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第二章 白き夏の始まり

2-2.甘みと苛立ち

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 夕飯を済ませて二人は焚き火にくべる枯れ枝集めをした後、就寝準備をした。
 野宿は当然のように湯浴みが出来ない。なので、ハーブで沸かした湯に浸したリネンで身体を拭くだけだ。
 レイヤは茂みの奥で衣類を脱いで身体を拭く。温かくて心地良く思うが、リネンが冷え始めるは存外早かった。それに、夜の帳が完全に落ちてしまうと空気が凜として冷たい。底冷えという程の寒さでは無いが、身を擽る風が冷たく感じるもので、レイヤは直ぐにサラファンを着直した。

 天幕テントに戻ると既に毛布が二つ敷かれており、中でエリアスは手招きする。

「……見ての通り僕の家は狭いもんで……窮屈かもしれないけどごめんね」

 戯けつつも申し訳無さそうに言われて、レイヤは首を横に振った。
 散々同じ床で寝ているのだ。流石にもう慣れている。その距離が遠かれ近かれ変わらない。何一つ問題無いだろう。レイヤは毛布を持ち上げ中に潜り込むと彼も同じように毛布の中で横になる。

 ……確かに言われた通りだ。仰向けになれば肩と肩が触れ合い、これは狭い。レイヤは横寝になると、同じ事を思ったのか彼も横寝になっていた。
 外で燃える焚き火のお陰か、天幕テントの中が仄かに明るい所為で彼の顔が朧気に見えるが、近すぎた。驚いてしまい、レイヤが瞼を伏せると彼はクスクスと笑った。

「森を抜けたら一回り大きい天幕テントに新調するよ」

 これは手の置き場にも困ると、やれやれといった調子で彼は言う。

「別に触ったって怒らない。仕方ないじゃん」

 そもそも彼は一人旅をしてきたのだ。後に一人加わるなど視野に入れていなかっただろうから。そう告げると、彼は一言礼を述べて、レイヤの腰に腕を回した。
 ……良いとは言ったが。まさか腰を抱かれるとは。何だか恥ずかしくなってきた。レイヤは頬が熱くなる事を感じて、彼と視線を合わせないようにした。片や彼は、特に気にしていない様子で穏やかなそうごうを向けている。

「しかし、今日は嬉しいなぁ。レイヤが沢山話してくれたし。今まで旅をしてきて、こんなに心強かったのも初めてだよ」

 優しい声色で語りかけられて、レイヤはおずおずと彼に目をやった。

「……私、喋った方がいいの?」

「そうだね、君はかれた事しか話さないくらいに無口だからね。一切の無駄が無いというのか……。だけど、旅人の僕からすると君から学べる事って多いって思うんだ。今日の獣害対策の事とかね、勉強になるよ。だから、君の持つ知識を沢山教えて欲しいし、どうでもいいような些細な事でも話してくれたら嬉しいなって思うよ」

「──そうなんだ」

 彼がそう思っていたなんて分からなかった。初めこそ面倒だと思ったが、別に彼の事は嫌いで無い。話すのが苦痛とは思わない。ただ、甘ったるい言葉をかけなければだけの話だが……。
 しかし、些細な事を喋れと言われても、自分から語りかける話題など何一つ見当たらない。

 身の上なんて今となっては、悲しい過去の物語。それも三年前に戦は終わっていたらしい。どんなに望もうが願おうが、言葉にしたって過去は戻らない。
 果たして、何か〝どうでも良い話〟はあるか……レイヤは思考を巡らせた。
 だが、存外見当たるのは直ぐだった。

 ──ソルヤナの事もそうだ。何せ彼はソルヤナ人だ。そこはどんな場所なのだろうか。それに、旅人というくらいならば、彼は今までどんな場所を歩いたのか。冒険譚のような話でもあるのか。レイヤは初めてエリアスに感心を抱き、ジッと彼を見つめた。

「ちょっと気になる事はある。エリアスって今までどんな場所を旅して来たの?」

「そうだねぇ……戦が終わった年で、僕が二十の頃からだから、三年くらいほっつき歩いて色んな国を渡り歩いてるよ」

「たとえば?」

 何か珍しい事はあったのか。圧巻の景色があったのか。次第に興味が深くなり、レイヤは続きを催促した。

「じゃあ一番衝撃だった場所の話でもしようか。一番驚いたのは南の大陸だね。カスディールって砂漠の国に渡った事かな。永久凍土ツンドラとは真逆。とてつもなく暑いんだ。だけど夜になると、雪でも降るんじゃないかって程に冷え込むもんでね。レイヤは砂漠って分かるかな?」

 分からない。レイヤは首を横に振る。

永久凍土ツンドラって冬は雪や氷に閉ざされてて、夏は草が茂ってるだろう? あんなかんじの広大な大地……それが全て細やかな砂だと想像してみて。夕日に色付く砂丘は真っ赤に染まるんだ」

 レイヤは赤く色付く砂の大地を想像した。想像するだけで引き込まれるような美しさだ。しかし暑い国なのに、夜は底冷えすると……。

「そんな厳しい場所に人って本当に住んでるの?」

 けば彼は大きく頷く。

「国が築かれるくらいなんだから勿論いるさ。だけどね、貧富の差が激しい所為で盗みをして生計を立てる〝盗賊〟っていう無粋なやからも多いんだ。治安は決して良くないけど、人々は支え合って生きている。それにね、フリージアの星の巫女のように神秘の力を持った人達がいるんだよ。まじないを行う〝呪術師〟や占術を行う〝占術師〟もいるんだ。だけど、ここでは、星の巫女のように尊きものとはされていないね。ましてや、それで商売をしていたりだとか」

 同じ力を持つでも違う。まさかそれを商いにしているとは。レイヤが驚くと、エリアスは関連した話をしてくれた。

 現在ソルヤナの領土になった亡国エスピリアの下には、ヴァレンウルムという王国があるそうだ。
 その国にもフリージアの巫女同等の、神秘の加護を持つ者が存在する。だが、ここでも巫女とは呼ばれず〝魔女〟と呼ばれるそうだ。ましてやこの国での処遇は、いくら良き行いをしようが、非常に気味悪がられるらしい。それから、南部の森には狼憑き……所謂〝人狼〟がいる他、父なる川と称される大河には船乗りの男を美しい歌で惑わす、〝ローレライ〟と呼ばれる、長い金髪を持つ美しい怪物の女がいる噂など……。エリアスは様々な面白い話をしてくれた。レイヤはそれを夢中になって聞き入っていた。

「海の向こうには様々な世界が広がっているよ」                           

 それを目にする事は何もかもが新鮮で、人と話す事で知る事も沢山ある。些細な悩みなんてちっぽけに思えてくる。旅は良い──と、感慨深くエリアスが言うものだから、レイヤはこれまでの彼の話をはんすうした。

 確かにそうだ。話を聞くだけでも心が躍る。それに、「海」という言葉が妙にジン……と胸に染みこんだ。

「海……」

 レイヤは、しっかりと海を見た事が無い。移住をした際に、遙か北の海沿いへ行った事があるが、冬の海は沖の方まで凍り付いていて、まるで陸が続いているようだった。だから海というものが、なかなか想像出来ない。

「君たちフリージアは狩り場を探す為に永久凍土ツンドラを移住する民だった筈だけど、海に行った事は無いの?」

 エリアスにかれてレイヤは曖昧に頷いた。

「凍っててよく分からなかった」

 最もの感想を言うと、途端にエリアスは吹き出すように笑い声を上げる。

「君の答えは、いつも斬新で傑作だよ」

「それってどういう意味?」

 褒められているのか貶されているのかは分からない。思った事を思ったままに言った筈なのに、こうも笑われると何だか苛立ってきた。レイヤはいぶかしげにエリアスを睨むが、彼は「違う違う」と首を横に振る。

「悪い意味じゃないよ。いつも言葉が素直で可愛いなって思うんだ」

 ──また、可愛いなんて言われた……。
 しかし、自分のどこが可愛いのか分からない。それなのに、途端にジンと胸の奥が熱くなるのを感じてレイヤは目を細める。

 そもそもだ。〝可愛い〟の定義がよく分からない。『馴鹿トナカイの幼獣は真っ白な毛並みに小さくて可愛い』とレイヤも思うが、自分は人だ。まして戦士として育てられたのだ。

(……どこが可愛いの)

 彼の感性は明らかにおかしいだろう。心の中で独りごちて、レイヤはいぶかしげにエリアスを見据える。

「さて、話を戻そう。海か……」

 そもそも話を脱線させたのは誰だ。そう言いたいが、レイヤは黙って続きの言葉を待った。

「……ソルヤナに戻る時は、次の国──ノキアンの港から船で行こう。そうすれば、海を見る事だって出来るからね。話を聞いていたら、君に海を見せたくなったよ」

 エリアスの言葉にレイヤは、目を輝かせた。見た事も無い憧れを抱いていたものが見る事が出来る。そう思うだけで、とてつもなく幸せな気持ちに満たされた。

「本当?」

「ああ本当さ。楽しみにしておいてね」

 そういった後、エリアスはレイヤを抱き直した。しかし今度は片手でなく両手で包み込まれるよう──抱擁と変わらなかった。

「……なに」

 レイヤがエリアスに顔を向けると、唇と唇が触れ合ってしまいそうな程近くに彼の顔が映る。
 その瞳は穏やかな色をたたえており、ジッとレイヤを射貫いていた。相変わらずに優しい顔立ちだ。しかし、買われた初夜のよう……瞳の奥にはどこか官能的な色を含んでいるように映ってしまいった。

「夏が近くなったとは言え、夜の森は寒いからね。君は温かいから暖を取らせて」

 そう言われて、レイヤは胸を撫で下ろす。しかし──

「厭らしい事されると心配しちゃった?」と、エリアスはしれっと言うものだからレイヤはあわあわと唇を動かす。

「図星?」

 エリアスは悪戯っぽく言う。しかしそれだけで、からかわれたのだと理解出来てしまう。

「エリアスは、私をそういう対象に見ていない筈でしょ。可愛いだのなんだの、いつもいつもそうやって私をからかって──」

 最低! とピシャリと言うが、それでも彼は全く動じもせず、凪いだ顔立ちのままレイヤを見つめていた。

「……本気でそう思っているの? 君を僕の花嫁に迎えたいって言ったの覚えてるよね。僕だって男だし、無垢な君がこんなに近くで床を共にしてれば欲情だってするよ。君が望むまで我慢しているって……察してなかったの?」

 真摯な視線を向けて、真面目に言われるものだから、レイヤは唖然としてしまった。
 しかし、やはり信じる事など出来ない。むしろ、関係を持つ事を望んでいると、真面目に言われても、どう反応して良いかも分からない。
 困窮の果てにレイヤは寝返りを打って彼に背を向けた。

「どうしたの?」

「寝るの……」

 愛想無く言えば、おやすみと甘やかに囁かれた。
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