緑の指を持つ娘

Moonshine

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緑の指を持つ娘 温泉湯けむり編

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一人、フェリクスの魔力を探知して追っているラッカの前に、何かの気配が立っているのを感じた。

「ベスか」

ラッカは微笑んだ。

「はい」

盲目の魔術師であるラッカは、視力の代わりに、人の持つ魔力や気配で、人間を区別する。

大きな魔力がうねるよう体の中を蝕んでいるのがフェリクス。
膨大な光の塊のような魔力を持っているのが、ノエル。

冷たく、刺すような強大な魔力はナーランダ。
ナーランダのその柔和な語り口やその気配と、その魔力の質が全く違っている事は、おそらくこの男には触れてはいけない部分がある事を示しているのだろう。

メイドのオリビアは、あまり頭が良くないが、気の良い娘である事は確かだ。
オリビアが近くにいると、ふわふわとした明るくて軽く、少し危なっかしい気配がする。

宿の女将さんは面倒見が良いのがすぐに感じ取れる。
近くによると、温かくて包み込まれるような気配がして、ラッカはこの女将さんの側にいるのが好きだ。

そして、今目の前にいる、ベス。

(何者なのか、いまだに見当もつかない)

無口で優しい、親切で素朴な娘だ。
とても気の良い娘だが、どこにでもいそうなただの田舎娘。魔力もない。学もない。

メイソンによると、見た目は地味な田舎娘で、赤茶色の髪をしているとか。
だが、田舎であればどこにでもいそうな平凡な娘であるというのに、隣国一の魔術師であるノエルは、女王陛下との婚約を反故にしてまで平民のこの娘との愛を貫いたという。

ラッカがベスの側にいると、野生の鹿や、蝶々が横にいるような気分になる。
ただ、生き物の命の気配がするだけで、それ以上でも以下でもないのだ。
そんな人間にラッカが出会った事はこれまで一度もなかった。

(まるで、べスは人ではないかのようだ)

それが一体どういう意味なのかは、ラッカにはわからない。
ただ、ラッカはここが人外の領域である事、そしてベスがその領域に出入りを許されうる存在である事は理解した。

目の前の存在は、優しくラッカに声をかけた。

「フェリクス様を火口に続く道まで送ってきました。あとはカラス達が道案内してくれるのを待つだけです」

「そうか、それはご苦労だったね」

ラッカはそれだけ言って、微笑んだ。

ラッカには、ベスが何を言っているのか理解はできない。
だが、優しく無口なこの娘が、一つの大きな仕事を終えた事は理解できた。

(事が無事に終われば、教えてくださるのやもしれんが)

それは、特に重要な事ではない。
ラッカは王家の為に生きて、王家の為に死んでゆくただの駒だ。仕事がなされた事を知れば、それで良い。

そしてベスがラッカの横に腰掛けるものだと思っていたが、ベスはいつまで立っても座る気配はない。
ベスは言った。

「次はラッカ様の番ですよ」

「私の?」

「ええ。そうです。折角ここまで来たのですもの。一緒に温泉に入りましょう」

そうしてラッカに許可も取らないまま、ぐいぐいとベスはラッカの手をとって、ゆっくりと岩場を下り始めた。

「ここのお風呂は最高なんです。全部流れて、お風呂から上がった後は生まれ変わったような気がしてさっぱりしますよ。こないだここのお風呂に入ったら、できたばかりの切り傷まで治ってしまいましたよ。このお風呂と同じお風呂を離宮の温室に作れたら最高なんですけどね!」

「べ、ベス、おい、ここは神々の聖域の温泉ではないのか? 人が足を踏み入れて良い場所ではないだろう?」

どうやらベスは、この人外の領域の温泉にラッカを入れようとしているらしい。

ラッカはたじろいだ。

ここがどこで、フェリクスが何を背負っているのか。
ラッカには何も聞かされていないとはいえ、この男はアビーブの王室の闇に深く関わっていた過去がある。
もちろんアビーブ王国で最高の教育も受けている。

ラッカが察するに、ここは伝説の王家の禁足地の、神々の聖域に違いないだろう。
継承の王太子であるフェリクスは、王家の先祖の霊に招かれて、何かを成し遂げにここにやってきて、ラッカとベスはその助けとなるように、この場に控えているだけだ。

ベスは鼻歌を歌うように笑って言った。

「そうかもしれません。でも、ここは世界一のお風呂です。入らないなんて勿体無いですよ!ラッカ様もきっと気に入りますよ」

「いや、ここは・・」

二の足を踏むラッカに、次の瞬間、いつものふんわりとした優しいベスの声から、急に様変わりして、ラッカに強く言い放った。

『さあ、入りなさい』

何かが、ベスの声に乗り移ったのだ。
強い魔力を伴うモノの声がベスの声を依代に、ラッカの耳に聞こえたのだ。

(魔物に取り憑かれているのか、ベスが魔物なのか)

ラッカは覚悟を決めた。

(人外に呼ばれたのは、フェリクス様だけではなかったという事か。この私にも、人外は用事があるという事か)



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