上 下
7 / 15

第7話

しおりを挟む
長元元年(西暦1028年)―
白羽一族の風雅な庭園で惟光これみつが弓を引いていた。
放たれた矢は大気を引き裂くような音を残し十五間先の霞的かすみまと中白なかしろを射ぬく。

「お見事」

後ろから声がした。

「もう起きてよいのか」

惟光が問う。
大事ない、と時任ときとうは強がって見せたが、痛みに思わず顔がゆがむ。
一昨日の晩の取り締まり中に、群盗の矢が時任の脇腹をえぐった。幸い傷は浅かったが、矢尻に鳥兜とりかぶとの毒が塗られていたため、傷の治りが悪い。
傷をかばいながら渡殿わたどのに胡坐をかく。
すぐに黒い小袖の女童が駆け寄り、時任の患部に手を当てた。温かい気が流れ込み徐々に痛みは和らでいった。

「まったく、そなたには世話になるな」

時任が御法みのりの頭をなでる。

北の対の屋に続く中門廊ちゅうもんろうから絹擦れの音が聞こえた。
惟光が音のするほうに目をやる。

「そら、時任、さっそく迎えが来たぞ」
「御私室にいらっしゃらないと思ったら、やはりこちらでございましたか」
「ふん、寝ているのは飽きた」
「ほんに仕方のない方ですこと」

ころころと笑いながら、玉鬘たかまずらが時任の隣に腰を下ろす。

悪鬼は人間と見た目がほとんど変わらず、ふだんは人間に交じり生活している。人心の荒廃につけこみ扇動し悪の道を歩ませるのだ。
賀茂家の流れをくむ白羽一族の弓矢には、悪鬼から生気と邪気を吸い取る呪禁の法が施されている。これに射られた悪鬼はたいてい消滅するが、中には改心し鬼神となり射手に尽くすものもいる。
惟光と時任には5人の鬼神が仕えていた。
鬼神衆の長を務める怪力の熊童子くまどうじ、弓の名手の空蝉うつせみ、槍の使い手の犬君いぬき、治癒を得意とする御法と玉鬘。
時任には公家の出の正室がいたが反りが合わず、玉鬘を妻として常にそばに置いていた。


「兄者よ、昨今の都の治安のことだ」

京の都では疫病が蔓延し、庶民は飢餓に苦しんでいた。
ひもじさから盗みをはたらく者があとをたたない。略奪が横行し、以前にも増して盗賊は凶悪化している。先日も六条の公家の屋敷に火が放たれ、家財道具が奪われたばかりか稗女はしため雑色ぞうしき13名が亡くなった。

「もはや尋常ではない、皆はそうは思わぬか」

惟光のそばに控えていた空蝉もうなずいた。

「畏れながら、熊童子も悪鬼が増えていることを憂いておりました。おそらく東国から流れてきているかと」

蛮勇の地とよばれる東国は戦、戦で大地は荒れ果てていた。戦火から命からがら逃げだした民が食料と職を求めて京に押し寄せている。悪鬼はその人の流れにのってやってくるという。

「東国か」

時任は顎に手をやりしばし考える。

「犬君よ、そこにおるであろう、降りてこい」

天井に向かって声を張り上げる。犬君はちょいと庇から顔をのぞかせると、トンボを切りながら屋根から飛び降りた。

「東国についてなにか聞き及んでいることはないか?」

犬君が言うところには、奥州の玉山金山たまやまきんざんで産出される大量の金をめぐり、激しい争乱が長きに渡り絶えることがなかったが、武蔵の国の豪族・武蔵七党が戦に加わるようになってからは血で血を洗うありさまだという。
事態を重く見た朝廷が軍を送り込み制圧にのりだしてはいるが、はかばかしい結果は得られていない。

「武蔵七党の兵はほとんどが悪鬼ではないかと。しかし、どうやってそれほどの数を揃えたのかわかりませぬ」
「まさか武蔵の国に黒星丸がいると?」

黒星丸とは悪鬼を産みだす鬼である。大きな角と牙をもち、眼光は鋭く、口は耳まで裂けており、それは恐ろしくおぞましい姿をしているという。

そういえば、と思い出したように玉鬘が言った。

「陰陽寮の安倍吉平あべのよしひら様が唐より持ち帰られた占いをためされたところ、武蔵の国に凶星が見えたとおっしゃられたとか」
「それが黒星丸か?」
「かもやしれません」

玉鬘は小首をかしげた。

「さぁさ時任様、お話はここまでにいたしましょう。薬湯を用意しております。そろそろお休みくださいませ」

仕方がない、戻るとするか、しぶしぶ時任は腰を上げた。

「御法、私室に錦小路であがなった舶来物の菓子があるぞ、くるか?」

子犬のように飛び跳ねながら御法は時任と手をつなぐ。

「時任様、妾、双六遊びもしたい」
「よいな、ただし手加減はせぬぞ」

玉鬘に寄り添われ時任は北の対へ戻っていく。
その背中に

「養生に励めよ」

と惟光が声をかける。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

月明かりの儀式

葉羽
ミステリー
神藤葉羽と望月彩由美は、幼馴染でありながら、ある日、神秘的な洋館の探検に挑むことに決めた。洋館には、過去の住人たちの悲劇が秘められており、特に「月明かりの間」と呼ばれる部屋には不気味な伝説があった。二人はその場所で、古い肖像画や日記を通じて、禁断の儀式とそれに伴う呪いの存在を知る。 儀式を再現することで過去の住人たちを解放できるかもしれないと考えた葉羽は、仲間の彩由美と共に儀式を行うことを決意する。しかし、儀式の最中に影たちが現れ、彼らは過去の記憶を映し出しながら、真実を求めて叫ぶ。過去の住人たちの苦しみと後悔が明らかになる中、二人はその思いを受け止め、解放を目指す。 果たして、葉羽と彩由美は過去の悲劇を乗り越え、住人たちを解放することができるのか。そして、彼ら自身の運命はどうなるのか。月明かりの下で繰り広げられる、謎と感動の物語が展開されていく。

虚像のゆりかご

新菜いに
ミステリー
フリーターの青年・八尾《やお》が気が付いた時、足元には死体が転がっていた。 見知らぬ場所、誰かも分からない死体――混乱しながらもどういう経緯でこうなったのか記憶を呼び起こそうとするが、気絶させられていたのか全く何も思い出せない。 しかも自分の手には大量の血を拭き取ったような跡があり、はたから見たら八尾自身が人を殺したのかと思われる状況。 誰かが自分を殺人犯に仕立て上げようとしている――そう気付いた時、怪しげな女が姿を現した。 意味の分からないことばかり自分に言ってくる女。 徐々に明らかになる死体の素性。 案の定八尾の元にやってきた警察。 無実の罪を着せられないためには、自分で真犯人を見つけるしかない。 八尾は行動を起こすことを決意するが、また新たな死体が見つかり…… ※動物が殺される描写があります。苦手な方はご注意ください。 ※登場する施設の中には架空のものもあります。 ※この作品はカクヨムでも掲載しています。 ©2022 新菜いに

密室島の輪舞曲

葉羽
ミステリー
夏休み、天才高校生の神藤葉羽は幼なじみの望月彩由美とともに、離島にある古い洋館「月影館」を訪れる。その洋館で連続して起きる不可解な密室殺人事件。被害者たちは、内側から完全に施錠された部屋で首吊り死体として発見される。しかし、葉羽は死体の状況に違和感を覚えていた。 洋館には、著名な実業家や学者たち12名が宿泊しており、彼らは謎めいた「月影会」というグループに所属していた。彼らの間で次々と起こる密室殺人。不可解な現象と怪奇的な出来事が重なり、洋館は恐怖の渦に包まれていく。

駒込の七不思議

中村音音(なかむらねおん)
ミステリー
地元のSNSで気になったこと・モノをエッセイふうに書いている。そんな流れの中で、駒込の七不思議を書いてみない? というご提案をいただいた。 7話で完結する駒込のミステリー。

声の響く洋館

葉羽
ミステリー
神藤葉羽と望月彩由美は、友人の失踪をきっかけに不気味な洋館を訪れる。そこで彼らは、過去の住人たちの声を聞き、その悲劇に導かれる。失踪した友人たちの影を追い、葉羽と彩由美は声の正体を探りながら、過去の未練に囚われた人々の思いを解放するための儀式を行うことを決意する。 彼らは古びた日記を手掛かりに、恐れや不安を乗り越えながら、解放の儀式を成功させる。過去の住人たちが解放される中で、葉羽と彩由美は自らの成長を実感し、新たな未来へと歩み出す。物語は、過去の悲劇を乗り越え、希望に満ちた未来を切り開く二人の姿を描く。

アンダーンシエ

山縣
ミステリー
 村からは離れた森の中にある洋館に家族で引っ越してきた8歳の少女、青木ユナ。不思議なものと出会う

双極の鏡

葉羽
ミステリー
神藤葉羽は、高校2年生にして天才的な頭脳を持つ少年。彼は推理小説を読み漁る日々を送っていたが、ある日、幼馴染の望月彩由美からの突然の依頼を受ける。彼女の友人が密室で発見された死体となり、周囲は不可解な状況に包まれていた。葉羽は、彼女の優しさに惹かれつつも、事件の真相を解明することに心血を注ぐ。 事件の背後には、視覚的な錯覚を利用した巧妙なトリックが隠されており、密室の真実を解き明かすために葉羽は思考を巡らせる。彼と彩由美の絆が深まる中、恐怖と謎が交錯する不気味な空間で、彼は人間の心の闇にも触れることになる。果たして、葉羽は真実を見抜くことができるのか。

処理中です...