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①〈フラップ編〉
14『体によくきく元気の素は、最高の友達と抱き枕』
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今回のお仕事を通じて、フラップは少しだけ変わったようです。
どう変わったか。それは何と言っても、火が吹けるようになったことでした!
あの時、命の危機にさらされた土壇場で、
ずっと心にこびりついていた炎のトラウマと戦ったことが、
功を奏したというべきでしょうか。
家に帰ってから、しろさんに火を吹いたことを報告すると、
しろさんはまるで自分のことのように、毬のごとく飛び跳ねて喜びました。
「でかした! ついにトラウマを克服したんじゃな!
レンの提案は、出まかせではなかったことが証明されたのう!」
――ところがどっこい。いざラボの中で火を吹いてみると、
あの時の見事な火柱が口から放射されることはなかったのです。
何度やっても、だめでした。
――ただ、ほんのちょっぴり。ポン、と小さい火の粉が飛びだすだけ。
ロウソクのように小さく、
出てはやる気なくすぐに燃え尽きる火の粉。
フラップはどれほどがっかりしたことでしょう。
あの時、たしかに凄まじい炎を吹いたのに!
どれほどやり方を変えても、口から出るのがこんな火の粉だけとは。
「うーむ。それだけおぬしのトラウマは、深刻というわけじゃな。
やはり、一筋縄ではいかんかぁ……。
まあでも! これは明らかな一歩前進じゃ! 悪くないではないか」
ぬか喜びだったにもかかわらず、しろさんはフラップを励ますのでした。
「でもでも、これだと先が思いやられますよう」
「何をゆうちょる。そなたの修行とは、言い替えれば心の荒療治じゃ。
ひたすらに筋トレを積んだり、冷たい滝に打たれたり、
ライバルと激しくしのぎを削ったりするのとは違う。
じゃから、おぬしはただ、気楽に仕事にはげめばよいのじゃよ」
「気楽にって……あーあ、早くスカイランドに帰りたいです」
「それよりも興味深いのは、突如おぬしの体に満ちたエネルギーのほうじゃ!
命の危機を脱するためじゃろうか。そんな力までも備わっておったとは。
ドラギィには、まだまだ未知なる部分が秘められておるということじゃな。
知れば知るほど、研究のネタが尽きぬやつじゃわい。むふふふふ!」
肩を落とすフラップをよそに、
しろさんは次なる研究段階にむけて、胸を躍らせるのでした。
――一方、レンは次の日の朝、見事に風邪を引いてしまいました。
雨に濡れたまま体もふかず、何時間も空を飛び続けただけではありません。
普段から慣れていないことが立て続けに起きて、どっと疲れが出たのです。
「……あー、やばい。体がしんどい。頭痛い……」
朝起きたそばから、これでした。
熱を測ってみたら、三十八度もあったのです。無理もありません。
レンのお母さんは、忙しいはずの日曜日なのにお店の仕事を休んで、
レンのために胃に優しい料理や、お薬を用意してくれました。
そして今日一日、安静にすればすぐ治るよと、笑って言うのでした。
お母さんが部屋にいない間、しろさんは時々ベッドに上がってきては、
枕元でレンの具合を診ていました。
「むう……わしが特効薬を調合してやりたいが、ネズミ用のレシピしかないし、
人間用の薬と混ざったらシャレにならん。悪く思わんでくれ」
フラップは、レンにほぼつきっきりでした。
――何ができるというわけではないのですが、
自分のためにお仕事をお膳立てしてくれたレンには、心から感謝しているのです。
「スカイランドなら、風邪によく効く薬草がすぐに手に入るんですけど。
人間界のお薬って、甘いです? それとも苦いです?」
「……飲んだのは錠剤だから、何とも言えない……けほけほ」
フラップやしろさんの話声に、鈍い声で受け答えする時間もあれば、
浅い眠りと覚醒を行ったり来たり、うつらうつらする時間もありました。
そうして、だるくて退屈な時間が、よどみなく過ぎていったのです。
午後四時。
もうずいぶんと熱も下がり、頭痛も少しだけ治まってきた頃でした。
ピンポーン! 家の呼び鈴が鳴ったあと、
お母さんが玄関へかけこみ、だれかを迎える声が聞こえました。
通りのよいお母さんの声はよく聞こえるのに、相手の声が聞き取れません。
しばらくのち、お母さんがその訪問人を家に招き入れ、
いっしょに部屋に近づいてくる足音が――。
トン、トン。
「レンー。お友達がお見舞いに来てくれたよー。本田ユカちゃんだって」
「なっ、なっ!?」
心臓が破れるかと思いました。
訪問人はまさかのユカ! まだなんの心の準備もできていません!
「あんたやるねー。いつの間にこんなかわいい子と仲よくなって。
この子、あんたに『お礼』がしたいって言ってるわよ。なんのことー?」
「い、いいから! 部屋に通してあげて。
あ、あとさ! 用事がすむまで、母さんはゼッタイ部屋に入らないでよ」
レンが目配せで合図を送ると、
フラップとしろさんは素早くベッドの下に潜りこみました。
これが、部屋に人がやってきた時の対処法だったのです。
ガチャ。
部屋のドアが開き、ユカが入ってきました。
何やら恥ずかしそうに赤面しながら、小さな手さげバッグを胸に抱いています。
「き、来てくれて、ありら……ありがと」
緊張するせいで、うまくろれつが回りません。
「で、でもおろろ、お礼なら、学校でう、受け取るからって、
昨日電話で言ったのに……」
「だってね、あのね……待ちきれなかったんだもん。
悪いかなって気はしてたけど。でもまさか坂本君、風邪引いてたなんて。
大丈夫? 熱、下がった?」
「う、うん。ちゃんと薬も飲んだし、もう治りかけ……。
あ、あのさ、よかったね。昨日、シ、シホちゃんから電話、もらえてさ」
「うん! 怒ってないから、今度の土日に泊まりにおいでって。
またシホちゃんに会いに行けるよ。坂本君のおかげだね」
するとシホは、手さげバッグから何かを取り出し、レンに差し出しました。
それは、細長くて愛らしい犬のフェルト人形でした。
ぽつぽつとした黒い目と、ひらひらした大きな耳がチャーミングです。
あのかわいいペガサスと同じように、紐がついたストラップ人形。
何より、両手におさまるサイズ感がたまりません。
「これね、坂本君のために作ったお人形。犬、好きって言ってたよね」
「え、マジ!? ぼくにもく、くれるのお人形?」
「うん。あのね、お礼、これだけじゃ足りないから、もっと持ってきたの」
そう言うとユカは、バッグから次々と品を取り出し、レンの机にならべました。
新品の鉛筆三本、青い消しゴム一個、星印のリストバンド一つ、
安眠用のアイマスク一つ、新しい犬の漫画本一冊、紅茶のティーバッグ一箱。
(うーわ……こんなにたくさん……!)
いくら何でも、さすがにこれはもらいすぎではないでしょうか?
レンは悩んで、悩んで、うんと悩んだすえに、こう言いました。
「申しわけないけど、受け取るわけにいかないよ」
思いがけない返事に、ユカの表情が曇りました。
「えっ、どうして? やっぱり、好みに合わないかな?
坂本君のほしいものをよく知らないから、
パパとママに頼んで、いろいろそろえてもらったんだけど」
「あ、いや……多すぎるってだけでさ。受け取りたいのは一つだけ。
キミが持ってる、その犬のお人形――なんだけど、
それはぼくじゃなくて、ぼくの友達に贈ってほしいんだよね」
「友達? それどういうこと?」
ユカが首をひねっています。それもそうです。
今回引き受けた配達仕事は、そもそも何の目的だったのか、
ユカはまだ知らないのですから。
「あのさ、ユカちゃん!」
レンは突然、いつになく真面目な顔になって言いました。
「これからキミに、会ってほしい子がいるんだ。
でもその子、ものすごくコセイテキなやつでさ、出会って以来、
だれにも会わせずに、こっそりとこの部屋に住まわせてあげてて」
「だれにも会わせずに?」
「……いいかな。今からその子に会っても、
ゼッタイ、ゼーッタイ、だれにも話さないって約束できる?」
*
十分後、レンの部屋の中に、小さくなったユカの歓声が響いていました。
「キャーー! すごい、すごーい!!」
「はぁーい、今度は竜のごとく、連続アップダウンでーす!」
ユカは、部屋の至るところを飛び回っていました。
もちろん、ひとりではありません。彼女は、フラップに乗っていたのです。
しかも、ピンク色の可愛らしいヘルメットをかぶって。
もちろん、これも羽飾りつきです。
部屋中の至る場所にいるネズミ研究員たちが、それを見守っています。
フラップに『ドラギィ乗用具』を装着させたり、
部屋にホログラムの障害物を設置するために、しろさんが引き連れてきたのです。
「フラップ、あんまり激しく動いちゃだめだよ」
レンはベッドの上から注意を呼びかけました。
今までは、ひとりで部屋を飛び回る姿を見ていたり、
自分があの背中に乗ったりしていたのですが、
こうして他の子を乗せて飛んでいる姿を見るのも、なかなか楽しい気分です。
「坂本君、すごいねこの子! キャッ、すごーい! 面白ーい!」
「それほどでもー! そぉれ、まだまだ~!」
フラップもあんなに愉快な顔をしています。
友達が増えてご機嫌になっているのが、はっきりと見て取れます。
微笑ましく視線を送るレンの右肩に、
しろさんがよじ登ってきてこうたずねてきました。
「……レンよ。本当にこれでよかったのか?」
「いいんだ。ユカちゃんは、しっかりした子だから。
ぼくとの秘密をきっと守ってくれるし、それに……」
「むむむ? それになんじゃ? はっきりと言わんか~。
秘密を分かち合った男女はより一層仲が深まるから、とな」
「えっ! あ、 いや、そんなこと――」
「そんなことあるんじゃろ。まったく、おぬしは分かりやすいんじゃ。
しかも、隅に置けんほどのやり手な男じゃ、おぬしは。
彼女が好きなら、素直な気持ちを伝えてやればよいものを」
「そんなんじゃないってばさ!」
「いやあ~、こんなこともあろうかと、
女子用のARナビメットも開発しておいて、正解じゃったわい」
レンがムキになればなるほど、
しろさんはしてやったりな不敵面で、くくくと笑うのでした。
どうやら、以前からこうなることが分かっていたようです。
「しかし、なるべくこれっきりにすることじゃな。
おぬしが心からフラップのことを思っておるのなら」
「……まあね。それもそうだ」
そう言って、レンが何気に頬を赤くしていると、
ユカを乗せて曲芸飛行していたフラップが、ふとレンの顔のそばへ飛んできました。
その表情は、今までになくご機嫌で、素晴らしく晴れやかでした。
「レンくん、ありがとうございます!」
「え? ありがとう?」
「だって、レンくんは、ユカさんにぼくを紹介してくれたじゃないですか。
本当ならもう、他のだれにも正体を知られちゃいけないはずなのに、
レンくんは、最後の最後に、ぼくのことを考えてくれました。
自分だけの手柄にしないで、ぼくも仲間に加えてくれた」
「いやあ……今回は、その……特別だよ。最初で最後の、ね」
「ぼく、このご恩は忘れません。ゼッタイですよ!」
「おいおい、まるでこれで最後みたいな言い方じゃない。
キミとの暮らしは、まだまだはじまったばかりなんだから」
ワォォォ――――ン!
気持ちがおさえきれないのか、フラップはユカを背中に乗せたまま、
空中で遠吠えを発するのでした。
小さな小さな、ドラギィの奇妙な遠吠え。
半分は犬だということを忘れていたレンにとって、フラップのその声は、
ますます愛おしさが募るような、尊い響きに感じられるのでした。
この日レンは、結局何一つとしてお礼の品を受け取らず、ユカと別れました。
ただ、ユカの満面の笑顔を見られただけで、何よりも嬉しかったのです。
それに、自分の所有品として手に入れた物がなかっただけで、
レンはたしかにお礼の品を受け取っていました――たった一つだけ。
そのプリンのような色の犬のフェルト人形は、
フラップが普段の夜、小さな姿で抱いて寝るのにちょうどいいサイズで、
しかも肌触りも弾力も抜群なのです。
ドラギィは、夜にやわらかい物を抱きしめて眠る習性がある――
フラップの、人間界での寝床のお供ができたのが、
今回もっとも祝福すべき出来事、なのかもしれませんね。
つづく
どう変わったか。それは何と言っても、火が吹けるようになったことでした!
あの時、命の危機にさらされた土壇場で、
ずっと心にこびりついていた炎のトラウマと戦ったことが、
功を奏したというべきでしょうか。
家に帰ってから、しろさんに火を吹いたことを報告すると、
しろさんはまるで自分のことのように、毬のごとく飛び跳ねて喜びました。
「でかした! ついにトラウマを克服したんじゃな!
レンの提案は、出まかせではなかったことが証明されたのう!」
――ところがどっこい。いざラボの中で火を吹いてみると、
あの時の見事な火柱が口から放射されることはなかったのです。
何度やっても、だめでした。
――ただ、ほんのちょっぴり。ポン、と小さい火の粉が飛びだすだけ。
ロウソクのように小さく、
出てはやる気なくすぐに燃え尽きる火の粉。
フラップはどれほどがっかりしたことでしょう。
あの時、たしかに凄まじい炎を吹いたのに!
どれほどやり方を変えても、口から出るのがこんな火の粉だけとは。
「うーむ。それだけおぬしのトラウマは、深刻というわけじゃな。
やはり、一筋縄ではいかんかぁ……。
まあでも! これは明らかな一歩前進じゃ! 悪くないではないか」
ぬか喜びだったにもかかわらず、しろさんはフラップを励ますのでした。
「でもでも、これだと先が思いやられますよう」
「何をゆうちょる。そなたの修行とは、言い替えれば心の荒療治じゃ。
ひたすらに筋トレを積んだり、冷たい滝に打たれたり、
ライバルと激しくしのぎを削ったりするのとは違う。
じゃから、おぬしはただ、気楽に仕事にはげめばよいのじゃよ」
「気楽にって……あーあ、早くスカイランドに帰りたいです」
「それよりも興味深いのは、突如おぬしの体に満ちたエネルギーのほうじゃ!
命の危機を脱するためじゃろうか。そんな力までも備わっておったとは。
ドラギィには、まだまだ未知なる部分が秘められておるということじゃな。
知れば知るほど、研究のネタが尽きぬやつじゃわい。むふふふふ!」
肩を落とすフラップをよそに、
しろさんは次なる研究段階にむけて、胸を躍らせるのでした。
――一方、レンは次の日の朝、見事に風邪を引いてしまいました。
雨に濡れたまま体もふかず、何時間も空を飛び続けただけではありません。
普段から慣れていないことが立て続けに起きて、どっと疲れが出たのです。
「……あー、やばい。体がしんどい。頭痛い……」
朝起きたそばから、これでした。
熱を測ってみたら、三十八度もあったのです。無理もありません。
レンのお母さんは、忙しいはずの日曜日なのにお店の仕事を休んで、
レンのために胃に優しい料理や、お薬を用意してくれました。
そして今日一日、安静にすればすぐ治るよと、笑って言うのでした。
お母さんが部屋にいない間、しろさんは時々ベッドに上がってきては、
枕元でレンの具合を診ていました。
「むう……わしが特効薬を調合してやりたいが、ネズミ用のレシピしかないし、
人間用の薬と混ざったらシャレにならん。悪く思わんでくれ」
フラップは、レンにほぼつきっきりでした。
――何ができるというわけではないのですが、
自分のためにお仕事をお膳立てしてくれたレンには、心から感謝しているのです。
「スカイランドなら、風邪によく効く薬草がすぐに手に入るんですけど。
人間界のお薬って、甘いです? それとも苦いです?」
「……飲んだのは錠剤だから、何とも言えない……けほけほ」
フラップやしろさんの話声に、鈍い声で受け答えする時間もあれば、
浅い眠りと覚醒を行ったり来たり、うつらうつらする時間もありました。
そうして、だるくて退屈な時間が、よどみなく過ぎていったのです。
午後四時。
もうずいぶんと熱も下がり、頭痛も少しだけ治まってきた頃でした。
ピンポーン! 家の呼び鈴が鳴ったあと、
お母さんが玄関へかけこみ、だれかを迎える声が聞こえました。
通りのよいお母さんの声はよく聞こえるのに、相手の声が聞き取れません。
しばらくのち、お母さんがその訪問人を家に招き入れ、
いっしょに部屋に近づいてくる足音が――。
トン、トン。
「レンー。お友達がお見舞いに来てくれたよー。本田ユカちゃんだって」
「なっ、なっ!?」
心臓が破れるかと思いました。
訪問人はまさかのユカ! まだなんの心の準備もできていません!
「あんたやるねー。いつの間にこんなかわいい子と仲よくなって。
この子、あんたに『お礼』がしたいって言ってるわよ。なんのことー?」
「い、いいから! 部屋に通してあげて。
あ、あとさ! 用事がすむまで、母さんはゼッタイ部屋に入らないでよ」
レンが目配せで合図を送ると、
フラップとしろさんは素早くベッドの下に潜りこみました。
これが、部屋に人がやってきた時の対処法だったのです。
ガチャ。
部屋のドアが開き、ユカが入ってきました。
何やら恥ずかしそうに赤面しながら、小さな手さげバッグを胸に抱いています。
「き、来てくれて、ありら……ありがと」
緊張するせいで、うまくろれつが回りません。
「で、でもおろろ、お礼なら、学校でう、受け取るからって、
昨日電話で言ったのに……」
「だってね、あのね……待ちきれなかったんだもん。
悪いかなって気はしてたけど。でもまさか坂本君、風邪引いてたなんて。
大丈夫? 熱、下がった?」
「う、うん。ちゃんと薬も飲んだし、もう治りかけ……。
あ、あのさ、よかったね。昨日、シ、シホちゃんから電話、もらえてさ」
「うん! 怒ってないから、今度の土日に泊まりにおいでって。
またシホちゃんに会いに行けるよ。坂本君のおかげだね」
するとシホは、手さげバッグから何かを取り出し、レンに差し出しました。
それは、細長くて愛らしい犬のフェルト人形でした。
ぽつぽつとした黒い目と、ひらひらした大きな耳がチャーミングです。
あのかわいいペガサスと同じように、紐がついたストラップ人形。
何より、両手におさまるサイズ感がたまりません。
「これね、坂本君のために作ったお人形。犬、好きって言ってたよね」
「え、マジ!? ぼくにもく、くれるのお人形?」
「うん。あのね、お礼、これだけじゃ足りないから、もっと持ってきたの」
そう言うとユカは、バッグから次々と品を取り出し、レンの机にならべました。
新品の鉛筆三本、青い消しゴム一個、星印のリストバンド一つ、
安眠用のアイマスク一つ、新しい犬の漫画本一冊、紅茶のティーバッグ一箱。
(うーわ……こんなにたくさん……!)
いくら何でも、さすがにこれはもらいすぎではないでしょうか?
レンは悩んで、悩んで、うんと悩んだすえに、こう言いました。
「申しわけないけど、受け取るわけにいかないよ」
思いがけない返事に、ユカの表情が曇りました。
「えっ、どうして? やっぱり、好みに合わないかな?
坂本君のほしいものをよく知らないから、
パパとママに頼んで、いろいろそろえてもらったんだけど」
「あ、いや……多すぎるってだけでさ。受け取りたいのは一つだけ。
キミが持ってる、その犬のお人形――なんだけど、
それはぼくじゃなくて、ぼくの友達に贈ってほしいんだよね」
「友達? それどういうこと?」
ユカが首をひねっています。それもそうです。
今回引き受けた配達仕事は、そもそも何の目的だったのか、
ユカはまだ知らないのですから。
「あのさ、ユカちゃん!」
レンは突然、いつになく真面目な顔になって言いました。
「これからキミに、会ってほしい子がいるんだ。
でもその子、ものすごくコセイテキなやつでさ、出会って以来、
だれにも会わせずに、こっそりとこの部屋に住まわせてあげてて」
「だれにも会わせずに?」
「……いいかな。今からその子に会っても、
ゼッタイ、ゼーッタイ、だれにも話さないって約束できる?」
*
十分後、レンの部屋の中に、小さくなったユカの歓声が響いていました。
「キャーー! すごい、すごーい!!」
「はぁーい、今度は竜のごとく、連続アップダウンでーす!」
ユカは、部屋の至るところを飛び回っていました。
もちろん、ひとりではありません。彼女は、フラップに乗っていたのです。
しかも、ピンク色の可愛らしいヘルメットをかぶって。
もちろん、これも羽飾りつきです。
部屋中の至る場所にいるネズミ研究員たちが、それを見守っています。
フラップに『ドラギィ乗用具』を装着させたり、
部屋にホログラムの障害物を設置するために、しろさんが引き連れてきたのです。
「フラップ、あんまり激しく動いちゃだめだよ」
レンはベッドの上から注意を呼びかけました。
今までは、ひとりで部屋を飛び回る姿を見ていたり、
自分があの背中に乗ったりしていたのですが、
こうして他の子を乗せて飛んでいる姿を見るのも、なかなか楽しい気分です。
「坂本君、すごいねこの子! キャッ、すごーい! 面白ーい!」
「それほどでもー! そぉれ、まだまだ~!」
フラップもあんなに愉快な顔をしています。
友達が増えてご機嫌になっているのが、はっきりと見て取れます。
微笑ましく視線を送るレンの右肩に、
しろさんがよじ登ってきてこうたずねてきました。
「……レンよ。本当にこれでよかったのか?」
「いいんだ。ユカちゃんは、しっかりした子だから。
ぼくとの秘密をきっと守ってくれるし、それに……」
「むむむ? それになんじゃ? はっきりと言わんか~。
秘密を分かち合った男女はより一層仲が深まるから、とな」
「えっ! あ、 いや、そんなこと――」
「そんなことあるんじゃろ。まったく、おぬしは分かりやすいんじゃ。
しかも、隅に置けんほどのやり手な男じゃ、おぬしは。
彼女が好きなら、素直な気持ちを伝えてやればよいものを」
「そんなんじゃないってばさ!」
「いやあ~、こんなこともあろうかと、
女子用のARナビメットも開発しておいて、正解じゃったわい」
レンがムキになればなるほど、
しろさんはしてやったりな不敵面で、くくくと笑うのでした。
どうやら、以前からこうなることが分かっていたようです。
「しかし、なるべくこれっきりにすることじゃな。
おぬしが心からフラップのことを思っておるのなら」
「……まあね。それもそうだ」
そう言って、レンが何気に頬を赤くしていると、
ユカを乗せて曲芸飛行していたフラップが、ふとレンの顔のそばへ飛んできました。
その表情は、今までになくご機嫌で、素晴らしく晴れやかでした。
「レンくん、ありがとうございます!」
「え? ありがとう?」
「だって、レンくんは、ユカさんにぼくを紹介してくれたじゃないですか。
本当ならもう、他のだれにも正体を知られちゃいけないはずなのに、
レンくんは、最後の最後に、ぼくのことを考えてくれました。
自分だけの手柄にしないで、ぼくも仲間に加えてくれた」
「いやあ……今回は、その……特別だよ。最初で最後の、ね」
「ぼく、このご恩は忘れません。ゼッタイですよ!」
「おいおい、まるでこれで最後みたいな言い方じゃない。
キミとの暮らしは、まだまだはじまったばかりなんだから」
ワォォォ――――ン!
気持ちがおさえきれないのか、フラップはユカを背中に乗せたまま、
空中で遠吠えを発するのでした。
小さな小さな、ドラギィの奇妙な遠吠え。
半分は犬だということを忘れていたレンにとって、フラップのその声は、
ますます愛おしさが募るような、尊い響きに感じられるのでした。
この日レンは、結局何一つとしてお礼の品を受け取らず、ユカと別れました。
ただ、ユカの満面の笑顔を見られただけで、何よりも嬉しかったのです。
それに、自分の所有品として手に入れた物がなかっただけで、
レンはたしかにお礼の品を受け取っていました――たった一つだけ。
そのプリンのような色の犬のフェルト人形は、
フラップが普段の夜、小さな姿で抱いて寝るのにちょうどいいサイズで、
しかも肌触りも弾力も抜群なのです。
ドラギィは、夜にやわらかい物を抱きしめて眠る習性がある――
フラップの、人間界での寝床のお供ができたのが、
今回もっとも祝福すべき出来事、なのかもしれませんね。
つづく
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