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第五章 急使
一
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天正十年、夏──。
廊下を、侍女たちを引連れ、歩く誾千代は、こちらを窺う視線を感じ、立ち止まった。
「姫様、いかが致されたのですか?」
背後に付き従った侍女の一人、お寅が、誾千代の背中に声を掛けた。
「何でもない。参りましょう……」
誾千代は説明を省き、再び歩き出した。背後に従う侍女たちの胸に、不審がもやもやと湧き上がったが、誾千代は無視して、歩き続けた。
視線の主は、彌七郎だ。
遥か遠くから、矢狭間に隠れ、誾千代を監視していた。誾千代は心の触手に、彌七郎の想念が触れたため、つい、立ち止まった。
もちろん、彌七郎の存在に気付いているのは、誾千代一人で、侍女たちは誰一人として気付いていない。
彌七郎は、誾千代が気付いていないと、完全に思い込んでいる。誾千代の歩く方向を見定め、彌七郎は場所を変える動きを、誾千代は感じ取っていた。
近頃の彌七郎は、誾千代を避けていた。ばったり出会うものならば、彌七郎の心に恐怖の念がどっと弾け、大慌てで逃げ出す始末。
あの晩、彌七郎に手厳しく相対した結果が、同じ城にいて、すっかり他人行儀となって表れている。多分、彌七郎にとって、他人から手首を捻り上げられるなど、驚天動地の出来事だったのだろう。
誾千代は、城内の書院を目指していた。書院といっても、小部屋程度で、後の江戸城などにある書院とは、造りが違っている。ただ、事務を執り行うために利用しているので、便宜的に、書院と呼び慣わしていた。
いつものように小机を前に腰を降ろすと、侍女たちがいそいそと、大量の書類を運び込んできた。
書類を一枚、一枚、丁寧に読み込み、その場で、誾千代は朱筆で書き込みをしていく。
立花城の、決裁事項が溜まっていた。
誾千代は「姫様」と呼ばれているが、事実上の立花城主だ。城主として、煩雑な事務仕事は避けて通れない。
「この、薪炭の代金はいかが致したのか? 昨年より、百貫ほど値が上がっておるな?」
誾千代の質問に、最年長の侍女、お蓮がすらすらと答えた。
「はい。申し上げにくい儀ながら、姫様の湯浴みが、一昨年は十日に一度だったのが、昨年は五日に一度に増えまして御座います。従いまして、薪炭の費用も、増えまして御座います」
お蓮の言葉に、誾千代は顔を顰めようとして、危うく踏み止まった。一本、取られた形になった。
大きく息を吸い込み、誾千代は領内で起きている、様々な問題に関心を移した。
「田畑の境界線争いは、どうなっておる?」
「幾つか争いごとが持ち上がりましたが、いずれも、解決済みで御座います」
誾千代は無言で頷き、次々と朱筆で「諾」「否」と書き込み、必要な場合は、細かな文字で、理由を添付した。
訴状を次々と処理していくうち、侍女の一人、お寅が、そわそわし始めた。
書類に目を落としながら、誾千代はそっと、お寅の心に自分の心を伸ばした。
お寅は誾千代より、一つ年上で、侍女の中で最も若い。ふっくらとした身体つきで、着物の上からも、充実した体躯は、はっきりと見て取れた。この身体つきのゆえに、お寅は城の内外の男たちに人気があった。
この時代、女は太り気味が良いとされた。
誾千代は、どちらかといえば痩せ気味で、旺盛な食欲にもかかわらず、あまり、太れない。お寅の、たっぷりとした量感のある体躯を見るたび、誾千代は羨ましく思っていた。
お寅の想念に、彌七郎の顔が浮かんでいる。
誾千代はすでに、お寅と、彌七郎の関係に気付いていた。毎夜、お寅は彌七郎の自室に呼び寄せられ、痴態を繰り広げている。誾千代は自分の能力を使って、二人の行為を、感じ取っていた。
もちろん、他の侍女たちも、お寅と、彌七郎の密かな交流については、承知している。表向き、誾千代はお寅と彌七郎の逢瀬について、知っていない前提だった。
お寅の落ち着かない様子に、侍女たちの嫉妬心が、むらむらと湧き上がっている。
もし、彌七郎とお寅の間に子供ができたら、と侍女たちは懸念していた。そうなれば、お寅は彌七郎の側女として華々しく抜きん出てしまう。彌七郎に子種がない事実を掴んでいる誾千代にとっては、侍女たちの妬心は馬鹿馬鹿しい限りであるが。
「今日は、これまで、とする!」
誾千代は、書類仕事を切り上げた。こうも侍女たちの集中心が損なわれていては、捗らない。
お寅が真っ先に、座を外し、部屋から飛び出していった。お寅の心は、彌七郎で占められ、余念はなかった。お寅の想念を読み取り、誾千代は苦々しい気持ちと、同量の可笑しさを感じていた。
その時、誾千代の心は、立花城に近づく、切迫した想念を受け取っていた。
何だろう?
どうやら、接近してくる想念の主は、武士らしい。騎乗している。何か、急を告げるために立花城を目指している。
騎乗の武士が、立花城大手門に接近し、大声で何やら叫んでいた。誾千代のいる位置からでは、声は届かないが、城内が俄かに騒然となった。
ばたばたと足音が近づき、甚兵衛がぬっと、顔を突き出した。
「姫様! 赤間関(下関)より、急使が到着いたしました! 是非とも、御報告をお受けなさるよう、願います」
「参ろう!」
甚兵衛の言葉に、誾千代は一声、鋭く返事すると、立ち上がった。
廊下を、侍女たちを引連れ、歩く誾千代は、こちらを窺う視線を感じ、立ち止まった。
「姫様、いかが致されたのですか?」
背後に付き従った侍女の一人、お寅が、誾千代の背中に声を掛けた。
「何でもない。参りましょう……」
誾千代は説明を省き、再び歩き出した。背後に従う侍女たちの胸に、不審がもやもやと湧き上がったが、誾千代は無視して、歩き続けた。
視線の主は、彌七郎だ。
遥か遠くから、矢狭間に隠れ、誾千代を監視していた。誾千代は心の触手に、彌七郎の想念が触れたため、つい、立ち止まった。
もちろん、彌七郎の存在に気付いているのは、誾千代一人で、侍女たちは誰一人として気付いていない。
彌七郎は、誾千代が気付いていないと、完全に思い込んでいる。誾千代の歩く方向を見定め、彌七郎は場所を変える動きを、誾千代は感じ取っていた。
近頃の彌七郎は、誾千代を避けていた。ばったり出会うものならば、彌七郎の心に恐怖の念がどっと弾け、大慌てで逃げ出す始末。
あの晩、彌七郎に手厳しく相対した結果が、同じ城にいて、すっかり他人行儀となって表れている。多分、彌七郎にとって、他人から手首を捻り上げられるなど、驚天動地の出来事だったのだろう。
誾千代は、城内の書院を目指していた。書院といっても、小部屋程度で、後の江戸城などにある書院とは、造りが違っている。ただ、事務を執り行うために利用しているので、便宜的に、書院と呼び慣わしていた。
いつものように小机を前に腰を降ろすと、侍女たちがいそいそと、大量の書類を運び込んできた。
書類を一枚、一枚、丁寧に読み込み、その場で、誾千代は朱筆で書き込みをしていく。
立花城の、決裁事項が溜まっていた。
誾千代は「姫様」と呼ばれているが、事実上の立花城主だ。城主として、煩雑な事務仕事は避けて通れない。
「この、薪炭の代金はいかが致したのか? 昨年より、百貫ほど値が上がっておるな?」
誾千代の質問に、最年長の侍女、お蓮がすらすらと答えた。
「はい。申し上げにくい儀ながら、姫様の湯浴みが、一昨年は十日に一度だったのが、昨年は五日に一度に増えまして御座います。従いまして、薪炭の費用も、増えまして御座います」
お蓮の言葉に、誾千代は顔を顰めようとして、危うく踏み止まった。一本、取られた形になった。
大きく息を吸い込み、誾千代は領内で起きている、様々な問題に関心を移した。
「田畑の境界線争いは、どうなっておる?」
「幾つか争いごとが持ち上がりましたが、いずれも、解決済みで御座います」
誾千代は無言で頷き、次々と朱筆で「諾」「否」と書き込み、必要な場合は、細かな文字で、理由を添付した。
訴状を次々と処理していくうち、侍女の一人、お寅が、そわそわし始めた。
書類に目を落としながら、誾千代はそっと、お寅の心に自分の心を伸ばした。
お寅は誾千代より、一つ年上で、侍女の中で最も若い。ふっくらとした身体つきで、着物の上からも、充実した体躯は、はっきりと見て取れた。この身体つきのゆえに、お寅は城の内外の男たちに人気があった。
この時代、女は太り気味が良いとされた。
誾千代は、どちらかといえば痩せ気味で、旺盛な食欲にもかかわらず、あまり、太れない。お寅の、たっぷりとした量感のある体躯を見るたび、誾千代は羨ましく思っていた。
お寅の想念に、彌七郎の顔が浮かんでいる。
誾千代はすでに、お寅と、彌七郎の関係に気付いていた。毎夜、お寅は彌七郎の自室に呼び寄せられ、痴態を繰り広げている。誾千代は自分の能力を使って、二人の行為を、感じ取っていた。
もちろん、他の侍女たちも、お寅と、彌七郎の密かな交流については、承知している。表向き、誾千代はお寅と彌七郎の逢瀬について、知っていない前提だった。
お寅の落ち着かない様子に、侍女たちの嫉妬心が、むらむらと湧き上がっている。
もし、彌七郎とお寅の間に子供ができたら、と侍女たちは懸念していた。そうなれば、お寅は彌七郎の側女として華々しく抜きん出てしまう。彌七郎に子種がない事実を掴んでいる誾千代にとっては、侍女たちの妬心は馬鹿馬鹿しい限りであるが。
「今日は、これまで、とする!」
誾千代は、書類仕事を切り上げた。こうも侍女たちの集中心が損なわれていては、捗らない。
お寅が真っ先に、座を外し、部屋から飛び出していった。お寅の心は、彌七郎で占められ、余念はなかった。お寅の想念を読み取り、誾千代は苦々しい気持ちと、同量の可笑しさを感じていた。
その時、誾千代の心は、立花城に近づく、切迫した想念を受け取っていた。
何だろう?
どうやら、接近してくる想念の主は、武士らしい。騎乗している。何か、急を告げるために立花城を目指している。
騎乗の武士が、立花城大手門に接近し、大声で何やら叫んでいた。誾千代のいる位置からでは、声は届かないが、城内が俄かに騒然となった。
ばたばたと足音が近づき、甚兵衛がぬっと、顔を突き出した。
「姫様! 赤間関(下関)より、急使が到着いたしました! 是非とも、御報告をお受けなさるよう、願います」
「参ろう!」
甚兵衛の言葉に、誾千代は一声、鋭く返事すると、立ち上がった。
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