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序章

宿命の崩落

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 冷ややかな月明かりの差し込む真夜中の針葉樹林タイガに、列をなして馬車が走る。
 鬱蒼と草の生い茂る道を進む馬車の荷台は、ゴトゴトと酷く横揺れしていた。

 雪解けの春とは言え、夜ともなれば空気は刺すように冷たい。息を吐けば白く、指先は悴み耳が痛くなる程の冬と変わらぬ底冷えだった。
 素足を晒した足首に括り付けられたものは、銀の枷。そこに出来た真新しい擦り傷が刺すように痛み、レイヤは水紅色ときいろの唇を拉げて、悴む指先で枷の鎖を強く引っ張っていた。

 ──誇り高き戦士になる筈の自分に、このような辱めがあってたまるか。どうしてこんな目に遭わねばならない。はらわたが煮えそうな怒りで頭の血管がはち切れそうだった。その反面、心のどこかで不安と戸惑いが滞り、アイスブルーの瞳がかすかに揺れる。 
 腹立たしくて、悔しくて、悲しくて……泣きそうだった。しかし、泣いてはならない。レイヤ唇を強く噛んで涙を堪えた。

『戦士たる者、涙を流してはならないよ。涙を流すのは”星の巫女”の役目。涙を流せばげつこうの血潮が穢れてしまうからね』

 幼少の頃から老人達に喧しい程に言われてきた言葉を思い出し、レイヤは獣のように毛髪を逆立てて荒い息を吐く。すると滲みかけた涙は次第に引っ込んでいった。

 戦士になる筈だったレイヤには、泣く権利が無かった。

 だが、現状は同族は滅びたも同然だ。
 故郷も無ければ、民を仕切る老人ももう居ない。咎める者も誰も居ない今ならば、この教えに従わなくても良い気もした。とはいえ習性か──おおよそ十六年もの間、口煩く言われてきた事を今日という今日で破るなんて出来そうに無かった。何より、未だ今現在の状況を信じたくもないし理解が追い付いていない。

 ……崩落の始まりは数日前に遡る。

 突如として、永久凍土ツンドラに馬に乗った軍服姿の男達がやって来た。見るからに針葉樹林タイガの向こう──外の人達だった。彼らは、自分達を見つけるなりに怒号を上げ、手当たり次第に女や赤ん坊を捕らえた。

 若者は本当の戦士となるまで、永久凍土ツンドラから出やしない。外の人間の事なんてろくに知らぬもので、何を言われているかもよく分からなかった。

 当たり前のように大騒ぎだ。若い男は槍を振り回し、女は弓を引き、短剣を抜いて無法者達を必死に追い返そうとした。そうして、悶着するうちに、誰かが人を刺し殺してしまっただろう。人が落馬し、馬だけが走り去って行くのが見えた。

 それに怒ったのだろうか。奴らはとんでもないものを使ったのだ。

 ただの小さな筒状のものではあるが──それが乾いた音を上げると、標的になった者が血を流して倒れ、挙げ句に息絶えたのだ。
 その餌食になったのは、血気盛んな若い男や赤ん坊を奪われた女達……それから老人と、十人以上が帰らぬ人となった。
 こんな意味の分からないものに勝てる筈も無いと思った。抵抗すれば殺される。それが分かって誰もが得物を置いて、無抵抗を示した。

 そうして身体の自由を奪われて、一夜野ざらしで夜を明かした後、幾台もの馬車がやって来た。それに乗せられるのはレイヤを含めた若い女達や子供に赤ん坊だけ。
 馬車に押し込まれた後、幾度も幾度も乾いた音が聞こえたのだから、きっと残った男や老人は殺されてしまったのだと嫌でも理解出来た。
 馬車の中はどよめいた。出せと、何をしたと。女達は皆金切り声を上げて怒り散らした。だが、その訴えも虚しく馬車は動き始めてしまった。

(あれから二日……)

 飲まず食わずで、こうして馬車に揺られているが、車内は非常に静かだった。レイヤは足枷を外すのをようやく諦めて、車内を眺める。
 馬車の天井は存外高い。天井に窓が付いているお陰で、月明かりが入り込み、何となくだが、空間を一望出来た。

 自分と一緒に押し込まれたのは同い年の少女ヘレナ。それから、小さな子供が二人。子供達は疲れ切って眠っているが、ヘレナは何やら天井の窓をジッと眺めていた。レイヤも同じようにそれを眺める。窓は僅かだが、圧巻の星空が木々の合間から覗いており、とてつもなく美しい夜空だった。
 ヘレナは星の巫女だ。狩り場を占ってくれる他、天気などを占う。それも百発百中で──彼女は民にとって何より尊い存在だった。

「何してるの?」

 興味本位でくと、ヘレナはニコリと笑んで唇の前で指を立てる。彼女が目を送った先には身を寄せ合って眠る子供達。つまり起こさないように、静かにと……。
 意図を汲み取ったレイヤは口をつぐんで、再び星を眺め始めた彼女をジッと見つめた。

 同じ十六歳。幼馴染みの間柄だが、剣も弓も握った事も無い彼女はレイヤから見てもため息が出そうな程に美しかった。

 乙女──それこそが、まさに彼女に相応しい言葉だろう。

 長く艶やかな白金髪をたとえるなら、月の光を紡いで出来たかのよう。他の娘に比べようにならない程の上質な美しさをたたえている。胸もしっかりと膨らんでいて、顔立ちだって甘やかで愛らしい。フリージアの少年達は誰もがヘレナに憧れを抱いていた。

 同じ女、同じ年齢だとしても戦士のレイヤと巫女のへレナは雲泥の差だった。

 それはもう、口煩い程にレイヤは老人達に「乙女ならば髪を伸ばせ」と言われていた。しかし、長い髪は如何いかんせん面倒だ。髪を乾かすにも時間が掛かる。それに、狩猟の際や鍛錬に短剣を振るう上でとてつもなく邪魔だった。だから、髪が長くなれば自分の得物で切ってしまう程。長さなんて丁度肩ほど。その上、バラバラの毛先は自由奔放にピンピンと外に向かって跳ねており、柔らかい毛質故に寝癖も非常に付きやすい。
 雲泥の差はその他にも。レイヤの胸の膨らみは皆無に等しかった。ほんの僅かに膨らんでいる程度だ。おまけに、歳の割に背丈も低く四肢は筋張っていて肉付きが悪い。その様ときたら、乙女なんて言葉は無縁に違いないとレイヤ本人も思う程だった。
 巫女のヘレナが美しいのは分かる。けれど、戦士になる自分が美しくある意味は全く無かったのだ。彼女は彼女、自分は自分。当然のように、美しい彼女に羨望を覚えた事は無い。しかし、故郷を無くした今ならばほんの少しだけ彼女が羨ましいと思えてしまった。

 きっと、これから身を売られるのだろうと予測出来たからだ。

 美しいヘレナならば、ある程度大事に扱われるに違わない。だが、色気も無い自分ときたら……きっと家畜同等に扱われ、短い一生涯を終えるだろうと容易く想像出来る。

(爺さんや婆さんに言われた通り、髪くらい伸ばせば良かったかも……)

 レイヤは襟足の毛髪を指に巻き付け遊びつつ、ヘレナを恨めしいそうに眺めてため息を溢す。
 それから間もなくして、ヘレナは一つ息をついた後、レイヤの方を向いた。

「レイヤ、貴女この先とても幸せになるわよ」

 唐突に言われた言葉にレイヤは目をしばたたく。
 ……何を熱心に星の導きを聞いていたのかと思えば、まさか自分の事を聞いていたなんて思いもしなかった。しかしどうして。レイヤは小首を傾げれば、ヘレナはクスクスと笑んで、ふっくらとした唇を開く。

「貴女は、身を焦がす程の恋をするわ」

 ヘレナの言葉にレイヤは固まってしまった。
 これから家畜か奴隷同等に扱われると思うのに、なぜに恋。レイヤはいぶかしげに彼女を見た。
 確かに、女である以上は子を産む事が普通だ。だが、その過程に色恋沙汰は皆無に等しい。それがフリージアでは当たり前だ。

 レイヤだって二年程前から子供を作れる大人の身体になった。初潮が来て直ぐの妊娠は危険らしい。だから数年経て……この夏にでも長老の定めた男と子供を作る予定だった。そして翌年、子を産んだら永久凍土ツンドラを降りて戦に加勢する筈だった。十六歳で自分を産んだ顔も知らぬ母同様、同じ道を歩む筈だったもので……。

「え……?」

 意味が分からない。と怪訝そうに言えば、ヘレナは愛らしい笑い声を溢した。

「だって、そう見えたもの。〝異国の王子と結ばれる運命にありし、かの者は身を焼くほどの恋をし、それを成就させ幸せになる〟って」

 嬉しそうにヘレナは言うが、レイヤでは全く信じられなかった。ヘレナの占術はいつだって百発百中だが……こればかりは納得出来ない。

「え。しかも相手が王子って……王子って、国で一番偉い人の息子でしょ。そんなまさか」

 何かの間違いだ。髪も短くて貧相な私が長く生きられる訳が無い。そう付け添えると、ヘレナは笑いつつ首を横に振る。

「もう。レイヤってば私を信じられないの? そうに違いないのだから。確かにレイヤは永久凍土ツンドラの女の中では一番強いわ。きっと、一番の女戦士になるって思ってた。けどね、レイヤは自覚無いかもだけど、貴女はとっても可愛いわよ?」

 小柄な所も、ぱっちりしたつり目も。笑った顔が本当に無邪気で可愛いと……。
 褒められた事がムズ痒くなってしまい、顔が熱くなる。思わず照れ笑いすれば、ヘレナは「そういう所が可愛いのよ」と指をさす。
 可愛いと言われたのは生まれて初めてだ。しかし、こんなせいさんな状況下にも関わらず、まだ笑えたとは思えもしなかった。たとえ、お世辞だとしても美人なヘレナが言うのだから、ほんの少しだけ嬉しく思えてしまう。

「ヘレナに言われると嬉しい」

 素直に告げると、彼女は優しく笑んで何度も頷いた。
 
 ──その夜。レイヤとヘレナは沢山の話を交わした。
 子供の頃の事や狩りでの出来事に、誰にも言えなかった内緒話……。
 対照的な二人の少女は手を繋ぎ、東の空が明るくなるまで語り合った。



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