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10.夜明けの呼び声
夢の終わり
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「これってどうなってるの……?」
テムは、何が起きたのかまったく分からなかった。
いばらの魔物をやっつけたら、こんな現象が起こるなんて。
空中にうかぶ自分の身体をながめてみた。右腕の傷は消えていた。
それどころか、
とげで裂かれたはずのすそも元通りになって、血が流れた痕跡すらもなくなっていた。
脇腹の傷も、おなじ具合だった。全部気のせいだったのか?
『眠りの時は、今まさに終わろうとしています』
頭のなかに、ヒュプノスの声がした。
『試練を越えた者よ。彼女を迎えてあげなさい。
もう一人のあなたを』
棺のガラスが、つと開いた。
そのなかから、白花の花びらが噴き出していく。
テムは思わず両手で顔をおおった。
花びらは光をまといながら、
たくさんの白いハトに姿を変えて、テムのかたわらを飛び去っていく。
棺の上に、透明感のある桃色ドレスの姫がただよっていた。
役目を終えたからっぽの棺が、しずむように雲海に落ちていく。
そして今、黄金の朝日が、
おだやかに瞳を閉じている姫の背に、後光のようにさしこんだ。
かげって見えないはずの姫の表情は、不思議なほど明るく、
眉毛まではっきりと見て取ることができた。
姫の身体が、テムのところへ吐息のようにただよってくる。
と同時に、姫のまぶたが、ようやくゆっくりと開かれていった。
彼女は、テムの姿に気がつくと、まるで息を吹き返したようにはっとして、
それから、にこやかに笑った……その両腕を広げながら。
何も気にする必要はなかった。
テムはおだやかな気持ちで、満面の笑顔とともに姫をだきとめた。
長い眠りに閉ざされていただけだから、姫の身体には温もりがあった。
ふたりはしばらくだきあったまま、おたがいの温もりを感じあっていた。
まるで、ずっと昔から絆をむすんでいたかのように。
幸せに満ちたひと時だった。夢の終わりにふさわしい、最高の景色とともに。
やがてふたりは、おたがいの顔を見つめあった。
「テム、ありがとう。わたしを解き放ってくれて」
ねむり姫が、そう言った。
頭のなかにひびいていた声とそっくり同じだけれど、
肉声のほうがずっと優しく、温かく体の中にしみこんでくる。
あの棺にとらわれていたお姫様とは思えない言葉だ。
「キミは……大好きな女の子だからね」
自然と、その答えが口から出た。
自分自身に言い聞かせているものなのに、奇妙な感じだった。
絵に描いたように美しい彼女を、自分だと納得しようとすると、
今になって頭が混乱してしまうからだ。
『そう。彼女はまぎれもなく、あなたのかけがえのない姫』
美しい声とともに、何かが上空の雲の切れ間から飛んできた。
朝日のかがやきを受けた神々しい毛並み。
青白い光の尾をひく、ピンクルビーの尾びれ。
天からの贈り物のように、ふたりのもとへ舞い降りてくる……。
ヒュプノスだった。
その背中には、ビビとノックスが乗っていた。
ビビの両腕にだかれて、小さなノックスが楽しそうに舌を出している。
二匹ともケガは治っていた。
いや、テムと同じように、ケガを負った気になっていただけかもしれない。
ヒュプノスは、ふたりの前で中空にとどまり、朝日の光を正面から受けていた。
ビビとノックスが、その背中を降りて飛んでくる。
テムたちは、最後の瞬間に、また集まることができた。
言葉はいらない。
ただテムは無事を祝ってノックスの頭をなで、ビビとぎゅっと手をつないだ。
その時、テムの手ににぎられていたたいまつが金色にかがやきだし、
またたくまに五つの魂に分かれてしまった。
子どもたちの魂は、またヒュプノスのそばへ戻っていく。
世界一大きくて、すてきな家族のそばへ。
『よくやったぞ、テム!』
『がんばったね、テム!』
『ハラハラしたけれど、かっこよかったよ』
『あんなに嫌がっていたいばらと、あそこまで戦うなんてね!』
『わたしちょっぴり、ときめいちゃったかも』
「ぼく……夢中でさ」
テムは、はずかしそうにうなじをかいた。
「いやいや、おぬしは立派な男じゃった。
そして、見事に姫を眠りから解き放ち、森に朝をもたらしたのじゃ」
と、ビビは満足そうに言った。
「こんなに勇敢な飼い主をもって、ノックスも鼻が高いじゃろう!」
「ワォーン!」
すっかり鳴くのが得意になったようだ。
ノックスは小さくも高らかな遠吠えをひびかせ、テムを祝福してくれているようだった。
ビビは、なつかしい姫の姿に、
遠い過去の面影を瞳に映すようなほがらかな笑顔をうかべて、こう言った。
「姫よ。わしはおぬしの本当の友人ではなかった。
じゃが……たとえいつわりの思い出だったとしても、
わしはおぬしとすばらしい時をすごすことができた。
それだけを……それだけをずっと伝えたかったのじゃ」
姫は、ゆっくりとうなずいた。
「リスの騎士、ビビよ。
わたしとの思い出を、永久にその胸にとどめてくださいね。
わたしは心の闇をはらす朝の陽ざしのように、
これからもあなたのゆく道を照らします」
「うむ……おぬしのことを忘れはしまい。約束じゃ」
ビビと姫は、まるで子ども同士が約束を交わすかのように、
小指をからませて指切りげんまんをした。
ふたりの思い出の日々は、きっとこんなふうに温かく、
ほほ笑ましいものだったのだろう。
「それから……テム」
姫は、最後にテムの両手をとってこう言った。
「目を覚ませば、夢見の森にはもう戻れません。
どうか、朝とともに待ちかまえる現実の重さに、負けないで」
「うん。覚悟はできてるから」
テムは、強くうなずいた。負けるつもりなんてなかった。
ノックスとビビ、大切な仲間がわけてくれた勇気。
リス王夫妻とネネ姫がくれた、家族との希望。
ヒュプノスと五人の子どもたちがくれた、温かな言葉の数々。
夢のなかでの思い出すべてが、明日の力に変わるから。
『さあ、お別れの時が訪れました。
夢を見る者よ、目を閉じなさい。
そして目覚めの部屋で、本当の朝日の温もりをあびなさい』
ヒュプノスの言葉に、ビビと姫がテムの手をそっと取る。
「さようなら、テム」
「さらばじゃ、テム」
『さようならー、テムー!』
テムは、みんなの言葉につつまれながら、そっと目を閉じた。
体がふんわりと、雲のようなものにつつまれるのが分かる。
どこまでも、どこまでもうき上がり、空のはてまで運ばれていくのを感じる。
夢が終わりを迎えるのだ。
テムは、何が起きたのかまったく分からなかった。
いばらの魔物をやっつけたら、こんな現象が起こるなんて。
空中にうかぶ自分の身体をながめてみた。右腕の傷は消えていた。
それどころか、
とげで裂かれたはずのすそも元通りになって、血が流れた痕跡すらもなくなっていた。
脇腹の傷も、おなじ具合だった。全部気のせいだったのか?
『眠りの時は、今まさに終わろうとしています』
頭のなかに、ヒュプノスの声がした。
『試練を越えた者よ。彼女を迎えてあげなさい。
もう一人のあなたを』
棺のガラスが、つと開いた。
そのなかから、白花の花びらが噴き出していく。
テムは思わず両手で顔をおおった。
花びらは光をまといながら、
たくさんの白いハトに姿を変えて、テムのかたわらを飛び去っていく。
棺の上に、透明感のある桃色ドレスの姫がただよっていた。
役目を終えたからっぽの棺が、しずむように雲海に落ちていく。
そして今、黄金の朝日が、
おだやかに瞳を閉じている姫の背に、後光のようにさしこんだ。
かげって見えないはずの姫の表情は、不思議なほど明るく、
眉毛まではっきりと見て取ることができた。
姫の身体が、テムのところへ吐息のようにただよってくる。
と同時に、姫のまぶたが、ようやくゆっくりと開かれていった。
彼女は、テムの姿に気がつくと、まるで息を吹き返したようにはっとして、
それから、にこやかに笑った……その両腕を広げながら。
何も気にする必要はなかった。
テムはおだやかな気持ちで、満面の笑顔とともに姫をだきとめた。
長い眠りに閉ざされていただけだから、姫の身体には温もりがあった。
ふたりはしばらくだきあったまま、おたがいの温もりを感じあっていた。
まるで、ずっと昔から絆をむすんでいたかのように。
幸せに満ちたひと時だった。夢の終わりにふさわしい、最高の景色とともに。
やがてふたりは、おたがいの顔を見つめあった。
「テム、ありがとう。わたしを解き放ってくれて」
ねむり姫が、そう言った。
頭のなかにひびいていた声とそっくり同じだけれど、
肉声のほうがずっと優しく、温かく体の中にしみこんでくる。
あの棺にとらわれていたお姫様とは思えない言葉だ。
「キミは……大好きな女の子だからね」
自然と、その答えが口から出た。
自分自身に言い聞かせているものなのに、奇妙な感じだった。
絵に描いたように美しい彼女を、自分だと納得しようとすると、
今になって頭が混乱してしまうからだ。
『そう。彼女はまぎれもなく、あなたのかけがえのない姫』
美しい声とともに、何かが上空の雲の切れ間から飛んできた。
朝日のかがやきを受けた神々しい毛並み。
青白い光の尾をひく、ピンクルビーの尾びれ。
天からの贈り物のように、ふたりのもとへ舞い降りてくる……。
ヒュプノスだった。
その背中には、ビビとノックスが乗っていた。
ビビの両腕にだかれて、小さなノックスが楽しそうに舌を出している。
二匹ともケガは治っていた。
いや、テムと同じように、ケガを負った気になっていただけかもしれない。
ヒュプノスは、ふたりの前で中空にとどまり、朝日の光を正面から受けていた。
ビビとノックスが、その背中を降りて飛んでくる。
テムたちは、最後の瞬間に、また集まることができた。
言葉はいらない。
ただテムは無事を祝ってノックスの頭をなで、ビビとぎゅっと手をつないだ。
その時、テムの手ににぎられていたたいまつが金色にかがやきだし、
またたくまに五つの魂に分かれてしまった。
子どもたちの魂は、またヒュプノスのそばへ戻っていく。
世界一大きくて、すてきな家族のそばへ。
『よくやったぞ、テム!』
『がんばったね、テム!』
『ハラハラしたけれど、かっこよかったよ』
『あんなに嫌がっていたいばらと、あそこまで戦うなんてね!』
『わたしちょっぴり、ときめいちゃったかも』
「ぼく……夢中でさ」
テムは、はずかしそうにうなじをかいた。
「いやいや、おぬしは立派な男じゃった。
そして、見事に姫を眠りから解き放ち、森に朝をもたらしたのじゃ」
と、ビビは満足そうに言った。
「こんなに勇敢な飼い主をもって、ノックスも鼻が高いじゃろう!」
「ワォーン!」
すっかり鳴くのが得意になったようだ。
ノックスは小さくも高らかな遠吠えをひびかせ、テムを祝福してくれているようだった。
ビビは、なつかしい姫の姿に、
遠い過去の面影を瞳に映すようなほがらかな笑顔をうかべて、こう言った。
「姫よ。わしはおぬしの本当の友人ではなかった。
じゃが……たとえいつわりの思い出だったとしても、
わしはおぬしとすばらしい時をすごすことができた。
それだけを……それだけをずっと伝えたかったのじゃ」
姫は、ゆっくりとうなずいた。
「リスの騎士、ビビよ。
わたしとの思い出を、永久にその胸にとどめてくださいね。
わたしは心の闇をはらす朝の陽ざしのように、
これからもあなたのゆく道を照らします」
「うむ……おぬしのことを忘れはしまい。約束じゃ」
ビビと姫は、まるで子ども同士が約束を交わすかのように、
小指をからませて指切りげんまんをした。
ふたりの思い出の日々は、きっとこんなふうに温かく、
ほほ笑ましいものだったのだろう。
「それから……テム」
姫は、最後にテムの両手をとってこう言った。
「目を覚ませば、夢見の森にはもう戻れません。
どうか、朝とともに待ちかまえる現実の重さに、負けないで」
「うん。覚悟はできてるから」
テムは、強くうなずいた。負けるつもりなんてなかった。
ノックスとビビ、大切な仲間がわけてくれた勇気。
リス王夫妻とネネ姫がくれた、家族との希望。
ヒュプノスと五人の子どもたちがくれた、温かな言葉の数々。
夢のなかでの思い出すべてが、明日の力に変わるから。
『さあ、お別れの時が訪れました。
夢を見る者よ、目を閉じなさい。
そして目覚めの部屋で、本当の朝日の温もりをあびなさい』
ヒュプノスの言葉に、ビビと姫がテムの手をそっと取る。
「さようなら、テム」
「さらばじゃ、テム」
『さようならー、テムー!』
テムは、みんなの言葉につつまれながら、そっと目を閉じた。
体がふんわりと、雲のようなものにつつまれるのが分かる。
どこまでも、どこまでもうき上がり、空のはてまで運ばれていくのを感じる。
夢が終わりを迎えるのだ。
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