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第15話
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店を立ち去った後、田中は木菟と一緒に家に帰ってきた。
木菟は、<死に戻り>前に田中が死んだ9月9日朝方まで、田中を見張るという。それで<死に戻り>を監視する任務は終了だ。それより先は、田中のまだ知らない未来が待っている。だが、そこへ木菟と一緒に行くことはできない。何とかならないのかと、何度田中が食い下がっても、木菟は黙って首を横に振るばかりだった。
帰ってくるなり、田中は最後の料理の下ごしらえにかかった。
盆ざるにさばの切り身を並べ、熱湯を回しかける。上下を返してもう一度熱湯を回しかけ、かかっていないところがないようにする。
後ろから、田中が料理する姿を眺めていた木菟が尋ねた。
「ずっと思ってたんだけど、なんでさばにお湯をかけるんだ?今から煮るのに。」
「こうすると、生臭さが取れるんだよ…霜降りっていうんだけど。」
「へぇ、さすが料理人…。」
すぐに冷水にとって、ペーパータオルで拭いて、ぬめりを取る。鍋に入れて火をかけ、水、酒、しょうがの薄切りを加えてさっと混ぜてから強火にかけた。
煮立ったら灰汁をひいて、中火にして落としブタをかぶせる。ここから10分ほど煮込んでいく。
「そんで、味噌入れるんだろ。さばの味噌煮だ。」
「好きだっただろ、千羽。」
「そんなの覚えてないけど…。」
「いや、好きだったよ。」
田中が断言すると、照れくさそうに、木菟は認めた。
「…うん、好きだった。親父の味噌さば。」
しばらく無言の時間が流れた。さばに火が通った頃に、みそを溶き入れる。これで、とろみがつくまでまた何分か煮る。
出来上がったさばの味噌煮を器に盛りつけ、針生姜を載せて、食卓に運んだ。こうして父子で食卓を囲むのも最後になる。
「いただきます。」
「どうぞ、召し上がれ。」
もそもそと、木菟が味噌煮を口に運ぶ。最後だからと言って、サービスはないらしく、今日も「美味しい」とは言わなかった。それはそれで彼女らしいと田中は思う。
ほぼ食べ終わったところで、木菟は、改まった様子で顔を上げた。
「…親父、頼むから、生きてくれよ。」
「…うん。」
「そして幸せになってくれ。」
「わかった。」
木菟の真摯な目。田中は俯き、目をそらした。見ていると涙がこぼれそうで。
「またいつか、会えるから。たぶん。」
「…うん。そうだな。」
お父さん、ありがとう。
そんな声が聞こえた気がした。
田中は驚いて、千羽を見た。千羽が田中に感謝の言葉を述べるのは、初めてだった。
いつもの食卓に、木菟の…千羽の姿は、なかった。
(行ってしまったか…。)
10日前、<死に戻り>を提案されたとき。
自分が、美冬を、千羽を、助けたいと思っていた。でも終わってみれば、2人に助けられたのは、自分だった。
いつぶりだろうか。この人生に生きる価値があると思えたのは。
なぜなら最愛の2人の女性が、生きていて欲しいと言ってくれたから。
「俺は…生きるよ、千羽。ありがとう。」
田中はそっと目を閉じ、しばらく佇んだ。
◆◆◆
次の冬、美冬は母親になり、娘を産んだ。赤ん坊だから、髪が短いのは当たり前だが、やけに鋭い目つきをしている。左頬に、特徴的なあざがあった。
美冬さんがあるとき、言っていたことがある。
<管理人>は木菟…千羽のことを気に入っていて、死神から天使にもどしたかったのではないか、と。
木菟は、「<管理人>に、父親が友達を殺すところを見せられて、未練ができた」と言ったけれど、本当は逆だったのではないか、と。
<管理人>は、「父親が憎い仇を討った」というメッセージを伝えれば、木菟の後顧の憂いがなくなると思っていたのではないか。田中が最初、木菟にしようとしたのと同じように。
そう指摘され、田中ははにかんだ。確かに田中は最初、木菟に「お前を死に追いやった仇は死んだ」ということを伝えれば、木菟の未練がなくなると思っていた。だからこそ、目につきやすい位置に新聞記事を置いたり、自ら友人を死に追いやってしまったことをカミングアウトしたりしたのだ。
しかし、それは結局のところ、逆効果だった。木菟が…千羽が望んでいたのは、自分の死を追いやった友人の自死などではなかった。そして、<管理人>にそれを伝えられたことで、逆に未練を産む形になってしまった。父親が自分のために殺人を犯し、自責の念に駆られている…と思い込むことによって。
そして1年が経ち、ほとんど記憶を失い死神に堕する寸前にまでなってしまった。
<管理人>は、そのことに心を痛めたのではないか。あえて父親の<死に戻り>に同伴させることで、良い変化が起きることを期待したのではないか…そう、美冬は語った。
「まぁ、あくまでも私の推測だけどね…。」
そういう美冬さんに、田中は首をかしげる。
「あの人が、そんな殊勝なこと考えるかなぁ…。」
とにかく目の前にすると、不可思議でとらえどころのない人だったとは思う。
「ま、確かにね。おかげで私は助かったけど。」
美冬さんは肩をすくめてみせた。
「それは本当によかったよ…。」
「これから、3人で生きていきましょう。いや、幸せになりましょう。」
美冬がにっこりと微笑む。田中は、大きくうなずいた。
「この子も、ロックと焼き鮭が好きなのかなぁ…」
「ロックと焼き鮭が好きだったの?千羽ちゃん。」
「そうだよ。全然子供らしくないでしょ。」
彼女たちとなら、きっと幸せになれる。田中はしばし、空を仰いだ。
木菟は、<死に戻り>前に田中が死んだ9月9日朝方まで、田中を見張るという。それで<死に戻り>を監視する任務は終了だ。それより先は、田中のまだ知らない未来が待っている。だが、そこへ木菟と一緒に行くことはできない。何とかならないのかと、何度田中が食い下がっても、木菟は黙って首を横に振るばかりだった。
帰ってくるなり、田中は最後の料理の下ごしらえにかかった。
盆ざるにさばの切り身を並べ、熱湯を回しかける。上下を返してもう一度熱湯を回しかけ、かかっていないところがないようにする。
後ろから、田中が料理する姿を眺めていた木菟が尋ねた。
「ずっと思ってたんだけど、なんでさばにお湯をかけるんだ?今から煮るのに。」
「こうすると、生臭さが取れるんだよ…霜降りっていうんだけど。」
「へぇ、さすが料理人…。」
すぐに冷水にとって、ペーパータオルで拭いて、ぬめりを取る。鍋に入れて火をかけ、水、酒、しょうがの薄切りを加えてさっと混ぜてから強火にかけた。
煮立ったら灰汁をひいて、中火にして落としブタをかぶせる。ここから10分ほど煮込んでいく。
「そんで、味噌入れるんだろ。さばの味噌煮だ。」
「好きだっただろ、千羽。」
「そんなの覚えてないけど…。」
「いや、好きだったよ。」
田中が断言すると、照れくさそうに、木菟は認めた。
「…うん、好きだった。親父の味噌さば。」
しばらく無言の時間が流れた。さばに火が通った頃に、みそを溶き入れる。これで、とろみがつくまでまた何分か煮る。
出来上がったさばの味噌煮を器に盛りつけ、針生姜を載せて、食卓に運んだ。こうして父子で食卓を囲むのも最後になる。
「いただきます。」
「どうぞ、召し上がれ。」
もそもそと、木菟が味噌煮を口に運ぶ。最後だからと言って、サービスはないらしく、今日も「美味しい」とは言わなかった。それはそれで彼女らしいと田中は思う。
ほぼ食べ終わったところで、木菟は、改まった様子で顔を上げた。
「…親父、頼むから、生きてくれよ。」
「…うん。」
「そして幸せになってくれ。」
「わかった。」
木菟の真摯な目。田中は俯き、目をそらした。見ていると涙がこぼれそうで。
「またいつか、会えるから。たぶん。」
「…うん。そうだな。」
お父さん、ありがとう。
そんな声が聞こえた気がした。
田中は驚いて、千羽を見た。千羽が田中に感謝の言葉を述べるのは、初めてだった。
いつもの食卓に、木菟の…千羽の姿は、なかった。
(行ってしまったか…。)
10日前、<死に戻り>を提案されたとき。
自分が、美冬を、千羽を、助けたいと思っていた。でも終わってみれば、2人に助けられたのは、自分だった。
いつぶりだろうか。この人生に生きる価値があると思えたのは。
なぜなら最愛の2人の女性が、生きていて欲しいと言ってくれたから。
「俺は…生きるよ、千羽。ありがとう。」
田中はそっと目を閉じ、しばらく佇んだ。
◆◆◆
次の冬、美冬は母親になり、娘を産んだ。赤ん坊だから、髪が短いのは当たり前だが、やけに鋭い目つきをしている。左頬に、特徴的なあざがあった。
美冬さんがあるとき、言っていたことがある。
<管理人>は木菟…千羽のことを気に入っていて、死神から天使にもどしたかったのではないか、と。
木菟は、「<管理人>に、父親が友達を殺すところを見せられて、未練ができた」と言ったけれど、本当は逆だったのではないか、と。
<管理人>は、「父親が憎い仇を討った」というメッセージを伝えれば、木菟の後顧の憂いがなくなると思っていたのではないか。田中が最初、木菟にしようとしたのと同じように。
そう指摘され、田中ははにかんだ。確かに田中は最初、木菟に「お前を死に追いやった仇は死んだ」ということを伝えれば、木菟の未練がなくなると思っていた。だからこそ、目につきやすい位置に新聞記事を置いたり、自ら友人を死に追いやってしまったことをカミングアウトしたりしたのだ。
しかし、それは結局のところ、逆効果だった。木菟が…千羽が望んでいたのは、自分の死を追いやった友人の自死などではなかった。そして、<管理人>にそれを伝えられたことで、逆に未練を産む形になってしまった。父親が自分のために殺人を犯し、自責の念に駆られている…と思い込むことによって。
そして1年が経ち、ほとんど記憶を失い死神に堕する寸前にまでなってしまった。
<管理人>は、そのことに心を痛めたのではないか。あえて父親の<死に戻り>に同伴させることで、良い変化が起きることを期待したのではないか…そう、美冬は語った。
「まぁ、あくまでも私の推測だけどね…。」
そういう美冬さんに、田中は首をかしげる。
「あの人が、そんな殊勝なこと考えるかなぁ…。」
とにかく目の前にすると、不可思議でとらえどころのない人だったとは思う。
「ま、確かにね。おかげで私は助かったけど。」
美冬さんは肩をすくめてみせた。
「それは本当によかったよ…。」
「これから、3人で生きていきましょう。いや、幸せになりましょう。」
美冬がにっこりと微笑む。田中は、大きくうなずいた。
「この子も、ロックと焼き鮭が好きなのかなぁ…」
「ロックと焼き鮭が好きだったの?千羽ちゃん。」
「そうだよ。全然子供らしくないでしょ。」
彼女たちとなら、きっと幸せになれる。田中はしばし、空を仰いだ。
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