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82.聖女は慈愛に満ちてるなんて、嘘に決まってる

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『なあ⋯⋯『どおりゃあぁぁ』とかは止めよう? 俺の中に残る、僅かな聖女への期待とか憧れが⋯⋯消えてなくなるんだわ』

(マズい⋯⋯ジルベルト司祭にも言われたら⋯⋯熊の文句になら前蹴りでも回し蹴りでも余裕で決める自信があるけど)

 カポエイラ・バトゥーキ・ムエタイ・ボクシング⋯⋯暇を見つけては他国の格闘技を調べまわるロクサーナの、特にお気に入りはカポエイラのハボジアハイアやパラフーゾ。

 メイアルーアジコンパッソからのヘヴェルサオン。テッカンコークワァーやテッカークワァーなどの蹴り技。

 タッマラーやパンソークといった肘打ち、ストレート・フック・アッパーや、コークスクリュー・ブローとクロスカウンター。



 魔法が使えなくなった時に身を守れるのは剣と体術。小柄な自分でも戦える方法を調べているうちに嵌ったが、本人的には少しだけ⋯⋯傍から見ると戦闘狂レベル。

 今では身体強化しなくてもデカいおっさんを吹き飛ばせるくらいに進化しつつある⋯⋯リューズベイで絡んできた臭いおじさんみたいに吹き飛ばせる。

(ジルベルト司祭が持ってる聖女のイメージって⋯⋯一般的に言われてる楚々として純粋とか?)

「ロクサーナに言っとかないといけない事があって⋯⋯魔導具の記録の事なんだけど⋯⋯」

「せ、聖女のイメージについて⋯⋯」

「「⋯⋯え?」」

 海に浮かんだ船の上でオールも2人の動きも止まり⋯⋯時折り、海の底から小さな気泡が現れては消えていく。



「えーっと、ジルベルト司祭からどうぞ」

「ロクサーナから⋯⋯いや、うん⋯⋯実はね、何か変化があったらピッピに記録するように頼んでて⋯⋯謝らないけど、報告はしとこうと思って」

 ロクサーナが何かしでかしそうな時は、魔導具で記録しておいて欲しいと頼んでおいたジルベルト。

『やるとしたら俺のいない時を狙うと思うんです。でも、この間目が覚めなくなったのが不安で⋯⋯』

【分かったの! ジルジルはロクサーナが心配なの~。だからピッピに手伝ってって言ってるのね~】



(ピッピ~⋯⋯私を売ったのは貴様かぁ! 通りで昨日の夜から姿が見えないと思ったよ~)

【ピッピ、お約束守る子なの~。でね、海だと役に立てないから~、逃げるっ!】
 
 ロクサーナに叱られるのを恐れて逃げ出したピッピは今、卵と並んでドラ美ちゃんの子守唄を聞いている最中。



「で、ロクサーナの話⋯⋯聖女のイメージがどうかした?」

「はっ! えーっと、そう! ジルベルト司祭は聖女にどんなイメージを持ってるのかなあと。ほら、普通は清楚で慈愛に満ち溢れてとか言うじゃないですか。でも、その⋯⋯私はちょっとぉ⋯⋯」

「俺の昔の話覚えてるよね?」

「あ、うん」

 何年もルイーズという名前で聖女見習いを強制されていた⋯⋯と言うジルベルト司祭の驚愕の過去。

「と言うことは⋯聖女の実態なら、俺と2人だけで修練してきたロクサーナより詳しいって事。聖女見習いの修練は紛れもない『女の園』だったからな~」


 ジルベルト司祭の心の動揺を表すように船が少し揺れ⋯⋯船底を叩く小さな音やチャプンチャプンと優しげな波の音も聞こえてきた。


『あら、司教様如何されましたの? えっ? もちろん覚えておりますわ! だってねえ、いつもお世話になっておりますもの。皆様もそうですわよね?』

『司祭様にそう言っていただけるなんて⋯⋯1日も早く皆様のお役に立てるよう、精進して参りますわ』


『クッソめんどくさい、アイツの名前なんか覚えてないっつうの。いちいち声かけてくんなよ~! 司教のくせにエロい目で見やがってさあ』

『たかが司祭が偉そうに、何様のつもりよ!? こっちは聖女になって枢機卿の目に留まるかもだし~、他国の王家に嫁入りとかするかもだし~。ったく、後で吠え面かかせてやるんだから⋯⋯覚えてやがれ』


「修練が進むうちに言葉遣いとか態度とか、どんどんひどくなってくんだよね。食堂だと修練場より酷くなるし⋯⋯あれって、先輩聖女から受け継ぐ伝統なのかもって気がしてるよ」

 女性魔法士見習いへの嘲笑や嫌味、女性魔法士へはマウントを取り、男性魔法士へは媚びと誘惑。

「聖女見習い同士の足の引っ張り合いとか虐めは凄かったからね~。掴み合いの喧嘩を見たこともあるし、聖女は⋯⋯ アーテーやエリスを信仰してるんじゃないかと思う時があるくらい」

 弱々しく笑ったジルベルト司祭は『強烈な人が多かったなぁ』と肩をすくめた。


 アーテーは狂気を神格化したと言われる破滅や愚行の女神で、エリスは殺戮の女神と同一視される不和と争いの女神。

 黒っぽい魚影が船の近くをゆっくりと通り過ぎるのを見ながら、ジルベルト司祭はオールを持ち上げた。

「そ、そんなにですか。それは予想以上に大変な⋯⋯聖女達の迫力とか凄いですもんね」

(それなら、私の戦いとか見ても引いたり呆れたりとかしないかも! 少しだけ、希望が⋯⋯もう、すっごく大事な話をしてるのに、さっきから五月蝿くない?)



 船底をノックしてから近くを泳いだんだから、かなり慎み深い態度だ⋯⋯などと思うはずもなく、船の上に仁王立ちしたロクサーナは、再び現れた魚影に狙いを定めて氷の槍を連発した。

「今話してんだからぁぁ、お利口に待ちやがれぇぇ!」


 パスッ、パスッ、パスッ⋯⋯


 慌てて向きを変え、海底に向かって消えていったのは、魚に擬態したグラウコス。

「くそっ、外したじゃん⋯⋯待ちきれないみたいだから、先にやっちゃいましょう」

 グラウコスが消えた方向を睨みつけたまま海に飛び込んだロクサーナは、ジルベルトが海に飛び込むのを待ち船を収納。

 身体強化した身体を結界で包んで、まっすぐグラウコスを追いかけた。

(結構早いな⋯⋯どうやって推進力を上げてる?)

 ロクサーナの後を追いかけるジルベルトも風魔法を使って速度を上げた。



 太陽の光が届くギリギリの所で待ち構えていたグラウコスが、嘲笑うように口元を歪めて皮袋の口を開いた。

【ば~か! おんなじ手に引っかかりやがんの~、ゴボゴボ】

「ば~か! おんなじ手しか使えないでやんの~」

 ボコンと音を立てて上へ上がってきた巨大な気泡が、ロクサーナの全身を包み込んだ。

 ジルベルト司祭は気泡を避け、ロクサーナの斜め後ろで詠唱を終わらせてチャンスを狙っている。

「うっわ~、これが伝説のセイレーンの歌かあ、めちゃめちゃ凄いじゃん! こりゃ惑わされるわ~。
伝令役はへっぽこの大間抜けだけど、こんな素敵な歌を聴いたのははじめてです! 感動しましたってセイレーンに伝えてね~。
あと、とんだカス野郎のいい使い道を思いついたスキュラに、お陰で楽しいひと時でした、流石ですって伝えといてね~。
バカだから忘れたとか言うなよ⋯⋯そん時はお仕置き確定だから」

 思いっきり煽りまくるロクサーナの思惑に乗せられたグラウコスが、青い顔をますます青くして布袋を構えた。

【なんでこの間みたいに気を失わない? 死なない? まま、まだ残ってるんだからな! 次こそってか、なんで普通に喋ってんだよおぉぉぉ】

「ふふん! それはぁ、私がぁ、結界を張れるからで~す。予言しかできない、どこぞの元漁師とは違うんだよな~。攻撃と防御のどっちもオーケーなんで~⋯⋯真下にいると潰しちゃうよ?」

 煽りが終わると同時に大量の氷の槍がグラウコスに向かった。

【あぎゃあぁぁ!】

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