上 下
33 / 48

33.知らないことがいっぱい

しおりを挟む
 本を前にカチカチに固まっているエリーの横でマイラはエリーを急かす事なく別の本を読んでいる。

「今がヨーソローよね。ガレオン船を見に行った時マイケルがまっすぐ進む時の掛け声だって教えてくれたんだもの。進む方向間違ってない時はヨーソロー」

 小声でぶつぶつと独り言を呟くエリーの横でマイラは気付かないふりをしていた。エリーは内心で『やっぱり確定ね』と思いながら今後必要になりそうな本のタイトルと筆者名を書き写していった。


 印章に記載されている紋章と本に記載されている紋章は逆になっているので並べて見てもエリーには全くわからなかった。周りの目を伺いながらこっそりと印章を紙に押して確認してみると、大きさが違うだけで細かい紋様までピッタリと合っていた。

「お祖母様の仰った通りでした。お祖母様はチラッとご覧になっただけなのにどうしてお分かりになったのかしら。とても複雑な紋様なのに」

 エリーが不思議そうに首を傾げるとマイラが口元を覆い笑いを堪えた。

「その国特有の特徴とか色々見分ける方法があるんですって」

 貴族や聖職者位しか使わなくなった印章だが識字率の低かった時代にはギルドや農民まで印章を使っていた。作られた時代によってはラテン語が入ったものだったり簡単な図案や頭文字だけの物もあった。

「お母様は昔からお仕事で色々な印章を見かけることがあったから段々と見分けがつくようになったそうよ。但しこの話をするとお母様はご機嫌が悪くなるから内緒。ご自分の年を思い出すからお嫌なんですって」

 印を押した紙を丁寧に畳んでポケットにしまい図書館を出た。

「お母様のお気に入りのパンデピスを買って帰りましょう」

「パンデピス?」

「香辛料と蜂蜜のはいったお菓子でね、向こうの通りに凄く美味しいお菓子屋さんがあるの」

 図書館のある大通りから左にそれて細い道を歩くと窓にレースのカーテンのかかった可愛いお店が見えてきて甘い香りが漂ってきた。

「桃の匂い! 確かお祖母様はお好きだったような気がします」

「大正解、桃のタルトがあったらパンデピスと一緒に買って帰りましょうね」


 6人程の列に並び店の中に入ると品よく並べられた沢山の種類のお菓子が目に入った。香ばしいバターの香りや甘い砂糖と季節の果物の匂いが漂い、コンフェッティ焼き菓子はプレーン・チョコチップ・アーモンド。タルトもラズベリー・オレンジ・桃等々。

「それぞれのお菓子の数が少ないでしょう。ここにあるのは見本のようなものでね、注文すると奥から持ってきて包んでくれるのよ」

 この方法だと売り子には余分な手間が増え一人一人の接客にも時間がかかるが、日の当たる店先に並べておくよりもそれぞれのお菓子に適した保存状態に置いておきたいと言う店主のこだわりらしい。
 オープンしてから繁忙期も含めてこのやり方を徹底しているので休日やお祝いの時期には店の前に長い行列が出来る。

「我が家でもしょっちゅう並んでるけど今日はまだ混む前でラッキーだったわ」

 エリーは大ぶりなグラスに立っている揚げパンのようなものを見つけて立ち止まった。

「叔母様、これは?」
「それはチュロチュロス。羊飼いがパンの代用として作りはじめたって言われててナバホ・チュロって言う羊の名前からチュロって名付けられたんですって。
少し買って帰る? 濃いホット・チョコレートに浸して食べると美味しいのよ」

 その横にあるのはマカロンダミアン。アーモンドペースト・卵・蜂蜜から作られアプリコットジャムやバニラエッセンスを加えたものが並んでいた。


 いくつかのお菓子をラッピングして貰い店を出るとさっきよりも行列が長くなっていた。

「この国には遠くの国からやって来た学生や研究者がいっぱいいるから、彼らがその国の特産品とかを教えてくれるの。お陰で珍しいお菓子やお料理が沢山あるのよ。気を付けないとあっという間にドレスが入らなくなりそう」


 大通りをタウンハウスに向かって歩いていると何かを食べながら歩いている数人の学生とすれ違った。ふわっと漂ってきた油の匂いにエリーが首を傾げた。

「あれはオリークックドーナツ。小麦粉・砂糖・卵で作った生地を酵母で発酵させてラードで揚げてあるの。安くて腹持ちがいいから学生に人気のおやつなの」

(サロニカに来て2年以上経ったけど知らないことがいっぱい・・)


 タウンハウスの近くまで帰ってきた時コーチと呼ばれる4頭立ての4輪大型馬車が近くを通り過ぎるのが見えた。高位貴族が乗っているのだろう、派手な装飾と家紋をつけた馬車は窓のカーテンをきっちりと閉めて混雑した馬車道を強引に進んで行く。
 交差点で道を横切ろうとしていた人に警笛を鳴らしスピードを落とすことなく走り去って行った。

「随分と乱暴ね。あれじゃあ怪我人が出ちゃうわ」

 マイラは眉を顰め小さくなった馬車を睨みつけた。



「マイ・・彼はどうしてあんな大切な物を持ってたんでしょうか? それに私に預けるなんて」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【R18】ひとりで異世界は寂しかったのでペット(男)を飼い始めました

桜 ちひろ
恋愛
最近流行りの異世界転生。まさか自分がそうなるなんて… 小説やアニメで見ていた転生後はある小説の世界に飛び込んで主人公を凌駕するほどのチート級の力があったり、特殊能力が!と思っていたが、小説やアニメでもみたことがない世界。そして仮に覚えていないだけでそういう世界だったとしても「モブ中のモブ」で間違いないだろう。 この世界ではさほど珍しくない「治癒魔法」が使えるだけで、特別な魔法や魔力はなかった。 そして小さな治療院で働く普通の女性だ。 ただ普通ではなかったのは「性欲」 前世もなかなか強すぎる性欲のせいで苦労したのに転生してまで同じことに悩まされることになるとは… その強すぎる性欲のせいでこちらの世界でも25歳という年齢にもかかわらず独身。彼氏なし。 こちらの世界では16歳〜20歳で結婚するのが普通なので婚活はかなり難航している。 もう諦めてペットに癒されながら独身でいることを決意した私はペットショップで小動物を飼うはずが、自分より大きな動物…「人間のオス」を飼うことになってしまった。 特に躾はせずに番犬代わりになればいいと思っていたが、この「人間のオス」が私の全てを満たしてくれる最高のペットだったのだ。

妹に婚約者を奪われ、屋敷から追放されました。でもそれが、私を虐げていた人たちの破滅の始まりでした

水上
恋愛
「ソフィア、悪いがお前との婚約は破棄させてもらう」 子爵令嬢である私、ソフィア・ベルモントは、婚約者である子爵令息のジェイソン・フロストに婚約破棄を言い渡された。 彼の隣には、私の妹であるシルビアがいる。 彼女はジェイソンの腕に体を寄せ、勝ち誇ったような表情でこちらを見ている。 こんなこと、許されることではない。 そう思ったけれど、すでに両親は了承していた。 完全に、シルビアの味方なのだ。 しかも……。 「お前はもう用済みだ。この屋敷から出て行け」 私はお父様から追放を宣言された。 必死に食い下がるも、お父様のビンタによって、私の言葉はかき消された。 「いつまで床に這いつくばっているのよ、見苦しい」 お母様は冷たい言葉を私にかけてきた。 その目は、娘を見る目ではなかった。 「惨めね、お姉さま……」 シルビアは歪んだ笑みを浮かべて、私の方を見ていた。 そうして私は、妹に婚約者を奪われ、屋敷から追放された。 途方もなく歩いていたが、そんな私に、ある人物が声を掛けてきた。 一方、私を虐げてきた人たちは、破滅へのカウントダウンがすでに始まっていることに、まだ気づいてはいなかった……。

BL世界に転生したけど主人公の弟で悪役だったのでほっといてください

わさび
BL
前世、妹から聞いていたBL世界に転生してしまった主人公。 まだ転生したのはいいとして、何故よりにもよって悪役である弟に転生してしまったのか…!? 悪役の弟が抱えていたであろう嫉妬に抗いつつ転生生活を過ごす物語。

その結婚、喜んでお引き受けいたします

Karamimi
恋愛
16歳の伯爵令嬢、マリアンヌは、1年前侯爵令息のダニエルから、公衆の面前で一方的に婚約破棄をされた。そのせいで、貴族界では好奇な目に晒され、さらにもう結婚は出来ないだろうとまで言われていた。 そんな中、マリアンヌと結婚してもいいという男性が現れた。相手はなんと、以前からマリアンヌが慕っていた、侯爵家の当主、グリムだった。 まさか好きな男性に嫁ぐことが出来るだなんて!でも、本当に私でいいのかしら?不安と期待の中、嫁いでいったマリアンヌを待ち受けていたのは… 不器用だけれど誰よりもマリアンヌを大切に思っている若き当主、グリムと、過去のトラウマのせいで完全に自信を失った伯爵令嬢、マリアンヌが、すれ違いの日々を乗り越え、本当の夫婦になるまでのお話です。 グリムがびっくりする程ヘタレですが、どうぞよろしくお願いします。

義兄に告白されて、承諾したらトロ甘な生活が待ってました。

アタナシア
恋愛
母の再婚をきっかけにできたイケメンで完璧な義兄、海斗。ひょんなことから、そんな海斗に告白をされる真名。 捨てられた子犬みたいな目で告白されたら断れないじゃん・・・!! 承諾してしまった真名に 「ーいいの・・・?ー ほんとに?ありがとう真名。大事にするね、ずっと・・・♡」熱い眼差を向けられて、そのままーーーー・・・♡。

転生皇太子は、虐待され生命力を奪われた聖女を救い溺愛する。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。

茶番には付き合っていられません

わらびもち
恋愛
私の婚約者の隣には何故かいつも同じ女性がいる。 婚約者の交流茶会にも彼女を同席させ仲睦まじく過ごす。 これではまるで私の方が邪魔者だ。 苦言を呈しようものなら彼は目を吊り上げて罵倒する。 どうして婚約者同士の交流にわざわざ部外者を連れてくるのか。 彼が何をしたいのかさっぱり分からない。 もうこんな茶番に付き合っていられない。 そんなにその女性を傍に置きたいのなら好きにすればいいわ。

前世で処刑された聖女、今は黒薬師と呼ばれています

矢野りと
恋愛
旧題:前世で処刑された聖女はひっそりと生きていくと決めました〜今世では黒き薬師と呼ばれています〜 ――『偽聖女を処刑しろっ!』 民衆がそう叫ぶなか、私の目の前で大切な人達の命が奪われていく。必死で神に祈ったけれど奇跡は起きなかった。……聖女ではない私は無力だった。 何がいけなかったのだろうか。ただ困っている人達を救いたい一心だっただけなのに……。 人々の歓声に包まれながら私は処刑された。 そして、私は前世の記憶を持ったまま、親の顔も知らない孤児として生まれ変わった。周囲から見れば恵まれているとは言い難いその境遇に私はほっとした。大切なものを持つことがなによりも怖かったから。 ――持たなければ、失うこともない。 だから森の奥深くでひっそりと暮らしていたのに、ある日二人の騎士が訪ねてきて……。 『黒き薬師と呼ばれている薬師はあなたでしょうか?』 基本はほのぼのですが、シリアスと切なさありのお話です。 ※この作品の設定は架空のものです。 ※一話目だけ残酷な描写がありますので苦手な方はご自衛くださいませ。 ※感想欄のネタバレ配慮はありません(._.)

処理中です...