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 ──……最近予約がなかったのって、そういうこと……?

 誕生日を丸一日一緒に過ごすため、がんばってお金を貯めているのだろうと勝手に思っていた。
 自分がわがままを言ったせいでみっちゃんに一ヶ月近く会えなくて、イライラして……でもリョクも九月三十日が来るのを心の底から楽しみにしていた。
 他の客にはそれぞれ適当に嘘の誕生日を伝えていたが、みっちゃんに教えた誕生日だけは、リョクの本物の誕生日だったから──……

「……リョク?」

 袖を引かれて、ようやくリョクはハッと我に返る。
 ショウを見つめ返したリョクは、誤魔化すように作り笑いを浮かべた。

「ごめん、友達見つけちゃって」
「ふーん……行こ」
「……うん」

 後ろ髪を引かれながら、割と近くにあった靴屋へと向かう。
 しかし、店に着いてからも、リョクの頭の中を占めるのはみっちゃんとその隣にいた謎の男のことばかりだった。

 ──ぶざけんなよ、あいつ誰だよ。俺のみっちゃんにちょっかいかけやがって……!

 遠目からでもわかる見目の良い男だった。
 一瞬、同じ業界の男かとも思ったが、おそらく違う。ただの勘だが、夜の世界の人間ではないだろう。

 ──友達……家族……そういえば弟がいるって言ってたな……にしては全然似てないか……マジで彼氏とかねぇよな……ありえねぇんだけど……

 胸の奥がぞわぞわした。
 頭に血がのぼる感覚と血の気が引く感覚が同時に押し寄せてきて、さっき目にした光景が頭の中で何度も繰り返される。
 怒りと、焦りと、悲しみと、どうしようもない不快感。
 それらすべてが一気にリョクの胸に込み上げて、リョクは今にも暴れだしたい気分だった。

「リョク、これとこれどっちがいいかな?」
「……右」
「なんで?」
「シュン、黒好きじゃん」
「…………俺、ショウだけど」

 ──あっ……やっべ……

 ふたりの間に気まずい沈黙が流れる。
 言い訳なんてできるはずもなく、リョクは「ごめん……」と素直に謝った。
 しかし、謝れば許されるかと言えばそうでもなく、ショウは酷く傷付いた顔をして無言で店を出て行く。
 リョクはあわててその後を追った。

「ショウ、本当にごめんっ!」

 リョクは引きとめようとショウの手首を掴んだ。だが、その手はショウによってすぐに振り払われてしまう。
 振り返ったショウは、涙目でリョクを睨んでいた。
 ショウは唇を震わせ、切れ切れの声で言葉を吐きだす。

「……お、れだって、本当は、リョクが俺のことなんとも思ってないことくらい、わかってるよ……でも、でもさ……俺はリョクのこと好きだから……あからさまに雑に扱われるとつらいよ……お金払ってんだから、恋人のふりくらいはちゃんとしてよ……っ」

 ショウの大きな目から、ぼろぼろと涙がこぼれ落ちていく。
 初めての窮地にリョクは狼狽えた。

 ……とはいえ、こんなときでさえリョクに『申し訳ない』なんて気持ちは微塵もなかった。
 おそらく、夜の仕事をする人間というのは皆そうだろう。散々金を巻き上げてきた相手が泣いたくらいで自責の念に駆られるような繊細な人間は、この世界で生き残れない。

 しかし、それはそれとして、名前を呼び間違えるなんて致命的なミスをやらかしたのは今日が初めてだ。
 これに関しては完全にリョクが悪い。

 ──クソッ……!

 奥歯を噛み締めて、リョクは深々と頭を下げた。

「本当にすみませんでした」
「…………もう、今日は帰る。店にクレームは入れるから」
「はい……」
「……次会ったときはちゃんとして」

 ──いや、次も俺指名すんのかよ。

 心の中でツッコミつつ、頭は下げたままでいた。
 ショウの靴が踵を返して遠ざかっていくのを確認してから、リョクはさっと頭を上げる。
 そして、ショウが去っていったのとは逆方向へと一目散に走り、横断歩道を渡って反対側の歩道へと向かった。

 もう、ショウのことも、店に入れられるクレームのことも、この際どうでもいい。
 リョクの頭の中は、みっちゃんと謎の男のことでいっぱいだった。

 みっちゃんがいたコーヒーショップが見えてきたところで、リョクは一度足を止め、息を整える。
 リョクがおそるおそるコーヒーショップへ近付くと、先ほどと同じ窓際の席にみっちゃんと謎の男はいた。
 並んで席に座って、コーヒーを飲みながら楽しげに談笑している。時折顔を近付けて、こそこそとなにか囁き合っているようだ。

 楽しげに笑っているみっちゃんの顔を遠目から見るだけで、リョクの胸はきゅっと締め付けられた。
 みっちゃんにそんな顔をさせられるのは自分だけだと、自惚れていたわけではない。
 ただ、嫌なのだ。自分以外がみっちゃんを笑わせることも、自分以外がみっちゃんに笑いかけられることも。

 道に立ち尽くすリョクの横を、怪訝な表情をした人々が無言で通り過ぎていく。
 いったいどれだけの時間、そこでそうしていたのだろう。
 リョクはただ、みっちゃんの楽しそうな顔を、はにかむ口元を、赤く染まる頬を、じっと見ていた。
 それでも、隣の邪魔な男を視界から消し去ることはできない。

 ──……ああ、もう無理だ。

 頭に血が上ったリョクは、ふらりと一歩足を踏み出す。
 今すぐあの男をぶん殴って、みっちゃんから引き離したい。
 そんなむちゃくちゃで理不尽な怒りにリョクが突き動かされた、そのとき──リョクのスマートフォンからけたたましい着信音が鳴り響いた。
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