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 いろんな感情が波のように押し寄せて、光秋の心が揺れる。
 ダメだと分かっているのに、リョクの提案がひどく魅力的なものに思えて仕方がなかった。
 ……いや、そもそも本当にダメなことなのだろうか。リョクの言っていることは彼にとって利があるものの間違いなく正論で、それに水を差しているのは夢見がちで臆病な光秋自身だ。
 光秋の迷いを察知したのか、リョクは優しく微笑みながら甘く囁く。

「本当は今日も『恋人コース』のはずだけど、みっちゃんは特別だから少しサービスしてあげる」
「サービス……?」
「普通のお店でもよくあるサービスだよ。お試しで無料体験コースとかやってるとこあるでしょ?」
「あるけど、それって普通最初の一回目にするんじゃ……」
「細かいことはいいの。俺が、今、みっちゃんにやってあげたいんだから」

 細められた目から覗く黒い瞳が、まっすぐに光秋を捉えて離さない。
 リョクは光秋と視線を交えたまま、光秋の頬を指先でするりと撫でた。

「今日だけ特別に、『もっと恋人コース』の体験させてあげるね。……そんな不安そうな顔しなくても大丈夫だよ。だって俺たち、タイマーが鳴るまでは恋人でしょ?」

 そう問いかけてきたリョクに、光秋は返す言葉が見つからなかった。
 まさしく物は言いようだ。
 確かに金で買った時間分だけ、リョクは光秋の恋人なのだろう。
 たとえリョクが、絶対に光秋のものにならない、光秋のことをただの金ヅルだと思っている男だとしても。

「……うん、わかった……」

 こんな関係にはなんの意味もない。わかった上で、光秋はその物悲しさを無視した。
 そして、『これは練習だから』とまるで言い訳のように自身に言い聞かせて、おずおずと小さく頷いたのだ。

 その瞬間、スッと目を細めたリョクがにやりと笑った。いつもの爽やかな笑みとはまったく違う、少しぞくりとする笑みだった。

「……じゃ、タイマー再開するね」

 いったん止めていたスマートフォンのタイマーが再び動き出すと同時に、リョクは艶っぽく微笑んだ。
 光秋はどうしていいのかわからず、おろおろと視線を漂わせる。

「みっちゃん、大丈夫だから」
「だ、大丈夫って言われても……」
「まずはキスからしようね」

 まるで幼子を諭すような柔らかな声で言うと、リョクは手のひらで光秋の頬を撫でた。そのまま髪を撫で、光秋の後頭部に手を置く。
 ゆっくりとリョクの顔が近付いてきた。からかうように細められた目がいつもの雰囲気とは少し違って、でもそれもすごくかっこよかった。

「……みっちゃん、キスのときは目閉じて」
「あ……う、うん……」

 言われて、光秋はあわててぎゅっと目を閉じた。
 かすかにリョクが笑ったような気配がしたが、光秋はそれどころではない。頭の中はパニック状態で、どきどきと高鳴る心臓の音がうるさかった。

 唇に柔らかなものが軽く何度も触れる。わずかに濡れた感触もして、光秋の指先がぴくりとした。

「みっちゃん、目は閉じてていいけど、口はそんなギュッと閉じてなくていいよ。ていうか、閉じてちゃダメ」
「は、はい……」

 なぜか敬語になりつつ、光秋は唇を薄く開いた。「そう、そのまま」とリョクに言われて、その状態をキープする。

 再び、柔らかなものが光秋の唇に触れた。それからすぐに、唇の間からなにかが入ってくる。
 それがおそらく舌だろうことは、経験のない光秋にもわかった。ほんのりと自宅のブラックコーヒーの味がして、少し不思議な気分だ。
 リョクの舌が光秋の唇をこじ開け、探るように口内を舐めていく。歯列をなぞられ、舌を舐められると、光秋は未知の興奮に眩暈すら覚えた。
 その合間にも、リョクは口付けの角度を変えながら、「ちゃんと鼻で息して」「舌奥に引っ込めないで」「逃げちゃダメだよ」などと吐息混じりの声で時々アドバイスをしてくれる。
 だが、口付けを受け入れるだけで精一杯の光秋がちゃんとそのアドバイスを理解できているのかどうかはあやしいものだ。舌を絡めるたびに口内で鳴るいやらしい水音に、光秋の頭は沸騰しそうだった。

「ふ、はっ……はっ、あ……はぁ……」
「みっちゃん、大丈夫?」

 ようやく唇が離れた。
 肩で息をする光秋の背中を、リョクが気遣うように優しく撫でる。

「どうだった? 恋人との初めてのキス、気持ちよかった?」
「わ、わからない……むずかしい……」
「ふふ、そっか。これからいっぱいするから、少しずつ慣れていったらいいよ」

 そう言って、リョクは軽く光秋の頬にキスをした。チュッと可愛らしいリップ音を鳴らしながらすぐに唇は離れたが、光秋の頬はいっそう赤く染まっていた。

 ──恥ずかしかったけど、なんかちゃんと練習っぽかった……

 光秋は片手で口を覆って、リョクから視線を逸らした。
 リョクとキスがしたかったわけではなくて、今後のために練習がしたかったのだと、それ以上の関係など求めてはいない──いや、いけないのだと、自分に言い聞かせる。

「みっちゃん? 大丈夫?」
「う、うん……」

 視線を合わせると、リョクはにっこりと綺麗に笑った。そして──


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