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「………!………!!」
「………、………!………!」

誰かが怒鳴り合う声が聞こえる………。
吉塚はぼんやりとした思考のまま、何とか重い瞼を開けた。
しかしどうやら眼鏡は外されたか落ちてしまったか………何れにしても着いている感覚は無いし視界はボヤけているしで何も見えない。
精々輪郭が薄ぼんやりと見えるくらいだ。
無理に見ようとするよりは目を瞑っていた方がマシかもしれないと吉塚は再び目を閉じる。

落ち着けば今ぼやけている聴覚も回復するかもしれない。
覚えていないが相当吐いた気もするので、あのドラッグがどういう効果があってどのくらいもつのかは知らないが、それでも通常よりは抜けるのが早い筈だ。
学校内であんなに派手に動いたんだ、助けだって絶対来る。

吉塚はそう信じながら呼吸を落ち着かせ、怪しまれない程度に身動ぎをして軽く状況を把握する。
寝返りを打つフリをして転がってみると足も手も自由に動けたことを察するに、どうやら拘束はされていないらしい。
狙いは一体何で、首謀者は誰なのか………

「(タイミング的に、考えるまでもないな………)」

恐らくはあのストーカー(仮)な本宅の家政夫だろう。
あまりにも反応の薄いように見える吉塚に痺れを切らし、強行突破をしたとかそういうことか。
あの男子生徒達と家政夫がどういう関係かは知らないしどうでも良いが、だとしても学生にあんなモノを持たせる神経がまるで分からない………。
吉塚は気取られないように溜息を吐きながら、思考だけではなく聴覚も安定してきたことに気付いた。

「………まぁいい。暴力も振るわず連れて来ただけで御の字だと思ってやる。」

漸く聞こえてきた声はやはりあの家政夫のものだった。
低く色気を帯びた声は世の連中はさぞキャーキャーと持て囃すのだろうが、生憎吉塚の好みの声は高城なので寧ろベタついて気持ち悪い声だなとしか思えなかった。
それにしても、ここはどこだろうか―――

「(………っ!!!)」
「打ったのは腕だけか?ああ、可哀想に………こんなに赤黒くなって………」

改めて状況を整理しようとした途端、腕に触れられ何故か舐められた。
泣きたい程気持ちが悪かったけれど咄嗟に耐えたことを褒めて欲しいと、吉塚は思った。
ぴちゃぴちゃと音が響き、小さなリップ音を最後に唇は腕から離れていったが、どうしようもない不快感だけは腕に残っている。
誰か消毒してくれと、吉塚は叫びたい気持ちをグッと堪えた。

「………ソイツ、どうするんっすか。」
「お前に答える義理があるとでも?」

いや、答えてやれよ。
吉塚は不自然にならないように息をしながら、心の中でそうツッコミを入れた。
家政夫に問い掛けたのは恐らくは吉塚を拐った男子生徒達の内誰かだろう。
それが誰なのか興味はないが、だとしても答えてもらわないことには吉塚も状況の把握ができない。

「………分かりました。失礼します。」

―――もっと粘れよ!
そうは思うも、今ので上下関係が十分過ぎる程理解出来てしまった。
年齢差もあるということを差し引いても、家政夫の方が立場が上なんだろう。
口答えすら許さない程に。

「さて、起きているんだろう?」

パタンと扉が閉まる音がすると同時に話し掛けられ、やはり気付かれていたかと吉塚は特に驚くこともなく溜息を吐きながらゆっくりと起き上がった。
ぼんやりとした視界のまま軽く辺りを見渡すと、どうやらベッドの上で丁寧に寝かせられていたらしい。
危害を加えるつもりは無いというアピールなのか、よく見ればいつもの眼鏡も傷一つなく傍にあったので吉塚は遠慮なくそれを手に取って着けた。
うん、落ち着く。
着替えさせられたのか着ていたのはサイズがかなり大きい………恐らくは家政夫のワイシャツなのが気に食わないが、まあ良しとしよう。

「ごめんね、びっくりしたよね」

家政夫がそう言って吉塚に手を伸ばしたが、もう意識もハッキリしていた吉塚は派手な音を立てて叩き落とした。
雇用主の子供だからとタメ口なのも気に食わないし、そもそも誘拐犯にそうやすやすと身体を触れさせてやる程吉塚は大人しくはなかった。
向こうがそういった態度ならば、こっちもそう出るに決まっているだろう?

「高城レオン以外の奴が、俺に気安く触れんな。」

唸るように、吉塚はそう告げる。
こういう時に他の男の名前を出してはいけないことは、吉塚自身も重々承知の上だ。
案の定高城の名前を聞いた途端に家政夫の瞳は光を失い鈍くなった。
体格の良い美形の大人の真顔というのは、恐ろしいものがある。
けれども吉塚にとって引く訳にはいかなかった。
オスの居るメスに、そのオスが不在の時に手を出すという事実を分からせる為に。

「………あの男は援助交際や愛人の真似事なんかやってる汚い男だ。」
「だから?まぁ確かに犯罪ではあるがな。それを知った上で俺はレオンのメスになったんだ。赤の他人のアンタが口に出して良い話じゃねぇ。」

父親である颯太や、今吉塚家の生殺与奪を握っていると言っても過言ではない石重がそれを言うならば飲み込まざるを得ないかもしれない。
だって吉塚は未成年の少年なのだから。
けれども実際は違う。
颯太は高城に対して完全に信頼を寄せているし、石重は高城をどう思っているかなんて吉塚家と同居を許している時点でお察しだ。

「あの男の真似かな?似合わないよその野蛮な言葉遣い。止めた方が良い。」
「ハッ!何の幻想抱いてるのか知らねぇけど、生憎レオンと会う前から俺は俺だ。」

家政夫の発言を鼻で笑い飛ばす。
吉塚はまだお金持ちのお坊ちゃまだった頃から負けん気だけは強かった。
小さく線の細い身体は発育が良い男の子達の自尊心を満たす為の格好の獲物だったが、だからこそ口八丁手八丁で乗り越えてきたのだ。
それを似合う似合わないで否定されようが、吉塚には改める気などさらさらなかった。

「あ、言っとくが親や環境が云々って訳でもないぞ。」

口を開こうとした家政夫の言葉を、吉塚は鼻で笑いながら止めた。
大体ワンセットで言われるのだ。
似合わない、家庭環境が、親の躾が………余計なお世話でしかない。
生き抜く為に必要な態度だったというだけだし、礼節が必要な場所ではキチンとしている。

「………本当に、似合わないな」
「似合わなくて結構………うわっ!」

みるみる寄っていく眉間の皺を笑ってやろうかと思ったが、いきなり足首を掴まれ引っ張られてベッドに倒れ込んでしまう。
幻想が崩れたくらいで暴力とは恐れ入ったと、吉塚は呑気にそう思いながらも衝撃に備えるために歯を食いしばって目を閉じた。
しかし―――

「はぁ!?なっ!!!?」

予想とは違いナメクジが這ったような不快感に襲われ、吉塚は驚愕して目を見開く。
そこには何故か先程と打って変わって恍惚とした表情を浮かべる家政夫が、肉厚な舌で吉塚の太腿をゆっくりと舐め回していた。
今の会話のどこに興奮する要素があった!?

「私の色に染め甲斐があるよ。」
「気持ちわりぃ………」

体格差をフルに駆使して吉塚を押さえつけてじっくりと舐め回しながらねっとりとした声でそう言う家政夫に、吉塚は心の底から吐き気がした。
吐き捨てるように言った罵倒は、それすら興奮するらしくどんどんと欲望の色が灯り心做しか触れている舌がどんどん熱を帯びていく。
ひたすらに気持ちが悪い。

「やめろ」
「怖がらなくても良いんだよ、何も痛いことはしないからね」

そういう問題ではないし、なんならいっそ痛いことをされた方がマシだとすら思う。
首筋を好き勝手に這い回る舌に嫌悪感が増し、もう散々吐き出した筈の胃の中身が込み上げてしまいそうになる。
引き剥がそうと暴れようとしてみるも体格差だけじゃなくて体重差も酷すぎて全然ビクともしない。
そんな吉塚のあってないような抵抗を楽しげに笑いながら、吉塚の耳朶を舐め目元を舐めてくる。

「あんなケモノ、忘れさせてあげるからね………人間に戻してあげるよ。」

その言葉を聞いた瞬間、吉塚の脳内に言いようのない感情が芽生えた。
怒りや憎しみや、そういった負の感情が支配して逆に冷静になっていく。
誰の、何を忘れさせてやるだと?

「………腕、離して。もう抵抗しないから。腕痛いし」
「ああ、ごめんね大地………」

吉塚の上から巨体がゆっくりと退いた。
仄暗い瞳が欲望の火をより強く灯しながら吉塚を舐めるように見つめてくるが、吉塚は唇に妖しく弧を描きその太い首に腕を回して逆に引き寄せた。
唇が触れる程、近く。
そして―――

「………ぁっ、がぁっ!」
「気安く名前呼んでんじゃねぇ、ってかふざけたこと言ってんじゃねぇよ!」

男の目を、吉塚は抉るように爪を引っ掛けて潰した。
失明しようが知ったことではない。
それよりも呼吸すら苦しくなる程の怒りが完全に吉塚を支配していた。
目を押さえ蹲る男の無防備な後頭部に、ベッドサイドに置いていたルームランプを思い切り体重をかけて振り下ろして殴りつけた。

「あの美しいケモノは俺のオスだ!ケモノの俺が選んだ、俺だけのケモノだ!忘れさせてやる?人間に戻してやる?ふざけんな!俺は俺のために、レオンはレオンのためにケモノであり続けてんだ!」

傷付いた幼いケモノだった。
確かにケモノであることをやめたいと思った時もあった。
人間であるフリをした方が過ごしやすかったけれども、呼吸がしにくくて仕方なかった。
誰も彼もが大人しくて気弱だと見下して、いろいろな意味で痛めつけようと寄ってくる。
高城だけがケモノである吉塚に居場所を与え、ケモノのままの吉塚を愛してくれる。
人間であれと、求めたりなんかしない!

「………クソガキが!」
「クソガキにちんこ勃ててイキがっても、説得力ねぇんだよ。」

片目を押さえ息を荒らげながら忌々しそうに睨み付けてくる男に、吉塚はそう吐き捨てる。
結局の所、この男にとっても弱い吉塚以外は認められないのだ。
そういう所も、吐き気がする。

「お人形が欲しいだけなら別の奴にしろ。俺はケモノだからな。気に食わねぇなら喉笛喰いちぎって逃げるさ。」

ルームランプを握り締めたまま吉塚はそう言って不敵に笑う。
ケモノの笑顔だ。
それでも美しいと男が感じた瞬間、扉の向こうが慌ただしい音を立て始めたのだった。
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