緑の指を持つ娘

Moonshine

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べスの村

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「ここまで送ってくださってありがとうございます。ぐすっ」

誤解が解けて、あの恐ろしい地下牢からはすぐに出してもらったものの、手塩にかけて育てていた、大事な百年草をカーターにちぎられてしまった。
カーターにも、そしてカーターが百年草をちぎる理由になったこの魔術師にもべスは怒り心頭だし、悲しくて涙が止まらない。

大体最初にこの男が早とちりせずに、しっかり話を聞いてくれていたら、牢屋に閉じ込められる事もなかったし、百年草が犠牲になる事もなかったのだ。

流石に悪いと思ったのか、王都から、ベスの住む森のほとりの粉挽き小屋までわざわざ自分で馬車を出して送ってくれた魔術師には礼を言ったが、まだ涙がとまらない。

花の咲くのを今か今かと待っていた、恋人のいない村の若い娘たちはどれほどがっかりする事だろう。

こんな美貌の、王都の魔術師様に家までエスコートされて、普通であれば心が浮き立ってもいいようなものだ。

だがこの男のせいで百年草の開花がみられなくなってしまったのかと思うと、カーターはあとで村の娘たちが総出でリンチするとして、この美貌の魔術師にも、一言いってやらないとベスの気が済まない。

「ほら、魔術師様。ここが私の畑です。カーターが勝手にとっていった薬草はこれです」

ベソベソ泣きながらも、そういって畑の隅っこの、薬草やらハーブやらを植えている場所を魔術師に示した。そこは、カーターがむしっていった薬草の束がきっちり、三束分消え去っていた。

(ここを、魔術師様たちが最初に確かめにきていたら、すぐに誤解は解けたのよ。私に自分の勘違いで酷い目に合わせた事、大切な百年草が台無しになった事、もっともっと反省したらいいわ)

べスは、ちょっとでもこの魔術師の罪悪感を募らせてやろうと、薬草の茂っている畑をみせたつもりだったのだが、魔術師はどうも、ベスの畑を見てから様子がおかしくなった。

「ほう・・」

急にがばりと地面にしゃがみ込んで、じっと、まるで宝石でも愛でるかのように、ベスの農作物を観察し出したのだ。

「素晴らしい・・何という高品質な仕上がりの薬草だ。お前は本当に植物を育てる才能に恵まれているのだな」

マジマジと魔術師は、薬草の葉を手にとってみたり、少しちぎって魔力を当ててみたり、色々触りながら、そう感心した様に独り言をつぶやいた。

「そ、そそうですか? えへ、私ちょっと植物育てるの得意なんですよ。お陰で果物とか野菜を育てるには困らないので、助かってますけど、村のお年寄りもみんな畑仕事は上手なんで、褒められるほどでも」

(あれ、この方結構いいお人かも)

お調子者のべスは、褒められて少しいい気分だ。

なにせ、(非常に迷惑を被ったが)べスが憧れてやまない王都の魔術師様から褒められているのだ。
しかも、怒りで顔など何も気にもしていなかったが、良く見るとこの男は大変な美貌の若い男だ。
非常に整った顔立ちに、濃紺の瞳。そして肩までの銀の真っ直ぐな髪。
王都の流行など何一つわからないベスでもわかるほどに素晴らしい仕立ての装い。
明らかに、貴族階級の魔術師だ。

まじまじと地面にしゃがみ込んでいる美しい貴族の男に見惚れる。

(後でエイミーに自慢できるかも。王都のものすごく美形な魔術師様に家まで送ってもらってきたって)

恋愛脳のエイミーは、きっと羨ましがるだろう。
ちょっと気分があがっていたべスは、だが、すぐにそんな気持ちになった事を後悔させられる。

「これほどに高品質の薬草は、王宮植物園で環境管理されているものの中でも滅多にお目にかかる事ができない・・それがなんだこのチャチな畑でなぜだ?」

「チャチ!」

せっかくこの男を見直して、少しいい気分になっていたのだが、人の大切な畑を、チャチとはなんだ。

「この娘も、頭はそう良さそうではない、魔力も無いただの田舎娘だし、農具もなんの魔力処理もされてない。土はいい土だが、魔素も量もたいした事のない、至って普通の土だ・・」

「ちょっと!あんた失礼よ!」

美しい唇からはロクでもない失礼な内容が紡がれている。ベスなどもう存在しないかのように、何か自分の世界に入り込んでいる様子。
そして、今度はなんと断りもなく隣に植えている、べスの畑の人参を、いきなりひっこぬいた。
ベスは絶叫する。

「ちょっと!人の畑をなにしてんのよ!!」

「ほう、やはり、これは見事な人参だ。これほどの植物の完全体は滅多にお目にかかれない」

そして、なんと土がまだついている人参をそのままガブリ!とかじりだした。

「ちょっと!ちょっと!」

べスがあわてて止めるのも、何も聞こえていない様子。

「なんと甘い。なんとみずみずしい。すばらしい。完璧たる人参だ・・」

そして、信じられない事に、次々にべスが丹精込めて育てている野菜をポイポイと引っ張ったり引きちぎったり、食べてみたり。まるで頭のおかしくなったかの所業だ。

「ちょっと!頭おかしいんですか!本当にいい加減にしてください!」

ベスは魔術師に大声で懇願したり、袖を引っ張ったりしてみるが、魔術師は、何かの考えに夢中で、ベスの声など何も聞こえてはいない様子。

(これ以上畑を荒らされちゃ、本当にたまらないわ!)

べスはたまりかねて、水車の横に置いていたバケツで川の水をくんで、ばしゃん!と魔術師にぶちまけた。
美しい銀色の髪も、黒い上質のローブも水浸しだ。

(不敬罪・・とか大丈夫よね)

水を頭から浴びせかけて、ようやくこの魔術師の男が、かなりの高位貴族だろう事に、青くなる。

水を頭からかぶってようやく正気をとりもどした魔術師は、

「あ、すまない、つい」

そう言って、ブワッと熱風を魔術で起こした。
瞬時にずぶ濡れの体は一瞬で乾燥する。

(これが、魔術・・)

ベスは生まれて初めて実際に見る魔術に、驚きで我を忘れそうになってしまったが、魔術師の手に、食べ頃になるのが楽しみだったイチゴの青い実を見つけて、また怒りが蘇る。

「すまないじゃないわよ!人を攫ったと思ったら人の大切な畑を荒らして!今日は水車の修理の予定だから粉ひきを入れてないのに、修理どころじゃないわ!どうしてくれんのよ!一体私になんの恨みがあるっていうの!」

憧れの魔術師様ではあるが、早とちりで人攫いはするは、人の大事な畑は荒らすわ、今の所この魔術師様は、ただの疫病神だ。

「ん?水車のどこかが壊れているのか?」

魔術師は、特にベスの怒りなど気にしていない様子で、水車に目をやった。

「ほら、あそこの金具が壊れているのよ。今日は上流の水をせき止めて、動かなくなってからはしごをかけて金具をかえなくちゃいけないの。結構な大仕事なんだから、あんたに構ってる暇なんてないのよ。もう帰って!」

ベスはそう言って、水車の軸の摩耗した金具を指差した。もう、これ以上この疫病神のような男に関わるのはやめる事にする。早く修理しないと、雨が降って川の水が増えたら、水車の修理はとても面倒なのだ。

「あれを直せばいいんだな」

魔術師は、懐からなにか棒のようなものを取り出すと、ブツブツと口の中で呪文を唱えて、魔術を発動させた。摩耗していた金具は、ベスの目の前でふわりと浮き上がり、光を放って真新しい金具に変わると、スッと水車に吸い込まれていった。

あっけにとられているべスに、魔術師は、

「軸棒がすり減っていただけだから、元の状態に戻して、つなげた」

と、事もなさげにいった。

(すごい・・)

一人でやれば、3日はかかる大作業だ。
この男に大変な迷惑をかけられて、先ほども大事な畑を荒らされた事など、すっかりベスの頭から抜け落ちてしまった。

「あの、魔術師様、先ほどからの、それが魔法ですか」

「ん?なんだ魔法も見た事ないのか?そうだ、これは魔法だが・・そうか、俺は魔法を見た事すらない田舎娘を魔女と勘違いしたのか・・いや、俺が悪いわけではない、あのポーションは間違いなく純度を上げると毒化するほどの質だったし、こんな有り得ない質の薬草が、こんなド田舎の、あんな鈍臭い低級冒険者から渡される予想など、誰もできないはずだ」

ブツブツとまた口の中で失礼極まりない事を呟いているが、一方のベスは、本で読んだ事だけしかなかった魔法を目の前で錬成されて、そして修理に3日はかかる大作業を魔術で一瞬で終わらせてもらって、息もつけないほど興奮していた。

「ま、ま、魔術師様、ありがとうございます!!」

「他に修繕が必要なものは?お前の畑を荒らした詫びに、直してやる」

やはりあまりベスに興味がなさそうに魔術師は言った。

「えええ!で、でしたらどうぞ!小屋の中にはいってください!」

ベスは粉挽き小屋の中に魔術師を案内した。
一人で何も不自由なく暮らしてはいるが、おじいちゃんが亡くなってからは水車の修理修繕など、ベスに手に負えない仕事があり実は少し困っていたのだ。

「ここの歯車の歯が一本かけてて」

ベスが言い終わらない内に、歯車の歯は、新しいものに編成される。

「ここのネジがわれてて」

これも同じく、光が一瞬光ったかと思えば、割れたネジが新品のように戻る。

「すごーい!!」

ベスはもう、大興奮だ。
どうやって修理しようかと何年も頭を抱えていた部品が、次々にベスの目の前で新品のように変わっていき、ほかにもなんだかベスが気がついていないような部分にも、魔術師は小さな光の塊のようなものを当てていた。

光が当てられるたびに、何か悪かった部分が直っているのだろう。水車は今まで聞いたことのないような音を出して、滑車はクルクルと非常に調子良く滑らかに走り出した。

まさに奇跡だ。魔法だ。
興奮で失神しそうなベスを横目に、魔術師の男は興味なさげに、小屋の椅子においてあった本を拾って目を通した。

「これはお前の本か?」

「ええ、本物の魔術をみるのは初めてなんですけど、よく魔術の書いてある本を読んでいるんです」

魔術師の男は、本のページをペラペラとめくって、けっと、小馬鹿にしたように言った。

「この魔術を使うにはこんなに人数もポーションもいらん。こっちの魔術は逆に魔石がいる。あまり魔術を知らない作者の描いたくだらん娯楽作品だな。この人物のモデルになった主人公も実際はこんなに正義漢ではないし、実に愚かしい」

その本はベスの一番のお気に入りの、魔術師の冒険譚だ。
村の図書館で借りてきて、どうしても自分で欲しくなって行商にわざわざ注文して、三ヶ月も到着を待った大切な本だ。
それだと言うのに、人の大切な本にこんな言い方。

(このお方、ものすごく綺麗なお顔立ちだし、すごい魔術師様なんだろうけど、性格はかなり悪いわね・・)

ベスがそう結論つけて、言葉もなく立っていると、魔術師の男は少し考えてから、ベスに振り返って、言った。

「見たいか?」

「え?」

「ここに書いてある魔術だ。何度も読んだのだろう、このくだらない本のこのページを」

トントン、と魔術師の男が指を差したのは、この本のシーンの中で、ベスが一番のお気に入りのシーンだ。
そのシーンで魔術師が展開する魔法は、夜の星が一斉に落ちてくるような、まさに夢の世界のごとく美しい魔法だ。ベスは想像の中で何度も何度もその魔術の発動した光景を再現して、うっとりとしていたのだ。

「本当に、その魔術がこの世に存在しているなら、是非見てみたいです」

魔術師の男は、ニヤリと悪い顔をした。

「ああ。これは実在する魔術だ。そう難しい術式でもない。ちょっとお前が力を貸してくれるなら、この魔術を実際に見せてやらないでもない」

「力?」

「ああ。私の管理している温室にある薬草の様子をみてほしい。状態を良い方に持って、実をつけさせる事に協力してくれたら、私が直々にこの魔術を見せてやろう」

「そんな事ならお安い御用ですよ!そんな事で見せてもらえるんですか!!」

何せ植物はベスの得意分野だ。エイミーの家の庭のぶどうのように、この魔術師様の持っている、調子の悪い植物の状態をみてあげるだけで、憧れの魔術を見せてもらえるなら願ったりだ。

だがべスは知らなかった。この時に気軽に引き受けたこの役割こそが、ベスと、そして魔術師と、そしてこの国命運すらかえてしまう、大きな出来事であった事に。



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