恭介&圭吾シリーズ

芹澤柚衣

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アンアームド・エンジェルの失言

13.

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「恭介、息してねェぞ……!」
 間違いなく、最悪の事態だった。一体いつから? 一時間という制限時間が、そもそも見誤っていた? 咄嗟に烏丸の頭に浮かぶ何故どうしてという疑問は、要因の粗探しにこそなれど、問題の解決には至らない。悔やむ前にすることがある。そう頭を切り替えるには、ほんの僅か絶望が大き過ぎた。それ故、今一歩現実味がないのだ。
 悪夢だと思いたかった。思考の全てが、ただその考えに直結していた。
〝何が視える!?〟
 烏丸の状況を一早く察し、彼に指示を仰ぐことをせず犬神が一之進に声を投げた。自身の目には、恭介の魂と九尾の魂が縺れるように重なりあっており、その実像は殆ど視えない。鳴海のスコープによる映像が、情報として欲しかった。
「恭介の、左手が……九尾の魂に溶けちまってる……」
 震える声で一之進が、残酷な事実を口にする。
「魂が九尾に引っ張られて、体に戻れねェんだ……このままじゃ、」
 その先を、断言するのはひどく恐ろしかった。一度口をつぐんで、本当にそこに希望がないのかを熟考する。けれど目の前には、もう取り返しのつかない現状があった。恭介の左手首から先は既に、恭介のものではなくなっていた。
「こいつは、もう……」
「一之進さん」
 考えた故の結論を、事実として報告しようとした矢先のことだった。どこまでも冷静な圭吾の声に、名を呼ばれる。それは空恐ろしさを覚える程、ひどく理知的な声だった。
「先輩の、左手首はどこですか?」
「このへん……だけど……」
 投げられた質問の意図をわかりかねて、一之進がゆうるりと恭介の魂を指差す。おそらくは鳴海の目を通した自分にしか見えていないだろう恭介の状態を再度眺め、寸分違わぬ正確な位置を伝えるために指でさし示した。
「白虎!」
 掌を掲げて、圭吾が叫んだ。薄く消えかけていた大振りの刀が、にわかに形を変える。新たに作り変えられた小柄に近い小型のナイフは、一見するとシンプルで、先程の大剣と比べても地味な印象があった。しかし小さい分凝縮された霊気が、強烈な程に強い光を放っている。
 それをどうするのか聞く前に、圭吾が高らかに刃を持ち上げた。マスターの力をよりいっそう吸収した白虎の小柄は眩い光を強め、あっと叫ぶ間もなく恭介の左手首を斬り落とす。
「おまっ……!」
 引き止めるのさえ間に合わず、恭介の魂は圭吾の手によって文字通り九尾と切り離された。
(霊体を、切っただと……!?)
 その瞬間、自由になった魂魄が一気に体へと引き戻された。慌てて駆け寄り、恭介の顔を覗き込む。土気色だった顔色が、赤みを帯びている。色を失いかけていた唇に手を当てて息を確かめ、そのまま心臓の上へと掌を走らせる。
 脈打つ鼓動を確かに感じ取って、一之進は勢いよく顔をあげた。
「呼吸が、戻ってる……心臓も」
 一同に見守られる中、一之進ははっきりと言い切った。
「動いてる……!」
 そう聞くや否や、圭吾が崩れるように倒れた。
「圭吾!」
 一之進が慌てて、その肩を支える。力が抜けきったように弛緩した体は、仄かに熱を帯びていた。
「お前、マジで無茶すんなよ……さっきの刀、小さく見えたけどすげェ高圧エネルギーだったぜ。大剣振り回したあとにあれじゃあ、倒れて当然だろ……!」
〝烏丸〟
 がらんどうだった瞳に力が戻っているのを確認し、犬神が改めて師の名前を呼ぶ。
〝非常事態にこそ冷静に頭を使えって、お前が言い出したんだろ。頼りにしてるぜ、司令塔〟
 守護霊に向かってちくちくと言った覚えのある嫌味をそのまま返されて、さすがに烏丸が力なく笑う。ギリギリ聞き取れるようなささやかな声で、悪かったと確かに彼は呟いた。緩く首を振って、長く息を吐く。直後にあげられた顔は、もう普段通りの烏丸だった。
「拓真君」
「は、はい」
 突如声を掛けられ、拓真が恐縮したように返事をかえす。
「俺の仕事をさせてもらうために、いくつか質問してもいいかな?」
「仕事ォ? そういや呪具師とか、何とか言っていたな……結局何がメインの職業なんだ?」
 圭吾に肩を貸しながら、一之進が問い掛ける。揶揄混じりのような質問に、烏丸は感情の起伏を見せないまま答えた。
「呪いの解析が主な仕事だよ」
「呪い……?」
 趣旨がずれている、と一之進は感じていた。今回の発端は、強過ぎる和真の弟への独占欲が原因であり、縄張り意識のような闘争が起き、結果守護霊の地位を巡っての揉め事につながったと認識していた。
 実際その通りであったし、事実、守護霊の完全復活により、無事解決に向かっているように見える。
「本来和真の霊は、ここまで強く拓真君に影響を与えることはできなかった筈なんだ。霊というものはそもそも、思念体だけならもっと弱いし、とり憑いていた期間だけを鑑みても長すぎる。つまり、要因が別にあるんだよ」
 きっぱりと、烏丸が言い切った。
「彼の力だけではない何か……呪具となり得るような媒体が、他にあった筈なんだ。心当たりは?」
〝呪具……って、具体的に何なんだよ〟
 いまいちピンとこない犬神が、更なる説明を求めて首を捻る。
「だから、それを調べているんだよ。和真の思い入れが強い物理的な何かが、彼の執念をより強く現世に影響させている可能性がある」
「わ……わからないです……」
 途方にくれたようにそう答え、拓真は不安げに和真の姿を振り返った。容赦のない守護霊の霊気で削り落とされた兄の存在は、頼りなく揺れる蜃気楼のようだった。
「烏丸さん」
 掠れた圭吾の声が届いた。鳴海の肩に頭を預けながら鋭利な刀を白虎に戻した少年が、息も絶え絶え報告する。
「僕には、自殺した霊……つまり和真さんの霊しか、視えなかったんですが……その、和真さんがおそらく守護霊と思われる霊を拘束していた時の、霊気は視ることができました。鍵盤……の形をしていたように思います」
「鍵盤……?」
 復唱して、一之進が言葉の意味を確かめる。
「ピアノだ」
 唐突に、拓真がそうひとりごちた。
「兄さんの、ピアノだ……」
 迷いに揺れた瞳が、縋るように烏丸に向けられた。確かに兄を傷つけた瞬間を思い出し、拓真は冷静を保ってはいられなかった。
「突きとめたな。では、そこまで誘導しよう」
 新しい札を二枚、アタッシュケースから取り出して、人差し指と中指で支える。胸元から取り出したクラシカルなジッポで、その二枚に火をつけた。光沢のある二枚の札はあっという間に炎に飲まれ、灰になった瞬間、独特の香が神楽の間に漂った。
「誘導……?」
 くらくらとするこめかみを軽く押さえながら、拓真は小さく聞き返す。
「呪いの生まれた瞬間へ、導くまでが俺の仕事だ。向き合うのも、ほどくのも君だよ拓真君」
 両の掌に載せた灰に向かって、烏丸が何かしらの言霊を唱えた。瞬間飛び散った灰が、粉雪のように拓真に降り注ぐ。
「解析を始めよう」
 烏丸がそう宣言する前に、拓真の意識は遥か昔へと遠退いていった。

 あれは、最初は兄のピアノだったんだ、と拓真は思い出していた。
 与えられた小さな部屋。防音完備の個室は、ピアノ教室を始められるような広さはなく、ただ内向的な兄を閉じ込めるためにあてがわれた部屋だった。
 たったの一度、学校の先生に褒められたというただそれだけのことで、両親は簡単に兄のことを独房に閉じ込めてしまった。それまではずっと拓真と過ごし、学校以外の時間を共有してくれていたのに、この年端もいかないような年齢から間違いなくプロを目指すための教育に切り替えた両親によって、拓真だけの兄は容易く取り上げられてしまったのだ。
 狭い部屋で、ただピアノを奏でるだけのことを強要される兄を見るたびに、子供のような独占欲と、安っぽい正義感に胸を焦がされる思いだった。けれど、ここで自分が癇癪を起こしたとしても、きっと両親に届かないだろうことは理解していた。子供を甘やかさずに育てることが美徳だと思っているあの二人に、拓真の切なる泣き声など届かないに違いない。残酷な程冷静な頭で、拓真はひとつの作戦を立てた。兄を逃がすために、自らが独房に入るという選択だ。
 元から勘の良い子供だった拓真は、あっさりと機械的にピアノの技術を自身に取り入れることができた。音楽室の合鍵を作り、練習を重ねて技術を取得するつもりでいたが、楽譜の記号通りに指を動かせばそれで足りる演奏という行為は、思う程時間を掛けることなく拓真にも習得が可能な表現方法で、それはとても退屈なものだった。

 ――別に、ピアノを始めたいわけじゃないし。

 ただひととき、兄を牢獄から逃がすことができればそれでよかった。合い鍵は、あっさりと捨ててしまった。演奏技術のインストールは日を跨ぐ程時間の掛かるものではなったし、別段執着もなかった。
 ピアノに興味がある振りをして、ある日拓真は兄の個室へと忍び込んだ。防音の施されたその部屋は不自然な静けさに溢れており、身震いするほどのおぞましさだった。こんなところに、兄を置いてはおけない。改めてそう心に決めて、拓真は末っ子の武器を使った。
 弾いてみたい、一度で良いの、とても楽しそう、ね、お願い。
 甘えた声は、想像以上の効果があった。見張り番のように傍に立っていた母が、仕方がないわねと笑う。まるで初めてピアノに触れる子供のような演技も、ぬかりなく披露してみせた。頭のどこかで、そんな風に自分を俯瞰する冷静な自分さえいたくらいだった。
 たどたどしく鍵盤に指を載せ、拓真は曲を奏でた。フォルテでは指を強く叩き、フォルティッシモでは、更に強く。間隔をあけずに訪れるメゾピアノの指示にも、遅れをとらずに指の動きを柔らかくする。スタッカートで指を弾き、アクセントの指示がある音は均等に強調した。全音符のター。四分音符のタン。二分休符で必要な拍を取った後、クレッシェンドの記載がある小節を徐々に盛り上げた。フラットのマークが付いてる音に、スタッカーティシモを加えて軽く奏でる。タイで結ばれたふたつ分の拍を、その次のスラーへと繋げ、ソットヴォーチェで声を潜めるように終わらせた。
 どう見ても楽譜の記号を知り尽くした人間のする演奏だったが、家族の誰一人として拓真の猿芝居に気づかなかった。
 指を鍵盤から下ろした瞬間、拓真の目論み通りターゲットは自分自身になった。拓真は兄を無事逃がせた自分を誇りに思い、まるで正義のヒーローにでもなれたような高揚感を噛み締めていた。

 知らなかったのだ。その兄が――閉じ込められたままでいることを、望んでいたなんて。

 目の前で繰り広げられる、ドラマチックな交代劇。その檻が、兄の部屋から弟の部屋へと替わった瞬間、和真の瞳が絶望に呑まれたのを目の当たりにする。当時、まるで自分は気がついていなかった。
 兄を自分から取り上げたこのピアノだとかいう明確な敵を、徹底的に踏み潰すことしか頭になかった。逃がした兄には、これでほんとに好きなことをして、自由に生きて欲しいなどと勝手なことを思っていた。その兄のしたかったことが、この真っ黒な楽器を奏で続けることだなんて――思いもしなかったから。
 その日から、兄は自分に寄り添うようになった。欲しかったそれを手に入れて、拓真はまさに夢心地だった。なまじ兄を助けたという自負があったから、ときどきそれを振りかざすような真似もした。頭ごなしに両親に叱られるたび「本当はピアノなんてやりたくなかったのに」などと、残酷なことさえ平気で口にして兄に甘えた。
 望まれた部屋で、自由に好きなことをしていた時間を、悪意のない才能で叩き潰された兄は、それらの現実によって生まれた感情のすべてを圧し殺し、元凶となった拓真の才能を愛した――否、愛そうと、したのだ。
 けれど悪霊になって、その愛憎の元が何だったのか、和真自身わからなくなっていたのかもしれない。返せと繰り返し叫ぶそれが何を指しているのか、過去の記憶から拓真ははっきりと読み解けてしまった。
「兄さん……ごめん」
 今更になった懺悔が、虚空へと消えてゆく。霧雨のように降り注ぐ幼き自身の演奏曲が、拓真の肩を容赦なく濡らしていた。やがてそれは本物の雨となり、記憶の情景が徐々にけぶってゆく。力なく膝をついて、拓真は祈るべき場所を探していた。
「お前を愛していたよ」
 耳に届く、優しい兄の声。
「お前を……愛しては、いたんだ」
 もう、何も言わないで。喉まで出掛かったその一言を押し込めて、拓真ぎゅっと目を閉じた。
 聞かなければならない。それは押し殺してしまった兄の声だ。盲目に、自分にとって都合の良いものしか愛さなかった拓真が、最後にしなければならないことだった。
 それが烏丸の言う、受け止めるということだと、混乱する頭で理解していた。
「目の前に、理想の演奏があった。銃口を、直接額に突き付けられた気分だったよ。俺が弾く意味なんて、最早なかった。目指す理想が目の前に具現化しているのに、これ以上できることなんかないと思ったんだ……だから俺は、お前のピアノを生涯愛そうとしたんだ。そうすることが、この気持ちへの踏ん切りだと思っていた」
 肩を、頭を。濡らす音楽の雫が、粒を大きくして打ち付けられる。拓真は、兄の顔を見たくなった。きっと、自分が長く傷つけてきた兄の顔。少なくとも晴れやかではないその表情を、それでも強く見たいと思った。
 これが――最後かもしれないから。
「お前に寄り添うと決めた。だから諦められると思っていた。だけど、勝手に恨む気持ちも止められなかった。拓真に取り上げられたピアノへの、未練がどうしても絶ちきれなかったんだ。捨てたのは俺なのに。拓真は、俺の部屋に入ってきただけで、あの部屋に鍵を掛けたわけじゃない。禁止された訳でもない。変わらずにずっと、ピアノもそこにあったのに……いじけて、俺に期待しなくなった周りのせいにして。自分でしなくなったのに、俺は、お前に何もかもを奪われたのだと思いたかった」
「違う、兄さん……! 俺は、最初から貴方を」
 けぶる景色に、兄が溶けてゆくのがわかる。こんな言葉を受け止めたくはなかったし、しこりとして兄に残したくもなかった。
「でもある日、捨てたのは俺だと気がついた。都合の良い悪役なんか、どこにもいなかった。俺は、俺がゆるせなかった……そう気づいた時には、もう手遅れだったんだ。拓真、拓真、ごめんな」
「違う、違う……!」
「お前を置いていってしまって、ごめん……どんなに自分が許せなくても、早まらなきゃ良かったよ。命を簡単に、捨てなきゃ良かった。ピアノを簡単に……捨てなきゃ良かった」
「仕組んだのは俺だよ! 兄さん……!」
 消えゆく兄の体に、手を伸ばす。ピアノを奏でるようになってから、節の太くなった指。兄に近づけているようで誇りだった。防音の個室よりも、周りの称賛よりも、ただ兄と近づくためにだけに利用したピアノ。精巧な機械のような演奏が、評価されるたびに居心地の悪い思いだった。
 自分が、最初に兄を好きになったのは――。
「兄さんのピアノが、俺を掻き立てたんだ……! それなのに、何で……っ」
 闇雲にピアノを、手段に選んだ訳じゃない。拓真自身忘れていた感情が、ふいに脳裏に蘇る。
 機械仕掛けじゃない。楽譜の記号通りじゃない。感情のまま、思いつくまま、奏でられる曲にただ心を揺さぶられた。
 兄のようになりたかった。これ程までに焦がれる演奏を耳に残した、兄の視野に映る世界を、見られるものならこの目で見てみたかった。
「ありがとう拓真。その言葉だけで、俺は救われたよ。あの頃の俺のピアノを、聴いてくれたのが拓真で良かった」

 ――お前はどうか、生きてくれ。

 拓真の慟哭は、冷たい雨に叩きつけられる。その言葉を最後に、兄の姿は光に包まれて消えていった。

「終わったみたいだな」
 あっさりと、烏丸が言った。香に包まれて気絶した拓真の様子を見るだに取り立てて気絶する前と何も変わらないように思えたが、烏丸がそう言うのだからそうなのだろう。犬神は今度こそ、ごわついた胸を撫で下ろした。
 最初の依頼にあった守護霊のゴタゴタを片付けたところで終わりにすればいいものを、烏丸の中での終着点はあらかじめここだと決めていたらしい。手の内で踊らされたような気持ちになって、犬神は畳に顔を沈めた。
 まったく、恭介のお節介なところは師匠譲りなのかもしれない。
「終わったんなら、俺もそろそろ戻らねェとな。お嬢ちゃんが、目を覚ましそうだ」
 一之進が、嘯いて肩を竦めた。キラキラと光の粒が、鳴海の頭上で小さな入り口を作っている。一之進が一之進の役目を終えたのだと、犬神はぼんやり悟っていた。もともとは守護霊代理のために呼ばれたのだ。その割には、長く居てくれた方なのだろう。
「……なぁ、頬っぺた怪我さしちゃったこと、こいつに謝っておいてくれねェか?」
「自分で言えば良いだろ」
 まっとうな大人のような口調で突っ込んだ烏丸に、商人の霊は小さくかぶりを振った。
「死んだ人間は、必要以上にやすやすと、生きてる人間に関わっちゃいけねェよ。最低限のルールだろ? でなきゃ、拓真と和真のようになっちまう」
「いち君……」
〝いち君……〟
「いち君言うな」
 反射で呼び名を訂正しながら、一之進はこのどこか幼子のような渾名を提案した彼のことを思い出す。霊が全部視えるなどという奇特な少年と、ほんの少しだけ同じ時間を過ごした。行動を共にするうちに、明るい彼の見続けたおぞましい世界を知ってしまったし、それ故の同情やシンパシーは僅かにあったのかもしれないが、それだけだ。
 鳴海に残る未練の正体を、暴いてはいけない。一之進はそう自覚していた。
「俺の子孫のこと、助けてくれてありがとな」
 また、どこかで。言いかけた言葉をうまくすり替えて、一之進は鳴海の体から、あの世の奥へと消えていった。

 静けさの戻った神楽の間は、強盗に襲われたと言われても信じてしまう程無残な有様だったが、その場にいたどの人間にも片づけるような体力は残っていなかった。まるで初めからそう配置された斬新な家具か何かのように倒れた仏具をいちいち直すことはせず、ひょいひょいと薙ぎ倒されたそれらを跨ぎながら烏丸は当たり前のように恭介の体を抱き上げた。俗にいうお姫様抱っこと呼ばれるその抱き方に疑問がない訳でもない犬神は、同じ運搬方法でも俵抱きとか男子高校生にふさわしい何かが他にあるだろうと最初の頃こそ突っ込んでいたが、抱っこしてる間恭介の顔が一切見られないなんてこの世の終わりだし俺の方が耐えられないからなどと螺子のひとつふたつはどこかへ飛ばしてしまったかのような発言を日本経済の今後と現状を議論しているかのような至極真面目な顔で返されて以来、触らぬ神に祟りなしを貫くことにしている。
「躊躇わずに、手首を切り落としたな」
 ふいに、烏丸が呟いた。さっきの圭吾のことを指しているのだと気付き、犬神は返す言葉に一瞬悩む。
〝それだけ、恭介に生きていてほしいってことだろ……何に代えても、な〟
 恭介の命を守るためになら、たとえどんな犠牲を払う結果になっても一切迷いがない圭吾のことを、一瞬でもそら恐ろしいと思ってしまった自分が情けなかった。勿論、圭吾が斬り落としたのは本物の手首などではなかったが、もしあれが本当に――恭介の体の一部だったとしても、それが恭介自身の生を阻むものであるのなら、彼は躊躇いもなく切り捨ててしまえるような気がした。
「犬神、鳴海と圭吾を居間に運んでくれ。その後にできれば、拓真君のことも頼む」
 言外に、恭介と烏丸が居間に戻らないと告げているのに気が付き、犬神ははっと意識を戻した。
「恭介は、大丈夫なのか……!?」
「芳しくはないよ。でも平気。俺が一番、大人だからね」
 アフターケアくらいばっちりしなきゃ、と茶化すように笑って、漸く体温の戻った愛弟子の体を抱き寄せる。
 長い夜になりそうだ、と烏丸は思った。
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