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第四章 二人だけの秘め事

4-1.夏の宴Ⅰ

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 エリアスの部屋まで送られた後、レイヤは床についたがろくに眠る事が出来なかった。
 大して眠っていないが、それでもやけに目が冴えている。レイヤは上掛けの下で丸くなり、昨晩の出来事を一つずつ思い返した。

 ──彼も同じ気持ちだと言ってくれた。自分を好いている……愛していると。沢山キスして愛情を確かめ合った。恥ずかしい事をして、今夜あの続きをしようと言われた。

 腹が立つ程に優しい笑顔にとろりとした熱をたたえた瞳や恍惚としたそうごう。少し荒い息づかい。連想するように昨晩の彼が次々と浮かび上がり、レイヤは全身が熱くなり、堪らず上掛けを蹴り飛ばして跳ね起きた。

(だめ、思い出しちゃう。続きって……あの続きって……)

 寝癖だらけの髪を掻き分けて、レイヤは唇をモゴモゴと動かした。
 あの続き……と、言う事は間違い無く交接だ。そこは安易に想像出来る。子供で作る気だろうか。しかし、自分達は旅人だ。身重になってしまえば、旅の不便は多くなる。果たして彼は何を考えているのか……困惑したレイヤはこめかみを揉む。
 そもそもあんな事をした翌日だ。どんな顔でエリアスに会ったら良いのか分からない。レイヤが大きなため息を吐き出したと同時だった。

「レイヤ、もう起きなさい。って珍しい。早起きね」

 こうもせずに部屋に入ってきたのはラウラだった。彼女は目を丸くしてレイヤを見つめる。

「……お、おはようおばさん」

 真っ赤な顔のまま言えば、ラウラは歩み寄るなりレイヤの額に手を当てる。だが、直ぐに手を離して神妙な顔をした。

「顔が真っ赤だから、熱でもあるのかと思ったら違うのね」

 よかったわ。と、心底安堵するように言われるので、レイヤは思わず苦笑いを浮かべてしまった。
 途端に思い出すのは、昨日の事だ。泣いた自分を宥めてくれた他、泣き疲れて眠った後、食事を運んでくれたのだ。ベッドサイドのテーブルに置かれた空の皿とコップを横目にしてレイヤはラウラに礼を述べた。

「おばさん。昨日はありがとう……サンドイッチもおいしかった」

 しかしラウラは首をゆるゆると横に振るう。

「当たり前の事よ。可愛い娘が悩んでるんですもの。それよりレイヤ、昨日お風呂に入っていないでしょう? 髪のは寝癖だらけだし……お湯は溜めておいたから着替えの前にさっとお風呂に入っちゃいなさい」

 そう促されてレイヤはラウラと共に部屋を後した。
 しかし娘と──その言葉は胸をジンと熱くする。まるで母親みたいだとはよく思っていたが素直に嬉しかった。「ありがとう」とレイヤが前触れも無く言うと、ラウラは何も言わず、レイヤの寝癖だらけの髪を撫でた。
 それからいくばくか。湯浴みを済ませたレイヤは部屋に戻ってきた。

 戻って早々に目に入ったものは、壁に掛けられた濃紺のカンサリスプクと愛らしい小花が襟元に沢山刺繍されたブラウスだ。カンサリスプクにも細やかな刺繍が施されている。しかしいつも以上にどこか豪奢に見えるのは上質な金糸をふんだんに使われているからだろうか。差し込む朝の陽光にキラキラと輝いて見えて、レイヤは思わず息を飲んだ。これまで着ていたものとは違い格段な上質さだ。レイヤは何度も目をしばたたいた後、ラウラを見た。

「さ、レイヤ。今日は夏至祭だからね。これに着替えてちょうだい」

 おめかしするのよ。と少し悪戯気にラウラはウィンクする。

「私が……これに?」

 こんな上等なものを本当に良いのだろうか。と、思いつつラウラを見ると、彼女は深く頷いた。

「新しく縫ったもの以外、今までの服も幾つはそうだけど。あなたが、あの子と背格好が同じくらいだったから……きっと丁度良い丈だと思うわ」

「あの子?」

 レイヤは復唱して首を傾げた。

「……ずっと言う機会も無かったけど、血の繋がった娘よ。十年近くも昔の事だけど、レイヤと歳は同じくらい。それに体格も少し似ていてレイヤよりは少し大きいけど……比較的小柄な子だったわ。十六歳で天国に旅立ったの」

 ラウラは穏やかに言うが、レイヤは言葉を失った。

 天国……即ち、この世界のどこにもいない。つまり、死んでしまったと。あまりに悲しい事実を知り、レイヤは言葉も出せぬまま唖然としてラウラを見上げた。
 遺品だ。どうしてそんな大切な物を赤の他人に着せるのか。「なんで……」と、思わず口に出してしまった事を後悔するが、ラウラは依然として穏やかなおもてでレイヤを見下ろしていた。

「娘は戦で死んだわ。元々ね、集落の人の殆どはノキアンの都市部に住んでいたけれど、戦火で家を失ってね。逃げる最中に助け合って親しくなって、ここに辿り着いて皆で暮らしてるのよ。皆似たような境遇ね……。勿論娘や息子が存命で離れて暮らしている人だっているけれど、殆どが娘や息子を亡くしているわ。戦時中のノキアンは戦力になりそうな若い男は殆どが徴兵されたのもあるけれど、若い娘の多くは医療班として出されてたのよ。娘もそうだったわ、兵隊さん達の看護を行っていたの」

 随分長い滞在になったが、この集落の人達にそんな事情があったとは知りもしなかった。レイヤは苦虫でも噛みつぶしたように、沈痛な表情を浮かべた。

「……私なんかが、そんな大事なものを」

 壁に掛けられたカンサリスプクを一瞥して言えば、ラウラは首を横に振るう。

「娘はとても心の優しい子だったわ。兵隊さんの看護に行く事を誇らしいと言ったの。自分が役に立てたら本望だって。きっと、ここにいたらレイヤの事を本当の妹のように可愛がって見てくれるんじゃないかと思うわ」

 優しく肩を撫でられるが、それでもいたたまれない罪悪感ばかりが押し寄せた。レイヤが俯いてしまえば、ラウラは困ったように一つ息をつく。

「レイヤ顔を上げてちょうだい。服を着てくれるのはあの子だって喜んでくれる筈だわ。だって私はその服の持ち主の母親ですもの。あの子の反応なんて手に取るように分かるわよ?」

「でも……」

 流石に悪いと切り出そうとするが、ラウラが話し出す方が早かった。

「〝でも〟じゃないわ。あの子は確かにもう居ないけれど、いつだって空から見守ってくれているわよ? 勿論、あなたの事もね? もしかすると、あなたとエリアスに出逢えた事は、あの子からの贈り物のような気だってしたわ」

 ラウラに言われた言葉は嬉しく思う。しかし、それでも悪いという気持ちが抜けきらず、レイヤが呆然としていれば、ラウラは壁に掛けたブラウスを外して、レイヤに袖を通すように促した。しかし、厚意ならば素直に受け入れるべきだろう。

「……ごめんなさい。ありがとう、ラウラおばさん」

 戸惑いつつ言えば、ラウラはぱっと優しい笑みを向けた。

「何を言ってるのよレイヤ。血は繋がらなくとも、あなたも私の可愛い娘には違いないわよ?」

 そんな風に言われてしまうと、心の底がムズ痒いもののとてつもなく温かい。

「おばさん、本当にありがとう」

 泣きそうになってしまうのを堪えて、レイヤはラウラに柔らかく微笑んだ。
 それからいくばくか。着替え終えたレイヤは姿見で自身を確認する。

「ほら、やっぱりよく似合うわ」

 姿見の中でラウラが満足そうに言うが、途端に何かを思い出したのか「あっ」と声を上げて、レイヤを覗き見る。

「そうよ。それはそうとレイヤ……あなたエリアスとは話をしたのよね?」

 その質問にレイヤは、たちまち顔を赤らめて唇をモゴモゴと動かす。
 何と答えて良いか分からない。流石に恥ずかしくて昨晩の話を全部出来そうにも無いが……黙って頷くと、ラウラは嬉しそうに唇を綻ばせた

「エリアス今朝はご機嫌だったもの」

 少し悪戯気にラウラに言われて、レイヤの頬には更に朱が帯びた。

「……ちゃんと言ったよ、怒ってなかった」

 流石に沢山キスをしただとか、少し恥ずかしい事をしただとか……そんな事は言えないが、結論だけ言うと、ラウラはクスクスと笑い声を溢す。

「あらあら……それはご馳走様。良かったわ、あなたが幸せならば私も嬉しいわ」

 ラウラに頬を突かれて言われたものだから、尚更恥ずかしく思えてレイヤは俯いてしまった。


 
 エリアスとモーゼフは早朝から櫓の最終確認に湖に向かったそうで既に家に居なかった。
 朝食はラウラと二人きり。軽い朝食を済ませ、バスケットにパンや焼き菓子や蜂蜜酒を入れて、二人は湖へ向かった。
 濃い緑の香る森の中を歩み、ほどなくして湖に辿り着く。

 そこは昨日以上の賑やかさで、集落の人達が既に集まっていた。否、それだけではなくエリアスでないぎんゆうじんの姿も幾人かある。

「毎年祝祭になると、どこからともなく来てくれるのよ。本当ににそっくりな服装よね?」

 ラウラは悪戯気に言って、レイヤと顔を見合わせるなり戯けたように笑ってみせる。
 しかし、集落で見ない姿はその他にもあった。中にはエリアスと歳も変わらないであろう女性や男性の姿もある。恐らく、先程ラウラの言っていた〝離れて暮らす娘や息子〟とおぼしい。中には、未だヨチヨチ歩きな幼児もいる。
 人も多く、思ったよりも賑やかで驚いてしまった。レイヤは辺りを見渡して呆気に取られてしまう。

 ──夏至の祝祭なんて、大抵同じだろうと思っていたが、永久凍土ツンドラとは格段に華やかさが違った。また、賑やかさにおいても全くの別物だ。
 永久凍土ツンドラでは〝踊る〟と言っても、若い娘達が短剣や槍を振り回しながら、狩りや戦の歌を歌いながら飛び跳ね踊る。しかしここでは男女が手を取り合って踊っているのだ。その様は、とてつもなく優雅なものにレイヤに映った。

「櫓には夜に火をつけて、炎が燃え尽きる朝まで見守るのよ。昼間はこうやって踊ったり歌ったり、世間話に花を咲かせたりしているわ」

 ラウラがレイヤにこの地の祝祭を軽く説明している最中だった。

「おはよう。ラウラ、イヤちゃん夏至祭おめでとう」

 背後から響く声に二人同時に振り向けば、そこには向かいの家の婦人がいた。

「あらおめでとう」

「おばさんおめでとう」

 レイヤはラウラに倣ってスカートの裾を摘まんでお辞儀をする。
 顔を上げたと同時だった。婦人は手に持っていた花冠をレイヤの頭にふんわりと乗せた。

「……ん?」

 訳が分からずレイヤが首を傾げて婦人を見れば、彼女はにこやかな笑みをレイヤに向ける。

「レイヤちゃんにはエリアス君がいるけど未婚だからね。年頃で未婚の女の子は花冠をつけるのよ?」

 エリアス。と言われて、たちまちレイヤが頬を染めると、ラウラと婦人は顔を見合わせてクスクスと笑む。

「レイヤ、とっても可愛らしいわよ? まるで森のお姫様みたいよ?」

 ラウラにそう言われると、妙に腹の底がムズ痒い。しかし、何と答えて良いか分からぬもので、眉をひそめていると向かいの家の婦人に眉間を突かれた。

「こらこら。そんな険しい顔しちゃダメよ。さぁさ、レイヤちゃんの王子様の所に連れて行かないとね?」

「ちょ、ちょっと待ってよおばさん!」

 思わずレイヤは悲鳴を漏らした。
 エリアスとは昨晩から会っていない。未だにどんな顔で彼に会えば良いのか、心の準備も出来ていなかった。レイヤはラウラに助け船を縋るように見つめるが、彼女はひらひらと手を振るだけ。『行ってらっしゃい』なんて明るい調子で言われてしまったものだから、レイヤは途方に暮れた。

(ちょ、ちょっと……未だ恥ずかしい……!)

 心の中で叫ぶものの、婦人は容赦無くズルズルとレイヤを引き摺って行く。辿り着いた先は櫓の向こう側だ。

「いたいた! エリアス君! 連れて来たわよ!」

 腕を引く婦人がエリアスを見つけたのか嬉しそうに大声を出す。肩の向こう側に灰金髪が映った途端、レイヤは咄嗟に婦人の背の裏で縮こまって姿を隠した。

「おや?」

 聞き慣れた掠れた声が聞こえるだけで心臓が早鐘を打つ。レイヤは俯き、目を白黒とさせた。

「エリアス君! ちょっと来てちょうだい! 今日のレイヤちゃんはとっても可愛いわよ! ……って、あれ。レイヤちゃん、どうしたの?」

 もうやめてくれと言わんばかりに、レイヤは婦人の背後にぺったりと張り付いた。顔が熱くてどうにかなってしまいそうだった。羞恥にプルプルと身が震え上がり、とてもでなく彼の顔を見られそうに無い。だが、彼は「おやおや」と言うだけで普段と至って変わらぬ調子だった。

「おはようレイヤ。さて、可愛い姿を見せてくれないかい?」

 心臓に悪い甘い声が耳元にかかる。おずおずとレイヤが顔を上げた途端、彼の極光オーロラに似た瞳と視線が交わり、レイヤは息を飲む。
 やんわりと手を剥がされて、途端に身がふわりと浮く感覚がした。抱き上げられている。そう気付くのは直ぐだが、こうも間近に彼の整った顔が映る事に驚いたレイヤはあわあわと唇を動かした。

「ああ、本当だ。いつも可愛いけど、今日は格別に可愛いね」

 まるで、森の姫君のよう。と──彼は婦人と同じ事を言って、レイヤの頬に唇に触れるだけの口付けを落とす。すると、周囲からは「あらあら」「お熱いこと」と、茶化しと一緒に口笛が入り交ざる。
 こんなに大勢の人に囲まれている前で、恥ずかしくて仕方ない。首まで顔を真っ赤に染めたレイヤはエリアスを恨めしそうに睨むが、眩しい程の笑顔を返された。やはり腹が立つ程綺麗な笑顔だと思ってしまう。しかし、それが何よりも愛しいと思えてしまう。無言で彼の首に抱きつけば、〝よしよし〟と言わんばかりに宥めるように彼に背を摩られた。

「しかし、昨日櫓から飛び降りたレイヤちゃんにはびっくりしたよ」

「兄ちゃんこれ、確実にフられたかと思ったが……良かったよ本当に」

 散々口笛を吹いていた男達が、途端にそんな事を言うものだから、レイヤはいぶかしげな顔をしてエリアスを見下ろす。すると、彼は少しばかり気恥ずかしそうに眉を寄せた。

「え、ええ……皆さんのお陰で……」

 少し照れたように彼は言うが、レイヤは事を理解出来ず、更に眉を寄せた。

(……お陰?)

 レイヤは不審に思って彼を見下ろす。エリアスは少し気まずそうに抱き上げたレイヤを見上げた。

「ああ、昨日のね……。君が昼食を運ぶ事も、櫓に登って二人きりになる事も全部、集落の皆さんが仕組んだ事だったんだ。君にこの件を切り出す勇気が無くて、なんというか……背中を押してもらったんだよね」

「え?」

 どういうことか。レイヤは目をしばたたいてエリアスを見下ろすと、彼の頬は次第に赤く色付き始めた。
 ……と、いう事は、昨日の全ては集落の総出で仕掛けていた事だったのか。知らなかったのは自分だけ。そう思うと、腹立たしさも覚えるが、どこか嬉しいような、恥ずかしいような複雑な気持ちが交差する。

「……囲んで突いてみりゃ、兄ちゃんは嬢ちゃんを嫁にしたい程好きって言うからよぉ」

 もどかしいったらありゃしない。とモーゼフにやれやれと首を振られて、レイヤは唇をポカンと開けてしまった。

「そうそう、男ならそこは白黒つけてはっきり言えって言ったんだよ? レイヤちゃんには前に伝えたらしいが、そんなんじゃ伝わるわけねぇってダメ出しのお節介焼いたのさ」

「そうそう。昨日の前夜祭で、フられた兄ちゃんのヤケ酒に付き合わされたんだぜ? 兄ちゃん酒強いから恐ろしいの何の。こっちは祝祭前に二日酔いだ」

 男達は口々に言い始めれば、エリアスの頬はいたたまれない程に紅潮してしまった。次第に、赤みは耳まで届き、彼は居心地悪そうに目を泳がせる。
 その様子を見かねたのだろうか。ラウラがのしのしと近付きつつ、手を叩いて注目を集める。

「はいはい、みんな! その話はそこまでにしましょうね!」

「おいおい、母ちゃんが一番兄ちゃんの尻を引っ叩いていただろう? まるで袋の鼠みたいに〝責任を取れるか〟って散々に突っつき回して、頑張って伝えろって言ってたじゃないかい」

 エリアスの側に立つモーゼフは、呆れたような口調でラウラに言うが「あれは、エリアスがカビでも生えそうなくらいウジウジ悩んでたらよ!」と一蹴りする。

 ……つまり、彼も彼で散々悩んでいたのだろう。そう理解して、レイヤは何だか滑稽に思える反面途方も無く愛おしく思えてしまい、レイヤはエリアスの灰金髪をやわやわと撫でてみた。

「エリアスでも悩む事ってあるんだね」

 思わず言ってしまうと、彼は真っ赤に染まった顔を向けて心底困ったような顔をする。

「……こんなに思い悩んだのは生まれて初めてだよ。それだけ君を愛してるって事」

 もういっそ開き直って、もっと恥ずかしい目に遭おうか。と続け様に言われて、レイヤが首を傾げたのも束の間──唇に柔らかく温かな感触を覚えた。それと同時に周囲からドッと歓声と口笛が響き渡った。
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