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Ⅲ
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温かなオレンジの光に満たされた空間には美味しそうな焼き菓子の香り。店の中の雰囲気は、まるで花屋……あるいは魔女の部屋とでもいったよう。至る所にドライフラワーが吊されている。
とは言っても、おどろおどろしいだとか禍々しいとか怖い方向性ではない。西洋の童話に出てくる良い魔女のお婆さんが薬を作って街に売りに行くとでもいった雰囲気で──極めて明るく、温かみがある。
こんな真夜中というのに、客は意外にも一人だけいた。
奥の席で四十代程の男性が新聞を読みつつ珈琲カップに口をつけている。
依然として、穏やかで優しいピアノの音は流れいた。
ややあって奥から物音が響く。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
姿を現した店員は三十に届くか届かないかといった風貌の女性だった。
その面は優しげで、薄化粧の割に目鼻立ちははっきりしている。
色白くて細身の体躯に、ボリュームのある波打つ髪を低くひとつに結び。生成り色のエプロンに濃い緑色のワンピースを合わせている。丸みを帯びた襟がついているので、どこかクラシックな雰囲気があるが、極めて自然的。大人の女性らしさと可愛らしいさが揃った装いだった。
「お席にご案内いたしますね」
にこやかに言って、彼女は窓際の席に紗良を通してテーブルにメニューを置く。
「今日は結構冷えますねぇ。寒いようでしたらブランケットもありますので、申しつけくださいね」
「ですね、結構寒かったです。でも、お店の中はぽかぽかしてるので大丈夫ですよ」
軽い世間話をしつつコートを脱ぐと、彼女は壁のフックにかけたハンガーを取る。
「預かりますね」
彼女は紗良のコートを、見とれる程に丁寧な所作でかけてくれた。
どこにでもいそうな素朴な雰囲気の女性だが、ひとつひとつ動作が美しい。パン屋のレジ打ちとは違うが、飲食という点では比較的近い業主だ。紗良は感心して彼女の動作に見とれてしまった。
「ではメニューが決まりましたら、お呼びくださいね」
そう言って彼女は下がり、キッチンの方へと向かっていった。すると間もなく、ピアノの音が止まり、階段からぱたぱたと足音が響く。
降りてきたのは、中学生くらいの見てくれの少女だった。
ふんわりとしたボブヘアーにレース編みの三角巾。くりくりとした大きな目が印象的な可愛らしい少女だった。
先程の女性店員と似た装いをしているが……子どもだろうか。
というのか、子どもがこんな深夜にお手伝い? 今って春休み? それに先程の女性と顔立ちが似ていない。
少しばかり不審に思って見てしまうと、少女は照れたような顔で会釈する。
「おい、アンナ。おまえ手際悪りぃし手伝う」
愛らしい見た目の割に口が悪いのに驚いた。
アンナと呼ばれた先程の女性は、ため息をつきつつも「じゃあ、お願いしますね」なんて柔和に応えている。
こうも歳が離れているのに呼び捨てなど明らかに親子では無いだろう。益々謎だ。彼女たちを横目に、紗良はメニュー表を開いた。
軽食から喫茶、意外にもメニューは多かった。
それに価格もなかなかに良心的。否、破格と言って良い程。ケーキとドリンクのセットでワンコイン。軽食も千円出してもおつりが来る。
──香り高い紅茶のシフォンケーキ、さっぱりレモンクリームケーキ、発酵バターを使ったミルククリームタルトに焦がしキャラメルをかけたパンナコッタ。
どれも字面だけでお腹が減る。こんな夜中にスイーツを食べるのはなかなかに罪深いが、今日くらいほんの少しは自分を甘やかしても良いだろう。
それにこの一週間ろくに食べていないし、カロリーだって不足気味。気にする方がおかしい。今くらい好きなものを食べよう。紗良はメニューを眺めつつ一頻り迷った。
そこで気になったのは本日ケーキだ。これらケーキのラインナップを見る限りなんとなく期待できそうだと思った。
紗良が控えめに手を上げると、先程の女性店員……アンナはすぐに席まで来てくれた。
とは言っても、おどろおどろしいだとか禍々しいとか怖い方向性ではない。西洋の童話に出てくる良い魔女のお婆さんが薬を作って街に売りに行くとでもいった雰囲気で──極めて明るく、温かみがある。
こんな真夜中というのに、客は意外にも一人だけいた。
奥の席で四十代程の男性が新聞を読みつつ珈琲カップに口をつけている。
依然として、穏やかで優しいピアノの音は流れいた。
ややあって奥から物音が響く。
「いらっしゃいませ、こんばんは」
姿を現した店員は三十に届くか届かないかといった風貌の女性だった。
その面は優しげで、薄化粧の割に目鼻立ちははっきりしている。
色白くて細身の体躯に、ボリュームのある波打つ髪を低くひとつに結び。生成り色のエプロンに濃い緑色のワンピースを合わせている。丸みを帯びた襟がついているので、どこかクラシックな雰囲気があるが、極めて自然的。大人の女性らしさと可愛らしいさが揃った装いだった。
「お席にご案内いたしますね」
にこやかに言って、彼女は窓際の席に紗良を通してテーブルにメニューを置く。
「今日は結構冷えますねぇ。寒いようでしたらブランケットもありますので、申しつけくださいね」
「ですね、結構寒かったです。でも、お店の中はぽかぽかしてるので大丈夫ですよ」
軽い世間話をしつつコートを脱ぐと、彼女は壁のフックにかけたハンガーを取る。
「預かりますね」
彼女は紗良のコートを、見とれる程に丁寧な所作でかけてくれた。
どこにでもいそうな素朴な雰囲気の女性だが、ひとつひとつ動作が美しい。パン屋のレジ打ちとは違うが、飲食という点では比較的近い業主だ。紗良は感心して彼女の動作に見とれてしまった。
「ではメニューが決まりましたら、お呼びくださいね」
そう言って彼女は下がり、キッチンの方へと向かっていった。すると間もなく、ピアノの音が止まり、階段からぱたぱたと足音が響く。
降りてきたのは、中学生くらいの見てくれの少女だった。
ふんわりとしたボブヘアーにレース編みの三角巾。くりくりとした大きな目が印象的な可愛らしい少女だった。
先程の女性店員と似た装いをしているが……子どもだろうか。
というのか、子どもがこんな深夜にお手伝い? 今って春休み? それに先程の女性と顔立ちが似ていない。
少しばかり不審に思って見てしまうと、少女は照れたような顔で会釈する。
「おい、アンナ。おまえ手際悪りぃし手伝う」
愛らしい見た目の割に口が悪いのに驚いた。
アンナと呼ばれた先程の女性は、ため息をつきつつも「じゃあ、お願いしますね」なんて柔和に応えている。
こうも歳が離れているのに呼び捨てなど明らかに親子では無いだろう。益々謎だ。彼女たちを横目に、紗良はメニュー表を開いた。
軽食から喫茶、意外にもメニューは多かった。
それに価格もなかなかに良心的。否、破格と言って良い程。ケーキとドリンクのセットでワンコイン。軽食も千円出してもおつりが来る。
──香り高い紅茶のシフォンケーキ、さっぱりレモンクリームケーキ、発酵バターを使ったミルククリームタルトに焦がしキャラメルをかけたパンナコッタ。
どれも字面だけでお腹が減る。こんな夜中にスイーツを食べるのはなかなかに罪深いが、今日くらいほんの少しは自分を甘やかしても良いだろう。
それにこの一週間ろくに食べていないし、カロリーだって不足気味。気にする方がおかしい。今くらい好きなものを食べよう。紗良はメニューを眺めつつ一頻り迷った。
そこで気になったのは本日ケーキだ。これらケーキのラインナップを見る限りなんとなく期待できそうだと思った。
紗良が控えめに手を上げると、先程の女性店員……アンナはすぐに席まで来てくれた。
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