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#15 永遠と終三と広大 ―永遠と悠久―

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 想定以上の重労働に、頭皮が汗ばむのを感じる。

 女性の私は比較的、力を必要としない作業を担当する。L水槽と呼ばれる約23ℓの水槽から販売魚を掬い出し、一時退避に用意したバケツに移動、そして水を床――水槽設置スペースはすべてコンクリ打ちっぱなし――に直接排水すること。これが30本(水槽の個数はこう数える)。
 一方のコーちゃんは、水の抜けきったそれを店外に運び出して砂利を洗浄・除去、そしてわずかに付着したコケを清掃して元の場所に戻す、という物凄い体力を使うことを文句も言わずに平然と続けてる。流石に額には汗を浮かべてるんだけど、疲れた様子もなく、さすが男子と思わざるを得ない働きっぷりをみせる。

 今日のノルマを半分ほど終えて一息ついていたころ、見慣れない人影が、ガラス窓越しに店内を覗いているのに気付いた。今日は臨時休業でこの作業をしているから、店外の人物にその旨を説明しなきゃと外に出る。

「あの、今日は臨時休業……」
「おう、構わないぞ。メンテ中でゴタゴタしてるけどそれでもいいんなら」

 後を追ってきたじじが背後から私に被せる。まぁ店長であるじじが言うならいいんだろうね。

「では、入らせていただきますね」

 その人物は、軽く会釈をしつつ、のそりと店内に入っていった。

「なんか今の奴、見たことある気がするんだよなぁ……」
「そうなんだ。でも近所の人じゃないみたいだね」
「あぁ、見たことねぇな。でもなぁ……」

 店外に残された私とじじ。なんかじじには思うところがあるみたいで、窓ガラス越しに見える、店内を物色するその人物を訝しげに観察している。
 私もその人物には見覚えがなかった。身長は高く、中で作業中のコーちゃんと比べても変わらないくらいだから180cm超えてる。ネイビーブルーのヨレたTシャツを着込み、下はグリーンの、兵隊さんが履くようなポケットの多いパンツ。確かあの色、オリーブドラブっていうんだっけ。足元はこれも兵隊さんが履くようなブーツで、頭には髪の毛を一切隠すように巻かれた、黒いスカーフのようなもの。

 さて、私たちも作業の続きをしようと中へ戻る。その人物はなんか嬉しそうに販売水槽を一つひとつ覗いては満足そうに微笑を浮かべていた。
 臨時休業とはいえ、その人物はお客さまだから、邪魔をしないように作業に戻ろうとすると、

「あ」

 急に何かを思い出したように小声を漏らすじじは、つかつかとその人物に近寄って、

「あんたもしかして……『はる坊』か?」

 そういきなり言われたその人物は、少し考えたあと、ふっとひとつ息を漏らした。

「やっと気づいてくれました。お久しぶりです、終三しゅうぞうさん」
「おー! そうかそうかやっぱりか。しかしデカくなったな!」
「それはそうです。もう成人してるんですから」

 そうかそうかと懐かしむ二人に見入っていると、あれ誰だ? と小声で囁くコーちゃんに、どうも顔見知りみたいと返す。
 しかし、綺麗な顔だなぁ。少し無精髭はあるけど、すっと通った鼻筋、薄めの唇。髪型はスカーフで見えないけど。同じ長身でも、コーちゃんとは違って痩身だ。

 私がその人物を離れて観察してると、視線に気づいた彼は、

「あれ? ……あなたも、昨日ぶりですね」
「えっ?」

 昨日? 私この人知らない。昨日はツナとしか会ってないし。誰?

 頭上にでっかいハテナを出す私に、あぁと一言だけ呟いて、

「……これでわかります?」

 と、おもむろに頭のスカーフを解き取る。そして顕になる白髪を見て心臓が弾き飛び、全身がぞわっとする。

「っ! う、動かない人……UQ……さん?」
「「UQさん?」」

 事情を知らないじじとコーちゃんのハモりに急ぎ足で説明して、横でUQさんはうんうんと頷いている。というか自分のことなのに、自分で説明しないんだ。

「で、じじはなんでUQさん……ゆうさんを知ってるの?」
「あぁ、それはな――」

 どうやらゆうさんは、小さい頃にお店に通っていた、つまり『可愛い常連』だったらしい。当時まだお姉さんである緑鳥みどりさんとはに同居してなかったから、わざわざ電車に乗ってお店に通ってたらしいんだけど、魚に関する知識はとても小学生とは思えないくらいの豊富さで、じじも教わることが多かったみたい。

 さらに驚いたのは。ゆうさん、自分で繁殖した魚をお店に持ち込んでたらしい。私もお店でグッピーとか、いわゆる『勝手に殖える魚』を育てたことはあるけど、意識して繁殖させたってことはないよ。

「でも、今はもうそういうのは姉さんの家ではできないですから」
「そうか残念だな……繁殖、トライしてもらいたい魚、いるんだけどな」

 じじがいつになくしょんぼりしてるのを見ると、ゆうさん、よほどじじに信頼されてるんだろうな。というか、見た目『魚の繁殖をする』ようなタイプには到底見えないんだけど……。

 と、その前に。さっきじじはゆうさんのことを『はる坊』って呼んでたよね。
 で、ママは『悠くん』って呼んでた。
 私はママから聞いて『ゆうくん』っていうのは知ってる。
 
 ――じゃあ、『はる坊』って一体なに?

「えっと……じじ、今『はる坊』って言ってたけど、ママは『悠くん』って言ってたの。これって……?」
「……あぁ、そうでした。では自己紹介します。俺、『寛城くつしろ悠久はるひさ』って言います。悠久と書いてはるひさ、です。なので、終三さんからは本名をもじって『はる坊』、姉さんやほかの人からは音読みで『ゆう』って呼ばれてるんです」

(はるひさ……悠久……だから『UQ』なのか!)

 今は本名の『はる』で呼ばれることはほとんどないですが、と悠さんは付け加える。その表情はどこか『はる』で呼ばれたくない、そんな雰囲気を纏っているように私は思えた。

「ご丁寧にありがとうございます。私、じじ……終三の孫で、神代かみしろ永遠とわって言います」
「あぁ……ということは、零さんの娘さん、ということですか。こちらこそ、ご丁寧にありがとうございます」
「それで……私……なんて呼べばいいんでしょう?」

 さすがにじじみたいに『はる坊』なんて言えないよ、歳上だし。UQだし。困る私に、『ゆう』で構いませんよと言う。初めて話すのに呼び捨てとか無理だよ。

「では……『悠さん』ってお呼びします。私のことは苗字でも名前でも、どちらでもいいです。私年下ですし、敬語も大丈夫なので」
「いえ、俺の敬語は癖なので……姉さんにもこんな感じなんです」
「そうだったか? 子供のころは俺と普通に喋ってなかったか?」

 じじの問いに、小さい頃はそうだったけど、大人になってから敬語だけですね、と表情を崩すことなく悠さんが答える。なんだろう、ほとんど表情を変えない悠さん。目も『動かない人』と同じで、どこか生気がないこの感じ……。

「なので……えっと、永遠さん。敬語なのは特に他意はありませんので。こういう人なんだって納得してもらえれば」
「わ、わかりました」

 これが、私こと『永遠』と、悠さんこと『悠久』の邂逅だったんだ。
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