恭介&圭吾シリーズ

芹澤柚衣

文字の大きさ
上 下
1 / 73
アンセルフィッシュ・ダーリンの心臓

1.

しおりを挟む
「――犬神!」
 アルトより少しだけ低い声で、少年はそう叫びながら右手を振り下ろした。
 指先から僅かに滲み出る青白い光が、形の良い指に倣って綺麗な弧を描く。それを合図としているかのようなタイミングで、小さな竜巻が少年の体を包み込んだ。彼に関わるものを吹き飛ばすのではなく、彼自身を包み込むような、緩やかな風の流れ。目を閉じる必要はなかったけれど、少年は無意識に瞼を下ろした。
 余計な装飾がないと言うよりは、はっきり無地だと言ってしまって良いだろう、真っ白な布地のみで作られた仕事着の斎服。元々礼装として着用されるそれは唯一、身分に関係なく袖を通すことの出来る正服だった。確かこの服と対になる、帽子も付いていた筈だったけれど。見当たらないので被らないままにしている。なくても別段問題はなかった。
 帽子など所謂ファッションの一部だろう――なんて考えている程度には、少年はこの業界に垢抜けていなかった。
 少しだけ癖のある髪が、光の風に煽られる。やがて竜巻がぴたりと止んで、背後からのそりと現われたのは、大きな影。ゆるゆると集まる黒い靄は少しずつ様変わりをし、やがて意味のある集合体になった。
 ふかふかの茶色い尾、ぴんと立つ二つの耳。鋭い双眸は、片方だけ深いインディゴの瞳。大別するなら犬のようなものだと言ってしまっても差支えがないだろうその姿は、恭介の目にこそクリアに映っているけれど、一般人の目に留まることはない。彼はこの世のものであって、この世のものではないからだ。
 まるで寝起きのようなしゃがれた声を無理に張らせながら、犬神と呼ばれた物の怪は、億劫そうな態度を欠片も隠すことなく少年に話し掛けた。
〝なぁ、呼んでくれるのは構わねぇけどよォ……こないだっから酷い低級霊ばっかりだぜぇ? やり甲斐がないったらありゃしねぇ〟
 そう呟いた影より更に輪をかけてうんざりした態度を此方も隠すことなく、苛々した口調で少年が振り返る。
「馬鹿言え、こちとら仕事に生活掛かってんだぞ。どうせやるなら、なるべく簡単で、さくっと終わる依頼が良い」
 向上心の欠片も伺えないようなことを嘯くこの少年の名は――土屋恭介。
 お祓い業を生業として、七年目の春の日であった。

「ええ? じゃあ結局先輩だけで除霊しちゃったんですか?」
 開口一番楽しげな声を上げたのは、恭介より二つ下の後輩だ。嫌味な程長い足は、正座のスタイルを取っているので、今は綺麗に折り畳まれている。律儀に持って来たいまいち趣味の良くない土産を祭壇の上に並べながら、作り物めいた笑顔を崩すこともなく振り向いた。
 この明るい口調に、出会った当初は何度も騙されていた。顔を突き合わすのが週に三日の頻度になれば、今更丸め込まれたりはしないけれど。この男は怒り心頭な時程、柔らかく穏やかな声を出す。無意識なのか意図的なのかは判断しかねるが、その心地よい低音は、恭介を固まらせるには十分の威力があった。
 分かりにくいが、確実に怒っている。理由は無論、今回の突発的な依頼を承諾したせいだろう。
 最近になって感情こそ読めるようにはなったが、出会ってまだ日は浅い。後一週間と二日を足して、漸く三ヶ月経つという程度の関係だ。高校二年の恭介とは、当然制服も、現在通っている学び舎も違う。聞けば、偶然にも恭介が通っていた中学に在籍しているようだった。オフホワイトの学生服に入ったロイヤルブルーの学年ラインが三年生を示していることは覚えていても、恭介の母校となるその中学に籍を置いていた期間は、ろくに話した記憶もない。加えて二人の関係は、他と比べ少々複雑なのである――彼を友人と呼ぶより先に、自分たちの間柄は「雇用主」と「被雇用者」だという事実を、明記しておかねばならないだろうし。
 それはともかくとして、今はこの怒りに満ちた被雇用者を何とかしなければならない。恭介はそもそも、と心の中で呟いた。そもそも、上司である自分が部下の彼に仕事を押し付けたというのならまだしも、今回は迷惑を掛けずに、一人で厳かに片づけたというだけの話だ。何とも殊勝で、健気な話である。感謝こそすれ、低音で怒られる筋合いはない。
 怯む気持ちをねじ伏せ、恭介は喧嘩腰で怒鳴り返した。
「うるせぇよ馬鹿。どうせ自殺した霊しか視れないお前を連れてったところで、役に立たねぇ依頼の方が多いだろうが」
「それを言うなら、先輩だって動物霊しか視えないんでしょう。そんなんで、よく除霊師なんてやって来れましたね」
 皮肉めいた言い方で、恭介を揶揄するのはいつものことだ。彼と一緒にいると、自分の方が年嵩だということを忘れてしまいそうになる。反射で言い返そうとして、視線を合わせるように覗き込まれた。光をいくつか閉じ込めたような瞳は、ビー玉を思わせるような透明感がある。掌に転がせて遊んでいた小さな頃はいつまでだって眺めていられたけれど、探るような両目にギロリと睨まれては、いつまでも眺めるなんて恐ろしいことは出来ない。
 ああ畜生。
 情けない話、いつも簡単に折れてしまうのだけど。それでもせめて今日くらい、ギリギリ見せておきたい年上の威厳。
 ぐ、と視線に力を篭めて、恭介は自分より頭半分背の高い後輩を睨みつけた。
「大体除霊自体は全部物の怪がやってくれるんだから、俺がいちいち対象物を視る必要はねぇんだよ!」
「ほら、またそれだ。どうかと思いますよその認識の甘さ。対象物が先輩に向かって攻撃的な気持ちにならないなんて、どうして言えるんですか。視えないものからの敵意に対処出来る程、あんた器用な人間じゃないでしょう」
 尤もだ。尤もだが認めたくない。
 理論よりも意地が勝って、恭介は口を噤んだ。これだから、頭が良いのに嫌味な奴は困る。素直に頷くより仕方ない事実を、素直に頷くには抵抗があるような刺々しい言い回しで説教してくるのだから。
「……それが動物霊だったら視れるし」
 それでも、なけなしの反論を試みたけれど。
「僕が居れば、少なくとも動物霊と自殺霊の視れますよ」
 淡々と正論を寄越されて、いよいよ返す言葉もなくなった。理屈の通っている意見を述べている人間と、それを正しいとは理解していながらも感情のみで反抗している人間とでは、初めから形勢なんて決まりきっているようなもの。
 あまつさえ、
「くれぐれも、一人で無茶しないでくださいね。バイトですけど雇っていただいている以上、僕も少しはあんたの役に立ちたいので」
 ――なんてことを念押しのように言われれば。
 もう反撃の余地はないだろう。普段は頭部と言わず胴部と言わずを躊躇いなく切り落とすレベルで毒舌の回る嫌味なこの後輩が、こんな時だけは何故だか優しい目で諭してくるのだから。相手を丸め込む言葉なんて、きっと彼の方がうんと良く知っているに違いない。妙な敗北感と疲労感で、恭介は重々しい溜息をついた。
 簡単にほだされてしまうのは、惚れた弱みだ。
 仕方ないと割り切るしかない。
「しの、業務報告するからついて来いよ。本殿に移動するぞ」
「了解です」
 と呼ばれたその後輩は、含み笑いを押し込みながらも素直に恭介の後に従った。従順な部下のその姿を視線の端で確認しながら、足を踏み出す。つま先を床に奔らせる度に、鴬張りでもないのにギイギイという音が響いた。構造上の細工ではなく、単に建築年の問題なのだ。
 この古いがそこそこ大きな神社は、恭介の持ち家――仰々しい言い方を選べば財産である。成人にも満たない身分で所有するには不相応に思えるが、どうか許して欲しい。
 恭介の持ち物といえば、事実上これだけだ。
 代わりに、家族も親族も――何もかもを失ってしまったのだから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完】聖女じゃないと言われたので、大好きな人と一緒に旅に出ます!

えとう蜜夏☆コミカライズ中
恋愛
 ミレニア王国にある名もなき村の貧しい少女のミリアは酒浸りの両親の代わりに家族や妹の世話を懸命にしていたが、その妹や周囲の子ども達からは蔑まれていた。  ミリアが八歳になり聖女の素質があるかどうかの儀式を受けると聖女見習いに選ばれた。娼館へ売り払おうとする母親から逃れマルクト神殿で聖女見習いとして修業することになり、更に聖女見習いから聖女候補者として王都の大神殿へと推薦された。しかし、王都の大神殿の聖女候補者は貴族令嬢ばかりで、平民のミリアは虐げられることに。  その頃、大神殿へ行商人見習いとしてやってきたテオと知り合い、見習いの新人同士励まし合い仲良くなっていく。  十五歳になるとミリアは次期聖女に選ばれヘンリー王太子と婚約することになった。しかし、ヘンリー王太子は平民のミリアを気に入らず婚約破棄をする機会を伺っていた。  そして、十八歳を迎えたミリアは王太子に婚約破棄と国外追放の命を受けて、全ての柵から解放される。 「これで私は自由だ。今度こそゆっくり眠って美味しいもの食べよう」  テオとずっと一緒にいろんな国に行ってみたいね。  21.11.7~8、ホットランキング・小説・恋愛部門で一位となりました! 皆様のおかげです。ありがとうございました。  ※「小説家になろう」さまにも掲載しております。  Unauthorized duplication is a violation of applicable laws.  ⓒえとう蜜夏(無断転載等はご遠慮ください)

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

ザ・タワー 〜俺にしかできない魔石を鑑定する能力!魔石を使っての魔法&スキル付与!この力で最強を目指す〜

KeyBow
ファンタジー
 世界初のフルダイブ型のVRMMOゲームにダイブしたはずが、リアルの異世界に飛ばされた。  いきなり戦闘になるハードモードを選んでおり、襲われている商隊を助ける事に。  その世界はタワーがあり、そこは迷宮となっている。  富や名誉等を得る為に多くの冒険者がタワーに挑み散っていく。  そんなタワーに挑む主人公は、記憶を対価にチート能力をチョイスしていた。  その中の強化と鑑定がヤバかった。  鑑定で一部の魔石にはスキルや魔法を付与出来ると気が付くも、この世界の人は誰も知らないし、出来る者がいないが、俺にはそれが出来る!  強化でパラメータを上げ、多くのスキルを得る事によりこの世界での生きる道筋と、俺TUEEEを目指す。  タワーで裏切りに遭い、奴隷しか信じられなくなるのだが・・・

婚約破棄ではなく結婚前倒しですか……はっ??

まと
恋愛
私はアデリナ。婚約破棄されるはずのアデリナ。 それがなぜ?? 結婚式を前倒ししたい???? 嘘でしょう?

自称ヒロインに「あなたはモブよ!」と言われましたが、私はモブで構いません!!

ゆずこしょう
恋愛
ティアナ・ノヴァ(15)には1人の変わった友人がいる。 ニーナ・ルルー同じ年で小さい頃からわたしの後ろばかり追ってくる、少しめんどくさい赤毛の少女だ。 そしていつも去り際に一言。 「私はヒロインなの!あなたはモブよ!」 ティアナは思う。 別に物語じゃないのだし、モブでいいのではないだろうか… そんな一言を言われるのにも飽きてきたので私は学院生活の3年間ニーナから隠れ切ることに決めた。

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

目覚めたら猫耳⁉ ~異世界召喚でアイドル級猫耳メイド魔法使い⁉に大変身!~

INASAKU6
ファンタジー
自称、猫好き陽キャ系オタク女子高生リリカは、アニメとダンスと猫をこよなく愛する17歳!ある日バイト先で保護猫チャチャと一緒に鏡の中に吸い込まれてしまう。目覚めると猫耳が生えたメイド姿で異世界にいた。そこは猫と魔法と剣が支配するファンタジーの世界。召喚された猫の国エルフェリア王国で、リリカは「猫耳メイド魔法使い」という特殊な職業に就かされ、さらに異世界の人々からアイドルのように崇められる存在だという。最初は戸惑いながらも、リリカは異世界での新しい生活に順応していく。 リリカの前に現れるのは、頼れる騎士見習いのレオン、そして意地悪だけどどこか憎めないライバルアイドルのステラ。マネージャー役の魔法使いメルヴィルに導かれながら、リリカはアイドル活動を通じて魔法を学び、次第に成長していく。しかし、表舞台の華やかさとは裏腹に、異世界には暗い陰謀が渦巻いていた。謎の魔導師ゼイガスの存在が、リリカたちの平和を脅かそうとする。 果たして、リリカは自分のアイドル活動を成功させるだけでなく、この世界を救うことができるのか?友情とライバル関係の中で揺れ動くリリカの心、そして自分の力を信じて前に進む彼女の成長が描かれる、異世界アイドル!猫耳メイド魔法使いの奮闘記!

勇者は獲物を逃がさない

中田カナ
恋愛
王宮職員寮の雑用係の娘は、なぜか宰相閣下から魔王討伐に出た勇者パーティのサポート役に指名された。 ※ 小説家になろう、カクヨムでも掲載しています

処理中です...