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アネットは、国の外れの片田舎にある尼僧院で、来る日も来る日も憮然としていた。
尼僧院に送られ、修道女と同じ生活をすることになったアネットだったが、実はまだ修道女になったわけではなかった。
身分はあくまでドニエ公爵令嬢のまま。尼僧院預かりなのである。
そんな立場にいて、アネットが「自分と向き合い、心を清める」なんてことをするわけがなかった。
「お祈りと掃除と繕い物ばかりしてたら、気がヘンになる。こんな暮らし、よく我慢できるわね」
修道女たちを見下し、修行もろくにしない。
尼僧院の誰とも打ち解けることはなかった。
ある日、領主代行を務める地方貴族が尼僧院を訪ねてきた。
アネットを持て余し、とっとと厄介払いをしたいと考えた院長が、よい縁談があれば進めてもよいように思うとドニエ公爵に手紙を書き、それを受けて、公爵の依頼を受けた領主代行がアネットに縁談を持ち込んだのだ。
アネットは相手にしなかった。
「なんで私が、田舎貴族に嫁がなきゃなんないのよ」
中央貴族との結婚以外ありえない。
当然ではないか。
王都では求婚者が八人もいたのだ。
すぐに、いい話が舞い込んでくるに決まっている。
舞踏会には行けなかったけれど、どこかでリンハルト帝国の皇太子くらい立派な人と出会う機会があるはずだ。
シルヴィの結婚式あたりがチャンスかもしれない。
それまでに王都に戻りたいと思ったアネットだったが、結婚式前に戻ることは許されなかった。
シルヴィに迷惑がかかると言われて、意味が分かず憮然となった。
ところが、ある日、王都からはるばる母が訪ねてきた。
「お母様、もう家に戻ってもいいでしょう?」
「アネット、少しは反省したの?」
「したわ。何か月も、こんなところにいたんだもの。したに決まってるじゃない」
「こんなところ……?」
母は怪しげにアネットを見た。
アネットは、気にせず母に甘えた。
「ねえ、お母様。私に、新しい求婚者が現れてない?」
「こちらに縁談を持ち込んでも、会いもしなかったと聞きましたよ」
「そりゃそうよ。こんな田舎に住んでる貴族、相手にするわけないじゃない。中央貴族以外と結婚するなんて、考えられない。ねえ、誰か来てない?」
母は、一人だけ求婚者がいると言った。
ほらね、とアネットは思った。
アネットの美貌とドニエ公爵家の力があるのに、相手が見つからないわけがないのだ。
勝ち誇ったような笑みを浮かべて、母に聞いた。
「ねえ、どんな人? もちろん、侯爵以上の貴族の第一令息よね」
他国の皇太子か大公殿下でもいいけど、と心の中でほくそ笑む。
「ムイユ男爵とおっしゃる方よ」
「男爵?」
アネットは眉をひそめた。
「男爵なんて、嫌よ」
「ほかにはいません」
素っ気なく言われて、やや動揺した。一人しかいないと言うし、仕方なく折れることにした。
「わかったわ。男爵でもいいことにする。それで、どんな人なの?」
次期男爵ではなく、すでに男爵位を継いでいるのだから、まあいいかと思う。
領地が豊かなら、なおいいのだが。
しかし、母の言った条件はありえないものだった。
領地はなく、ほかの貴族の下で働く雇われ貴族で、王都の屋敷は借家だという。
おまけに年は四十歳。ふくよかな体形で背が低く、頭髪はきわめて質素な状態らしい。
「ないわよ! ありえない! どうして、そんな人からの話を受けるの? ひどいわ、お母様」
「あなたと結婚してもいいという人が、ほかにいないからよ」
「そんなわけ……」
「アネット」
母は憐れむような目でアネットを見た。
「これが現実なの。あなたは、自分の置かれた立場を、もう一度よく考えなくてはいけないわ。あなたが思うほど、あなたは上等な女の子ではないのよ。偉くも立派でもないの」
アネットは青い目を見開いて母を見た。
「だけど、それは何も悪いことじゃないのよ」
誰かと競って勝つ必要はないのだからと、母は言った。優しく、宥めるように……。
だけど、無理だ。
そんな相手と結婚なんてできない。
アネットは、弱々しく首を振った。
ひどく絶望的な気分だった。
尼僧院に送られ、修道女と同じ生活をすることになったアネットだったが、実はまだ修道女になったわけではなかった。
身分はあくまでドニエ公爵令嬢のまま。尼僧院預かりなのである。
そんな立場にいて、アネットが「自分と向き合い、心を清める」なんてことをするわけがなかった。
「お祈りと掃除と繕い物ばかりしてたら、気がヘンになる。こんな暮らし、よく我慢できるわね」
修道女たちを見下し、修行もろくにしない。
尼僧院の誰とも打ち解けることはなかった。
ある日、領主代行を務める地方貴族が尼僧院を訪ねてきた。
アネットを持て余し、とっとと厄介払いをしたいと考えた院長が、よい縁談があれば進めてもよいように思うとドニエ公爵に手紙を書き、それを受けて、公爵の依頼を受けた領主代行がアネットに縁談を持ち込んだのだ。
アネットは相手にしなかった。
「なんで私が、田舎貴族に嫁がなきゃなんないのよ」
中央貴族との結婚以外ありえない。
当然ではないか。
王都では求婚者が八人もいたのだ。
すぐに、いい話が舞い込んでくるに決まっている。
舞踏会には行けなかったけれど、どこかでリンハルト帝国の皇太子くらい立派な人と出会う機会があるはずだ。
シルヴィの結婚式あたりがチャンスかもしれない。
それまでに王都に戻りたいと思ったアネットだったが、結婚式前に戻ることは許されなかった。
シルヴィに迷惑がかかると言われて、意味が分かず憮然となった。
ところが、ある日、王都からはるばる母が訪ねてきた。
「お母様、もう家に戻ってもいいでしょう?」
「アネット、少しは反省したの?」
「したわ。何か月も、こんなところにいたんだもの。したに決まってるじゃない」
「こんなところ……?」
母は怪しげにアネットを見た。
アネットは、気にせず母に甘えた。
「ねえ、お母様。私に、新しい求婚者が現れてない?」
「こちらに縁談を持ち込んでも、会いもしなかったと聞きましたよ」
「そりゃそうよ。こんな田舎に住んでる貴族、相手にするわけないじゃない。中央貴族以外と結婚するなんて、考えられない。ねえ、誰か来てない?」
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ほらね、とアネットは思った。
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勝ち誇ったような笑みを浮かべて、母に聞いた。
「ねえ、どんな人? もちろん、侯爵以上の貴族の第一令息よね」
他国の皇太子か大公殿下でもいいけど、と心の中でほくそ笑む。
「ムイユ男爵とおっしゃる方よ」
「男爵?」
アネットは眉をひそめた。
「男爵なんて、嫌よ」
「ほかにはいません」
素っ気なく言われて、やや動揺した。一人しかいないと言うし、仕方なく折れることにした。
「わかったわ。男爵でもいいことにする。それで、どんな人なの?」
次期男爵ではなく、すでに男爵位を継いでいるのだから、まあいいかと思う。
領地が豊かなら、なおいいのだが。
しかし、母の言った条件はありえないものだった。
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誰かと競って勝つ必要はないのだからと、母は言った。優しく、宥めるように……。
だけど、無理だ。
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アネットは、弱々しく首を振った。
ひどく絶望的な気分だった。
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