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紫屍鬼部という男

村崎万蔵②

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「ひひっ。僕としたことが…灯台下暗しだなんて言葉、リアルで実感するのは初めてですよ」

翌日、俺の昼休憩に合わせて会社のビルに現れた遊佐は、特有の笑いをこぼしながら上機嫌で左右に揺れていた。社員の目を気にしてか、服装は以前とまるで異なっている。私服勤務の弊社において、遊佐のスタイルはセミフォーマルなシャツスタイルだったが、今日は短パンにTシャツという非常にラフな姿だ。

「とても蒐集家には見えないけど、大丈夫か」
「むしろマニアだからこそ自分の着衣なんぞに気を遣わないという演出ですよ」

埃っぽい店内に入る。遊佐は品定めをするようなそぶりで入口付近の棚を眺めている。店内は天井まである本棚によって2区画に仕切られていて、通路が2つある状態だ。奥で全体を見渡せる位置にレジがあるが、店主の姿はない。俺は外にあったワゴンから手頃な文庫をひとつ手に取り、彼の保護者然とした距離感で後ろに控えた。

遊佐がガタガタと本を取り出していると、来客に気付いた店主が奥から出てきてレジ前に座った。そしてこちらを一瞥し、俺に気づいたようだった。

「昨日の君か。なんだね。本に興味でも湧いたか?」
「こんにちは。僕は、ええと、ちょっと気になる文庫が並んでたので、はい。あとは友人の付き添いです」
「……そうか」

店主は、夢中で本を捜すーーフリをしている、遊佐の方へ目をやった。

「君は古書が好きなのかね?」

会話の相手に指名されたことに気づき、遊佐はわざとらしい動きをやめて店主の方を向いた。

「ええ。主に昭和の戦争関連の本を集めてまして」
「ウチの蔵書では、そういうのはあまり強くないな。そこの上の方に幾らかはある」

店主が指さしたのはレジ近くの棚の上段だった。遊佐は早速近づいていく。

「ひひっ。『世界最終戦論』だ。む、これは初版ではないですか…値段は……ちと高い」
「悪いが高い本ほど値下げはできないよ。私が価値を認めているからであってね。バーゲン本なら表のワゴンにあるが……」

そう言うと店主は遊佐への興味を失ったように手元の書類に目を落とした。それは昨日僕が倉庫で落として店主が拾い上げた、茶ばんだワープロ用紙のようだった。

近くでそれを見ていた遊佐が、何かに気づく。

「それ…なにかの原稿ですか? ええと…、レアな匂いがしますね。少し見せてもらえないでしょうか」

「これは君の専門外……というか、原稿と呼べるほどのものでもないよ。出版されてないどころか、刊行企画がまとまる前に頓挫した誰も知らない本の残骸だ」

「見せてはもらえませんか?」

遊佐は食い下がった。会社の倉庫で発見された書類の束。昨日、店主は「ウチの商品だよ」と言ってそれを持ち去った。その供述内容は昨日と少し食い違っている。

「……まあ、かまわんがね」

店主は少し逡巡して遊佐に原稿を手渡した。昨日ちぎれた穴は補修されている。遊佐はそれを受け取ると、食い入るように読み始めた。

「何のことかもわからんだろう。これは価値のあるものではーー」
「……時事集成」
「!」
「幻時時事集成だ」

遊佐はそう呟いて、店主の方を見た。
店主も驚いて、遊佐を呆然と見つめている。

「なぜそれがわかるか、言ってくれるか?」

何かを察したように、店主は俺の方にも一瞥を寄越した。

「あなた、村崎万蔵さんですね」

店主は少しだけ目を見開いて、そしてゆっくり閉じて、遊佐の言葉を咀嚼した後、さらにゆっくりと目を開いた。

「幻時に出入りしていたクチか。それにしては少し若いな」
「当時は学生でした」
「……連れの、上の会社の人間とはどういう関係だ」
「元同僚です」

意外な返答だったのか、店主ーーいや、村崎は、何か筋の通る解釈を探すように、眼球を斜め上へ向けて少し止まった。

「これを捜しに来たのか。それとも、元同僚だったということも含めて、捜し続けてきたのか? しかしこれは所詮、私が書いていた未完成の原稿でーー」
「捜しているのは紫屍鬼部です」

遊佐は、装いに似合わぬ深刻なトーンで村崎に迫った。

「あなたなら、今の彼がどこで何をしているか、知ってますよね?」

村崎は、長いため息をつきながら、遊佐が持っていた原稿を奪い返した。そしてさらに、ゆっくりと、言葉を続けた。

「知っていると言えば知っているが……会うのは不可能だ」

ニヤリと、笑って。

「おそらく、君の実力ではな」
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