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第四章 疑念と真実

4-4 二人の長

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 紺碧の星空の元、イシャンは見張りやぐらに昇り、ぼんやり遠くを見つめていた。
 警備の有志がかなり集まったお陰もあって、以前より暇はだいぶ出来た。それに結婚式も間近だ。しかし、そうだとしても最も危険な北方の監視を任せるわけにいかぬもので、イシャンは変わらずルドラと夜警に出掛けていた。

 未だ空が白む迄に時間もかかるだろう。
 交代は夜明けまで……。彼はあぐらを組み直し、空に浮かぶ半月を眺めてほぅと息をついた。

(眠い……)

 そう思ったと同時だった。

「あ~クソ、眠みぃわ!」

 隣から響く馬鹿デカい気怠げな声にイシャンはビクリと肩を震わせる。静謐な中でいきなり大声を出されたのだから驚いた。
 ジト……と目を細めて隣を見ると、ルドラが大あくびをして目を擦っていた。

「うるせぇよお前……俺だって眠いわ」

 率直に言えば、ルドラはハンと鼻を鳴らしてイシャンを睨み据える。
 ──否や、恐らく睨んでいない。元々やたらと眼光が鋭いだけ……。幼少期はそうでも無かった筈だが、いったいどこでどう間違えてこんなに柄が悪くなってしまったのやら……。そう思いつつイシャンはルドラから視線を反らすが、ルドラはお構いなしだった。

「おい。そういや、もうすぐ仮眠の時間だよな? テメェと俺、どっちが先に仮眠取るか決めようぜ?」

 勝負するぞ勝負。と、随分な上から目線で言われて、面倒臭そうにイシャンは再びルドラを見た。
 ……確かに眠い。そろそろ仮眠したいとは思った。夜警とは言え、こうして延々とアスラ族に何か動きが無いか見ているだけだ。何も無い時は本当に何も起きやしない。イシャンはルドラの提案に頷いた。

「乗ろう。俺も眠い。だが、どうやって勝負を付ける?」

「身体鈍ってるから一本勝負で武闘が良い」

 即、きっぱりとルドラが吐いた言葉にイシャンはたちまち目を細めた。

「馬鹿かお前。族長と副族長が二人で遊んでてどうするんだよ。と、いうのか……お前、俺に勝てないだろ」

 紛れもない事実をイシャンは言えば、ルドラが心底不機嫌そうに眉をしかめた。

「おん? やんのか? あぁん?」

 今度ばかりは本気で睨んでいるだろう。それでも、イシャンは見慣れているのだからどうとも思わない。 

 ──父親同士が族長と副族長だった。幼少期もこの城で暮らしていた。そう、ルドラはイシャンにとって腐れ縁と言っても過言でなかった。
 昔から無鉄砲で偉そうで散々に世話を焼かされた。だが、喧嘩に勝つのはいつも自分。はなを垂らしてビービー泣き喚き『次こそ覚えてろよ!』なんて吐き捨てて去り行く後ろ姿の記憶はそこまで古くない。
 喧嘩をした日は決まって、夜中までシタールの音がルドラの部屋から響いていた。そうして自分の心でも慰めていたのだろうと思しい。
 初めは調子外れな音だったが、それは年を重ねる毎に上手くなり、今では弦を奏でて右に出る者は居ない程。誰もを魅了する音を奏でる。

 しかし、本当に何時からこんなにスレて柄が悪くなったのやら。そこに間違いなく自分が原因しているとは思うが……いやいや、元からそんなかんじだったか。昔を回想しつつ、イシャンはやれやれと首を横に振る。

「はーテメェ見てろよ。十年後は俺がお前を負かしてるかも知れねぇだろが」

 顎をそびやかして言われるが、確かにそれはありうるだろうとは思った。何せ、ルドラの方が僅かではあるが若いのだ。

「……まぁ、それはありうるかもな。俺の方が年上だし事実、三十も過ぎれば体力も衰えて当然だしな。マントラ抜きだと多分、お前の方が力あるしな」

 もう面倒なので少し機嫌でも取る事にした。それでも言った事は事実だ。だが、ルドラは更に不機嫌そうに眉をしかめた。

「ふざけんな。俺より強いのはテメェしかいねぇだろ?」

 ──張り合いが無くなるわ、このタコ。と、鼻を鳴らして言われて、イシャンは目を丸くした。

「それによ。テメェ結婚するだろ? そのうちガキでも出来てみろ。選抜武闘で俺に負けてみろ。親父クソダセェー! って笑われるだろが」

 しかし言っている事が色々矛盾している。やたらと偉そうな馬鹿だとは思っていたが、いよいよ頭がおかしくなったのか……。イシャンは神妙に眉を寄せた。

「は? お前族長になりたいんじゃないのか? 俺を負かして、族長になるだの三年前に散々言ってただろ?」

「ああ、もう今はなりたくねー」

 即、きっぱりと言われてイシャンはポカンと口を開けてしまった。

「は?」

「……テメェの仕事ぶりを見てると、俺にはどうにも向いてないと思ったからな。俺はテメェみたいに要領が良くねぇし、人当たりよく出来る自信がねぇ。集落纏めるなんぞ無理だ。お前に勝ちたいとは思うが、族長になりたいとは思わなくなったな。族長に妻にしてやるだとか言ってめとったアンビカには悪いとは未だに思うがな」

 適材適所だろ。と、あっさりと告げたルドラの言葉にイシャンはどこか納得してしまった。確かに『自分の担う責務をこいつに務まるか?』と言えば、首を捻る。一応はそれを自覚していたのかと思うと、少しだけイシャンは感心してしまった。

「まぁ……先の事なんぞ分からないが、万が一にもお前が俺を打ち破って族長になった時は補佐くらいするから安心しろ。まぁ俺もお前に負けないように気をつける」

 そう言ってルドラの肩を叩くが──一拍も立たぬうち、唐突に肩を組まれてイシャンはきょとんとした。

「……まぁそんな事の前に、まずはテメェの結婚式だよな。やっと結婚しやがってクソ野郎が。シタール弾いてやっから久しぶりに踊って騒がねぇと!」

 朗らかに言ってルドラはイシャンの背をバシバシと叩く。
 牙のような犬歯を覗かせて、無邪気にルドラは笑む。
 しかし、久しくルドラが笑った所を見た気がした。その表情だけは幼少の頃とは変わっておらず、イシャンは少しばかり心が和んだ。

「ああ、そうだな。あと一週間くらいか。派手な襲撃も無く無事に迎えられるといいが。シュリーはお前のシタールの音色が好きだって言ってたからな。きっと喜ぶ」

 唇を綻ばせてイシャンがルドラに頷いた途端だった──後方から怒号が響き渡ったのである。

「襲撃か……東の方か?」

 肩を組んでいたルドラは即座に跳ね上がるように立ち上がった。

「ルドラ、ここを監視しててくれ。俺が様子を見てくる。分かり次第ラサーヤに通達させる」

 立ち上がったイシャンは指笛を吹きやぐらを飛び降りる。すると、やぐらの上から劈く程の鳴き声が響き、巨大なガルダが翼を広げてイシャンを背に乗せた。

「ラサーヤ頼んだ」

 鬣のように広がった羽毛を掴み、イシャンが語りかける。すると、ガルダはギィ! 鳴き声を上げて返答した。



 それから暫くして、騒動があったと思しい付近にイシャンは辿り着く。
 しかしそこには既にアスラ族の姿は無く、警備に当たっていたハヌマーン族の男達が数人話し込んでいた。皆尻尾を丸め、神妙な顔を貼り付けているもので……。

「無事か、どうした?」

 イシャンがラサーヤから飛び降りる。すると、ハヌマーン族の男達は神妙な顔でイシャンの方を向いた。

「……ああ、族長様」

「何があった?」

「襲撃があったのですが……どういった訳か、奴ら直ぐに諦めたのか追い返すが出来たものですけど」

 しかし何処か腑に落ちなそうに彼らは皆、顔を見合わせて言い淀む。イシャンは不思議に思い小首を傾げた。

「それで?」

 追求すると、一人がイシャンに複雑を貼り付けたままの面を向けた。

「……襲撃者の中に一人女が居たもので」

「ナーガ族の女か?」

「いいえ、ヴァルナ族です。……ナーガとは違って鱗も持たず、動物的特徴が一切無い女でして……その……」

 それだけ言って彼は口を噤んでしまった。
 しかし複雑に思うのも分かる。何せ、アスラ族で人の姿をした女が異常な程に少ないからだ。ましてや、アスラのヴァルナ族の女なんてそもそも見たことも無い。

「確かに、そりゃ珍しいな。奴ら男の方が多いものだが……」

 人手が足りなかったのか。しかしヴァルナ族の女は希少だ。数を増やす為の存在には違わない。だからこそ、女を襲撃に使うなど考えられやしない。
 イシャンはおとがいに手を当てて考える。だが、答えなど出てこない。やれやれと首を振って、イシャンは傍らで様子を見守るラサーヤに目をやった。

「そういう訳だラサーヤ。この近辺の様子を少し見たら戻るとルドラに伝えてくれ」

 ラサーヤは無言で頷き、猛烈な風と羽音を巻き上げて夜空に舞い上がった。

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