センチネルバースの証文

無花果

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劇薬と霊薬

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【おいてかないで!】



追い縋るショーンの叫びに、ビクリと肩を震わせたレイは、気を失う間際に「それは卑怯だ」と思った。


レイの頭に直接響いたショーンの絶叫は、心からの懇願だった。

幼いレイがいつも抱いていたのと同じ哀れな慟哭だった。

それを無視するのは自分自身への裏切りだ。

卑屈な代償行為に他ならないと自覚があっても、そばにいるから安心しろと言ってやる事で、救われるのはレイの心こそなのだろうと漠然と思った。


少しの間。

深入りしないようにして、ショーンを労る素振りで、自分を慰める。

それだけだ。執着なんかじゃない。


だから少しだけ。


彼の側に居よう。





【執着でかまわないから】




【ずっとそばに居てよ】







日課となったレイとショーンの逢引きに、旧校舎の重い扉が開かれたのは当然の成り行きだった。

季節は真夏に移り変わり、木の葉のシェードも暑さを誤魔化しきれなくなって、避難した漆喰の壁が閉ざす二人だけの秘密の空間。

毎日繰り返される昼時の短い密会。

初めて会った日のように、ショーンの膝に頭を預けて眠るレイの髪を、大切そうに撫でて遊ぶショーンは至極ご満悦である。

「レイ」【レイ】

「レイ、起きて」【レイ、起きて】

2つの音源。重なるシグナル。夢の中で見る夢。

眠ったまま開いてゆく精神。

導く声。

「10分経ったよ」

はっと意識を取り戻したレイの、唐突に開かれた全回線がショーンを受信する。

「あ……、悪い。完全寝てた」

ショーン一色に塗りつぶされる意識。早まる鼓動。目が覚める直前の不可思議な感覚が霧散していく。

レイは横になったまま、額に手を乗せて溜息を零す。その様子は艶姿と呼ぶにふさわしい。

「ねぇレイ。このまま覚醒しなくても、ずっと俺にケアさせてね」

何かに耐えるような硬い声でショーンが言うので、レイの心がさざないだ。

「……そんな事って、あるのか?」

見下ろすショーンと意外そうに目を丸くするレイが見つめ合う。

「うん。……ないかも」

「なんだそりゃ。ないのかよ」

「うん。ないよね。もうすぐ覚醒しちゃうのかな……」

ショーンはどこか気落ちした様子に見える。

「ダメなのか?」

「だって……、まだ俺をパートナーにする気にはなってないんでしょ?」

しょんぼりとした、いじましいショーンを抱きしめたい衝動に駆られるレイは、その内心をおくびにも出さずにすまし顔を繕う。

「あー……、パートナーってどんな感じだ?」

「ん!……んとね!俺とレイなら、天国が観れると思う……!」

その言葉を待ってましたとばかりに目輝かせてゴリ押ししてくるショーンに、面食らったレイは顎を引いて気持ち距離を取った。

「え………、どういう意味?」

ドン引きしてるレイを見て、ショーンはちょっと冷静になる。

「……………………ないしょ」

ふいと視線を逸らし、赤面して声を弱めるショーンと、困惑するレイ。

いかにコミュ障なレイなれど、流石にこれ程好意を前面に出されれば、自分がショーンにとって価値のある人間なのだろうと気がつく。

けれど、きっと何かと間違いだと思ってしまうのだ。間違いでなければ、この友好に何らかの利益がからんでいるのかも知れない。確信はないし、ショーンの行動の理由にはそれ程興味はない。重要なのは、ショーンがレイの力になってくれているのに、その逆は無いという動かし難い事実。

不甲斐ないが、実際の自分は無価値どころか負債でしかないとレイは思うのだ。

二律背反と自己矛盾にまどいながら短い夏に翻弄される。

秋はまだ遠い。



旧校舎の戸を護る電子ロックをハッキングしたのはレイだ。申し訳程度のセキュリティは、それでも歴史的建造物に分類される構造物の文化的価値の保護に役立ってきたようで、内部は静謐な空間を保っていた。

その内で眺める窓からの景色は急に降り出した真夏の雨に乱舞している。ひたひたと始まった雨の舞踏曲は今が最高潮を迎え、取り残されたレイと外界との隔絶を強烈に歌い上げる。——ショーンはこの驟雨しゅううの中を歩いているのだろうか。

蜜のように芳醇な濡れた森の匂いを味わいながら、待ち人を思うレイの耳に招かれざる誰かが奏でる音が届いた。


装飾性の高さが起因する不協和なこもった音色の靴音。

ぬらりくらりと不真面目な歩調。

纏う衣服もひらひらと無駄な布地が遊んでいるが、迷いなく進む様子からは明確な目的が察せられる。

面倒だが、経験上こんな様子の人間は用事が済むまで帰ってはくれないものだと予測がたった。仕方がないのでレイは座して厄介事と対峙する覚悟を決める。

存在を誇示するように姦しく音を立ててレイの目の前にやって来たのは、あちこちに痛そうなピアスを付けた赤毛の女だった。

底の厚いブーツも、自分で切り裂いたようなシャツも、鋲の尖った皮のアクセサリーも皆まっ黒で騒々しく、威圧するような音を立てる。

しかし、その全てが彼女の意図するところであって、見る者が見れば極端に情報が統制されている事に気がつくだろう。彼女の音は演奏であり、人の営みに伴う一切のノイズがそこには無いのだ。

二人の視線が絡まり、時間が引き延ばされたような遅鈍と緊張に包まれる。

彼女は異様だった。

そして多分、レイと彼女はよく似た存在だった。


「なるほどねぇ~……」

レイが彼女を観察していたのと同じだけ彼女もレイを探っているのが分かる。おそらく年上の彼女には、レイが得た以上の情報が渡ったかも知れない。

「誰だ」

誰何すいかしたレイの言葉を無視して、分析を続ける女がジリジリと近寄ってくる。

「ふーん……近くで見ると、より一層……」

少し手を伸ばせば触れられる距離にある女の顔貌は、イカれた装いに反して間違いなく美しいが、目も表情もうつろで退廃的な雰囲気が色濃い。首筋からサンダルウッドのエキゾチックな香りが立ち昇り、黒で塗り替えられた唇がおっとりと妖艶に笑った。


突然の通り雨に見舞われて、やっと旧校舎の入り口でに辿り着いたショーンは、エントランスを汚す泥混じりの女物の靴跡を見つけて駆け出した。ショーンの大切な聖域に塗りつけられた汚泥にザワリと胸が騒いだから。

そしていつもの空き部屋で見た、今にも唇が重なりそうな距離感でレイに迫る人影が、考え得る最悪な人物だと分かって、知らず知らず声が低くなる。

「ザラ!なにしてる!」


駆け込んで来たショーンが女の名を呼ぶ声に、レイの胸がぎゅっと痛んだ。

いつも穏やかで柔和な印象のショーンが、レイにとってはらしくないと感じる顔で、目の前の女に詰め寄る。そんな顔を自分以外には見せてきたのかと思うと、ザラと呼ばれた女も、他の見知らぬ誰かさえもが羨ましい。

自分にとっては初めて目にする、ショーンの直情的な怒りの矛先の彼女に覚えた感情は、嫉妬だ。ショーンの心ならば怒りでさえ譲りたくない。全てを独占したい。

——そんな自分の愚かしさにレイは驚いた。


それらの一瞬の潜考も、物欲しさが表れたに違いない顔も、きっと見咎められてしまっただろう——彼女は、流し目を笑み崩した後でレイを蔑むように視線から外した。

「おや、ショーン君、昨日ぶり~」

ザラは濡れ鼠のショーンを笑いながら「びっしょびしょだね~」などと濡れた衣服を確かめるような素振りでベタベタとショーンの体に触れてはレイの顔色を伺う。

「何しに来た」

ショーンは言外に迷惑だと主張する。

「いやだなぁ、こんな雨だもん、雨宿りだよ~」

「ふざけるな!」

不快感も露わに牙を剥いて威嚇する風情のショーンを意にも介さず、小馬鹿にした態度でおどけるザラ。

「あーこわいこわい。」

ニヤニヤと笑ってショーンを揶揄いながら目は肩越しにレイを注がれる。

「でも、ま、雨も止んだみたいだし、今日はこの辺でお暇しようかな~」

いつの間にか分厚い雲は重い衣を脱ぎ捨てて、再び炎節の太陽の光顔を晒していた。

「楽しかったよ~。また、ね♡」

ザラは最後にもう一度レイの顔をじっとりと見た後で満足そうに帰って行った。


迷惑な客人の気配が遠ざかると、待ちかねたショーンがレイの手を取る。

「ずいぶん距離が近かったけど、何してたの?」

ちょっと拗ねたように聞くショーンの機嫌を損ねた原因がわからないレイは、不思議そうに首を傾げた。思い出すのは間近で覗き込んだ暗い緑の瞳———。

「彼女は、能力者……?」

「………うん、センチネルだよ。……タワー経由で仮契約、してるんだ」

「そうか……」

レイがぼんやりとザラが使った出口ばかり見ているので、宇宙に浮かぶ宝石のような美しい目が自分に向けられない事にショーンは説明できない焦りを覚える。

「まだ、タワーに行くのは怖い?」

「ん……もうちょっと、考えさせてくれ」

俯きがちに答えたレイは、やはりショーンを見なかった。




【何がそんなに不安なの?】




鏡に映った自分が恨めしそうにレイを睨む。

レイの顔は父親似であるらしい。

物心ついた時には本人は蒸発していたし、写真の一枚も残っていないので、根拠は母が繰り返していた恨み言のみである。

母の言葉に拠れば、まだ年若かった母が顔だけのゲス男の口車に乗せられて未婚で産んだ息子がレイだ。

周囲の予想に違わず、程なく捨てられた母は、ゲス男ソックリな顔面の息子の存在を極力無視して暮らす事にした。もちろん褒めらた事ではないけれど、母の年齢を思えば彼女も同情されるに十分な境遇だったのではなかろうか。

余程深く母を失望させない限りは暴力を受ける事もなく、レイはただ極限まで存在を薄められて育った。

誰かが自分と共有する時間を幸福に過ごす奇跡を知らないレイは、『愛される』とはどんな風かと狂おしく夢見ながら、同時に少しも信じなかった。

夢見るだけで充分だった。

——なのにショーンが俺を見つけてしまった。




【俺はレイを不安にさせる?】




ショーンは、他の誰一人としてレイに実感させる事がなかった愛を惜しげなく注ぎ込む。

けれど、

実物の愛は劇薬だった。

使い方を誤れば生命にさえかかわる危うい霊薬アムリタ

もう事務的な関係ではいられないし、彼を束縛して唯一の相手として心から愛されたいと願っている。

センチネルとして覚醒した自分は、きっとこの願いを実現させるだろう。

拒絶されれば何をしでかすのか分からないと言ったら、彼はどうするだろうか……。




【平気だよ】




閉ざす事に慣れた心が千々に乱れて、愛されなかった子供のレイがどうしたら良いのかと途方に暮れる。

その胸の疼きが、初めての生の実感を与えてくれている事に気づくほど、レイはまだ大人ではなかった。





【早く俺のところにおちてきて】



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