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6、ラウラの末路

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 疲れ果ててシートに身を沈めた私は惰性で家を目指し、車を走らせる。
 仕事は楽しくない。
 食べる為に働き、働く為にまた食べる。
 惰性のルーティン。
 終わりは唐突で呆気なかった。
 スピードの出し過ぎに気付かず、何千回と通ったカーブを曲がり損ねた。
 それだけ。

 長い夢から目覚めると、世界は気鋭の画家の頭の中かと訝しむような狂気と極彩に溢れていた。

 驚いたけど、頭がパンクしそうな情報量にも次第に慣れて、何なら好きかも、くらいな心持ちになった。
 けれど、折角好きになっても異世界に遊ぶ神秘は地鏡のように近づけば逃げて行く。
 好きなのに私だけが触れられない。
 この世界で私は特別だから。(そう特別だから。)

 二度目の人生での両親は子沢山だった。
 子供達もちっちゃな内から家業の畑作業を手伝って、潤沢ではない食料を分け合って助け合って、食べる為に働き、働く為に食べる。
 でも、愛が有るらしかった。
 抱きしめ合う家族を包む愛の幻が私の目には見えるのだもの。その幻は私が触れようと手を伸ばせば脆く崩れ去り私に愛を示してはくれない訳だけど。



 これって私が特別だから拒まれるのかな?
 拒まれるから特別なのかな?
 特別って、なに?
(異分子ってやつ?)

(いやいや)どんな特別で居るかは、自分で引き寄せるしかないでしょ。
 そしたら、まずは田舎の農家の子供Aじゃダメでしょ。

「おい、ラウラ、遊んでないで働け。お前の様なにも出来る仕事は山程ある。」
「いや遊んでないよ。むしろスゴイ働いてる。頭脳を働かせてる。」
「こまっしゃくれの無駄飯食いが……」

 近づいて来た大男は、見慣れたモジャモジャの腕毛と硬そうな皮膚に覆われた太いかいなで(今世の父親だな)ラウラの首根っこを掴むと、長閑な畦道を荷物のように運んで行く。

 そして放り出されてコロコロ転がった。

 パチリと音を立てて繋がらないピース嵌り、ラウラの鼻孔を深く降り積った肥沃な腐葉土の香りが擽ぐる。


(森だ。森に捨てられた。)



 鬱蒼とした広大な森。増えすぎた魔獣。弱肉強食の鉄槌。轟く阿鼻叫喚。


(ここは嫌だ。死ぬものが多すぎる。逃げなくちゃ。)

 走らなきゃ。逃げて、誰かに助けてもらうんだ。

(誰にだっけ。)



 駆け出したラウラの長いスカートが、出す足に、残す足に纏わり付いて重い。息が切れる。もうずっと体を動かす機会など無かったから、衰えた筋肉は、踏み込んだ軸足に乗る体重に、上げようとする膝を引き寄せる動作に、悲鳴を上げる。

 ぐらつく体を支え切れずに今度は靴が脱げてもんどり打って転がった。

 半狂乱で顔を上げるとすぐ側に建物が有った。
 陽射しを受けて眩しい白壁と、開け放たれた窓、室内に満ちる影と静寂。


 痛みも恐怖も焦燥も忘れてその場所を目指す。

(見つけた。)

(なにを?)



 屋内で目を引くのは豪奢な寝台と耀く聖像。
 聖像は仄かに発光して長い髪は床のあたりで朧に霞んで揺らめいて居る。

(前に見た事がある。)

 祈り方など知らないので素通りして寝台を覗くと、具合の悪そうな壮年の男性が眠っている。

(知ってる人。)

(ファビオ様かな?なんでオジさんになってるの?)

(何か忘れてる?)


 暫く立ち尽くして臥床の人を眺めていたラウラは思い出した。

(魅了。しなきゃ。この人を呪って、愛してもらうの。呪印を、刻まなきゃ。)




 ラウラの目が光り魔力を練る背後で、ラウラとアウレリオにしか見えないがゆっくりと手を翳す。









「シルヴィオ、シルヴィオ?」

「ぅ、はい。」

 薄暗い周囲に所々光が差し込みアウレリオの明るい金髪とシルヴィオの榛の瞳を輝かせる。

「シルヴィオ、私を許して。」

 ゆっくりと目を開いたシルヴィオにアウレリオが縋る。

「シルヴィオを手放したら私はきっと狂う。ラウラのように。」

「あっ……」

 夢現でぼんやりしていたシルヴィオに緊張が走る。

 見渡せば、シルヴィオを座った膝に乗せて抱え込むアウレリオから器用に逸れて、大小の粗く削った無骨な棒が突き出し、二人を取り囲む小さな檻を形成していた。

 突如訪れた闇と轟音と、大地を揺るがす衝撃に死を覚悟したシルヴィオは全くの無傷だった。

「リ、リオ!怪我は?怪我はないの?」

 腕の中で暴れ出したシルヴィオが自分を心配していると分かって、アウレリオは酷く喜んだ。

「シルヴィオ、かわいい。」

 一度距離をとって顔を確認すると直ぐまた近づいて、頬と額と鼻の頭と、最後に唇にキスを落とす。そしてまた、ぬいぐるみを手放せない幼な子のようにシルヴィオを胸に閉じ込めた。

「シルヴィオ、許して。貴方の、母を、元の世界へ……魂を異界へ送り返します。」
 驚きに体を堅くしたシルヴィオと身を起こしたアウレリオが見つめ合う。
「母は、転生者なのですね。」
「今はもう元転生者です。私の守護精霊の手で輪廻の輪に還されました。急ぎましょう。」
 アウレリオは返事を待たずに行動を開始する。
 地を縫いつけていた大人の身の丈程もある鉄と氷の針は、殻が破れるように崩れると舞い上がる無数の砂粒となって空気に溶けてしまった。
 シルヴィオを抱いたまま立ち上がるアウレリオは「あちらへ。」と相変わらず丁寧な口調のままでシルヴィオに接する。
 だけど、この人は……

 辺境伯領の主君、アウレリオ・デ・アギラル。
 私の母の名ばかりの夫。
 母がただ一人、執着を見せる先代領主の一人息子。
 私の……


「兄上……?」

 シルヴィオの発した言葉に一瞬不思議そうな顔をして此方を見下ろすと、アウレリオが苦笑混じりに言葉を返す。

「貴方の利発さは素晴らしい魅力だけれど、その察しの良さが貴方自身を追い詰める事も多いでしょうね。」

 その場にしゃがんでシルヴィオを自分の足で立たせると、一歩下がって跪く。

「私は貴方の父の養子で、貴方の従兄弟に当たります。ですからどうか、貴方の心が疲れ切って仕舞わないように、私に側で見守らせて。私が貴方の伴侶になる事を許可して。」

 そしてシルヴィオの手を取って恭しく額を触れる。

「今はまだ家族の情で構わない。大人になるまで待っている。だけど、約束が欲しい。ダメだろうか?」

 いつか、リオが寝物語に読んでくれた騎士道物語の英雄が姫君に忠誠を誓う場面を彷彿とさせる、見惚れるしかない美貌の求婚者の蒼穹の瞳目に吸い込まれて息をするのも忘れるシルヴィオ。

 アウレリオの求婚は多分卑怯なやり方だろう、逃げ道を塞いで子供を追い詰めて自分の腕の中にしか居場所を認めないつもりだ。けれどそれを、シルヴィオが嬉しいと感じたのなら、何の問題がある?
 やっと思い出して呼吸を再開したシルヴィオが羞恥と酸欠とで顔を赤くして恥ずかしそうに微笑み、「約束します。」と応える。

「認めよう。」

「ひゃっ」と奇声をあげて飛び上がるほど驚いたシルヴィオの背後からファビオが現れる。
「誓約はまた後日な。今はラウラの魂を送ってやろう。」
 ここ数日の不調が嘘のように矍鑠としたファビオが、驚くシルヴィオの頭を撫でると寂しそうに笑った。
 酸いも甘いも噛み分けた大人にしか出来ない表情を見せるファビオが、ここに辿り着く迄にはシルヴィオの知る由もない葛藤が有ったのだろう。ならばシルヴィオが言うべき事は一つだ。

「ご無事でなによりです。」

 母の命と引き換えたのだとしても、無事で居てくれて良かったと思う、この気持ちを知っていて欲しい。

「ありがとう。」

 ファビオ様は目を閉じて噛み締めるように言葉を紡いだ。




 何故だかひと回り縮んだように感じる母の亡骸はファビオの寝台に横たわっていた。

「魂の異界送りは精霊界における極刑だそうだ。」
「皮肉にも彼女にとってはこの上ない慈悲になるでしょう。」
「母さまは転生者でなければ、この世界で幸せになれたのでしょうか。」
「どうかな、少なくとも力に酔って自分を見失ったり、世界に対する不信と怒りを募らせる事は無かったかも知れない。そうしたら、全てが違って居ただろうね。」
「愛し愛されたかった平凡な村娘の末路にしては憐れだけれど、平凡な村娘で居る自由を欲しがらなかったのも彼女だから、納得して欲しい。」
「はい。」
「彼女の魂が次なる生をあるべき世界で全うするように祈ろう。」


 塗り潰したように厚みの有る青空。
 風に踊り光に瞬く緑の大地。
 たなびく絹の純白のスカート。
 輝きと香りと温度と触れ合う肌。


 こことは違うもう一つの世界で、新たに宿る母の命の幸福を祈る。


 シルヴィオの願いを静かに受け止めてくれる澄み渡る空の美しさを見上げて、目尻から零れた涙は後から後から生まれ続け、心を濁らす情念の澱を中和しては流れ落ちる。
 禊の涙が枯れるまで、3人は静かに寄り添っていた。

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