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第九章『【本能寺ミステリー】信長の遺骸を追え!』

5『【真実の】信長の棺』

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※本編の前に――
本編は、大ヒット歴史ミステリー小説、
加藤廣先生著『信長の棺』のネタバレを若干含みます。
ご了承の上でお読みください。
また、『信長の棺』は、かなり拙者としても面白かった作品ですので、まだ読んだことが無い方、ぜひ一読をオススメします!




○《本能寺の変》最大のミステリーの一つ、
『何故、織田信長の遺骸が見つからなかったのか?』


明智光秀の81句の連歌解釈をする前に、


……そもそも何故、信長の遺骸が見つからなかったことがミステリーになるか?


ということから話をはじめると――

当然通説では、明智光秀が信長を本能寺において完全包囲してから、突然襲撃をかけたからである。


つまりまず脱出不可能の中で、つまり生きて外に出ることが不可能な状況なので、何故か遺骸が見つからなかった。


もちろんこの結果については、いろんなアプローチがある。


一、<信長生存説>

織田信長は、実は本能寺では死んでないから、本能寺に遺骸が見つからなかったのは当然――という説。


この説によると、信長は本能寺の変を完全に逃げ切って、その後も生きていたが、何らの理由で、その後歴史に顔を出さなかった。

その理由を大別すると、重症重病説・変後、秀吉や家康を影で操った黒幕説・海外旅行説など色々あるが、まぁ、全て根拠の無いフィクションの世界のものばかり。


二、<一般的解釈>

信長は確実に本能寺で亡くなったが、なんらかの理由で遺骸が消失または、分別不能となった。

その理由として、遺骸が無くなる又は分別不能なほどに、本能寺炎上の業火で焼かれた。


ただこの一般的解釈でも、異論があり――

現代の火事とかで遺体が出てくるので、信長の遺骸が無いのはおかしいという説もある。

その場合、本能寺の火薬庫に引火して爆発したから、遺骸が消失したという説などもある。


三、<小説『信長の棺』的解釈>
※ネタバレ注意・気になる方は次のページへ。

信長は本能寺の建造物内では死ななかった。

……が、別の場所で結局亡くなった。

詳しくは、ネタバレになるので『信長の棺』を読んで欲しいのですが、結局反論としては――

じゃあ、別の場所で亡くなったとして、遺骸なりその一部なりが……
その別の場所で見つからないことには証明できない、ということである。



いよいよ、本作『信長による福音書計画』による解釈ですが――


……そこにはみなさんが、
あっと驚く――《真実》が待っています!


次回『【真実】の信長の棺part2』


乞う、ご期待!
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