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32.危険物注意

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 遅くなった昼食を済ませた後、再び居間に連れてこられたシャーロットは遠い目をしていた。

「暫く休憩にしましょう。横になるよう言ってもその様子では無理そうだから少しお話をしましょうね」

 エカテリーナは何度かパーティーで見かけた事があるだけだと言いながら祖父の話をしてくれた。エカテリーナの語るパーティーでの逸話や噂で聞いた話はシャーロットの知る祖父とは似ているようで似ていない。

「貴族嫌いでいらしたからパーティーで周りに集る人達を煙に巻いていらっしゃるのが楽しかったわ。ある時なんて⋯⋯」

 エカテリーナの声がどんどん遠くなっていく。旅の疲れと睡眠不足に加え家族会議に参加した緊張が一気に噴き出してエカテリーナの声が聞こえなくなり、うつらうつらと舟を漕ぎはじめたシャーロットは隣に座っていたジェロームにもたれかかり眠ってしまった。

「来た時から随分と疲れてたみたいだから、お部屋に運んであげたらどうかしら」

「いや、このままで」

 先日馬車から下ろした時にシャーロットがパニックになった話をすると、エカテリーナは侍女に毛布を持ってくるよう指示を出した。

「あそこは本当に酷い所だと聞くから、女子収容所で何かあったのかも知れない⋯⋯と言うか何もなかったはずはないわね。
昔と違って服役囚が新入りの世話をするから暴力や虐めが横行しているらしくて、特に高位貴族への虐めや体罰は酷いと言う噂よ。そのせいで出所後には心を病んでいる人も多いと聞くの。
さっきの話の中でも、収容所送りにされそうだと話してた時ひどく怯えていたもの」

「そんなに酷いとは知りませんでした。私達は送り込む事ばかりでその先を考える事はしていなかった⋯⋯職務怠慢ですね」

「収容所の現状については管轄が違うから仕方ないとも言えるけれど、冤罪は貴方のお仲間の責任だわ」

「仰る通りで返す言葉もありません。不貞で有罪になる女性は下位貴族が多い事を考えるとシャーロットに対する虐めは相当のものだったでしょう」

「内向的な高位貴族令嬢なんて彼女達にとっては最高の生け贄だったでしょうね」

 下位貴族は高位貴族に対してマイナスな感情を持っていることが多い。羨望・妬み・嫉妬⋯⋯。その中に人見知りで社交性に乏しいシャーロットが無防備に放り込まれた事を考えるとジェロームは今直ぐにでも公爵達を吊し上げたくなった。



「シャーロットはしょっちゅう女子収容所帰りだと言うんですが、どんな所だったかとか何があったかとかは一切口にしないんです」

「話せないのかもしれないわね。人って辛すぎると口にする事も出来ないんだってアーサーが言っていたわ」

 戦で酷い状況に遭遇したり捕虜になった人たちの中には何も話さない人がいると言う。

「口に出す事もできないほどの恐怖を経験して、誰も信用できないんでしょうか?」

「どうかしら。それはあなた自身で確かめたら良いんじゃないかしら。シャーロットは他人に八つ当たりして発散する事も自暴自棄になる事もないけれど、ちゃんとみていればわかるサインを出してくれているでしょう?」

「判じ文字より難解ですよ。しかもヒントをくれるより益々謎を深めようとする」

「だから楽しいって言いたそうね」

「やっとスタートラインに立った感じですね。イライラ続きで白髪になりそうだった」



 シャーロットが身じろぎして身体を起こした。

「申し訳ありません。お話の途中で寝てしまうなんて」

「問題ないわ。もう少ししたらサーマル氏達もいらっしゃるしそれまで客室で休んだらどうかしら?」

「いえ、あの⋯⋯はい」

 親子の和やかな時間の中に異分子がお邪魔しているようで落ち着かない。普通の親子がどんなふうに過ごすのか想像が出来ないシャーロットは退却することに決めた。

「ではそうさせていただきます」

「じゃあ俺も。部屋まで送るよ」

「え? いえ、場所は覚えておりますから。勿論一人でも構わなければですが」

「ええ、構いませんとも。ここはもうシャーロットの実家ですからね。どこでも自由に歩き回ってちょうだい。ジェロームの部屋はやめた方がいいから『危険物注意』ってドアに張り紙をしておくわね」

「母上、本当に勘弁してください。まだ何もしてませんから。昨夜のホテルでも紳士だったと保証します」


「ええ、当面はそのままでいてちょうだいね。でなければ作戦を変えなくてはいけなくなるから」



 廊下を2人で歩いていると不思議な気分になる。

(ほんの数時間前までお互いに警戒し合って、チクチクと嫌味を言い合ってばかりいたのに)

 部屋のドアに手をついたジェロームの腕の中に閉じ込められたシャーロットが腕を組んで睨みつけた。

「何?」

「お休みの挨拶くらいは良いかなと思って」

「巫山戯ておられるのかしら? 何でしたら変質者が出たって大騒ぎしましょうか?」

「いや、遠慮しておく。母上の侍女が箒を持って追いかけてきそうだからね」

「その方のお名前を教えていただこうかしら。是非お知り合いになりたいわ」


「敵に塩を送るのはやめておくよ。今回はシャーロットに心の準備をしてもらうだけだったし」

「準備なんて永遠にするもんですか!」

 ドンとジェロームを突き飛ばして急いで部屋に逃げ込んだ。

(揶揄うのはいい加減にして欲しいわ。いずれ気持ちは変わるんだから)



 婚約者だったエドワードとは上手く言葉を交わせるようになる前にテレーザの方が親しくなってしまった。学園でも友達を作りたいと思いはしたが声をかけるタイミングは見つけられず、たまに声をかけてもらえても返事を考えているうちに相手はいなくなってしまった。

(私ってば本当に鈍臭いのよね)

 しかもシャーロットはこれから悪い噂が充満する社交界に出撃して噂を広げた上に、親と妹を断罪する予定。
 フォルスト侯爵家も無傷ではいられないだろう。嫡男の妻が有罪になったと言う醜聞は間違いなく広がるだろうし、運が悪ければ不貞による婚約破棄だったとバレるかもしれないのだから。

(あの人達が間違っているとしても『親や妹を見捨てた』と言う人達は必ずいるし、学生時代の私がいかに冴えない子供だったかを声高に騒ぐ人だって出てくるはず)

 3年近く前の話でさえ今でも蒸し返されるのが社交界なら次の話題がどのくらい長く続くのか想像もつかない。

(親しくなってから『やっぱり面倒だ』と思われて距離を置かれる可能性の方が高いって知ってるもの。それに、私に出来るのは掃除と洗濯⋯⋯貴族社会の暮らしなんてよく分からないし、きっとヘマばっかりして周りの人に恥をかかせるだけだわ)


 ネガティブ思考に嵌まり込んだシャーロットはドレッサーの前で化粧の落とし方が分からず途方に暮れた。

(ほら、第一歩目からつまづいてるわ。ドレスの脱ぎ方も分からないし)



 トントンとドアがノックされてシャーロットの身支度をしてくれたロージーが入って来た。

「お召替えとお顔のお手入れに参りました。お手伝いさせていただいて宜しいでしょうか?」

 誰の依頼かわからないが、シャーロットの元にやって来たロージーは女神のように輝いて見えた。

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