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番外編
あなたの名前
しおりを挟む「そういえば、前から気になっていたのですが」
コーヒーが飲みたくなってリカリット国に遊びに来ていたある日のこと。ツヴェルが思い出したようにそう言い出した。
「貴女の前世でのお名前は何だったのですか?」
「私の名前?」
突然そんなことを聞かれるとは思わなかったので、私は少し驚いた。
そして顎に手を添えて、「うーん」と困ったように考えるポーズする。
「ごめんなさい、実は覚えてないのよ」
「覚えてない?」
「ええ。過去での出来事とか、思い出とかは何となく覚えてるんだけど、名前だけすっぽりと抜けているのよね」
「へぇ、それは不思議ですね」
そう。私は前世での名前を一文字も覚えていない。
生まれた時からそうだった。何故だかそこだけは虫食い状態になったみたいに思い出すことが出来なかった。
この世界でヴァネッサベルとして生まれたから、昔の名前を必要としていない、とかそういうことなのかしら。だったら思い出だっていらないんじゃないかな。いや、いらないこともないんだけど。それがあったおかげで色々と助かったんだし。
「前世の記憶がある人なんて僕の周りにはいないので、少し気になったんですけど……」
「まぁ、そりゃそうよね。私だって他に似たような境遇の人には会ったことないわ」
「僕だけが知る貴女の秘密があればと思ったのに、残念です」
「……どうして貴方だけに教えると思ったのかしら」
私は隣で体を丸めて寝ているノヴァの頭を撫でた。
ここはいつものツヴェルお気に入りであるカフェの個室。おかげでノヴァもこうしてのんびり寛ぐことが出来る。
私もゆっくりコーヒーが飲めて最高。良い友人を持てて幸せだわ。
「でも、どうして急に?」
「いつでも僕は貴女のことを知りたいと思っているのですよ」
「……諦めが悪いわね。それより、弟くんの方はどうなの?」
「ロッシュですか? 相変わらず猛アタックしてますよ」
「意外と一途よね。可愛いこと」
「僕も一途ですよ?」
「……そのようで」
何でこんなに積極的なのかしら、この王子様は。
今の私、お尋ね者なのよ。それが王子様とこうして密会してるってだけで問題なのに。
そもそも私はコーヒーを飲みに来ただけなのよ。それなのに気付いたらツヴェルが隣にいたのよね。まぁ、彼の耳なら私が来たことにすぐ気付くからだろうけど。
私も個室でゆっくり出来るしノヴァを外で待たせることもないから良いんだけどさ。
「僕はこの国が好きですが、王にならずともこの国を守ることは出来ます。それに次期王は第一王子である兄上がなる。つまり、僕は他国の人と結ばれても問題は無いのですよ」
「グイグイ来るわねぇ」
いくらなんでもお尋ね者と結婚するのは問題ありまくりじゃないのかしら。
残念なことに、これだけ積極的にアプローチされても私の心はビクともしない。ツヴェルはとても魅力的なのに不思議よね。
「貴女は、誰かと添い遂げようとは思わないのですか?」
「今のところは、別に? 一人暮らしってわけじゃないし、ノヴァとルシエルと一緒だから寂しくもないわ」
「そうですか。ルシエルの様子はどうですか?」
「もう体力も回復したし、日常生活を送る分には問題ないわ。お留守番もできるようになったし、今日もあの子からたまには遠出でもしてきたらどうですかって」
「へぇ、それは良かった。いつか、貴女の家に遊びに行かせてくださいね」
「ええ、待ってるわ」
最後の一口を飲み終え、私は席を立った。
たまには誰かとお茶をするのも悪くないわね。ルシエルに何かお土産を買っていかないと。
それにしても、名前か。
気にしたことなかったわ。
「ベル」
「ん?」
名前を呼ばれて振り返ると、ツヴェルがいつもの笑顔で手を振った。
「また、いつか」
「ええ、またね」
ノヴァの背に乗って、私は颯爽とリカリット国を出た。
今の私はヴァネッサベル。
二人で一つの名前。彼女から託された、大事なもの。
それだけあればいい。
「ねぇ、ベル。貴女が起きたら、一緒にコーヒーを飲みに行きましょうね。ベルも気に入ってくれるといいけど」
いつまでも、貴女の目覚めを待っているわ。
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