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1章
悪夢
しおりを挟む―――気が付くと、俺は悪夢の中にいた。
緑の木々が生い茂っていた森林は既に破壊の限りを尽くされ、多くの緑は薙ぎ払われ、浸食され、腐敗していた。生い茂る木々により暗く見通しが悪かったそこは、その木々がなくなったことで、すっかり見通しが良くなってしまっている。とはいえ、引き換えに生み出された木々の残骸、根元を残してその先を失った切り株とすら言えない残り粕、そして腐敗した緑が放つ鼻につく強烈な悪臭。それはその場所を元の暗い雰囲気であった不気味な森の中よりも、遥かに不気味で、嫌悪感を感じる場へと変えていた。
そして、最悪なのはこの状況を生み出した元凶である眼前の化物だ。
全長は目測でも三メートル以上、優に人二人分はある。
その全身は一応人型を保って入るものの、黒い粘液のようなもので構成されており、目や鼻などのあるべき部位は殆どない。あるものと言えば、手足と本来なら耳があるであろう場所までパックリと避け、鋭い牙が夥しい程に生えた口のみ。後は黒い粘液で出来た触手のようなものが幾つも伸び、うねうねと蠢いていた。
だが、何よりも悍ましかったのは、その化物の透けて見える体内。そこに……良く見知った者の―――師匠の顔があることだ。
―――ああ、俺はこの光景を知っている。あの敵を知っている。そして……この先の結末を知っている。
待っているのは最低の結末だ。救いなんてない。希望なんてない。逃げることもできない。
残るものと言えば、罪悪感と果てのない後悔のみ。そんな最低の未来。
自分の生涯を間違った方向へと歩ませることになったターニングポイント。
俺は今……そこに立っていた。
いや……そうだ。わかっている。これは夢だ。
俺があの日、あの場で起こったことで、失ったものが見せる幻肢痛。それがこの夢に他ならない。
ここで起きたことは全て過去の産物で、この先を変えることなんてできなくて、俺はただ決定づけられたこの先をなぞることしかできない。
だが、だからと言ってこの先に起こることを無感動に、無感情に、無抵抗に見続けることなど、できるはずがなかった。
―――いやだ。止めてくれ……お前のその行動は間違っているんだ……。
一度その人生終わりを経験してきた今の自分にはそれがわかる。
この先には絶望しかなくて、ここで道を決定的に間違えてしまったこの事件の後の過去の自分の未来には破滅しかない。
だからこそ、俺の意思はこれから先の未来を変えようと必死に動きを止めようと試みるが、
「―――Access……Black-gladius,Generate」
≪―――接続……黒剣、生成≫
その意思とは裏腹に、俺の右手には漆黒の剣が出現する。
―――やめろ……やめてくれ……
俺の意思は必死に抗い続けるものの、それでも夢の中の自分の動きは止まらない。
俺の足は迷うことなく、化物の元へと向かっていく。
「キシャァァァァアアアァァァ―――ッ」
それに反応するように、化物は聞くものを恐怖させる悲鳴にも似た声を上げる。
常人なら恐怖のあまり一歩も動けなくなるような、そんな狂気を孕んだ奇声。
しかし、俺は常人ではない。
俺の足は怯むことなく化物の元へと向かっていく。
気が付けば、俺の頬には涙が伝っていた。
―――だめだ。頼む俺を止めてくれ……
俺は化物に対してまでそんな願いを抱く。だが、俺は知っている。奴は俺を庇って取り込まれた師匠が中からその動きを抑制している。それ故に、奴は満足に体を動かせない。だからこそ俺はほぼ無抵抗の奴を滅ぼせる……中でその動きを止めている師匠とともに……。
師匠だけを助ける方法を何度も考えた。だが、どれも現実的ではなく、実行することの出来ぬものばかり。何より奴は純粋に強い。もしも奴が再び解放されればどれほどの被害が生まれるかは想像に難くない。……この時の俺には他に方法などなかった。
「キシャァァアッ キシャァァァアアァァァ―――ッ」
化物が近づく俺に対し、攻撃を加えようと暴れるがしかし、中で師匠がその動きを抑制しているが故に、身動きが取れないらしく、奇声を上げながら激しく暴れている。
動けない化物はせめてもの抵抗とばかりに触手で攻撃を仕掛けてくるが、出所さえわかっていればこの程度の攻撃は怖くない。俺の体は触手の攻撃の嵐を最小限の動きで避けながら、散歩するかのように化物の元へと歩みを進めていく。
―――くそ、ふざけるな……俺はもうあんな光景を見たくは……
見たくない。俺はもう見たくない。あんな間違った過去の自分の決断を見たくはない。
だが、無情にもその時は訪れる。
俺は剣の届く間合いまで接近すると、化物の攻撃が来るよりも早く、腕と触手を切り落とした。
「グギャァァァァアアアァァァ―――ッ」
痛みなどないだろうにも関わらず、泣き叫ぶように声を上げる化物。
しかし、すぐに切り落とされた化物の手足と触手はゴポゴポと音を立てながら再生しようとしている。
だが、それでは遅い。俺は再生が終わるよりも早く、剣を握る右手を振り上げ、
「……師匠、さよならです。今までありがとう……ございました……ッ」
―――やめろ、やめるんだ。他に道はきっとあるッ!! だから、おねがいだから……サーシャを、俺の大切な人を殺さないでくれぇッ!!
涙を流しながらその腕を振り下ろした。
****
―――そして、目が覚めた。
陰鬱な雰囲気であった夢とは違い、部屋の様子は明るかった。
もちろんここはあの鬱蒼と茂った森ではないし、あの忌まわしい化物もいない。
いつも通りのなんてことのない普通の朝。今の日常だ。
窓を見るとカーテンにより遮られてはいるものの、僅かに空いた隙間からは温かな日差しが差し込んでいた。
「……嫌な目覚めだ。ったく、朝からなんてものを見せやがんだよ……」
本当に……嫌なものを見させられた。
あの夢は長らく見ていなかったというのに、何故今になって……。
まぁ、ここで考えていても仕方がない。
今日は弟子たちの卒業試験をすることになっているのだ。
というのも、そろそろあいつらの年齢が十に達し、魔法学園の試験資格を得たということで、三人が王都へと旅立つことになったのである。
王都へは定期的に出ている……っとは言っても年に数本ではあるのだが、とにかくその馬車に乗って向かう予定らしい。
因みに、先だって必要な諸々のお金は母さんが用意した。三人はしきりに遠慮しようとしていたがそれを母さんが強引に押し通した形だ。三人も資金面に関しては不安があったのは否めなかったらしく、結局は頭を下げながら大人しく受け取っていた。
……まぁ確かに三人が見当たらなくても放っておくようなシスターが出資してくれるとは思えないしな。
とにかく、そんなこんなで、今日はあいつらの卒業試験、もとい、名目上は俺の卒業試験を行うことになっているわけだ。
もっとも、肝心の試験の内容はまだちゃんと決まってなかったりするんだけどな。
いや、マジでどうしようか……? 方針は固まっているし、案も無いわけではない。そう、ないわけではないのだが……それには俺の本気をあいつらに見せる必要があったりするわけで……。
それをすれば当然卒業試験に立ち会うであろうエリシアに実力がバレるのは必須。
正直、他の方法はないものかと、考えどころである。
とはいっても、三人が居なくなるということは、このままだと俺もこの村で動きにくくなってしまうわけで、それを避けるためにも今日のこれは母さんに事実を告げるいい機会なのかもしれないと思わなくもない。
正直ちょっと……いや、かなり迷ってる。
「さて、どうしたものか……でもこれ以上母さんに嘘をつくのはちょっとな……」
俺はもう可能な限り母さんに嘘はつきたくない。
あの人は俺のたった一人の家族だ。
その人に嘘をつき続けながら生きる人生は……きっととても辛い。
確かに俺の気持ちは既に打ち明けた。だが、俺自身の事に関してはまだ歪めて伝えたところが多い。
……いい加減潮時なのかもしれないな。
と、俺がそこまで考えたとこで、
『ヴァ~ン? そろそろ起きて準備しないとレオ君達との約束に間に合わないわよ~?』
母さんの声がリビングの方から聞こえてきた。
どうやら先に支度を終えて待っていてくれているらしい。
そんな何でもないことに何故か思わず笑みを浮かべてしまう。
母に注意されて朝の支度を急がされる、そんな普通の日常の一幕。
だが、そんな日常があることが当たり前ではないことを、俺は身をもって知っている。
だからだろうか? 俺がこのやり取りに思わず喜びを感じてしまうのは。
俺は母さんに聞こえるように『ありがとう! 今行くよ!!』と返すと、ベッドを降りる。
「はぁ、ここで考えていても仕方ないか、どちらにせよこのままここに居たら約束に遅刻してしまうしな」
俺はそんな日常の喜びをかみしめながら、約束の時間に遅れないように急いで支度を始めた。
****
準備をしてリビングに向かうといい匂いがした。
どうやら母さんは既に準備を終え、朝食を作って待っていてくれたらしい。
俺は待たせたことを軽く謝ると、母さんと一緒に軽い朝食をとり、それが済むとそのまま一緒に森の入り口まで向かった。
森の入り口には約束通りレオとエリスとノアが三人そろって俺と母さんを待っていた。
「あっやっと来たわね、ヴァン君、それにエリシアさん。ヴァン君、二分ほど遅刻よ? あ、エリシアさんはいいんです。ゆっくり来てくださいね」
ちょっと待てノア、お前俺と母さんの扱いの差おかしくないか?
なんだ二分の遅刻って……お前は俺の姑かなにかなのか?
確かに演技はしろと言ったがこういうものは求めてないぞ。
それに、なによりそこはかとなくむかつく。
……あとで覚悟しとけよ。
「うっ何故かしら……変な寒気が……」
ふっ、勘のいいやつだ。安心しろ卒業試験までの間たっぷりゴブリンあてがってやるから。覚悟しとけ、今日はゴブリン祭りだ。
「遅いぞししょ……っと違うや、ヴァン!! あ、エリシアさんおはようございます!」
おい、レオ。お前はまだ師匠呼びが抜けないのか?
いや、確かにエリシアのいないところではこいつはまだ俺の事を師匠と呼び続けてるから仕方ないっちゃ仕方ないんだろうが、それでも訓練にエリシア混ざってからもう数年だぞ?
いい加減切り替えできるようになってもいいんじゃないか?
「あっ! おはようございま~す! エリシアさん、ヴァンせ……じゃなくてさん? くん? もうなんでもいっか! ヴァンちゃん~!」
うん、もうエリスは無理するな……なんでもいいよ。
なんか一周回って初期の母さんみたいになっちゃてんじゃねぇか……。
まぁ仕方ないよな。呼び方切り替えるのって難しいもんな。
え、エリスに甘くないかって? そんなことないさ、俺は平等だ。
「ごめんね、ノアさん、レオ君、エリスちゃん。ヴァンがなかなか起きてこないものだから……」
あっ母さん、今しれっと全責任を俺に擦り付けたな? 確かに夢見が悪かったせいで俺の支度が遅れたのもあるが、一番の原因は母さんが俺の食事風景を微笑ましく眺めすぎて全然食べ終わらなかったことだろうに……。
まぁ、とは言っても、俺が朝遅れたのは事実、ここは諦めて汚名を背負うとするか……。
「ごめんなさい……ノアお姉ちゃん、レオお兄さん、エリスお姉ちゃん。次からは気を付けるね!」
「(お、おい……ノア、エリス。まずいぞ……師匠のあの顔、絶対後で何か仕返ししようと企んでる顔だぞ?)」
「(ええ、そうね。いつもの二割増しで演技が臭いもの……絶対殺る気よ。演技をしろって言ったのはヴァン君の方なのに……)」
「(ふぇぇぇ、ヴァン先生がなんか怖いよぅ……)」
おい、お前ら、全部聞こえてるからな? この距離で俺に隠れてこそこそ話しできると思ったら大間違いだぞ。だいたいお前らにとって俺は鬼かなんかなのか? なんだ殺る気って、別に殺しはしないぞ? まぁ半殺しにしたことなら無くも無いけどな……いや、体力的にだぞ? それならセーフだよな? もう一歩も動けないってくらいは普通のラインだよな? あと、俺の演技は超完璧、臭くなんてない。
「ふふ、とにかく。全員そろったみたいですし行きましょうか? 今日はヴァンの卒業試験もあるのよね? なら早くいかないと訓練する時間なくなっちゃうわよ」
エリシアの声に皆そろって頷くと、五人そろって薄暗い森の中へと入っていった。
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