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#79 永遠の周辺 ―8/5、ジョー・アイヴァーの帰還―
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「……おかえり、パパ」
「……あァ、ただいマ」
とりあえず『おかえり』とは言ってみたものの、あまりの出来事に二の句が紡げずにいた。普通ならこれは『父娘の感動の再会』ということになる。でもパパ――であろう何か――は今だペストマスクを被ったままで、側からしたらさぞ滑稽で珍妙な光景を見せられてると思う。当の本人たる私ですら俯瞰で見ればそう感じるんだから。
『ペストマスクマンとJKが無言で見つめ合ったまま動かない』というその事象を静観していたじじは、半ば呆れた顔混じりで口火を切る。
「……おいジョー。いい加減まずはその変なマスク、さっさと取ったらどうだ?」
「もうバレてるし、そろそろいいんじゃないですか? 早く永遠さんに顔を見せてあげてください、ジョーさん」
「……なんか分からないが恥ずかしイ」
「「「……」」」
だったら普通に入口からマスクしないで美鈴さんと一緒に入ってきて「ただいま!」って言えばよかったのに、なまじヘンなサプライズ――にもなってない――なんかするからこんなおかしな空気になっちゃうんだよ。というか恥ずかしいって。己の滑稽さに気付いた、とか?
いつまでもこのままじゃ埒があかないから、少しの上目遣いと可愛げな声を作って――ちょっと恥ずかしいけど。
「……パパ。だったら私が取ってあげようか?」
「! そ、そうだナ。そうしてくれるか? ヴィー」
「っ! う、うん。じゃあ後ろ向いて」
私のことをヴィー、つまりミドルネームの『アイヴィー』に由来した愛称で呼ぶのは実はパパだけだ。これを直接、というかマスク越しだけど聞けただけで、本当に帰ってきたんだと心音が喜びにトクンと小さく跳ねる。
後頭部にある固定ベルトを厳かにゆっくりと外してじじに手渡し、さぁと身構えれば、いつまで経っても恥ずかしがってこちらに振り返るそぶりがない。焦れた私は、両の二の腕を掴んでぐるりとその大きな身体を強制半回転させる。
「……元気だったカ?」
「……うん」
私の返事に応えるように、パパは柔らかな瞳を浮かべ両手を広げた。これはアレだ……ハグだ。ハグを所望してる。
こんな時、普通の家庭に育っているJKならきっと「何それパパキモいんですけど。ハグとかないわー」とか言って一蹴するんだろうけど、ある意味普通じゃない家庭で育った私は、ひと山いくらのJKとはかなり思考が乖離していると思う。何しろ私は『世界的に有名な外国人ギタリストを父親に持つJK』で、その出自の通り、ハグが当たり前の文化を持つパパの血を半分受け継いでるから。
ふーっとひとつ深呼吸。
そしてパパの顔を真っ直ぐに捉えて。
自身の心に空いた最後の隙間を埋めるように。
躊躇なく彼の胸元に飛び込んだ。
しばしパパとの再会を静かに堪能すれば、じじはやれやれといった面持ちで私たちを引き剥がす。
「そういうのは後にしろジョー。というかお前、メッセで『八月のいつか』って送ってきてから一切連絡寄越さねぇってのはどういう了見だ?」
「いヤ、だから帰ってきたじゃないカ。ビリーもメッセは見ただロ?」
「あぁ見たさ……でもよ、『いつか』じゃ色々準備もできないだろうが!」
「? 今日は『いつか』だロ?」
……あー。そういうことか。
はぐらかしてたんじゃなくて、パパはちゃんと伝えてたんだ。『八月の五日』って。そうだね、今日は八月五日だよ。
『帰ってくる』ということに意識が行きすぎてて、『いつか』を『何時か』としか捉えてなかった。これは私たちの熟思黙想が足りなかった。だって、ちゃんと日本語でメッセ打ってるんだよ? いくら日本語が堪能でもメッセまで日本語打ちするのは外国人のパパには難しいと思うし、むしろすごいなと感心するべきだ。五日を『ごにち』と書かず『いつか』と書くんだから。パパの日本語力すごすぎ。
「なるほど……勘違いしたのはこっちにも非があるな。でもジョー、零も毎日メッセ送ってたのに、一度も返さないってのはいただけないぞ」
「あ、ではそれは私から説明させてください。ジョーさんでは纏まる話も纏まらない気がするので」
「ひどい言い草だナ、リンリン」
「っ! リンリン言わないでください! では説明させて――」
話を絶妙なタイミングで遮った美鈴さんの言によれば、最後にブエノスアイレスからメッセを送った後、南米ツアーの最終地であるブラジルのサンパウロに向かう途中、バッグが盗難に遭い、運の悪いことにスマホが入っていた。すぐにスマホは利用停止したので事なきを得たが、日本に帰るのも私たち家族には伝えたし、だったら日本でスマホを新たに用意すればいい、といった経緯があって今に至るようだ。
「ママが心配してたよ。なんか事故にでも巻き込まれたんじゃないかって」
「俺に何かあればオフィシャルサイトやニュースサイトに載るだロ?」
「ま、まぁそれはそうだけど……」
「事情は概ねわかった。ところで……鈴森……さんとはどういう関係だ!?」
どうやらじじは二人の不実を疑ってるみたいだけど、これも美鈴さんの説明でパパの疑いは晴れることとなる。
世界レベルで人気のバンド、『The Engine Driver』のギタリストであるパパ――ジョー・アイヴァーが日本へ、しかもバンドとしてじゃなく単身での来日。となると色々と面倒があるらしく、前々からパパは日本のプロモーターと何度もやりとりして、結果、プロモーション会社の中堅社員である美鈴さんに白羽の矢が立った。あくまでパパは日本では個人で活動するので、動きやすいように簡単な事務所を立ち上げ、美鈴さんが副社長に、パパが社長に就任……ということなんだけど、パパが社長!?
「永遠さん。あくまで会社は形式的、というかジョーさんと私しかいませんし、実務は基本私が担当します。なのでジョーさんは所謂『お飾り社長』なんです。彼の活動を妨げるわけにはいきませんから……そこは私の頑張りどころです」
「は、はぁ……」
と、ここで心に刺さったどうでもいい棘を抜くことにする。果たして触れていいものかわからないけど。
「と、ところで……『リンリン』って何ですか?」
「! い、いやそれは――」
「それは俺から説明させてくレ。リンリンでは纏まる話も纏まらない気がするからナ?」
パパは悪戯を含んだ笑みで美鈴さんに意趣返しする。彼女を見ればもう顔がこれでもかというくらいに紅潮していた。
とはいえ、単に姓名に『鈴』が二つあるから『リンリン』なんだって。これはパパがつけたあだ名だけど、偶然にも彼女の小学生の時のそれだったらしい。なら会社名は『リンリンエンタテインメント』に決まりだなとパパは提案したんだけど、それはあまりにもなので、せめて『鈴』の英訳である『bell』にしてほしい。そういう経緯で『ベルベルエンタテインメント』に決まったそうだ。
「リンリン……可愛いじゃないですか? 美鈴さん」
「は、恥ずかしいですよ! ……まぁベルっていうのも中学生からのあだ名なんですが……ま、まぁ私のことは今はどうでもいいです。それよりもジョーさん! 散々車の中で帽子やらサングラスを選んでましたよね? それで結果があの変なマスクですか!?」
「おいおイ、変なマスクとは失礼だナ。あれはセカンドアルバムのジャケットでも使った由緒ある――」
いや、あのマスクに由緒も何もないよパパ。敢えて言うなら『ジョーマニアなら垂涎ものの逸品』じゃないかな。なにしろ世界的グループに至るきっかけになったのがセカンドアルバムな訳で、そのジャケットに使った本物の小道具なんだから。
「とにかくだ。ジョー、よく帰って来てくれたな。永遠のため、なんだろ?」
「……私のため?」
「あァ。長いことレイとビリーだけで、父親が側にいないのはナ……かなり辛い想いをさせてしまっタ。まぁ少し遅くなったガ……すまんヴィー、許してくレ」
言ってパパは神妙に深々と頭を垂れた。外国にはお辞儀の習慣がないのに、それは見事な角度のお辞儀という名の謝罪だった。
「うん……いいよパパ。私怒ってないし。まぁ少し寂しいと思うことはあったけど……私ね、色々聞いてほしいこと、あるんだ」
「……あァ。いくらでも聞いてやるサ」
すっと大きなパパの手が私の頭をひと撫でする。
優しい感情が脳天から突き抜けたような気がして、パパの実存を強く感じる。
「父娘の感動の再会はそれくらいで気が済んだか? そんなことより永遠、ヨーコちゃんとあっちゃん待たせておいていいのか?」
「! そうだった! パパあのね、私友達が二人も増えたんだよ。二人とも優しくて可愛くて――」
「オーケーわかったヴィー。俺にも紹介してくれるカ?」
「もちろん! じゃあ戻ろう?」
「おっとジョー。俺らはもういいが、零は相当お冠だからな、覚悟しとけよ」
じじの言葉を受けて途端に項垂れるパパを半ば引きずるように、私の大事なお友達が待つ自宅へと急いだ。
✳︎ ✳︎ ✳︎
パパがいきなり現れて、家で待っていたみんな――ママ、ツナ、コーちゃん、ヨーコさん、そしてあっちゃんは一様に腰を抜かすほど驚いていた。無理もないことだけどね。まさかのパパを予告なく引き連れてきたんだから。
そして今――パパはその長い脚を折って正座させられている。
その前に立つのは、目力マックスでパパを睨め付ける私のママでありパパの奥さんでもある神代零その人、である。あまりに居た堪れない光景だったから、ツナたちは私の部屋に下がってもらっていた。なので今リビングにいるのはパパとママと私、そして色々事情を解っている美鈴さんだ。ちなみにじじはお店があるから今はここにはいない。
「ジョー。事情は理解した……理解したけど、こっちはめっちゃ心配してたんだからね? いくらサプライズしたかったとはいえ、相手のことも考えないとダメじゃないのかな? どうやら美鈴ちゃんにもかなり迷惑かけてたみたいだし。だいたいジョーはいっつもそう。肝心なことがすっぽり抜けてるし、かと思えば永遠に何本もギターとか送ってくるし。たまたま置く場所があるからいいけど、そもそも日本の家って本来こんなに広くないの。うちはその辺は恵まれてるからいいけど、聞けばあのギターも結構なお値段するらしいじゃないの? 永遠はまだ高校生なんだから程々でいいの。私も甘やかさないようにしてきたからきちんとしたいい子に育ってくれたのにジョーが甘やかしちゃ意味ないでしょ? わかる? わかるわよね?」
「い、いやそれはだナ――」
「それは? 何? 何か申し開きでも?」
「! い、イエスマム……」
ママ、話が長い。ママも長いこと会ってなかったし、言いたいことがあるのは解る。でも、そろそろ許してあげたらいいんじゃないかな。ほら、美鈴さんも途方に暮れちゃってるよ? さらに言えば美鈴さんをいきなり『ちゃん』呼びするママのコミュ力。うん、凄い。
「反省してるみたいだからもういいわジョー。さ、立って」
「いヤ、そうしたいところなんだガ、脚 is asleepで立てなイ……」
外国人は正座の習慣ないもんね。床に転がり悶絶するパパの回復を待ちながら、今度は私とママ、そして美鈴さんを交えてガールズトークのようなものを始める。
「美鈴ちゃんは半月近くジョーと一緒に行動してたのよね? 大変だったでしょう?」
「えぇ。奥様――」
「レイでいいわよ。私も美鈴ちゃんって呼んでるし。奥様って柄でもないしね」
「承知しましたレイさん。えっと……確かに大変と言えば大変でした」
「ですよね。良くも悪くも『子ども』ですもん、パパって」
まぁ凄く良く言えば『少年の心を忘れない大人』と言えなくもないけど、今回のことに限ってはちょっと仕込み過ぎじゃないかな。
「でも音楽のことに関してはとても真摯だと思います。一度だけギターを弾くのを見せてもらったんですけど、もうなんというか純粋な才能の塊……もちろん自身の努力もあると思うんですが、彼の生演奏は圧巻、の一言でした」
「私はステージ上のパパしか知らないんです。ママは目の前で聞いたことあるんだよね?」
「うん、もちろんあるよ。でもねぇ、私ってギターはあんまり分からないからなんとも言えないんだけど、かっこよかったのは覚えてるなぁ……」
視界の端に、やっと立ちあがろうとするパパを捉える。でも、私たちのいわば『パパ推し』の会話で恥ずかしくなったらしく、耳が少し赤かった。
そんなパパをママはさっきまでとは打って変わって優しい眼を浮かべ、手を差し伸べる。
「改めて……お帰りなさい、ジョー」
「……あァ、ただいマ、Ray」
そう言葉少なく呟いた二人は、毎日の習慣と見間違えるくらい、ごく自然にハグをしていた。
「……あァ、ただいマ」
とりあえず『おかえり』とは言ってみたものの、あまりの出来事に二の句が紡げずにいた。普通ならこれは『父娘の感動の再会』ということになる。でもパパ――であろう何か――は今だペストマスクを被ったままで、側からしたらさぞ滑稽で珍妙な光景を見せられてると思う。当の本人たる私ですら俯瞰で見ればそう感じるんだから。
『ペストマスクマンとJKが無言で見つめ合ったまま動かない』というその事象を静観していたじじは、半ば呆れた顔混じりで口火を切る。
「……おいジョー。いい加減まずはその変なマスク、さっさと取ったらどうだ?」
「もうバレてるし、そろそろいいんじゃないですか? 早く永遠さんに顔を見せてあげてください、ジョーさん」
「……なんか分からないが恥ずかしイ」
「「「……」」」
だったら普通に入口からマスクしないで美鈴さんと一緒に入ってきて「ただいま!」って言えばよかったのに、なまじヘンなサプライズ――にもなってない――なんかするからこんなおかしな空気になっちゃうんだよ。というか恥ずかしいって。己の滑稽さに気付いた、とか?
いつまでもこのままじゃ埒があかないから、少しの上目遣いと可愛げな声を作って――ちょっと恥ずかしいけど。
「……パパ。だったら私が取ってあげようか?」
「! そ、そうだナ。そうしてくれるか? ヴィー」
「っ! う、うん。じゃあ後ろ向いて」
私のことをヴィー、つまりミドルネームの『アイヴィー』に由来した愛称で呼ぶのは実はパパだけだ。これを直接、というかマスク越しだけど聞けただけで、本当に帰ってきたんだと心音が喜びにトクンと小さく跳ねる。
後頭部にある固定ベルトを厳かにゆっくりと外してじじに手渡し、さぁと身構えれば、いつまで経っても恥ずかしがってこちらに振り返るそぶりがない。焦れた私は、両の二の腕を掴んでぐるりとその大きな身体を強制半回転させる。
「……元気だったカ?」
「……うん」
私の返事に応えるように、パパは柔らかな瞳を浮かべ両手を広げた。これはアレだ……ハグだ。ハグを所望してる。
こんな時、普通の家庭に育っているJKならきっと「何それパパキモいんですけど。ハグとかないわー」とか言って一蹴するんだろうけど、ある意味普通じゃない家庭で育った私は、ひと山いくらのJKとはかなり思考が乖離していると思う。何しろ私は『世界的に有名な外国人ギタリストを父親に持つJK』で、その出自の通り、ハグが当たり前の文化を持つパパの血を半分受け継いでるから。
ふーっとひとつ深呼吸。
そしてパパの顔を真っ直ぐに捉えて。
自身の心に空いた最後の隙間を埋めるように。
躊躇なく彼の胸元に飛び込んだ。
しばしパパとの再会を静かに堪能すれば、じじはやれやれといった面持ちで私たちを引き剥がす。
「そういうのは後にしろジョー。というかお前、メッセで『八月のいつか』って送ってきてから一切連絡寄越さねぇってのはどういう了見だ?」
「いヤ、だから帰ってきたじゃないカ。ビリーもメッセは見ただロ?」
「あぁ見たさ……でもよ、『いつか』じゃ色々準備もできないだろうが!」
「? 今日は『いつか』だロ?」
……あー。そういうことか。
はぐらかしてたんじゃなくて、パパはちゃんと伝えてたんだ。『八月の五日』って。そうだね、今日は八月五日だよ。
『帰ってくる』ということに意識が行きすぎてて、『いつか』を『何時か』としか捉えてなかった。これは私たちの熟思黙想が足りなかった。だって、ちゃんと日本語でメッセ打ってるんだよ? いくら日本語が堪能でもメッセまで日本語打ちするのは外国人のパパには難しいと思うし、むしろすごいなと感心するべきだ。五日を『ごにち』と書かず『いつか』と書くんだから。パパの日本語力すごすぎ。
「なるほど……勘違いしたのはこっちにも非があるな。でもジョー、零も毎日メッセ送ってたのに、一度も返さないってのはいただけないぞ」
「あ、ではそれは私から説明させてください。ジョーさんでは纏まる話も纏まらない気がするので」
「ひどい言い草だナ、リンリン」
「っ! リンリン言わないでください! では説明させて――」
話を絶妙なタイミングで遮った美鈴さんの言によれば、最後にブエノスアイレスからメッセを送った後、南米ツアーの最終地であるブラジルのサンパウロに向かう途中、バッグが盗難に遭い、運の悪いことにスマホが入っていた。すぐにスマホは利用停止したので事なきを得たが、日本に帰るのも私たち家族には伝えたし、だったら日本でスマホを新たに用意すればいい、といった経緯があって今に至るようだ。
「ママが心配してたよ。なんか事故にでも巻き込まれたんじゃないかって」
「俺に何かあればオフィシャルサイトやニュースサイトに載るだロ?」
「ま、まぁそれはそうだけど……」
「事情は概ねわかった。ところで……鈴森……さんとはどういう関係だ!?」
どうやらじじは二人の不実を疑ってるみたいだけど、これも美鈴さんの説明でパパの疑いは晴れることとなる。
世界レベルで人気のバンド、『The Engine Driver』のギタリストであるパパ――ジョー・アイヴァーが日本へ、しかもバンドとしてじゃなく単身での来日。となると色々と面倒があるらしく、前々からパパは日本のプロモーターと何度もやりとりして、結果、プロモーション会社の中堅社員である美鈴さんに白羽の矢が立った。あくまでパパは日本では個人で活動するので、動きやすいように簡単な事務所を立ち上げ、美鈴さんが副社長に、パパが社長に就任……ということなんだけど、パパが社長!?
「永遠さん。あくまで会社は形式的、というかジョーさんと私しかいませんし、実務は基本私が担当します。なのでジョーさんは所謂『お飾り社長』なんです。彼の活動を妨げるわけにはいきませんから……そこは私の頑張りどころです」
「は、はぁ……」
と、ここで心に刺さったどうでもいい棘を抜くことにする。果たして触れていいものかわからないけど。
「と、ところで……『リンリン』って何ですか?」
「! い、いやそれは――」
「それは俺から説明させてくレ。リンリンでは纏まる話も纏まらない気がするからナ?」
パパは悪戯を含んだ笑みで美鈴さんに意趣返しする。彼女を見ればもう顔がこれでもかというくらいに紅潮していた。
とはいえ、単に姓名に『鈴』が二つあるから『リンリン』なんだって。これはパパがつけたあだ名だけど、偶然にも彼女の小学生の時のそれだったらしい。なら会社名は『リンリンエンタテインメント』に決まりだなとパパは提案したんだけど、それはあまりにもなので、せめて『鈴』の英訳である『bell』にしてほしい。そういう経緯で『ベルベルエンタテインメント』に決まったそうだ。
「リンリン……可愛いじゃないですか? 美鈴さん」
「は、恥ずかしいですよ! ……まぁベルっていうのも中学生からのあだ名なんですが……ま、まぁ私のことは今はどうでもいいです。それよりもジョーさん! 散々車の中で帽子やらサングラスを選んでましたよね? それで結果があの変なマスクですか!?」
「おいおイ、変なマスクとは失礼だナ。あれはセカンドアルバムのジャケットでも使った由緒ある――」
いや、あのマスクに由緒も何もないよパパ。敢えて言うなら『ジョーマニアなら垂涎ものの逸品』じゃないかな。なにしろ世界的グループに至るきっかけになったのがセカンドアルバムな訳で、そのジャケットに使った本物の小道具なんだから。
「とにかくだ。ジョー、よく帰って来てくれたな。永遠のため、なんだろ?」
「……私のため?」
「あァ。長いことレイとビリーだけで、父親が側にいないのはナ……かなり辛い想いをさせてしまっタ。まぁ少し遅くなったガ……すまんヴィー、許してくレ」
言ってパパは神妙に深々と頭を垂れた。外国にはお辞儀の習慣がないのに、それは見事な角度のお辞儀という名の謝罪だった。
「うん……いいよパパ。私怒ってないし。まぁ少し寂しいと思うことはあったけど……私ね、色々聞いてほしいこと、あるんだ」
「……あァ。いくらでも聞いてやるサ」
すっと大きなパパの手が私の頭をひと撫でする。
優しい感情が脳天から突き抜けたような気がして、パパの実存を強く感じる。
「父娘の感動の再会はそれくらいで気が済んだか? そんなことより永遠、ヨーコちゃんとあっちゃん待たせておいていいのか?」
「! そうだった! パパあのね、私友達が二人も増えたんだよ。二人とも優しくて可愛くて――」
「オーケーわかったヴィー。俺にも紹介してくれるカ?」
「もちろん! じゃあ戻ろう?」
「おっとジョー。俺らはもういいが、零は相当お冠だからな、覚悟しとけよ」
じじの言葉を受けて途端に項垂れるパパを半ば引きずるように、私の大事なお友達が待つ自宅へと急いだ。
✳︎ ✳︎ ✳︎
パパがいきなり現れて、家で待っていたみんな――ママ、ツナ、コーちゃん、ヨーコさん、そしてあっちゃんは一様に腰を抜かすほど驚いていた。無理もないことだけどね。まさかのパパを予告なく引き連れてきたんだから。
そして今――パパはその長い脚を折って正座させられている。
その前に立つのは、目力マックスでパパを睨め付ける私のママでありパパの奥さんでもある神代零その人、である。あまりに居た堪れない光景だったから、ツナたちは私の部屋に下がってもらっていた。なので今リビングにいるのはパパとママと私、そして色々事情を解っている美鈴さんだ。ちなみにじじはお店があるから今はここにはいない。
「ジョー。事情は理解した……理解したけど、こっちはめっちゃ心配してたんだからね? いくらサプライズしたかったとはいえ、相手のことも考えないとダメじゃないのかな? どうやら美鈴ちゃんにもかなり迷惑かけてたみたいだし。だいたいジョーはいっつもそう。肝心なことがすっぽり抜けてるし、かと思えば永遠に何本もギターとか送ってくるし。たまたま置く場所があるからいいけど、そもそも日本の家って本来こんなに広くないの。うちはその辺は恵まれてるからいいけど、聞けばあのギターも結構なお値段するらしいじゃないの? 永遠はまだ高校生なんだから程々でいいの。私も甘やかさないようにしてきたからきちんとしたいい子に育ってくれたのにジョーが甘やかしちゃ意味ないでしょ? わかる? わかるわよね?」
「い、いやそれはだナ――」
「それは? 何? 何か申し開きでも?」
「! い、イエスマム……」
ママ、話が長い。ママも長いこと会ってなかったし、言いたいことがあるのは解る。でも、そろそろ許してあげたらいいんじゃないかな。ほら、美鈴さんも途方に暮れちゃってるよ? さらに言えば美鈴さんをいきなり『ちゃん』呼びするママのコミュ力。うん、凄い。
「反省してるみたいだからもういいわジョー。さ、立って」
「いヤ、そうしたいところなんだガ、脚 is asleepで立てなイ……」
外国人は正座の習慣ないもんね。床に転がり悶絶するパパの回復を待ちながら、今度は私とママ、そして美鈴さんを交えてガールズトークのようなものを始める。
「美鈴ちゃんは半月近くジョーと一緒に行動してたのよね? 大変だったでしょう?」
「えぇ。奥様――」
「レイでいいわよ。私も美鈴ちゃんって呼んでるし。奥様って柄でもないしね」
「承知しましたレイさん。えっと……確かに大変と言えば大変でした」
「ですよね。良くも悪くも『子ども』ですもん、パパって」
まぁ凄く良く言えば『少年の心を忘れない大人』と言えなくもないけど、今回のことに限ってはちょっと仕込み過ぎじゃないかな。
「でも音楽のことに関してはとても真摯だと思います。一度だけギターを弾くのを見せてもらったんですけど、もうなんというか純粋な才能の塊……もちろん自身の努力もあると思うんですが、彼の生演奏は圧巻、の一言でした」
「私はステージ上のパパしか知らないんです。ママは目の前で聞いたことあるんだよね?」
「うん、もちろんあるよ。でもねぇ、私ってギターはあんまり分からないからなんとも言えないんだけど、かっこよかったのは覚えてるなぁ……」
視界の端に、やっと立ちあがろうとするパパを捉える。でも、私たちのいわば『パパ推し』の会話で恥ずかしくなったらしく、耳が少し赤かった。
そんなパパをママはさっきまでとは打って変わって優しい眼を浮かべ、手を差し伸べる。
「改めて……お帰りなさい、ジョー」
「……あァ、ただいマ、Ray」
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