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第一章 形式だけの妻

1-4 美しくも辛辣な使用人

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 部屋に一人になってから幾何か。シュリーは食事を終えた。
 それから暫くすると、叩扉こうひが響いた。

 返事をして良いかも分からなかった。黙ったまま扉の方を見つめていれば、自分より僅かに年上と思える風貌の女性が姿を現す。

「お食事はお済みになりましたか? 食器を片付けに参りました」

「あ……はい」

 おどおどと言うが、彼女は特にシュリーを気に留める様子もなく、キビキビとした所作で食器を片付け始めた。

 ──自分とは違う透き通った白い肌。瞳の色は淡い緑色。一見すると異国人のように見えるが、目鼻立ちはアムリタの民とはさして変わらない。だが一番に目を引くのは髪の色だ。目が覚める程の鮮やかな緋色で──その頭頂部には冠羽のように長く伸びた羽がある。何とも不思議な容姿だ。それでも素直に綺麗な人だと思う。纏うサリーは夏の夕暮れを思わせる淡い紫色。腰の周りや胸元には黄金の装飾が煌めき、綺麗な羽飾りが付いている。
 ……とてもなく気品がある。思わずシュリーがジッと見てしまうと、彼女は少しばかり煙たげに視線をやった。

「私が何か?」

「いえ何も。とても美しい髪色だと思って思わず見とれたもので……」

 紛れもない事実を言うと、彼女は頬を赤らめて更に居心地悪そうな顔をした。

「当たり前です。私は美しいですから」

 謙遜せずきっぱりと言われて、シュリーは反応に困った。
 それでも「そうですね」と思ったままを返すと、彼女は更に顔をしかめてシュリーに向き合う。

「申し遅れましたシュリー様。私、イシャン様にお仕えするスパルナと申します。既に湯浴みの準備も整っております。ですので、これを置いたらまた参りますので」

 それだけ告げると、両手に食器を持った彼女は颯爽と部屋を後にした。
 言った通りスパルナと名乗った女性は直ぐに戻ってきた。
 彼女はシュリーに着いて来るように言ってスタスタと歩み始めた。
 しかし、部屋を出た途端にシュリーは絶句した。廊下の奥行きに目眩を覚えたのだ。

 ──白々とした壁に挟まれた廊下は蔓草模様が描かれた臙脂色の絨毯。それは長く伸びており、脇には硝子の箱が一定の間隔を空けて並んでいる。その中で橙色の炎が揺らいでおり、薄暗くなり始めた空間を温かく照らしていた。
 三年暮らした藩王の屋敷も豪奢なものだと思ったが、それをも上回る程。行ったことも無ければ見たことも無いが、まるで国王が住まう宮殿のようだとシュリーは思った。

「凄い……綺麗」

 思わず言葉が漏れてしまうが、先行くスパルナはピタリと止まり振り返る。

「さっさと歩いて下さい」

 ──私は暇では無いのです。と、刺々しく言われて、シュリーは直ぐに彼女を追いかけた。

(美人だけど何だか感じが悪い人ね……)

 物珍しげに辺りを見てしまった自分にも非があるだろうが、それでも言い方というものもあるだろう。確かに自分は蔑まれておかしくない立場ではあるが……。そう思いつつ、シュリーは彼女の背中を見つめて歩み始めた。 
 そうして、連れてこられた脱衣所でシュリーは更に絶句した。
 入るや否や纏っているサリーをスパルナに脱がされそうになったのだから……。

「ちょ、ちょっと待って下さい私、自分で脱げますので!」

 慌ててシュリーが捲し立てると、スパルナは眉間に深い皺を寄せてギロリと睨み据える。

「そうですか。私としても非常に不本意ですが、貴女の侍女となり、身の回りの世話をする事が私の仕事となったので」

 ……不本意。つまり望んでもいないと。明らかに嫌悪を含んで見られている事を改めて把握してシュリーは複雑な面を浮かべた。だが、自分の立場を考えれば納得出来る。シュリーが黙りこくると彼女は一つ鼻を鳴らした。

「本当に意味が分からない。美しくも無い、無力な人間の女なんか連れてきて……」

 こうも真っ向から言われると思われなかった。
 自分は背が高くなければ、髪も長くない。魅力的な白肌でも無ければ、髪の色だって平凡な焦茶色。それにサラサラとした直毛ではなく、緩く波打つ癖毛で……。
 それでも目元がはっきりしており、胸や尻の肉付きも良い事から「美しい」とは幾度も言われてきた。水揚げされればきっと、一番の娼婦になるだろうと言われていた。だからきっと、自分の容姿は悪いどころか恵まれているだろうと思っていた。

 そもそも器量の良い娘で無ければ神聖娼婦ディーヴァダーシーに成れやしない。演舞の腕前に並んで、器量を認められてきた事は自分が誇れたものだった。それを真っ向から否定された事に流石にシュリーは少しばかり腹立たしく思い、下唇を噛む。

「どうしてイシャン様は何の魅力も無い貴女を正妻にするのか分かりません。永久に寄り添う運命の相手だなんて、私はとても思えませんね……」

 反吐でも吐くように言われて、シュリーは怪訝に眉をひそめた。しかし今の言葉に信じられないような言葉があっただろう。

「正妻って。それ、どういう事ですか……」

「あら。ご本人から聞いて無かったですか? イシャン様、貴女を正妻にするらしいですよ。その為に現世うつしよに干渉までして、貴女をこの世界に連れてきただとか」

 顎をそびやかしてスパルナは言う。
 本当に嫌われているのだろうと、その態度と視線から嫌でも理解出来た。だが、自分だって望んでこうなっていない。寡婦焚死サティーだってこの世界に来たのだって……何もかもそうだ。それなのに酷い言われようである。シュリーはふつふつと湧き出る怒りを押し殺して、彼女に毅然とした面を向けた。

「そう言われても私はよく分からないですが。生きながら焼かれて死ぬ事も、こちらの世界に運ばれた事だって自分の望んだ事でも無いので」

「あらそうですか? それはお気の毒に。ほら、自分で出来るなら手早く脱いでさっさと身を清めて来て下さい」

 全く感情の篭もらぬ口調で言って、スパルナは「さっさとしろ」と言わんばかりに手を払う。
 そこに立って居られる事だって腹立たしく思えた。それでも、シュリーは彼女の存在を無視してサリーを脱ぎ始めた。
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