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第一話 嵐を呼ぶ企画会議
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市川が木戸純一が総監督を務めるアニメの新シリーズ『蒸汽帝国』の作画監督就任の打診を受けたのが、先々月である。
『蒸汽帝国』とは、木戸が学生時代に投稿したマンガのタイトルで、すぐにマニアの間に評判になり、連載が決まった。
木戸の描いたキャラクターは、それまでのマンガに存在しない描写で、すぐに模倣者が現れるほどだった。
が、すぐ連載は打ち切りになった。
理由は、木戸のストーリー進行の、能力の欠如であった。壮大な世界観を打ち出したのは良かったが、すぐに木戸は煮詰まってしまい、投げ出したのである。
当然、木戸は漫画家としてやっていけなくなるところだった。ところが、木戸の画力をアニメ業界が放っておかなかった。漫画業界からアニメ業界の、キャラクター・クリエイターとして転進した木戸は、一応の成功を収めた。
しかし、マニアは『蒸汽帝国』を忘れていなかった。『蒸汽帝国』のファン・クラブが発足し、様々なメディアで活動が始まった。尻切れトンボに関わらず、いつの間にか『蒸汽帝国』は伝説の名作となっていた。
アニメ化の企画が持ち上がり、原作者の木戸は自分が監督をするなら、という条件を出した。アニメのプロデューサー、スポンサーなどは危ぶんだが、木戸は頑として自分の条件に固執した。広告代理店が間に入り、木戸の監督就任が決定されたのである。
華々しく『蒸汽帝国』の制作発表会がなされ、その頃に市川は「作画監督をやってくれないか」とプロデューサーに口説かれた。
プロデューサーの話を聞くうちに、市川の胸にも危惧が湧いた。なんと、木戸はシナリオも自分で起こす、という。木戸は自分の原作による『蒸汽帝国』のアニメ・シリーズによって、自らのクリエイターとしての成功に賭けているようだった。
市川の前にも、何人かの作画監督経験者に打診があったらしい。市川は様々なルートを使って、打診があった作画関係者に話を聞いたところ、やはり木戸は絵コンテ制作でスケジュールを大幅に伸ばして、すったもんだを繰り返しているとの噂が流れていた。
断ろうと決意していた市川だったが、プロデューサーのしつこい懇願に、つい首を縦にしてしまった。市川はそんな人の良さがある。
しかし今は、後悔が津波のように押し寄せる。やっぱり、断るべきだった!
市川は『蒸汽帝国』の単行本を手にし、表紙に見入る。
タイトル通り、無数の配管や、シリンダー、タービンなどが錯綜する中に、主人公たちが巨大な敵を向かい撃つべく、ポーズをとっている。
敵の姿はシルエットとなって、よく見えない。恐らくクライマックスの場面であろうが、原作はそこまで行き着く前に連載を終了してしまっている。
市川と山田の設定画は、原作から相当部分インスパイアされている。が、設定の打ち合わせの際、木戸は二人に「原作にあまり捉われなくとも良いですよ」と大幅なフリー・ハンドを与えてくれていた。そうなるとノッてしまうのが市川であった。
嫌々ながら作画監督を引き受けたが、いざキャラクターを設定すると、自分でも不思議なほど愛着が湧いた。おそらく、山田も同じ気持ちだろう。
「雨になるかなあ……」
山田の呑気な口調に、市川は顔を上げた。山田は窓ガラスに顔を押し付けるようにして立っている。夜景に、雲の間から稲光が数度、瞬いていた。ごろごろごろ……と、遠雷が聞こえている。
「やだ! あたし、傘を持っていないのよ」
洋子が顔を顰めた。
その時、ドアが開き、三村が気弱そうな顔を突き出した。手には盆を持っている。盆には、人数分の珈琲カップが載っていた。
かっと市川の頭に血が昇った。
「三村! そんな気を回す前に、監督に絵コンテができたかどうか、確かめてこいよ!」
がちゃーん! と三村は市川の声に驚愕して、手にした盆を引っくり返した。
「は、はいっ! 今すぐ……!」
おろおろ声を上げ、三村はパニック状態のまま引き下がった。すぐに、どたばた、じたばたと、三村が階段を登っていく音が続く。
「監督……監督……。三村です……。そのお、進行状況をお伺いしたいのですが……」
三村の声が、天井を伝わって、微かに聞こえてくる。と、沈黙が続いた。
市川は山田と、洋子に目顔で「どうなってるんだ?」と問い掛ける。
「さあ」と山田と洋子は同時に肩を竦めた。
「監督っ!」
出し抜けに、三村の悲鳴が降ってきた。声には切迫した調子が含まれている。
「監督っ! ドアを開けて下さいっ!」
更なる三村の大声に、市川は立ち上がった。
「行って見よう! 何だか、ヤバそうな雰囲気だぜ……」
山田と洋子も頷き、神輿を上げる。
『蒸汽帝国』とは、木戸が学生時代に投稿したマンガのタイトルで、すぐにマニアの間に評判になり、連載が決まった。
木戸の描いたキャラクターは、それまでのマンガに存在しない描写で、すぐに模倣者が現れるほどだった。
が、すぐ連載は打ち切りになった。
理由は、木戸のストーリー進行の、能力の欠如であった。壮大な世界観を打ち出したのは良かったが、すぐに木戸は煮詰まってしまい、投げ出したのである。
当然、木戸は漫画家としてやっていけなくなるところだった。ところが、木戸の画力をアニメ業界が放っておかなかった。漫画業界からアニメ業界の、キャラクター・クリエイターとして転進した木戸は、一応の成功を収めた。
しかし、マニアは『蒸汽帝国』を忘れていなかった。『蒸汽帝国』のファン・クラブが発足し、様々なメディアで活動が始まった。尻切れトンボに関わらず、いつの間にか『蒸汽帝国』は伝説の名作となっていた。
アニメ化の企画が持ち上がり、原作者の木戸は自分が監督をするなら、という条件を出した。アニメのプロデューサー、スポンサーなどは危ぶんだが、木戸は頑として自分の条件に固執した。広告代理店が間に入り、木戸の監督就任が決定されたのである。
華々しく『蒸汽帝国』の制作発表会がなされ、その頃に市川は「作画監督をやってくれないか」とプロデューサーに口説かれた。
プロデューサーの話を聞くうちに、市川の胸にも危惧が湧いた。なんと、木戸はシナリオも自分で起こす、という。木戸は自分の原作による『蒸汽帝国』のアニメ・シリーズによって、自らのクリエイターとしての成功に賭けているようだった。
市川の前にも、何人かの作画監督経験者に打診があったらしい。市川は様々なルートを使って、打診があった作画関係者に話を聞いたところ、やはり木戸は絵コンテ制作でスケジュールを大幅に伸ばして、すったもんだを繰り返しているとの噂が流れていた。
断ろうと決意していた市川だったが、プロデューサーのしつこい懇願に、つい首を縦にしてしまった。市川はそんな人の良さがある。
しかし今は、後悔が津波のように押し寄せる。やっぱり、断るべきだった!
市川は『蒸汽帝国』の単行本を手にし、表紙に見入る。
タイトル通り、無数の配管や、シリンダー、タービンなどが錯綜する中に、主人公たちが巨大な敵を向かい撃つべく、ポーズをとっている。
敵の姿はシルエットとなって、よく見えない。恐らくクライマックスの場面であろうが、原作はそこまで行き着く前に連載を終了してしまっている。
市川と山田の設定画は、原作から相当部分インスパイアされている。が、設定の打ち合わせの際、木戸は二人に「原作にあまり捉われなくとも良いですよ」と大幅なフリー・ハンドを与えてくれていた。そうなるとノッてしまうのが市川であった。
嫌々ながら作画監督を引き受けたが、いざキャラクターを設定すると、自分でも不思議なほど愛着が湧いた。おそらく、山田も同じ気持ちだろう。
「雨になるかなあ……」
山田の呑気な口調に、市川は顔を上げた。山田は窓ガラスに顔を押し付けるようにして立っている。夜景に、雲の間から稲光が数度、瞬いていた。ごろごろごろ……と、遠雷が聞こえている。
「やだ! あたし、傘を持っていないのよ」
洋子が顔を顰めた。
その時、ドアが開き、三村が気弱そうな顔を突き出した。手には盆を持っている。盆には、人数分の珈琲カップが載っていた。
かっと市川の頭に血が昇った。
「三村! そんな気を回す前に、監督に絵コンテができたかどうか、確かめてこいよ!」
がちゃーん! と三村は市川の声に驚愕して、手にした盆を引っくり返した。
「は、はいっ! 今すぐ……!」
おろおろ声を上げ、三村はパニック状態のまま引き下がった。すぐに、どたばた、じたばたと、三村が階段を登っていく音が続く。
「監督……監督……。三村です……。そのお、進行状況をお伺いしたいのですが……」
三村の声が、天井を伝わって、微かに聞こえてくる。と、沈黙が続いた。
市川は山田と、洋子に目顔で「どうなってるんだ?」と問い掛ける。
「さあ」と山田と洋子は同時に肩を竦めた。
「監督っ!」
出し抜けに、三村の悲鳴が降ってきた。声には切迫した調子が含まれている。
「監督っ! ドアを開けて下さいっ!」
更なる三村の大声に、市川は立ち上がった。
「行って見よう! 何だか、ヤバそうな雰囲気だぜ……」
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