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「っ~~なんで『もっと恋人コース』で予約してねぇんだよっ、あいつは!!」
思わず手元のスマートフォンを投げ出しそうになるのを堪えながら、リョクはその場で地団駄を踏んだ。
すると、離れた席で本を読んでいた同僚のミナトがこちらを振り返り、うざったそうに顔をしかめる。
「うるさいんだけど。ここお前だけの控え室じゃないから、騒ぐなら出てけよ」
「うっせぇなぁ。ちょっとでかい声出しただけだろうが。いちいち小言言ってくんなよ」
毒づきながら、リョクはソファに勢いよく腰を下ろす。
ギシっと嫌な音がしたが、気にはしない。どうせ店の備品だ。壊れたところでリョクの知ったことではなかった。
──……この俺が自分から営業持ちかけて、タダであそこまでしてやったっていうのに、いったいどういう神経してんだよ!?
リョクは目の前の菓子置きに置かれていた煎餅を掴み取り、ばりぼりと貪る。
どうしようもなくイライラしていた。
理由は他でもない、最近新しくリョクを指名するようになった『みっちゃん』のせいだ。
出会いは二ヶ月ほど前。みっちゃんの家で初めて会ったときは、かなりの好印象だった。
若くて、顔もかっこよくて、体もほどよく筋肉質なエロい感じで。話すと男慣れしていない、奥手なひとなんだということもすぐにわかって、そういうところもリョクにとっては至極好ましかった。
この手のタイプの客はキャストにとって『アタリ』……言い換えれば『カモ』である。
恋愛慣れしていない客は、比較的キャストにのめり込みやすい。それゆえに後々地雷客に進化する可能性ももちろんあるが、そのときは客を出禁にするなりこちらが飛ぶなりすれば良いのだ。もしものことなどそう深く考える必要もない。
先日、六回目のデートでみっちゃんに『もっと恋人コース』の営業を持ちかけた。
見た目も中身もタイプだし、ああいう経験のない相手は性技で落とした方が楽だからだ。
正直、リョクはみっちゃんが絶対話に乗ってくると思っていた。今まで断ってきた客はいないし、そもそもセックスに興味のない人間がわざわざ風俗店を利用するわけがない。ただデートがしたいだけなら、サービス業としてやっているレンタル彼氏専門の店を利用すればいいのだから。
……けれども、『もっと恋人コース』をリョクが持ちかけたときのみっちゃんの反応は微妙だった。困ったような顔をして、しまいにはまた『練習』だからと、遠慮がちにリョクの申し出を断ってきた。
リョクにとって、ここ数年で一番の屈辱である。
──いやでも、結果的には断られたわけじゃねぇよな……?
初回無料サービスだとかむちゃくちゃなことを言って押し切り、結局キスと軽い愛撫はみっちゃんも許してくれた。
……とはいえ、かなり強引だったのは否めない。説得というより脅しに近かった。接客中は猫をかぶっているリョクにとって、実はめずらしいことである。
──『練習』って言われると、なんか無性にイラつくんだよな……
別に悪いことではない。客がどういう理由でリョクを指名しようと、それは客の自由だ。
しかし、みっちゃんはリョクの向こうにまだ見ぬ誰かの幻を見ていて、いつかはその誰かと本当の恋人になるのだと──自分はそのための謂わば踏み台なのだと思うと、カッと頭に血がのぼってしまう。
リョクがこの店で働き出してから、来月でちょうど一年。
なんだかんだで長く働けている。自分でいうのもなんだが、かなりの売れっ子だ。ほとんどレンタル彼氏の仕事しかしていないが、それでもそこいらのサラリーマンの何倍も稼げている。
前は別のウリ専の店で働いていたが、今の店の方が待遇がいいので引き抜かれる形でここに来た。
この店はなんといっても、性サービスを提供する客をキャスト側が選べるのが最高に良い。店長が元キャストなので、風俗業でも働きやすい職場を目指して色々と試行錯誤しているのだという。
いくら金のためとはいえ、不快な相手とセックスすることが苦痛だったリョクにとって、今の店からのスカウトは渡りに船だった。
本性を隠してにこにこと笑っているだけで金を稼げるこの仕事は、顔の良いリョクにとって天職だ。
ちょっと優しくして、甘い言葉を囁くだけで、客はみんなリョクのことを好きになる。扱いにくい客や面倒くさい客も多いが、結局のところみんなリョクに嫌われることを恐れているので、力関係は常にリョクの方が上だった。
この店の客は、性欲処理を目的として店を利用しているわけではない。彼らが求めるのは、いわゆる疑似恋愛だ。
そんなものにハマって大金を貢ぐ客というのは、どこかしらで寂しさを抱えている人間が多い。
最初から破綻している関係に依存して金と時間を使っても、得られるものは未来の後悔と喪失感だけ。それがわかっているのにやめられないのは、現実がどうしようもなく息苦しいからなのだろうか。
正直リョクは、どいつもこいつもバカばっかだなぁ、と思っている。
同業者の中には自分を売り物にして客から金を巻き上げることに対して、自己嫌悪や罪悪感に襲われて夜の世界から足を洗う人間も時々いる。
しかし、リョクにそんな感情は一切なかった。
むしろ、他の夜職のように言葉巧みに客を風俗に落としたり、借金をさせたり、月に何百万、何千万と貢がせたりしない分、客たちには感謝してほしいくらいだ。
リョクがいなくなったところで、彼らは依存先のターゲットを変えるだけ。なにかに依存していないと生きていけない人間というのは、きっとそういう破滅的な生き方しかできないのだろう。
バカで、かわいそうで、有り難い。
リョクにとって自分に貢ぐ客とはそういう存在だ。
……けれども、みっちゃんは今までの客とはどこか少し違う気がした。
具体的にどこが、と問われると、リョクもうまく答えられないが。
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