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45.過去と比べて

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 週末、僕は再び実家の男爵家に帰っていた。
 アーネスト様からお誘いはあったけど、僕は家族が恋しくて、今週は帰らせて欲しいとお願いしたんだ。
 今の僕にとって、学園はあまり居心地のいい場所じゃなかった。自分を受け入れてくれるホームに帰って、心を癒したかったのもある。

 寮に申請を出して、手早く帰る準備を済ませる。
 乗り合い場所の停車場へ行こうとしたら、ウィルフレッド様が馬を連れて佇んでいた。

「こんにちは、ウィルフレッド様。お出掛けですか?」

 僕が挨拶すると、ウィルフレッド様はにっこりと微笑む。

「ああ、君のご実家に伺おうと思ってね。君も一緒に行かないか」

「えっ、でも……」

 僕って、先週馬から落ちたばかりなんでは?
 そう思って不安そうな目でウィルフレッド様を見てしまう。
 ウィルフレッド様は苦笑して、僕の頭を撫でた。

「落としたりしないから、安心しなさい」

 その言葉はどうしてかすんなり信用できて、僕は頷いた。
 ウィルフレッド様に手を引かれながら、馬に乗せてもらうと、いきなり高くなった視界に、ちょっとだけ不安になる。
 身を固くした僕に気付いて、ウィルフレッド様はそっと後ろから片腕を回すようにして支えてくれた。僕の体を包み込むように手綱を握られると、恐怖感はぐっと薄れてホッとする。
 
「あまりスピードは出さず、ゆっくり行こう」

 ウィルフレッド様の気遣いに、僕は頷く。
 駆け足でなくても、乗り合い馬車よりはずっとスピードがあるから、そんなに急がなくても全く問題はない。多分、おやつの時間にはあっちに着くんじゃないかな。

「あの、ウィルフレッド様、ありがとうございました」

「気にするな、目的地は一緒なのだから。それに、今の君を乗り合い馬車に乗せるのは、いささか不安だからな」

 ウィルフレッド様は純粋に僕を心配してくれたのだろうとわかっていたけど、僕は何だか胸が痛くなった。
 だってそれって、前の僕だったら問題なく乗合馬車に乗せられたってことですよね?
 嫌な風に考えたくないけど、最近僕はどうしても以前の僕と今の僕を比較してしまう。比べて僕の方がいいところなんてないってわかってるのに、いちいちモヤモヤしちゃうんだ。
 多分、こんなことでウジウジ悩むことすら、前の僕はなかったんだろうな。

 大きな街道を抜けて人通りがまばらになると、田舎に続く道は長閑でいい景色だった。
 僕とウィルフレッド様は、道中色々とお喋りをしていたんだけど、僕がウィルフレッド様のところで専属のアルバイトをしてたって話になった。
 今日はいいお天気だし、僕はなにかウィルフレッド様にお礼できないかなって前から思っていたから、これならと思い立ったんだ。

「ウィルフレッド様、もしよろしければ何か歌いましょうか?」

 記憶はないけど、体はおんなじなんだもの。歌だったら、前とそんなに変わらないんじゃないかな。
 専属のアルバイトまで申し出るぐらい歌が好きだったなら、きっと喜んでいただけるはず。
 そんな自分の考えがとんだ浅はかだったことを、僕はその時気付きもしなかった。

「それじゃあ、君の好きな歌を頼む」

 そう言われて、僕は昔からよく知ってる讃美歌を歌った。
 牧歌的で優しいメロディは僕のお気に入りで、穏やかな今の風景にも良く合っていたし、教会で歌うといつも皆が褒めてくれたから。

 僕は歌い終わって、少しだけ後ろを振り返った。ウィルフレッド様が喜んでくれる顔を見たかったからだ。
 だけど、ウィルフレッド様は僕が想像していたみたいな笑顔じゃなかった。
 何がお気に召さなかったのかはわからないけれど、その顔にはありありと『違う』と書いてある。失望とまではいかないけれど、僕がウィルフレッド様をがっかりさせてしまったことは明らかだった。

 僕は、少しだけ膨らんだ心が、しなしなと萎んでいくのを感じた。やっぱり、僕なんかじゃだめなんだ。そんなこと、わかってたのに。
 いや、わかってるふりで、ほんとはわかってなかったのかな。もしかしたらいつの間にか、今のままの僕でもいつか受け入れてもらえるんじゃないかなんて、都合のいいことを考えていたのかもしれない。
 そうじゃなきゃ、こんなに気分が落ち込んじゃうわけないもの。

 勝手に勘違いし始めてた僕が悪いのに、ウィルフレッド様を困らせるわけにはいかない。
 僕は気付かなかったふりで、明るく「どうでしたか?」って尋ねた。
 ウィルフレッド様は、とてもよかったと言ってくれたけど、それが本心でないのは僕にはよくわかっていた。

「以前の僕は、どんな歌を歌ってたんですか?」

 僕がそう訊くと、ウィルフレッド様は前の僕がオリジナルの色んな歌を歌ってくれたことを話してくれた。
 異国の言葉で歌う歌は、ちょっと寂しそうで切ないメロディだったけど、誰もの胸を打つ素晴らしい歌だったんだって。
 だんだんと熱がこもった口調で話すウィルフレッド様を盗み見ると、凄く楽しそうでキラキラした表情をしてた。
 ほんとに、ウィルフレッド様は嘘の吐けない方なんだなあ、と僕は苦笑してしまう。

 僕は、これからどうするべきなんだろう。
 記憶を取り戻さなきゃいけない。それはわかってる。だけど、もし戻らなかったら?
 お二人は僕のことをどう思うだろうか。
 諦めて離れていってくれるなら、それでいい。それは仕方がないことだから。だけど、いつか記憶が戻ると信じてこのまま傍に居ることを望まれたら、どうしたらいいのか。
 
 僕はまだ、お二人のどちらのこともきっと本気で好きなわけじゃない。だから、離れるのも少し寂しい程度だし、今みたいなこともちょっと残念に思うくらいだ。
 だけど、もしもこのままの状態が続いて、どちらかのことを好きになってしまったら、僕は耐えられるだろうか。


 
 そんなことをつらつらと考えているうちに、僕達は僕の家に辿り着いた。
 家族は歓迎してくれて、ちょっと遅いお昼とお茶をしながら、和やかな時間を過ごす。
 ウィルフレッド様は明日はご用事があるとかで、晩餐前にはお帰りになった。父様と約束していたと言っていたけど、本当は僕を送ってくれるためだったんじゃないのかな。
 その気持ちはすごく嬉しいし有り難かったけど、何だか今はちょっとつらい。

 僕は、僕が幼い頃に描いたという『ウィルフレッドの冒険』をパラパラとめくった。
 絵も文章もよくできていて、とても子供の頃の僕が作ったなんて信じられない。
 それに、幼い頃の話のはずなのに、絵本に描かれた主人公は、今のウィルフレッド様に良く似ていた。まるで、今の姿を見たことがあるみたいにそっくりだ。
 それに、これを読むに、相当なウィルフレッドへの思い入れを感じるんだけど、実際に僕がお慕いしてたのはアーネスト様なんだよね??
 普通に考えれば、ウィルフレッド様を好きになりそうなものなのに。なんか、前の僕のこと、僕はよくわからない。恋は理屈じゃないってことなのかな。


 翌日は、僕は手帳を片手に街をうろついていた。税の分割を希望してる領民の人達から、税を集めるためだ。
 税って普通はお金で取るものだと思うんだけど、手帳には小麦とか野菜とか書いてある。だけど、けして適当ではなくて、きちんと現金換算した時に釣り合いが取れるように考えられていた。
 これも、記憶がなくなる前の僕が書き留めていたもの。実際手帳の文字は間違いなく僕の字そのもので、僕は現実を認めざるを得なかった。

 三つ子にカートを引いてもらながら作物を回収して、最後に変な占い屋さんに辿り着いた。
 手帳には、クッキー3、香水2、SPポーション3と書いてある。これだけ毛色が全然違うなぁ。
 
「こんにちはぁ」

 ちょっとドキドキしながら中に入ると、薄暗いカウンターの奥から、いかにもって感じの黒いローブのおばあさんが出てきて、口を歪めた。多分笑った……のだと思いたい。

「ヒッヒッヒッ、待ってたよ」

「あ、ありがとうございます」

 おばあさんには多分悪気なんて少しもないと思うんだけど、どうにも居心地が悪いなぁ。
 そんなことを思いながら店内をそろそろと見回して、僕はハッと気が付いた。
 もしかして、ここになら僕の記憶を元に戻せるようなものがあるんじゃない!?

「あ、あのっ!おばあさん!」

「ジュリエッタちゃんと呼びな!」

 えぇ。このおばあさん、ジュリエッタって言うんだ。全然そんなイメージではないけど、人様の、特に女性の名前に文句を付けるのが失礼だってことは僕にだってわかる。
 僕は素直におばあさんを「ジュリエッタちゃん」と呼び直した。年上の人に随分気安いと思ったけど、ご本人が満足そうなら仕方ないよね。

「実は僕、一部の記憶が飛んでて。もしかしたら何か助けになるようなものをご存じじゃないかと」

 藁にもすがる思いで言ったのに、ジュリエッタちゃんはフームと軽く唸った後、きっぱりとした口調で言った。

「ないっ!!!」

「えええ、そんなぁ。こんなにあやし……いや、不思議な物がたくさんあるのに???」

「私が売ってるのは恋愛成就のアイテムがメインだからね。あとは体力を回復させたり、防御力を一時的に高めたり、致命傷を避けるお守りしかないよ」

 それのどこが恋愛成就のアイテムなのさ。僕にはさっぱりわからないよ。
 恋には時には体を張ることも必要ってこと???難解すぎる。
 胡乱な顔をした僕に、ジュリエッタちゃんはカッカッと口を開けて笑った。

「そう悲観的になるもんじゃないよ。どの世界でも、失った記憶を呼び戻すのは愛と相場が決まってるんだ。アンタが頼んでたこのクッキー、アンタ指定の特注だよ。贈るはずだった相手に渡せば、きっと何か思い出すはずさ」

 そう言って渡されたクッキーは、一個だけAの形をしたものが入っていた。ラッピングのリボンは綺麗な青色。
 きっと僕は、これをアーネスト様に渡すつもりだったんだろう。両想いだったんだから、そりゃそうか。
 僕はおばあさんにお礼を言って、それらを受け取って屋敷に帰った。
 そして、受け取った野菜を市場に運びがてら荷馬車に乗せてもらって、まだ陽があるうちに学園寮まで戻る。

 二つのクッキーはとても軽いのに、何故かずっしりと重く感じた。
 ひとつはアーネスト様に渡す。でも、もう一つは?

 アーネスト様の喜ぶ顔と同時に、ウィルフレッド様の顔が頭に浮かんでしまう。
 記憶が戻る前の僕の気持ちを尊重しなければいけないと思うのに、胸がモヤつく。
 鞄に入れたクッキーを取り出して、僕は暫くそれをじっと眺めていた。

 
 
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