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83.ラルフ・アルスター

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 シャーロットはコーネリア伯爵家にいた時のことを思い返してみたが、伯爵家にいた数ヶ月で顔を合わせた人は少ない。

(男性は執事と料理長と⋯⋯庭師!)


「ジェローム、コーネリア伯爵家の庭師は今どうしてるの!?」

「突然どうしたんだ?」

「使用人は解雇したのよね。庭師のおじさんはその後どうなったのか知ってる?」

「庭師⋯⋯確か彼は⋯⋯前の庭師が突然退職してその代わりに雇ったんだが、ある日突然いなくなったんだ」

「いつ?」

「シャーロットを探してた頃⋯⋯いや、家出したすぐ後だったな。それがどうしたんだい?」

「お祖父様だったんだわ。何度か遠目に顔を見た事はあったけど、すぐに姿を消してたあの人が」

「まさか! だってディーン・ボルトレーンが亡くなったのは有名だし、書類もちゃんと揃っていた」

 王宮の法務部に所属していた者としてそれなりに知識があると自負しているジェロームはディーン・ボルトレーンが生きているとは信じられない。

「つまり⋯⋯まさか、希代の詐欺師と言うのは⋯⋯いや、流石にそれはないよ」

「お祖父様は何度も名前を変えておられるの。デューク、合ってるでしょう? 
だから伯爵家にいらっしゃらなかったんだわ。あの頃、ここにはなぜ来てくださらなかったのかって何度も不思議に思ったの」


「ディーン・ボルトレーンの名が邪魔になられたそうでして、亡くなられました」

「お祖父様は今、どこにいらっしゃるの?」





「すっかり貧乏になってしもうたからのう、はっはっは」

 カラカラと笑う元ディーン・ボルトレーン⋯⋯現ラルフ・アルスターは旧アルフォンス公爵邸から歩いて行ける場所に屋敷を構え悠々と暮らしていた。

 元々あった屋敷を取り壊して建てた地上三階地下一階の屋敷で、ロココ建築特有の柔らかなイメージが印象的な石造りの建屋だった。

 広いテラスやガラス張りのコンサバトリーもある一階と、屋根のあるベランダが全ての部屋につけられた二階。遠くを見渡せる三階は全ての窓に鎧戸がつけられている。

 敷地をぐるりと囲む鉄柵は特殊なワイヤーが取り付けられているが常緑樹で覆われているので誰にも気づかれていないと言う。

「斜めに削いで尖らせた短い鉄線を巻きつけて、尖った部分を出すようにしておる。わしの考案品でな、まだ誰も知らんのじゃよ。
生半可な武器より凶悪じゃ」

 はっはっはと豪快に笑うラルフは以前見かけた庭師には全く似ていない。

 鉄柵の上には忍び返しも設置されている為、中を覗くことも忍び込むこともできないようになっている。


 広い庭には壺を持つ女神像の飾られた噴水と花壇。白く塗られたガゼボまで続くアプローチのあちこちにはベンチが設置され、ラルフ曰く年配者対策との事。

 大型の馬車も入るよう工夫された厩舎はモルガリウス侯爵家でも取り入れたいとジェロームが大絶賛していた。


 まだ試験段階だと言われている蒸気式揚水用ポンプで屋敷内まで水を送り、下水は隣の敷地に作った畑の肥料にすると言う。

「畑のために隣の屋敷も壊すと言ったら、貴族街に畑だと変人扱いされたんでな、買ったもんをどう使おうがわしの勝手じゃと言うてやった。
上水道も下水道も設置しておらんこの国が古すぎるとわかっておらんのじゃからなあ」


 ペルシャ絨毯が敷き詰められ、壁一面を覆い尽くすほどの巨大なタペストリーは国宝級の可能性がある。

 家具はクイーン・アン様式に統一され、椅子やコンソールテーブルなどの脚は動物の脚の形をデザインした『カブリオールレッグ』の優美な曲線。

「椅子の座面にクッションが入とるからな、年寄りにぴったりじゃ」


「ハイポコーストと言うのを知っておるかの? 古代ローマの公衆浴場なんぞで使われておった屋敷をひとまとめに温める方法での、炉からの熱気と煙を床下や壁に送り込んで屋根付近の送管で排気する方法じゃ。
火の面倒を見るための労働力が必須なのが厄介じゃがな」

 年寄りに冷えは辛いと笑うラルフは誰よりも血色が良く、エカテリーナはハイポコーストに夢中になっていた。将来住む屋敷には是非設置したいとラルフに設計図を強請っているが玉砕してばかりいる。



 正式にアルフォンス公爵家が褫爵し平民になったシャーロットは平民街の外れに小さな家を構えた。エカテリーナ達との挨拶を済ませ無事に引っ越しは終わったが⋯⋯。

 二階に運ばれた荷物を確認していた時ジェロームの荷物が運び込まれていたのに初めて気づいたシャーロットは、引っ越し前にエカテリーナ達があれこれと買い物をして大量の荷物を押し付けてきた理由が分かった。

(ジェロームの荷物が入っているのを誤魔化すためだったのね)

 モルガリウス家の誰かしらから届けられるプレゼントで毎日増えていく箱やトランク。それらを確認する余裕もないほど訪れる客の対応で、その中にジェロームの私物が紛れ込んでいた事に全く気付かなかったのはシャーロット痛恨のミス。

 引っ越しに対してエカテリーナ達が何も言わなかった時、寂しいと思いつつも仕方ないと思ったのは一体何だったのか。

 メイド達がシャーロットとジェロームの荷物を別の部屋に片付けたのが唯一の救いといった所かもしれない。

(同じクローゼットに入ってたらジェロームの衣装だけ窓から投げ捨てたのに!)



 シャーロットが足音高く一階に降りると何故か居間のソファにジェロームが悠々と居座っている。

「ねえ、何故ご子息様がそこで寛いでるのかしら?
ご子息様の荷物が紛れ込んでるのからそれを持ってさっさとお帰り下さい」

「まだ離婚してないから、俺達は夫婦だよ?」

「昨日、届けは出したわ。ちゃんと言ったでしょう?」

 国王への宣言で離婚届の提出を延期していたシャーロットは引っ越し前日の昨日、離婚届を提出した。

『は? 離婚届を出してきたって?』

『ええ、よくよく考えてみれば『ずっと愛し続けます』って言っただけだもの。婚姻継続とか離婚しないとかは言ってないから問題ないわ』

『くそ! 針の穴より小さな綻びを見つけるなんて』

 そんな会話をしたはずなのに荷物を運ぶ手伝いをしにきたジェロームが居座っている。


「実はな⋯⋯随分前に離婚届不受理申出をしておいたんだ。離婚無効確認の調停をするのは面倒だし、うっかりシャーロットの意見が通って離婚が認められたらヤバいからな。
だから、離婚は成立してない」

 苛立たしげなシャーロットに向けてサムズアップしたドヤ顔のジェロームはクッションを投げつけられて笑い出した。



 ソファでのんびりと紅茶を飲んでいるジェロームを放置してキッチンに行くと、ご丁寧にペアの食器がずらりと並んでいるのを見てシャーロットは腹立ち紛れにドスンと椅子に座り込んだ。

「花柄は好みじゃなかったかな?」

 背後からジェロームの穏やかな声が聞こえたが無視する事に決めたシャーロットは勢いよく立ち上がり、配達を頼んであった野菜を取り出して人参の皮を剥きはじめた。

「ここの食器は青い柄が有名だけど頼んでみたらオーケーが出たんだ。こっちの方がシャーロットのイメージだと思ったんだけどなあ」

「⋯⋯つまり、あの有名な会社にゴリ押しして作らせた特注品を平民の厨房に並べたって事? 信じらんない」

 当たり前のように話すジェロームに呆然としたシャーロットの手から人参が転げ落ちた。

「あちこち探しても納得できるものが見つからなくて、知り合いがいたから相談しただけなんだけど⋯⋯」

「その、そのとてつもなく高価な食器に素人が作る豆のスープと黒パンを乗せて銀のスプーンで食べるのね⋯⋯モルガリウス家の教育が理解できないわ」

「もしシャーロットが嫌だって言うんなら食器と一緒に追い出されても諦める⋯⋯諦めるよう努力する。
取り敢えず、ただの同居人として暮らしてみないか?」

「侯爵家令息とお皿を同じになんて考えられないわ」

「そうだな、皿の方が重要だ」




 シャーロットは相変わらず刺繍やレース編みで作品を作り、新しい食材を手に入れてはジェロームの胃にダメージを与えていた。

 ジェロームの担当は皿洗いだったが高価な皿がどんどん減るので今は掃除を担当しながら、ジェファーソンやデュークの元で仕事を教わって⋯⋯徹底的にしごかれていた。


 平穏な生活に笑い声が増えはじめ仲の良い友達のような距離感に、シャーロットが安心と少しの物足りなさを感じていた頃、どこかしらから住処がバレたようで貴族や商人が手を替え品を替え付き纏うようになりはじめた。

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