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第四章

26.エレーナの独り言

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 ドレスも全て運びだした空っぽのクローゼットは想像以上に広く感じた。

(あの空間にこの籠を置くと、すごく侘しい感じになりそうだから、ベッドの脇にでも置⋯⋯)

 空のクローゼットを見つめていたミセス・メイベルが、意を決したように小さく頷いて振り返り、脳内会議中のエレーナに声をかけた。

「エレーナ様、ひとつお願いがあるのですが⋯⋯」

「何かしら?」

「宮殿内に滞在中のミセス・ブラッツと話をしてきても宜しいでしょうか」

(このタイミング⋯⋯文句を言いにでも行きたいのかしら?)

 ミセス・メイベルがミセス・ブラッツと話をしたいと言えば、それしか思いつかないが、忙しい中でわざわざ言いに行くほどのことではない気がする。

「わたくしに許可をとる必要はないけれど、ミセス・メイベルは忙しいのでは?」

「確かに、屋敷の中や使用人達が予想以上の⋯⋯予想以下の状態でしたので、やるべき事は色々とございます」

 元々は、エレーナの環境を整え、世話をするつもりで屋敷に戻ってきたミセス・メイベルだったが、世話の前にエレーナの安全の確保からはじめなければならない始末。

(エレーナ様はわたくしや使用人を必要としておられず、適切な距離を置いて欲しいと仰られ⋯⋯わたくしはその壁を破る努力をする暇もない有様ですもの。
人は増やしましたが、宮殿内に喝を入れねばミセス・ブラッツは、多分ここに帰ってくるに違いありません)

 ジョーンズ達はアメリアの為であれば、本気で走り回るだろうが、エレーナの為に同じ事をするとは思えない。

(殿方は皆、子供は衣食住さえ足りていれば十分だと考えておりますもの。それさえ、足りておりませんでしたけれどね!
今頃、ミセス・ブラッツに丸め込まれていても驚きませんわ!)

 恐らく、都合の悪い事は忘れたふりで、エレーナの状況を『使用人もいるのに問題があるわけがない』と、自分に言い聞かせているはず。

『侯爵家へ行く!? 今は子供の事など考えている暇はない、アメリア様の一大事なんですぞ!!』

 ミセス・メイベルはジョーンズの台詞を思い出し、拳を握り締めた。

「そろそろミセス・ブラッツに丸め込まれている愚か者が、増殖している頃だと思いますので、ボコボ⋯⋯説明をして参りたいと思います」



 ミセス・メイベルの予想は当たっているだろう。この世界で子供の命はとても軽く、家の利益の為に利用する駒としか考えられていない。

 貴族や裕福な平民は後継に出来る子を求め、家の利益になる婚姻を探し求める。貧困に喘ぐ家は教会の階段に子供を置き去りにし、娘を娼館に売り、息子を物乞いに売り渡す。

 最優先は家長で、その次は稼ぎ手の若い男達。最後は子を産める女達、彼女達なら働き手にもなる。

 男尊女卑の世界で、子供は最下層に位置しているか、数にも入れてもらえない。

「ミセス・ブラッツやニール様が、アメリア様の落馬事故に関係しているなら、是非話を聞き出して欲しいと思いますが⋯⋯それ以外は、アメリア様が床に伏している事と、政務で頭がいっぱいのはずですから、後回しでも仕方ないと思いますわ」

 先日のミセス・ブラッツの様子なら、上手く誘導すれば簡単に口を割ると思ったが、意外にそうでもなかったらしく、今のところ何も聞き出せていないらしい。

(宮殿内でミセス・ブラッツの悪事が判明して、芋蔓式にニール様の名前が出ていれば、一番良かったんだけど⋯⋯そんなに甘くはないみたい)

「ミセス・ブラッツのわたくしに対する言動のせいで、宮殿に物申しに行くのであれば不要です。ただ、侯爵家に対する犯罪行為に関する話ならば、口を出すつもりはありません。
ジェイクやミセス・メイベルは、侯爵家の使用人と予算の横領問題に尽力するべきだと思っていますから」

 ループ前の記憶がチラつき『本格的な暴力がはじまる前だから、今までの事くらいマシな方』だと思ってしまう。

 ミセス・ブラッツの今後は侯爵家に一任すれば良い、と思う程度にはすでに興味を失っている。二度と関わらないでくれるなら、それで十分。

(それよりも大きな問題で、頭を悩ませているからかもしれないけれど、横領の証拠を見つけた時点で気が済んだみたい。後はわたくしが口を出す事ではないわ)


「宮殿でどのような話をしているのか分かりませんけれど、横領の証拠はジェイクが保管していますから、屋敷に帰ってくればすぐに逮捕できるでしょう。
それ以外の問題も、ジェイクとミセス・メイベルがいれば片付きそうですし」

 侯爵家は昔も今も、未来もエレーナの家ではないけれど、ほんの少しの寂しさがあるだけで悔しさも怒りもない。

(今度は必ず幸せになる。前回頑張ったエレーナの努力と知識で、未来を変えるわ)




 ミセス・メイベルの目には、エレーナが崖の淵に立って、背水の陣に挑む少女のように感じられてならない。生死を分ける戦いに臨まざるを得ない孤高の人⋯⋯。

(時折、お見かけする表情は⋯⋯悲しみと切なさ⋯⋯後は、諦めかしら。
5歳とは思えない成熟した言動は、まるで多くの苦難を乗り越えてきた方のようで、強さと忍耐も兼ね備えておられる。ルーナ様やジェイクの言葉から漏れてくる、エレーナ様の執務能力は普通では考えられない。この方は、一体⋯⋯)

「エレーナ様、少しわたくしの昔話をお聞きくださいますでしょうか」

 窓の外をぼんやりと眺めていたエレーナが、はっと我に返りミセス・メイベルに顔を向けた。



「わたくしがこのお屋敷に初めて奉公にあがった時の当主様は先々代様で、先代当主のレイモンド様と妹のリディア様もおられました」

 先々代当主が亡くなった時、レイモンドは24歳。当主としての教育はまだ道半ばだが、先代当主の時代から仕えていたジョーンズや、代官達に教えを乞い、寝る間を惜しんで実務に奔走する姿に、使用人一同は『少しでもレイモンド様のお役に立てれば』と思ったのは当然の流れだった。

「特殊なビルワーツの領地経営の合間にリディア様の相手をなさり、セレナ様とご結婚されてアメリア様がお生まれになられました。
大きな不幸の後に、アメリア様がご当主様となられ建国。エレーナ様がお生まれになられました」

 廃太子される事を恐れ、努力よりも王位簒奪を選んだ愚かな男と、ビルワーツの財を狙う強欲な者達の話。その後の顛末も、2種類の相反する歴史書で読んでいる。

 ビルワーツの献身が切り捨てられ、最後まで踏み躙ったアルムヘイルへの、怒りを顕にしたビルワーツの歴史書と、王位簒奪に成功した愚か者ランドルフに、都合良く編纂された歴史書。

「ご当主様はわたくし達がお仕えする絶対の存在で、そのお子様は守り抜かねばならぬお方です。それなのに、前当主様と奥様が非業の死を遂げられた後、わたくし達は間違ってしまったのです」

 大きな悲しみの中で立つアメリアは、守り抜かねばならない存在⋯⋯そう思う気持ちのまま、唯一絶対の主人としても仕えた。

 甘えも我儘も守りたい気持ちが許してしまう、主人の命令に従うのは使用人として当然の事。

 全てがアメリアの意思で動く事に、なんの疑問も抱かず⋯⋯。

「アメリア様はお守りするべき方からお仕えするべき方に変わられ、エレーナ様をお守りせねばなりませんでした」



「家の為に役に立つか立たないか⋯⋯ この世界の子どもの価値は、それだけしかありません。アメリア様にとってもこの国にとっても、わたくしは役に立たないどころか、危険な火種にしかなりません」

エドワードアルムヘイル王国の王子と年の近い娘なんて冗談じゃない。奴等が婚約なんて言い出したら、今度こそアルムヘイル王国を叩き潰して、この子の首を絞めてやる』

「わたくしが生まれた時、アメリア様が不安に思われたのは、貴族の当主として至極当然なのでしょう。侯爵家の為に後継者を作るはずが、危険を抱え込んだ⋯⋯領地と領民を守る為には、排除したかったのかも知れませんね」

 生まれた子を殺せば罪になり、捨てたと知られれば侯爵家の醜聞になる。屋敷に閉じ込めて見ないふりをしていれば、危険かもと思う不安から目を背けられる。

「これはわたくしの独り言ですが⋯⋯わたくしと同じように、アルムヘイルの王子と近い年齢に、女として生まれたアメリア様も親から疎まれておられたのでしょうか。
もしそうであったなら、アメリア様の言動はビルワーツ侯爵家当主として、当然の行いだと評価されるべきかも知れませんね」

 両親からの愛を一身に受けて育ち、両親から教えを受けながら自らも研鑽を続け、両親の誇りとなった聡明なアメリア。

(指針であり支えである両親を唐突に奪われ、心が歪んだ可哀想な人か、自分だけは愛されていて当然だと思う、残念な人のどちらかかも)

「ご両親様やアメリア様のご不幸に同情は致しますが、わたくしにとっては他人事、悲しい史実の一つでしかございません。
この考え方の方が⋯⋯恨みや疑問を持つよりも、残酷な夢に囚われるよりも、お互いの為になると思っております。
アメリア様の次のお子様が男児であられる事を、そのお子様のために、心からお祈りいたしますわ」



『お母様が生きておられたら⋯⋯お祖父様とお祖母様がご存命なら⋯⋯ほんの少しでも違う人生になっていたかしら?』

 歴史書の中でしか見たことのない人達を思い浮かべて、現実逃避する時が唯一の安らぎだったループ前のエレーナ。

 時間が巻き戻った今は⋯⋯。

(わたくしを切り捨てた人を想い願うより、別の道を模索するべき。その力を、ループ前のわたくしが与えてくれているのだから)





「ミセス・ブラッツに会うなら、話ししておきたい事があります」

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