抑制する人がいない分、自由にドキドキできる。とはいっても、自分が目にすることが出来る異性、以前に目にすることのできる獣人はマティアスしかいないのだけれど。
 そんな、マティアスを前に平常心でいるのは苦しくなってくる。
 気を抜けば心臓がどきどきする。相手は人間を嫌っている獣人で。世奈に多少は気を許してはくれている気もするけれど、決して世奈に憎悪を抱いているわけでもないし、寧ろきっと嫌いではないはず。

 だって・・・・

「今日はマティアス様に髪の毛洗ってもらおうかな」

 いつも通り、マティアスの体と髪を洗い、彼を湯船に押し込む前に冗談めいて、言ってみる。
 様子を窺うと、彼は明らかに動揺していた。

「そ、そんな事出来るわけないだろう!」
 明らかに不機嫌な声色のマティアスに、世奈は彼を見上げて少し寂しくなる。

「でも、いつも私が洗ってあげてるんだし、お返しに洗ってくれてもいいんじゃない?それに、私たちは婚約者なんだよね?別に、髪を洗いあうぐらい・・・・」
 婚約者なんだから、お互い触れあっても何ら問題はないハズ。もしかして、この世界では結婚するまで純潔でいるべきなのか?でも、彼らは獣人だ。アティーネの話によると、性に関しては割と奔放だと、聞いている。

「わ、私がお前に触れるわけがないだろう!!」

 怒りに硝子色の瞳を吊り上げて、声を荒げたかと思うと、ドアを乱暴に開けて出て行った。




 ―――そう、彼は世奈に触れない。
 世奈の事を聞こうとしない、踏み込んではこない。
 ただ、黙って世奈の話を聞き、受け入れるだけ。

 受け入れると言っても、本当に受け入れられているなら、きっと不満は出ないだろう。

 世奈が受け入れられているのは、夕方からの数時間と、この狭い部屋の中だけ。


 開いたままの浴室の扉の向こうから、この部屋の鍵がかかる音が、静かに響いた。



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